第4話 シリアその二

文字数 5,866文字

 もうすぐ日没の時間を迎えようとしているので、飛行甲板に出て西の方の空を眺めると、灰色掛かった紺色に染まった雲がオレンジの空に浮かび、その遥か先では線香花火の玉のような太陽が、青黒い水平線の向こうに沈もうとしている。振り返って東の方を眺めると、そこには淡い青色から墨を流したような闇へと見事なグラデーションで彩られた空が広がっていた。古代の人間はこのような自然の変化を繊細に感じ取って記憶し、善悪や浄と不浄のイメージを膨らませたのだろう。
「よう神埼、ここに居たか」
 風に乗って吉岡の声が耳に入ったので、神埼は思考を留めて彼の方向を振り向いた。
「何か用か?」
「もうすぐブリーフィングだぞ。各班の班長以下全隊員は集合だってよ」
「そうか」
 神埼はやれやれと言った様子で答えて、飛行甲板を後にする事にした。彼らの乗ったヘリコプター搭載護衛艦かがは、地中海のレバノン沖を北上してシリア沿岸へと向かっていた。
 飛行甲板から艦内に入ると、二人はそのままブリーフィングが開かれる多目的室に向かった。室内には二人と同じように陸上自衛隊仕様の砂漠迷彩服に身を包んだ隊員達が席に着き、ブリーフィングが始まるのを待っていた。
 二人は村瀬の座る席に並んで座ると、今回の作戦地域が映し出される大型液晶モニターを見た。まだ何も映し出されていないが、やがて隊長の田所があれこれと説明を始めるだろう。
「遅かったですね」
 村瀬が神埼と吉岡に囁く。
「神埼は藤原二尉が居ないから寂しがっているのさ」
 吉岡はそう冗談を言ったが、神埼は黙ったままだった。
 やがてブリーフィング開始五分前になると、体調の田所が部屋に入って来た。最先任曹長が「起立!」と小さく叫ぶと、彼らは全員立ち上がって田所を出迎えた。
「ご苦労。これより作戦会議を始める」
 田所がそう答えると、部屋の照明が落とされ、背後の大型液晶モニターに今回の作戦地域が移しだされた。場所はシリア北東部。イラクとの国境近くの砂漠だった。
「今回我々が向かう場所はここ、シリア北東部の武装勢力キャンプだ。ここに武装勢力に拉致されたジャーナリストの下田一郎が居て、我々はその人を救出する。人質は平和だの何だのって言っているが深く気にするな。とりあえず捕まえてキプロスに移送すればいい」
 田所は簡単に答えた。あまり深く考えるのが苦手なんだろうなと神埼は思った。
「まあ何時ものように交戦規程は、敵には撃たれる前に撃て、生きて虜囚の辱めを受けずだ。現地では情報本部の岡谷三佐が待機している。40分で装備を纏めたら出発だ。解散」
 実に簡単な作戦説明が終わると、彼らは隣の作戦準備室に映り装備の点検に入った。
 彼らの装備は防衛省の装備開発本部に技術サンプルとして納入されているものが殆どだった。前衛を務める神埼はサプレッサーとダットサイトの付いたMP7A1。機関銃手の吉岡はM60E6。後衛の村瀬はベレッタARX160とグレネードランチャーGLX160の組み合わせ。サイドアームの拳銃はグロック19Xだった。
 武器の点検が終ると、今度は装備の準備に入った。神埼はデザートタンに塗られたFASTヘルメットを見ながらこう漏らした。
「このヘルメット、出来損ないのリーゼントみたいなデザインであんまり好きになれないんだよな」
「文句は言わないの。一等陸曹に昇進して班長の資格を取ったんだから、新しい隊員の模範にならなきゃ」
 吉岡がそう答えた。
 武器と装備の準備が終わると、神埼達特殊部隊員たちはかがの飛行甲板に移動した。そこでは日の丸をつけたMV‐22オスプレイ三機が待機しており、後部のカーゴドアを開けて彼らが乗り込むのを待っていた。
 機内に向かい合わせで乗り込むと、村瀬は勝手に持ち込んだ携帯音楽プレーヤーのイヤホンを耳に差し込み、ボタンを操作して音楽を聴き始めた。
「音楽を聴きながら出発準備なんて、お前神経が太くなったな」
 神崎が漏らした。
「いい先輩がいますから」
 村瀬が答えた。
「曲は何だ?」
 今度は吉岡が質問する。
「ジューダス・プリーストのベスト盤です」
 村瀬が答えると、神埼達隊員を乗せたオスプレイはかがを飛び立ちシリアへと向かっていった。




 シリア北東部の、イラクとの国境近くの砂漠地帯で、自衛隊情報本部に所属する三等陸佐岡谷一俊は、近くの岩山に隠れ、日本人ジャーナリストを拉致した武装勢力のキャンプを双眼鏡で監視していた。敵のキャンプは装備が不足しているのか大掛かりな警備体制が敷かれておらず、地雷やブービートラップなども設置されていない様子だった。
 日本は記録的猛暑に襲われ、車の天井で目玉焼きが出来る程の気候らしいが、冷たい飲み物にありつく事が出来て冷房の効いた部屋に逃げ込める分、ここシリアの砂漠よりはマシだろう。ここは水も好きな時に飲めなければ冷房も無い。あるのは砂っぽい風と殺戮だけだ。
 太陽が沈み、赤外線監視カメラに切り替えて様子を伺ったが、大きな変化は見られなかった。武装勢力兵士の行動をよく見ていると、まともな軍事訓練を受けた様子は見られず、おそらく半分周りの流れに乗せられて戦争に参加している人間が殆どだろうと岡谷は思った。自分の意見や主張を持たず、その場の雰囲気に流されてなびく人間が戦争に参加している。事大主義や日和見主義がはびこる日本で生まれ育った日本人である岡谷が思うのも変な感じだったが、反知性主義と全体主義が世界を覆うと思うと岡谷は胸が痛くなった。
 完全に日が沈んで辺りが闇と静寂に包まれると、背後で軍用パソコンを覗いていた部下の中田翔壱一等陸曹が彼の右足を叩いた。
「ボス。20分後にランディングゾーンに到着との報告です」
「了解。ちょっくら移動だ」
 中田の耳打ちにそう囁き声で答えると、岡谷と中田はその場を離れて、護身用のベレッタARX160を片手に、神埼達が降り立つランディングゾーンへと徒歩で向かった。
 岡谷達がランディングゾーンに降り立つと、中田は雑嚢から着陸誘導用のガイドビーコンを出して、オスプレイの到着を待った。やがて爆音が遠くの空から聞こえてくると、飛来した三機のオスプレイはホバリング体制に入り、激しいダウンウォッシュで砂塵を巻き上げながら、後部ドアから降下用のロープを垂らした。そしてロープでオスプレイから隊員達が降下してくると、オスプレイは西の方の空へと避退していった。降下した隊員達は暗視ゴーグルをつけて警戒態勢を取った。
 田所は岡谷と顔を合わせると、彼に向かってこう質問した。
「どんな様子だ?」
「静かなもんさ。話す事が無いくらい変化がない。恐らく誰も助けに来ないと思ってのんびりしているんだろう」
「そこにお邪魔するわけだ」
 田所が苦笑い交じりに答えた。
「だが身を隠せる場所が殆ど無い。素早く近づいて倒す以外方法が無いぞ」
「何とかなるだろう。目標を確保してこちらの犠牲を最小にすればそれでいい。敵は幾ら殺しても問題はないからな」
 田所がそう答えると、ハンドシグナルで各班の班長を呼んだ。そして岡谷が記録したノートの敵キャンプの配置図をライトで照らして、作戦会議に入った。
「警戒は満遍なく東西に歩哨が4人ずつ。移動式キャンプだから大掛かりな警戒装置やブービートラップなんかは見当たらない。総兵力は30人。二個歩兵小隊の戦力だな」
「その辺のゴロツキ集団が政治の皮被って戦争している訳ですか」
 神埼が漏らした。
「そんな所だ。目標の確保は各班に任せる。神埼、前川、佐々木の班は東から侵入。伊藤、金子、柴川の班は西側から。まずは目標の確保が最優先だ」
「人質の位置は?」
 金子が質問した。
「目標はキャンプ中央の小さなテントに押し込められている。テントとトイレの往復程度の自由しかないが、それ以に特に身体の自由は奪われていなさそうだ。スピードが肝心だな」
 岡谷がそう答えると、それ以外に質問は無かった。そこで作戦会議が切り上げられると、隊員たちは岡谷達の先導で敵のキャンプに向かった。

 神埼達は徒歩で移動し、敵キャンプ地の東200メートル近くに潜んでいた。暗視ゴーグル越しに見える緑色の世界には、敵の歩哨が大した警戒心もなく突っ立っている。神埼は無線で位置に着いた事を知らせると、少しして西側の班からも位置に着いた事が無線で知らされた。
「よし、始めるぞ」
 田所が無線でそう支持すると、神埼は一緒に行動している前川に射撃許可を出した。前川がサプレッサー付きのM24A2ライフルで敵の歩哨を射殺すると、それを合図に彼らは素早く敵のキャンプに侵入した。
 一番外側のテントの裏に隠れると、テントの角から煙草の匂いが漂ってきた。息を潜めてじっとしていると、煙草を咥えた敵がトボトボとした足取りで現れた。神埼は皮のシースからカミラスのマリンコンバットナイフを取り出し、相手の口を塞いで首筋を掻き切った。そして敵を隠してナイフを仕舞うと、武器をMP7A1に持ち替えて、仲間達と共にキャンプの中に入った。
 中に入ると、さっそくAK‐47を担いだ敵の背中が見えた。神埼はその敵にセミオートで三発の弾丸を撃ち込んで倒すと、目標である人質が捕らえられているテントを探した。するとキャンプ中央の本部テントが視界に入り、その隣に小さなテントが有るのが見えた。
「あったぞ、目標の居るテント」
 神埼は小さくそう漏らすと、仲間達と共にテントに向かった。やがて異変に気付いた敵が武器を手に神埼達を迎え撃とうとしたが、それよりも先に彼らの銃口が火を噴いて、敵に反撃の隙を与えなかった。
 神埼は吉岡と村瀬の援護の下、目標のテントに突入すると、そこで中学生くらいの少年兵と一緒にいた目標を見つけた。少年兵は傍らに置いてあった年代物のPPsh‐41サブマシンガンを手に取ろうとしたが、神埼はそれを蹴飛ばしてMP7A1の銃口を少年兵に向けた。少年兵は何も出来ないままその場に凍り付いた。
「あんたが下田一郎か?」
 後からテントに入り込んだ村瀬が尋ねた。
「そうだ。あんたら何者だ!?」
「後で話す。ここから出るぞ」
 神埼がそう答えると、彼は下田の肩を掴んで外に連れ出そうとした。すると、下田がこう叫んだ。
「待ってくれ!ここにいる少年も連れて行ってくれ、彼もこの戦争の犠牲者だ」
「早くしろ。余計な事を言わずに早く走るんだ」
 神埼がそう答えると、彼ら四人はテントから飛び出した。テントの外では吉岡がM60E6を乱射して敵をけん制していた。
 やがて西側から侵入した三班と合流する頃には、ほとんどの敵が倒されるか逃げ出していた。神埼達はキャンプにブービートラップを仕掛けると、回収地点まで移動してオスプレイを要請した。
「ここからキプロスまであんたを送り届ける事になっている。そこから先は外務省が何とかしてくれるよ」
 神埼はそう下田に説明したが、下田は納得が行かない様子だった。
「助けてもらった事には感謝するが、もう少し平和的な解決は出来なかったのか?彼らは私を動物の様に扱ったりはしなかったぞ」
「お言葉だけれど、ここは中東の紛争地帯だ。日本国憲法第九条の精神よりも、イスラムの法が圧倒的多数の意見だぜ。日本に帰れば違うかも知れないが、少なくとも世界ではごく少数の意見だ。日本の護憲勢力だって、結局は闘争の道具に九条を使っているに過ぎないよ」
 神埼がそう答えると、迎えのオスプレイが来た。下田をオスプレイの一番奥に押し込むと、下田の指示で連れて来た少年兵が居る事に気付いた。
「こいつはどうするんだ?」
 吉岡が尋ねると、神埼は隣の村瀬にこう言った。
「村瀬、こいつも戦争の被害者だったよな」
「ええ」
 その言葉を聞くと、神埼は腰のホルスターからグロック19Xを抜きだして、少年兵の頭に弾丸を撃ち込んだ。少年兵は何が起きたのかも分からずに、その場に倒れ込んだ。
「兵士として戦争に参加したらそりゃ犠牲者だよな」
 神埼がそう捨て台詞を吐くと、その様子を眺めていた岡谷の部下中田が口を挟んだ。
「随分とまあ、非情になったなお前」
「神経の太い後輩を持っているからな。それに新しく入った隊員の手本にならないと」
 神埼はそう漏らすと、オスプレイに乗り込んだ。




 シリアでの任務が終わって一週間後、神埼達隊員の姿は東京の十条駐屯地にあった。そこでは吉岡と村瀬の他に岡谷と中田も同席し、神埼が新たに中古で買った黒いミニ・クーパーSのお披露目会が行われていた。
「随分可愛い車にしたな」
 岡谷が漏らした。
「今のところ家族は居ませんからね。俺にはこいつで十分です。バイクと車一台づつもっても、日本の国益と安全の為に働いているんだから問題はないでしょ。岡谷三佐も新しい車を買ったんですよね?」
「新車のプジョー・5008を。あとオープンカーとしてボルボ・C70を中古でな」
「車三台バイク二台持ちなんて、羨ましい限りですよ」
 村瀬が漏らす。
「けど仕事はキツイからな。単に鉄砲持って戦う以外にもする事が多いから」
 岡谷がそう答えると、神埼はドアを開けて車に乗り込んだ。そしてエンジンを掛け、エアコンをオンにした。
「それじゃ行って来ます」
 神埼は一言漏らすと、車に乗って十条駐屯地を後にした。
 神埼の乗るミニは都心部を離れて、国道122号から埼玉の蓮田に入った。そこで横道に入ると、元荒川の桜並木が有る河川敷に停まった。神埼は車を降りて茶色く澱んだ水面を湛える元荒川を見て、河川敷に腰掛けた。
 かつての自分ならここの風景に何か安らぎを感じたかもしれない。だが今は闘争本能をむき出しにして、ただ殺戮をするだけの存在だ。そこまで落ちぶれてしまった自分を、今ではもう蔑む事も泣く事も出来ない。ただの哀れな人間になってしまった。
 神埼は暫く考えたが、自分で積み重ねて来た結果に抗う事も出来ずに、ただ切なくなって立ち上がった。すると、足元に布か何かで出来た女の子を模した人形が落ちている事に気付いた。その人形はひどくボロボロで、微笑んだ姿が何処か痛ましかった。
 神埼はそれを掴むと、川に向かって放り投げた。お前は流されて行け、俺の心と同じように流されて消えてなくなれ。と念じながら。
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