第2話

文字数 6,468文字

 稲妻が光り、雷鳴がこだました。三たび静寂が訪れた美術室は、激しい雨音と静かな吐息が支配する。永遠とも思える一瞬が、そこにいる者たちの時間の感覚を麻痺させているようだった。
「峰ヶ丘さん。教師をからかうのは感心できませんね。いくら生徒会長とはいえ、言っていい事と悪い事があります」
 だが、小夜子には確信があった。真実はこれしかないと。
「いえ、私は冗談を言うつもりはありません。あらゆる可能性を考慮した結果、代々木先生の犯行に間違いないと結論付けたのです!」
 代々木は机の上で手の平を組むと、小夜子の顔をじっと睨んだ。
「まさか剛禅寺先生みたいに、私が岩清水君を追い詰めて加奈子を殺させ、そのあげくに自殺させてしまったと言いたいのかしら? それならば否定はできませんけれど」
 だが、小夜子は首を横に振る。
「そうではありません。岩清水くんを殺したのは、代々木先生以外に考えられないからです!」
 今度こそ決まった! いい加減、犯人ってことで観念して下さいよ。お願いだから。
「サヨ、説明してくれない? どうして代々木先生が岩清水くんを殺したのか」
 わざとらしいくらいに間を取って、小夜子はゆっくりと語り出した。
「……代々木先生はあの日、岩清水くんを美術室へと呼び出した。やはりペインティングナイフを持ってくるように頼んで。恐らく加奈子の殺害についてほのめかしたのでしょう。またはコスプレのモデルになるとでも言ったのかもしれません。……いずれにせよ彼に睡眠薬の入ったミネラルウォーターを飲ませて眠らせると、トイレへ運んだ。そして個室の中に座らせると彼の持っていたペインティングナイフを取ってそれを突き立てた。それから履歴を消すために携帯を壊し、ペットボトルを床に置いた。……ここまでは五十嵐くんの時の推理と大体同じ。ここからが肝心です。それから岩清水くんが自分で内側から鍵をかけたように見せかけるために、扉を開けた状態のままバールで鍵を壊し、第一発見者をよそおって校長先生の所へ行った」
 剛禅寺は体を震わせて、
「違う! 代々木先生がそんな大それた事をするはずがない。俺は代々木先生の事を信じている……」
 背中を丸めながら、又も泣き声を上げた。小夜子はみっともないというより哀れだという目で彼を見つめる。美紀と五十嵐も大体同じような感じだった。
 だが、代々木が動じることは一切無かった。
「なかなか面白い推理ね。さすがは学年トップクラスの成績を修めるだけの事はあるわ」
「私も信じたくはありません。ですが、正直に自首してくれるのならば、加奈子や岩清水くんへのせめてもの手向けになると思います」
 代々木はすくっと立ち上がると小夜子を指差しながらこう言った。
「だけど、私が岩清水君を殺したとして、その動機は何かしら。まさか私が彼と付き合っていたなんて、陳腐で抽象的な根拠を持ち出すんじゃないでしょうね」
 痛いところを突かれたと小夜子の目は宙を泳ぐ。
「それは判りません。まだ知られていないだけで、二人だけの隠された関係があるのだと思います」
「苦しいわね。さっきまでの勢いはどうしたのかしら。仮にそうだとしても、あなたの言う通り、もしドアを開けた状態で鍵を壊したのなら、その形状から警察は一発でトリックを見抜くと思うわよ。――ところが個室のドアは鍵の閉められた状態で壊されたとはっきり断言している。……これはどう説明するつもりかしら」
 代々木の言葉に打ちひしがれて黙りこくる。こうなったらアレしかない。
 堂々と胸を張り、人差し指を上に突き出して、ひと振りした。
「……と思わせるのも犯人の狙いでした」きっぱりと言い切った小夜子は、冷たい視線を浴びながら「なんてね」
「またそれか。いい加減にしてくれ。……どうせ行き当たりばったりの出まかせじゃないのか?」
 五十嵐に確信を突かれて動揺する小夜子。美紀は心配そうな顔で哀れな探偵助手見習いを見つめている。
「まあまあ、いいじゃありませんか。私は充分楽しめましたよ。解散会の余興としてね」
 代々木は穏やかな顔でマカロンを口にする。美紀は小夜子に近づくと耳元に小声で呟いた
「ねえサヨ。気持ちは判るけど、ここは意地を張らずに岩清水くんは自殺したって事でいいじゃない。それともまた“ほころび”がどうとか言うつもり?」
「決まっているじゃない。今更後には引けないわ。真犯人がこの中にいることは間違いないのよ」
 その時、小夜子は自ら発した言葉の意味を理解できずにいた。
 美紀は悲しげな顔で自分を指さす。
「だとしたら残っているのは私だけよね? それでも岩清水くんは私が殺したと?」
 小夜子は絶句した。もしこの中に犯人がいるとすれば、消去法で自動的に美紀が犯人という事になる。
 だが、ここで五十嵐の発言が思いもよらぬ方向へと押しやった。
「いや、もう一人忘れてはいないかい?」五十嵐は人差し指を立てて小夜子に向けた。「残念だよ。まさか君が岩清水を殺しただなんて」 
 まさかの指名に心臓が跳び上がる。予測不能の反撃にたじたじとなり、血の気が引くのを感じた。
「まさか探偵役が真犯人だったとはね。でも、ミステリーの世界ではよくある話だ。君は僕たちを容疑者として次々と担ぎ上げて、自らの犯行から目を背けさせようとした……違うかな?」
 息を呑む小夜子。喉の渇きを憶え、飲みかけのウーロン茶を一気に飲みほすと、容疑者とされた自分を弁護するために自らを奮い立たせた。
「もちろん違うわよ。仮に私が犯人ならどうやって犯行に及んだか説明してごらんなさい。……出来るものならね!」
 すると五十嵐は腰を浮かし、右手を胸に当てて深々と頭を下げた。小夜子はあえて拍手を送り、からかうように「よ、待ってました」と精一杯に震える声を出した。
「では、僕の推理を始めたいと思います。……ですが、その前に峰ヶ丘さん。悪あがきは止めて犯行を認めませんか?」
「認める訳ないでしょ。私、何もやってないんだから」
「犯人はみんなそういいます。ですが、僕の推理を聞いた後でも、同じセリフが吐けるかな?」
「ずいぶんと挑戦的じゃないの。私がどうやって岩清水くんを殺したか、きちんと“論理的”に説明してくださいね。私の行動が彼を追い詰めたとかではなくて」
「任せてくれ。僕こそが真の名探偵であることを証明します」
 五十嵐は椅子に腰を落として襟を正すと、軽く咳払いをした。小夜子にはその仕草が何となく高野内とダブって見え、自分も周りからはそう見られていたのかと思えた。顔中が急に熱を帯びていくのを感じずにはいられない。
「僕の推理は簡単です。まず峰ヶ丘さんは岩清水を呼び出した。口実は絵画コンクールで入選した場合に備えて、コスプレ用にサイズを計って欲しいとか言ったのでしょう。もちろん彼は大喜びで駆け付けたはずだ。そして、のこのこと現れた彼に睡眠薬の入ったペットボトルを渡すと、やがて熟睡した彼を男子トイレの個室へと運び入れた」
 すると小夜子は物言いを入れる。
「ちょっと待って。もしそうしたら、あんなにガタイのいい岩清水くんを私が運んだというの? それはかなり無理があるんじゃないかしら。もっともそれは代々木先生の場合でも当てはまる事ですけど」小夜子は自分の推理の欠点を素直に認めた。
「それに関しては後で説明するよ。それから君は持ってくるように指示していたペインティングナイフと携帯電話を彼のポケットから取り出す。そして内側から鍵を閉めて天井の隙間に登った。この時点ではまだ睡眠状態なので血の跡は付かない。そしてドアの上の部分に足をかけ、逆さ吊りの状態でナイフを刺したんだ。後は体を戻して隙間から出ると――。ほら、密室の完成さ」
 呆れてものが言えないとはまさにこの事だった。小夜子は思わず笑い声を漏らすと一同からもそれに呼応するように失笑の嵐が吹き荒れた。
「五十嵐君、まさか本気で言っているの? 私がそんな曲芸師みたいなアクロバットをして岩清水くんを刺したと」
「笑い事じゃない! 僕の推理は完璧だ」
「五十嵐、いくらなんでもそれは飛躍のし過ぎだ。たとえプロのサーカスでもそんな芸当はおいそれとはできないだろう。そんなトリックが本気で通用すると思っているのは、どこかのプライドの無い貧乏な作者くらいだろう」
 ……プライドが無い事は認めるが、貧乏は関係無いだろう……。
「果たしてそうでしょうか? 一人では難しくても二人ならどうでしょう」
 まさかの指摘に驚きを隠せないでいた。「二人? 私には共犯者がいたと?」
 その共犯者とは一体誰の事なのだろう。だが、五十嵐の言わんとすることは、何となく想像できる。それはつまり……。
 五十嵐は声を荒げた。「おい、そこのデブ女! お菓子ばかり食べてないで少しは話に参加しろよ。共犯者とはお前の事だ。与謝野!」
 美紀の手が止まった。両手にシュークリームを持ち、口の周りが生クリームで真っ白になっている。突然名前を呼ばれ、クリームを拭おうともせずに茫然と口を開けていた。
「僕には全てお見通しさ。君たちは共謀して岩清水を殺したんだ。さっき峰ヶ丘さんが指摘した通り、熟睡している彼を運ぶのに女の子一人では難しいだろう。つまり君たち二人が協力して男子トイレの個室に運び入れたんだ。次に自殺に見せかける細工を施した後でドアの隙間に登り、足を掛けている峰ヶ丘さんの足首を与謝野さんが支える。そしてナイフを刺し終えるとそのまま引っ張り上げた。お前の体型なら、隙間を抜け出すことは出来なくても、足首を持って支えることは問題じゃなかっただろう。……どうだい? 完璧な推理だろ?」
 小夜子はその姿を想像してみた。かなり滑稽ではあったが、やってやれない事は無い。だが、当然このままでは腹の虫がおさまらない。
「どうして私たちがそんな事を。それにいくら殺人のためとはいえ、スカートを履いたまま犯行に及んだとでも言うの?」
「そんなもんどうとでもなる。ジャージを履いたかもしれないし、それとも下着丸出しで刺したとか。どうせ誰も見ていないんだしな」
 小夜子は思わず口をつぐんだ。彼の推理は一見荒唐無稽のように聞こえるけれど、辻褄は合っているように思える。無実を証明することがこんなに難しい事だったとは思いもよらなかった。
再び沸騰し、剛禅寺は「やっぱりお前たちが犯人だったのか。女子とはいえ容赦はしないぞ。とっとと警察へ突き出してやるから覚悟しろい!」と、怒りの矛先を小夜子と美紀の二人に向ける。彼には自分の意見という物はないのだろうか。
 そこで代々木は助け舟を出してきた。
「待ってください剛禅寺先生。彼女たちからもなにか反論があるかもしれないじゃありませんか」
「どうなんだ。今更反論できるのか? お前たち、言いたい事があるならさっさと言え! どうせ無駄なあがきだろうがな」
 剛禅寺は完全に二人を犯人だと決めつけている。単純というかこの変わり身の早さ、まるで誰かさんのようだ。
 そこで小夜子は反論を思いつく。一見、完璧に思える五十嵐の推理にも“ほころび”があったのだ。
「あそこのドアの高さはどれくらいだったか覚えているかしら? 優に二メートルを超えているわ。ちなみに美紀の身長はいくつ?」
 戸惑いつつも、すがるような目で美紀は質問に答えた。「百五十二センチよ」
「今聞いた通り、彼女の身長では仮に腕を伸ばしてもドアの上には届かないわ。背伸びをしたところで同じ事。いくら私の体重が“軽い”とはいえ、仮に手が届いたとしても、そんなギリギリな状態で体重を支えることなど不可能よ。笑止千万だわ」
 小夜子は胸を張り、矛盾を示した。だが彼も黙っていはいない。
「それは……与謝野さんは踏み台を使ったんだ」
「踏み台? 何を?」
「君こそ忘れてはいないかい? あそこの用具入れにあったものを」
 小夜子は掃除用具入れの中を思い出してみた。確かあそこにあった物は、床掃除用のモップ、雑巾、トイレットペーパー、プラスチック製のバケツ……。
 まさか! 小夜子は、はっとして口に手を当てた。
「気づいたようだね。そうだ。バケツを踏み台として使ったんだよ!」
 五十嵐は渾身の力を込めて机に拳を叩きつけた。スナックが舞い上がり、ペットボトルが揺れる。
「ちょっと待って、私が言うのも何だけど……」美紀はおずおずと手を挙げた。
「何だ、まだいちゃもん付ける気か」
「そうじゃなくて、仮にバケツを踏み台にしたとしたら……その……何というか」
「はっきりしろよ。今更いい訳なんか見苦しいぞ」
 すると小夜子は声を上げた。
「判ったわ。つまり美紀が言いたいのは、もしバケツを踏み台にした場合、そのバケツがもつのかって事でしょう? あれはプラスチック製でそんなに頑丈じゃない。アレを踏み台にしたら美紀じゃなくても壊れてしまうわ。ましてや五十嵐くんの推理通り二人分の体重が掛かれば尚更ね」
「それは……」五十嵐は一瞬言い淀んだが、「バケツじゃなくて他の物を使ったんだ。教室の椅子とか机とか……。その気になれば何でもござれ、後で片づければ何の問題もない」
 五十嵐の意見に小夜子はきっぱりと言い放つ。
「いいえ、それは違うわ。五十嵐くんは知らないかもしれないけれど、あの現場の床は岩清水くんの血が個室の外にまで流れ出ていたの。代々木先生も見ましたよね。もし踏み台を使ったのであれば、その跡が床に残った筈。……ところが警察もその事に気づいた様子はない。これはどう説明するつもり?」
 さっきの勢いは何処へやら、たじたじの五十嵐は椅子にへたり込みながら遠い目をしている。
 小夜子のダメ出しは続いた。
「それに私にはアリバイがあるわ。確か岩清水くんの死亡推定時間は午後五時から六時の間だったわよね。あの日の放課後、私は高野内さんの病室に行っていた。着いたのは五時ごろで一時間程いたから、あそこを出たのは六時ごろ。聞けばきっと証言してくれるでしょうね。それに他の入院患者や看護師たちも。これでも病院ではちょっとした有名人なのよ」
 ここでいう有名人とは、探偵と助手としてではなく、毎度漫才のような掛け合いをして嫌でも注目を浴びていたという、あまり歓迎しない理由からだった。
「与謝野さんはどうなんだ。ちゃんとアリバイを証明してくれる人は?」
「私はいつも通り六時ごろまで図書室にいたわ。知っている人はいなかったと思う。でも自分から言いたくないけど、この見た目でしょ? どうしても目立ってしまうから、憶えている人は必ずいると思うわ」
 美紀は恥ずかしそうに髪を撫でる。もうお菓子はくわえていない。代々木は毅然として五十嵐を制する。
「ほらごらんなさい。私は彼女たちの事を信じます。五十嵐くんもいい加減な推理は止めて現実を見据えなさい」
 小夜子は自分が言われているような気がして、なんとも気まずい思いだった。
 すると剛禅寺は涙を流した。これまでのイメージと異なり、かなり涙もろい性格のようだ。
「やっぱりそうだったのか。お前たちがそんな残酷なことをするとは最初から思っていなかったぞ。生徒を信じての教師だ」
 調子のいい教育者だ。小夜子は剛禅寺の変わり身の早さに、またも誰かを重ねた。
「それで、結局のところ真相はどうだったのかしら?」
 美紀は再び手を動かすと、口いっぱいにエクレアを頬張る。
 ニッコリ微笑むと、代々木は明るい声を出した。
「やっぱり自殺でいいじゃないの。峰ヶ丘さんも五十嵐くんもそれでいいわよね」
「……判りました」二人は口を揃えて言い放つ。

 気が付くと雨はすっかり上がっており、雨どいから滴り落ちる水滴が心を和ませた。それは傘を持ってこなくて助かった……という意味ではない。
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