第7話 父親じゃない

文字数 2,582文字

それからも、週に一度の『デート』は続いた。休日の夜ライブチャットで話したり、再び自宅にマッサージに来てもらったり、店外デートコースというもので、一緒にゆっくり公園を散歩したり、中華街で食事をしたりした。
仁と一緒にいると、楽しい。何より温人のことを忘れさせてくれるのが、ありがたかった。

そんな折、久しぶりに電話で香織と話すことにした。春に迎える温人の誕生日に、何かプレゼントを送ってもいいか聞いてみることにしたのだ。向こうから電話がかかってくることはまずないので、夜こちらからスマホにかけてみた。
「今更父親面(ちちおやづら)しないでよ。養育費も支払ってないくせに」
ある程度覚悟はしていたが、相変わらずの冷たい態度だった。結婚前は、「将来、一緒に不動産会社を起ち上げよう」そう笑顔で誓い合った時もあったのに。

「おまえが、養子縁組したからもう払わなくてもいいと言ったんだろ。金を払ってもいいから、一度温人に会わせてくれ。直接、誕生日プレゼントを手渡したいんだ」
「だーかーらー、だめだって言ってんじゃん」
香織は、小馬鹿にしたような口調で言った。
「父親が二人いると、温人が混乱するんだってば。あなたのこと忘れさせてみせる、って確か前にも言ったはずだよね?」
新しい父親に温人が懐かない、とぼやいていた話を思い出した。
「だからこのあいだ、温人にはあなたはもう死んだ、って話しておいたから」
耳を疑った。
「本当か」怒りと衝撃が、全身を駆け巡る。
「信じられない。なんてことを言うんだ」
「本当よ。そうでも言わないと、温人はあなたのこと忘れそうもないんだもの。前のパパは、もう亡くなったのよって言っておいたわ。亡くなっているんだから、プレゼントもお金ももらえないじゃん」
その時電話の向こうで、バシッ、と何かを激しく平手で叩くような音が聞こえた。
「いまの音はなんだ」
その後すぐに、温人と思われる男の子の泣き叫ぶ声が遠くから聞こえてきた。
「温人が泣いているんじゃないのか。温人に代わってくれ。声だけでも聞かせてくれ!」
叫びともいえる、悲痛な声で訴える。
「だから、しつこいのよ。いつまでも、うだうだと。男らしくないわねえ」
「パパあ! パパあ! 」と面会終了時に泣き叫ぶ温人の表情が思い起こされ、胸が引き裂かれそうになった。しかしいまの自分には、どうしてやることも出来ない。
香織はとどめを刺すかのように、強い口調で言った。
「温人にはもう、戸籍上で見ても新しい父親がいるの。あなたはもう死んだんだから、じきに温人も忘れていくわよ。プレゼントもお金もいらないわ。あなたはいまやもうただの死人で、温人の父親でもなんでもないのよ!」

その晩は、よく眠れなかった。翌日になっても、頭が朦朧(もうろう)としたまま、仕事に身が入らない。結局、体調不良を理由に午後から会社を早退してしまった。少し気分的に、鬱になっているのかも知れなかった。昨夜の平手で叩くような音と温人の泣き叫ぶ声とが耳に残ってこびりつき離れない。

仁に、会いたい。会って話がしたかった。

早退したにもかかわらず、自宅に戻って静養せず、仁の勤務する風俗店に衝動的に向かっていた。店の場所は、以前に教えてもらっていたのでわかっていた。テナントビルの二階にある受付に入ると、シャツとジーンズのラフな格好をした店員と思われる男が、カウンターごしに声をかけてきた。
「お客様、いつもありがとうございます。あいにく、じんはただいま接客中でございます。もうじき終了時間ですので、このままお待ちになりますか? いまなら、少し大きめのVIPルームをご用意出来ますが」
頭がぼうっとしたままだったので、考える力も判断する力もなく、言われた通りにすることにした。

「きみ、すぐにVIPルーム清掃してきて」男は若い店員にそう命じると、「あの人、いつもじんくんだから」新人に説明しているのか、囁き声でそう付け加えているのが聞こえた。清掃を待っているあいだ、ロビーのソファーに独りぽつんと座って待った。
店内は薄暗く、狭い廊下の両脇に個室ルームの扉が並んでおり、ネットカフェのような雰囲気だった。VIPルームに向かっている時、近くの一室から仁のものと思われる大きな笑い声が響いてきた。気のせいか、自分と一緒にいる時よりも明るく楽しそうに笑っているように聞こえる。

VIPルームといっても、手前に大型テレビとソファー、奥に安っぽいパイプベッドが置かれただけの、狭いワンルームマンションのような部屋だった。鞄をベッドの上に放り出し、息をつきながら寝転んで体を休める。そのまま、三十分ほど待っただろうか。
「棚橋さんじゃないっすか! こんな休日でもない午後にいきなり、どうしたんっすかあ!」
二、三回のノックの後、ドアを開けて入ってきた仁が、驚いた顔で声を上げた。上半身裸で、なぜかオムツを穿いている。首元には、フリルのついた白い(よだれ)掛けをつけていた。

「なんか、元気ないっすね」
「なんだ、その格好」
ベッドから上半身を起こし、寝ぼけまなこのまま聞く。
「今日は、赤ちゃんプレイの日なんでしゅう。ばぶばぶ」
笑わせようと思ったのか、仁はおどけてベッドの上に乗り、両手の人さし指で交互につついてきた。
「パパあ。だいしゅきぃ、ばぶばぶ。パパあ」
その言葉を聞くと、急に顔が青ざめ、全身から血の気が引いていくのがわかった。
「パパと呼ぶのはやめてくれ」
視線を落としていたシーツが、急速に涙でぼやけて見える。ぼやけたまま、溢れていった。
「パパと呼ぶのだけは、やめてくれ」
ベッドの上で正座し、下を向いたまま、肩を震わせて泣いた。仁の前では、男らしく強い自分でありたい。弱いところは、見られたくない。しかし、涙が止まらない。

仁は異様さを感じ取ったのか、
「ちょ、ちょっと待ってください」
両手で制止するような動作をしながら、慌てて顔色を変え、部屋を出て行った。ベッド横に置いてあったティッシュで目と鼻を拭っていると、
「マネージャーと話して、今日はもう退勤することにしました」
白いシャツを羽織って、戻ってきた。
「どうせもう予約も入っていないし、暇なんです。良かったら、これから一緒に帰りませんか。プライベートな時間なので、料金は発生しません。どこかに気晴らしに出かけましょう」
「帰り支度をするので、待っていてください」そう言い残すと、再び部屋を出て行った。

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