八月上旬 その二

文字数 2,433文字

 病室に戻ると、朋樹がいた。

「赤点補習じゃなかったの?」

 今日は平日だ。朋樹は期末試験の成績が振るわなかったため、学校に行かなければいけないことになっている。

「瑠瀬がこんな目に遭ったんだぞ? 教室でぬくぬくと机に向かっていられるかよ!」

 朋樹の気持ちは、痛いほどわかる。瑠瀬とずっと仲が良いから。喧嘩もたまにしてはいたが、すぐに仲直りするぐらいだ。それこそ瑠瀬の親友と表現するにふさわしい。

「ふざけんなよ、瑠瀬!」

 朋樹は眠っている瑠瀬に向かって、叫んだ。

「濃子を置いて行っちまうような奴じゃないだろうお前は! こんな時に側にいてやることが、お前の役割だろうが!」

 その勢いは増すばかりだ。

「おい瑠瀬! 反論の一つでもして見せろよ! 何でずっと黙ってんだよ!」

 瑠瀬の胸ぐらを掴んで、

「こんなに濃子を悲しませて楽しいのか!」

 廊下を巡回していた医者が通りかかり、止めに入った。

「君、やめなさい。そんなことをしても患者は目覚めないんだぞ!」

 朋樹にだってそんなことはわかっている。親友が意識不明の今の状況を受け入れたくないから、自分では何もできない悔しさをどこにぶつければいいのかがわからないから、感情的になっているのだ。

 その後すぐ、亜呼と純心がお見舞いに来た。

「色々と持って来たんだけど…。どうしよう?」

 亜呼はバスケットかご一杯の果物を持参した。

「一応、置いておこう」

 窓の横のテーブルに置いた。誰も言わなかったが、果物が腐る前に瑠瀬が目を覚ます保障はどこにもない。

「私がさっさと逃げれば、瑠瀬もこんな目には遭わなかったのに…」

 濃子の中には、罪悪感しかない。しかし亜呼が、

「濃子が悪いんじゃないよ。悪いのはテロリストでしょ? 何も謝ることはないじゃない」

 純心も続けて、濃子を慰める。

「まさかあの日にテロが起きるだなんて、誰にも予想できなかったんだから…。自分を責めないで」
「う、うん…」

 濃子は、心が引き裂かれるような思いをした。二人は未来について、何も知らない。平祁や源治についてもだ。だから濃子の行動で未来が消えたことがわからないから、瑠瀬がテロに巻き込まれたことに濃子が責任を感じていると思っている。
 夕日が病室を赤く照らす。今日は四人で帰ることになった。


 次の日も朝一番で、濃子は瑠瀬の病室にやって来た。目が覚めていたら…。そんな希望はまた、朝早くから打ち砕かれることになる。

「どうすればいいの?」

 平祁に言われて、これが最善だと思って行動してきた濃子には、今やるべきことが何も思いつかない。ただ、こうなったのは自分のせいだと、延々と心の中で責め続ける。

「どうしたら、瑠瀬は目を覚ましてくれるの…」

 言葉にしても何も解決しないのは、わかりきっている。でも呟く。そして現実に直面し、涙がこぼれそうになる。

「泣いちゃ駄目よ。涙なんか瑠瀬は望んでないわ」

 今日は由香と恵美がやって来た。恵美は、泣き出しそうになっている濃子の手を握り、

「濃子がしっかりしないでどうするんだ? 辛いのはわかるけど、濃子が折れることも瑠瀬は嬉しく思わないはずだ」

 と励ましてくれた。
 二人は午前中で帰ってしまったが、午後になると麻林が来た。その手に持っていたルクリアのプリザーブドフラワーを、昨日亜呼が置いたバスケットかごの横に飾った。

「麻林ちゃん…」

 麻林には、何を言えば良いのだろうか。自分が観戦に行ったから、麻林はテロに遭わずに済んだのだから、その心境はかなり複雑だろう。ベッドに寝ているのが瑠瀬でなく濃子だったら…源治の未来では、麻林は何を言ったのだろうか?

「濃子様。今既に喪に服しているようなお方に、瑠瀬様は任せられませんわ」

 聞いただけではきつめの発言だが、裏を返せば言いたいことは恵美と同じ。濃子が一番、諦めてはいけない。

「でも…」

 だが、言われただけで強くなんかなれるはずがない。明日も目が覚めないなら、心が折れてしまうかもしれない。
 ならいっそ、責任を取って瑠瀬の側から離れ、麻林に後を託そうか…。

「わたくしは信じています。きっと瑠瀬様は目を覚ましますわ。その時には、必ずわたくしを呼んで下さいね」

 麻林がそうさせなかった。

 この日のお昼は麻林と一緒だった。貧乏そうな病院のご飯を、麻林は濃子のペースに合わせて食べてくれた。
 戻って来ると、病室の方が騒がしい。もしやと思って覗いてみると、そこには徹と和哉と大宙と勇刀がいた。

「こんな終わり方、俺は認めねえぞ! 何でクラスメイトがこんな目に遭わなきゃいけねえんだ! 誰だか知らねえが、許さねえ!」

 和哉の言葉から、怒りを感じた。濃子にはその怒りが、自分に向けられているように思えた。自分が早く逃げれば、瑠瀬は瓦礫に当たることがなかったからだ。

「大丈夫。彼は必ず戻って来てくれる。ここで終わるような人ではないはずだ。そうだろう、徹?」
「ああ。ここで気を強く持たないと。瑠瀬だって戦ってるんだ。俺たちも負けられない」

 勇刀が濃子たちに気がついた。

「濃子さん、麻林さん…。俺たちはもう、帰る。してあげられることはほとんどないのが悔しいけど、瑠瀬君を信じろ…」

 四人と一緒に麻林も帰ってしまった。テーブルには、大量の折り鶴。学校に集まれた同級生に頼んで折ってもらったらしく、色紙まで置いてある。

「瑠瀬。みんなが瑠瀬の帰りを待ってる…」

 濃子は瑠瀬の手を握った。その手は温かい。当たり前だ、瑠瀬は生きているのだから。意識さえ戻れば、また一緒に歩ける。ここで死ぬだなんて、あり得るはずがない!

「お願い。瑠瀬、早く戻って来て!」

 みんなの思いがこの病室にある。

 日が暮れた頃に、濃子は病院を出た。
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