第2話

文字数 3,042文字

 十一月十二日(水)

「犯人が判りました」小夜子の声が響く。高野内の病室で事件の核心を掴んだ翌日の事だ。
 ようやく立ち入りが許された旧校舎の美術室。そこには小夜子の他に五十嵐翔、与謝野美紀、代々木先生の合計四人の姿があった。小夜子の呼びかけで全員ここに集められていたのである。
 岩清水は今日も欠席だった。
「どういうことですか、峰ヶ丘さん」
 代々木先生は訝しがる顔で小夜子を見つめている。
「最初に謝っておきます。最後に加奈子と会った時に彼女はこう言いました。『もし私の身に何かあったら、それは美術部の……』と。これは彼女が美術部の関係者に命を狙われていた事を示す重要な手掛かりになります。これまで話さなかったのは、お互い疑心暗鬼になってほしくなかったから、敢えて私の胸に留めておいたのです」
「そうだったの。……でも、せめて私にだけは打ち明けて欲しかったわ」美紀はふて腐れた色を見せたが、小夜子の想いを察したのか次第に顔がほころんでくる。
 そんな美紀の笑顔を見ると、やはり話しておけばよかったと少し後悔した。
 五十嵐は眼鏡の縁を持ち上げながら「それで、伊佐木を殺したのは、一体誰だなんだ? 美術部関係者だという事はこの中にいるんだろう」と顔をしかめ、不審な心を露骨に表す。いかにも自分は関係ないと主張しているようだった。
「はっきり言います。加奈子を殺した犯人は岩清水くんです!」
 そう言い放つと、その場は水を打ったように静まり返る。全員の表情が凍り付いたかのごとく、動きを止めた。皆、小夜子の次の句を待っているようだった。
 小夜子は鞄を持つと、おもむろに口を広げた。
「証拠はこれです」
 全員の期待に応えるかのように鞄から雑誌を取り出して、それを広げる。小夜子はあるページを指さすと、反応を見るため、全員の顔に視線を回した。
「これは……島原塚ハルカじゃないか。ときめきセインツの」五十嵐がすぐさま反応した。
「そうです。岩清水くんは彼女の大ファンだったことは、みんなも知っているわよね」
 美紀と五十嵐、そして代々木の三人は深く頷いた。
「そういえばそうだったわよね」美紀は雑誌に顔を近づけて、しげしげと眺める。「こうしてちゃんと見るのは初めてだけど。……でもサヨ、これが事件と何の関係があるの?」
「よく見て、ハルカの顔、誰かに似ていない?」
 すると美紀の代わりに代々木先生の声が上がった。
「判ったわ。伊佐木さんにそっくり」
 他の二人も納得した様子で頷きながら同意する。
「私の推理はこうよ。岩清水くんは、かねてより大ファンである島原塚ハルカと伊佐木加奈子を重ねて見ていた。おそらく彼は特技の裁縫の腕を発揮してコスプレ衣装を作っていたんじゃないかしら。そして加奈子に対し、ハルカのコスプレを着るよう、執拗にせがんでいた。もちろん加奈子は断り続けていたんでしょうけれど、彼はそれでも諦めず、執拗に迫りつづけた。……やがて加奈子は危険を感じるようになり、私に相談を持ち掛けてきた。――ここまではいいかしら?」
 全員がうなずく。みな小夜子の言葉を一言も聞き漏らさぬよう、必死の形相だった。
「事件のあった日。加奈子は美術室で私を待つ間に描きかけの絵を完成させようとキャンバスへと向かっていた。そこに何も知らない岩清水くんが現れた。おそらく島原塚ハルカの衣装の入った袋を携えてね。そして再びコスプレ衣装になるように頼んだが、加奈子は全く聞き入れてくれない。……そこで逆上した彼は、遂に最後の手段に出たの。こっそりブロンズ像を持ち上げ、夢中で筆を動かす加奈子の背後へと周る。と、そこで思い切り彼女の後頭部めがけて振り下ろした……」
 そこまで話すと、いつの間にか興奮している自分に気づく。喉の渇きを覚えた訳ではないが、小夜子は鞄から紙パックのフルーツジュースを取り出して一口飲んだ。一息ついて気持ちを落ち着かせると、再び話を続ける。その間、誰も言葉を発しなかった。
「……きっと岩清水くんは加奈子が死んだと思い込んだのでしょうね。おそらく自分のしでかしたことに恐怖を感じ、震えていたのかもしれません。……しかし、横たわる加奈子を見ているうちに、島原塚ハルカの衣装を着せようという気持ちが沸き上がってきた。これが最後のチャンスだと思ったんでしょう。……ところが、制服を脱がせたところで死んだはずの加奈子が急に意識を取り戻し、喚き出した。混乱してパニックになった彼は、加奈子を静かにさせるため、とっさにブロンズ像を持ち上げ、今度は前頭部を殴りつけた……。そして加奈子は遂に帰らぬ人に――。それから描きかけの絵をペインティングナイフで切り裂くと、そのナイフを自分のポケットに入れ、彼女の衣装を下着まで脱がして袋へと戻し、急いでその場から逃走した。きっとその時にボタンが取れたのね」そこで小夜子は再び雑誌を開き、島原塚ハルカを指で示した。「見て、同じようなボタンをしているでしょう? 下着まで脱がせたのは強姦目的に見せかけるためよ。欠席を続けているのも、きっと罪悪心で家から出られないに決まっているわ!」
 小夜子はひと仕事やりおえたという風にフルーツジュースを最後まで飲み干すと、そのパックを片手で一気に握り潰した。
「まさか、そんな事って……」代々木は唖然として小夜子から視線をそらせ、窓の外を見やった。美紀と五十嵐は互いの顔を突き合わせ、今の話が本当なのか無言で確かめ合っている様子。
「でも、わざわざキャンバスを切り裂いたのはどうして?」震える声で美紀が訊いた。
「おそらくだけど、その絵は加奈子が援交していた相手じゃないかしら。実は援交じゃなく本気で愛していたのかもしれないけれど。……加奈子の純潔を信じていた岩清水くんはその絵を見て全てを悟り、思わずペインティングナイフを握った」
「携帯の履歴が消されていたのはどうしてかしら」
「岩清水くんはコスプレの件でメールでも頻繁に頼んだはずだから、痕跡を残したくなかったんだと思うわ」
「確かにそれなら辻褄が合うかもしれないが……」腑に落ちないのか、五十嵐は両腕を組み、首を傾げる。
「判ってる。証拠でしょう?」
 すると代々木は重々しく口を開く。
「もし、峰ヶ丘さんの言う通りなら、岩清水くんはその時の衣装やペインティングナイフをまだ持っているかもしれないわね。それと彼女の下着も」
「そうです。先生、刑事さんに頼めないかしら。怯えて引きこもっている岩清水くんの家宅捜索を」
 しかし、代々木は首を縦には振らなかった。
「それは難しいかもしれないわ。現段階では憶測の域を出ないし、仮に知り合いの刑事がその話を信じたとしても、とっくに処分しているかもしれないわよ」
「それでも警察が問い詰めれば、きっと白状すると思うわ」
 小夜子には自信があった。警察が尋問すれば、きっと岩清水は落ちるだろうと。
「そうかもしれないけれど……判ったわ、私の方からダメもとで頼んでみます」
「よろしくお願いします」
 気をよくした小夜子は、ほっと胸を撫でおろす。それを見た美紀は諦めの色を見せた。
「……でも、これで美術部の存続は絶望的になったわね。……だけど、これでサヨはコスプレをしなくて済むから、少し安心したんじゃない?」
「そんな事ないわよ。美術部のためなら、いつでもひと肌脱ぐ覚悟は出来ていたんだから」
「コスプレだけに?」
「もう、からかわないでよ美紀」
 すると五十嵐は興味深げに顔を向けた。
「コスプレって何のこと?」
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み