第23話   第五章 『リデンの森』 その4

文字数 1,961文字

 それから数日して、森の女王は、カンとダシュン、そして共に行くコウのために夕べの宴を開いてくれた。その会場となったのは、渓谷を臨む処に湧く美しい『リデンの泉』で、その名の通り、リデン以外めったに足を踏み入れる事などない特別な場所だった。
 それには館の者達も皆、驚いている様子だった。

 夕刻、上空にはすでに、涼しげな光を放つ美しい満月が上っていた。
 その煌々とした月明りの中、更に泉を取り囲む篝火が透明な水面に映えて、幾重にも明るさを増している。その光を受けて、その髪と同じ色の衣を纏ったリデンの美しさが、尚いっそう照り映える。
 ・・が、カンの心にふと去来する思い・・。

(・・満月・・水面に映える篝火、純白の衣・・なにやら暫く前にも見ていた情景だが・・。それにしても何という違いだろうか・・あの夢のような『月の宮殿』は、悪夢に変わった・・そして、この『リデンの館』は果たして・・)
 
 そんな泉の辺で、リデンの重臣達、そして給仕係としてパリも加わって和やかに宴は進んでいた。
 ・・夜も更け、満月が天頂に差しかかる頃、ダシュンやパリと共にすっかり寛いでいたコウだったが、その様子がなにか次第に・・落ち着きのないものに変わっていた。何やら泉の水面が気になるようで、それでいて直視することを避けている。

「おい、大丈夫か・・」
「う、うん・・」
「酔ったのか?」
「い、いや、つ、月が・・」
「月・・?」
 
 そう言うとダシュンは、コウの視線の先に目をやった。泉に頭上の月がクッキリと映っている。
 その時だ。コウがフラフラと・・まるで何かに呼ばれているかのように立ち上がり、泉に近寄って行く。それから泉の辺に跪いて水面を覗き込むと、暫くして・・突然、何かに両腕でも捕まれたような様子を見せた。
 さらには、必死にその見えない手を振り解こうとしているようで、そのうち本当に何かに身体を水の中に引きずり込まれようとしている。

「ど、どうした・・コウ・・」
 
 ダシュンが立ち上がった。
 離れた席で、重鎮達と談笑していたカンも思わず視線を向けた。
 パリも心配そうに見ている。

「待て・・」
 
 コウのところに行こうとした若者二人を、情報部の長であるザイルが止めた。
 一同、唖然とする中、リデンは落ち着いてジッとコウの様子を見つめていたからだ。

 コウはなおも、必死に抵抗している。
 うなり声を上げ、何かを口走り、首を絞められ必死に振り解こうとしているかのような凄まじい形相を見せ始めると・・さすがにザイルも心配になったのか制するのをやめた。
 だが直ぐにコウの許に行こうとした二人は突然、固まり、それ以上は動けない。

 見えない何かと必死に戦っていたコウは、突然、前のめりになって泉の水の中に上半身ごと倒れ込んだ。丸い鏡のような月を映していた静かな水面が飛沫を上げて大きく揺れ、近くの篝火が煙をたなびかせて消えた。

「コウ!!」
 皆、一斉に立ち上がる。
 突然、身体が自由になったダシュンとパリは直ぐに駆け寄って助け起こした。

「コウ・・」
 目を閉じてグッタリしていたコウは、呼びかけに静かに目を開けると・・呪文のような言葉を呟き始めた・・。
「・・つきのおうきゅうのつきのかがみ・・つきのきゅうでんはつきのとう・・つきのしんでんにはつきのいずみ・・」
「え、何だって・・!」
「『月の王宮』の月の鏡・・『月の宮殿』は月の塔。『月の神殿』には月の泉・・」
 リデンが言った。

「え、何でございますか・・」
 皆、驚いて一斉に聞いた。
「・・つきのおうきゅうとつきのきゅうでんに・・つきのしんでんがむすばれ・・ま・・まげ・・」
 コウは何かを絞り出そうとするように呟いていたが、突然その身体がガクッとして力を失い、その場に昏倒した。

「『月の王宮』と『月の宮殿』、そして『月の神殿』が結ばれ・・扉が開かれ・・何かが、起ろうとしています・・」

 
 コウはその後、まるで頭の中に封印されていた記憶を一つずつ解くように目覚めては何かを呟き、また昏睡状態に陥りと云う状態を続けた後、二日間ぐっすりと眠り、七日目には何事もなかったかのように元気に起き上がった。

 その間、カンは館の図書室に籠り、今後の計画について改めて考えていた。
 そこには今まで見ることが出来なかった貴重な書物や、それこそ『リデンの森』にしかないであろう特殊な事柄に関する興味深い蔵書が沢山あった。

 その日、シュメリア、ミタン周辺の広域地図を広げてザイルと協議しているところへ、侍従長のハマが一人の人物を連れて来た。

「ハルか・・まさかお前とここで会おうとは・・!」
「閣下。ご無事で何よりです。奥様からのお伝言もお預かりして参りました・・」

 書房の外には、眼下に美しい渓谷を臨む広いテラスが張り出し、明るい日差しと心地よい風が入っていた。
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