七月 その二

文字数 1,749文字

 瑠瀬が意を固めているが、教室の反対側にいる濃子の考えは全くの逆方向だった。

「瑠瀬の幸せのためには…」

 瑠瀬の想いは痛いほどわかる。その想いはとても嬉しい。嬉しいからこそ、瑠瀬に幸せになって欲しい。その時、側にいるのは残念ながら自分じゃない。
 でもそれでいい。瑠瀬が幸せなら自分は、天国で笑っていられる。寧ろ生き残って後遺症を負って、次世代にまで悪影響を及ぼす方が迷惑だ。平祁の言った通りなら、瑠瀬はテロの後酷く落ち込みはするが、必ず麻林がサポートしてくれる。

 気の毒なのは、テロに巻き込まれてしまう他の人たちだ。狙われるのは濃子だけじゃない。自分の足元でピンポイントに爆発するわけがない。テロが起きること自体、誰にも言ってはいけないことだ。それよりたとえ日にちがわかっていても、場所が不明だ。規模もわからない。それでは避難のさせようもない。多くの命が失われるとわかっていながら、黙っていなければならない方が濃子にとって残酷だった。

 また濃子は、平祁の未来について瑠瀬に教えることができないことも苦しかった。平祁と約束したからということもある。だが本当はそれを瑠瀬に言えば、必ず疑われる。平祁が都合のいいような嘘を吹き込んだと言われてもおかしくない。そうしたら、何て言い返せばいいのか…。
 濃子はそのことを考えるのをやめようとしたが、どうしても先を想像してしまう。平祁の未来を選ぶと言えば、ただ単に死にたいと言っているようにも聞こえてしまう。

 それは駄目だ…。濃子は頭の中で今の思考を否定した。自分に未来がないとしても、未来で自分が生きていないとしても、平祁が麻林の言葉を受け継いだように、意思は次の世代に伝わっていく。そこに負の要素を入れることは、できない。


 放課後、濃子は麻林に呼び出された。

「濃子様…? 険しいお顔で、どうかなさいました?」

 慌てて手を振りながら、

「ううん、なんでもないよ。それより麻林ちゃん、何の用?」

 麻林は紙を二枚取り出すと、

「この前、濃子様と瑠瀬様のためにお取りすると言っていたホテルのことですわ」

 紙にはホテルの外観、エントランス、個室、食堂、浴場等の写真が掲載されている。濃子が泊まるには、正直身分違いだ。

「高そう…」

 それしか言葉が出て来ない。

「わたくしが全額負担しますわ」
「それはいくら何でも、麻林ちゃんに失礼だよ…」

 とは言っても、濃子の財布事情ではこのホテルには、全く手が届かない。母に頼んでも無理だ。

「その代金は、お二人の幸せで払っていただきますわね」

 麻林にはやはり、引く気がない。麻林の不機嫌な顔も見たくないので、濃子は素直に紙を受け取った。

「前日までに、必要な用紙の類をお渡ししますわね。その時までに準備、済ませて下さいね」
「うん。ありがとう、麻林ちゃん!」

 麻林のためにも、濃子は元気に返事をした。濃子がどうなるかわからないが、少なくとも麻林には、自分と不仲なまま終わって欲しくない。後味が悪いだけではない。嫌な思いをしてもらいたくないのだ。未来の麻林は、濃子の悪口を少しも呟いていなかった。友達にも、負の遺産は残させない。麻林には、瑠瀬と幸せになってもらわなければ、自分が浮かばれない。

「麻林ちゃん」

 今度は濃子から切り出した。

「何でしょう?」

 濃子は笑顔で言った。

「本当に、ありがとうね。私、麻林ちゃんと知り合えて、とても良かった。すごく幸せな気分だよ」

 それを聞いた麻林の表情も、とても明るい。照れながら、

「そう言ってもらえて、わたくしも嬉しいですわ!」

 と返事をした。
 この日濃子は、麻林とずっと話をしていた。本来なら同じ人を想う敵同士なのに、そうとは思えないほどだ。
 それは当たり前だ。麻林が瑠瀬のことを諦めたという要因も大きいが、それだけと考えているのは麻林だけ。

 濃子は、知っているのだ。未来に自分はいないことを。瑠瀬は麻林と結婚し、子供を授かることを。

 自分の想いを託せる相手だからこそ、不快な思いをして欲しくない。
 だからこそ、麻林に知ってもらいたい。今、ここに自分が生きていたということを。
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