第2話 ウリセン

文字数 2,893文字

今夜は、退勤後大学時代の友人岡本と、和風居酒屋で夕食をとる約束をしていた。互いの勤め先が近いので、帰りに店で待ち合わせをすることが多い。家で一人(わび)しく食べる食事より、気の置けない友人との食事のほうが救われる。

店は、右の窓側が格子状の黒いフェンスで仕切られた個室席になっていた。入口の自動ドアを抜けると、
棚橋(たなはし)
ビールジョッキを持った右手を上げ、岡本が声をかけてきた。すでにワイシャツの袖はまくり上げられている。
「すまん。急に残業になって、遅くなってしまって」
座敷になっている個室席に向かい合って座ると、テーブルにはすでに天ぷらや焼鳥など数種類の料理が並べられている。
「勝手に先に食ってるから、気にすんなよ。課長になったばかりなんだから、忙しいのは当然だろ」
待ち合わせに遅れるのは困るが、仕事が忙しいのはありがたかった。
「そういえば、年賀状ありがとう。美優(みゆ)ちゃん、大きくなったな」
同年代の友人たちは皆幸せな結婚をしていて、小さな子供がいる。そして、年賀状には決まって成長した子供の写真を使用している。自分にはそれが、「可愛いだろう」「立派に育て上げているだろう」という自慢げな幸せアピールに見てとれる。ひねくれているのだろうか。岡本の娘は、七五三の時に撮ったと思われる赤い晴れ着姿で可愛く微笑んでいた。自分はもう、年賀状など出してはいない。

「あっという間に、もう七歳だよ。一緒にお風呂に入ってくれなくなっちゃってさあ。話口調なんかも嫁さんそっくりになってきちゃって、生意気で」
愚痴や不満を言っているはずなのに、子供のことを話す顔は笑顔で輝いているのも、皆同じ。岡本は途中で気がついたのか話すのをやめ、
「ごめん。子供の話なんて聞きたくないよな」
上目遣いで、申し訳なさそうな表情をした。
「いいんだ。聞いてると、微笑ましいよ」
そう答えて店員を呼び料理を注文したが、強がりだった。
「温人くん、まだ会えていないのか」
岡本とは定期的に会うので、大体のことは事情を知られていた。

二年前の冬、仕事に行っているあいだ香織は温人を連れて突然家を出て行った。その後すぐに家庭裁判所から離婚調停の通知が送られてきた。調停では親権は母親である香織に、婚姻費用は共働きで年収もほぼ同額だったため免除、慰謝料は無し、養育費は月五万円支払うことが半年かけて取り決められた。
表向き離婚理由は性格の不一致ということになっているが、実は香織には同僚の不倫相手がいたのだ。離婚して半年後、香織はその男と再婚し都内にマイホームを建てた。温人とも、特別養子縁組の契約が交わされた。それまで律儀に言われるまま養育費を支払っていたが、婚姻費用と同じく免除になった。

それと同時に、月に一度のペースで行われていた温人との面会交流も、勝手に打ち切られたのだ。まるで金の切れ目が縁の切れ目といわんばかりに。
その後は何度香織に電話で抗議しても、取り合ってもらえない。
「温人がいまの旦那に、なかなか懐いてくれないのよ。あなたと違って、とても男らしくて頼りになるいい人よ。それなのに、温人は馴染めないのか全然甘えようとしないし、懐こうとしないの。きっとまだあなたの存在が頭に残っていて、混乱しているんだと思うわ」
必ず忘れさせてみせる、と香織は言った。そのために、二度と自分には会わせないのだ、と。

「実の父親が子供と会えないなんて、おかしな話だよな」
同情するように、岡本が言った。何も答えられず、むしゃくしゃした気分のまま運ばれてきたビールを一気に飲む。
「おまえと温人くんとは、血の繋がった本物の親子なんだ。将来必ず、彼のほうから会いに来てくれる。暗くならずに諦めるな」
「そうだよな。そう思うことにするよ。ありがとう」
自分も落ち込んでいるが、温人の精神面のほうが心配だった。離婚の一番の犠牲者は、大人の事情に振り回される子供なのだとつくづく思う。
「それまでおまえも、気晴らしにペットでも飼えよ。うちもワンコ飼ってるけど、子供とおんなじだよ。可愛くて仕方がない」
「いま住んでるとこ、ペット不可物件なんだよ」
「あちゃあ」
失敗したと言わんばかりに、岡本は両手を頭の後ろに当て、顔を(しか)めた。建売の戸建てを購入している岡本には、わかりにくかったのだろう。言葉には出さなかったが、神経質な自分はペットの匂いや部屋が汚されることなども気になってしまう。
「じゃあ、女は? おまえも、ずっと一人でいたいわけじゃないだろう? マッチングアプリとか使ってみたことある?」
「あるよ。実は何人か会ってみたこともある」
あるのだが、真剣に交際してみたいと思える女は一人もいなかった。皆そこそこ若くて可愛らしくて、会話も楽しかったのに。ノリが軽いというのかなんというのか。ああいったものは、やはり遊びのために存在しているように思える。
「前の奥さん、女優やモデルといってもおかしくないくらいのすげえ美人だったもんな。他の女が(かす)んで見えるかも知れないけど、これからも会ってみろよ。結局、相性だよ」
「ああ。わかってる」
確かに香織は、男ならすれ違った時誰もが振り返るような、美貌の持ち主だった。スタイルも良く、身長が自分と同じ百七十センチ近くもある。不動産業界に転職した時、ある協会のパーティで名刺を配っている姿を見て、一目惚れした。結局自分も他の平凡な男たちと同じく、外見に惹かれたのだ。

「間違っても、男にだけは走るなよ」
焼鳥の串をくわえながら、突然ぼそっと呟いた岡本を見て、きょとんとした。
「なんのことだよ」
「俺のバカ上司で、いるんだよ。いい年こいて、風俗の売り専ボーイにハマったバカ男が。いま職場は、その噂で持ちきりだよ」
岡本は、大手保険会社に勤務していた。
「ウリセンって、何? まずそれがわからない」
「おまえもか。俺も職場の同僚に教えてもらって、最近初めて知った。ゲイや同性愛に興味がある人向けに体を売る商売のことを、売り専と呼ぶんだそうだ。よく知らんけど」
岡本は興味を持ち、上司が通っていると思われる風俗店のサイトを覗いてみたのだという。すると所属する男の子たちは皆堂々と顔写真を載せ、自分の魅力をプロフィールやSNSに書いてアピールしていた。そのことに新鮮な驚き、衝撃を感じたらしい。

「普段、もっと営業成績を上げろとかパワハラまがいに威張っているような男なんだよ。そんな奴がこの子たちに骨抜きにされてるのかと思うと、なんだか笑えてきたね。同じ男なだけに、心と体のツボがわかるんだろうな」
「いや、俺は絶対にないから」
岡本の心配をはねつけるかのように、毅然とした口調で言った。
「男に夢中になるなんて考えられないし、あり得ない。おまえも付き合いが長いんだから、わかるだろ。その気は全くないんだ」
岡本は、息を吐きだすと共に少し笑った。
「その上司も以前に同じようなこと言ってたんだけど、いまはそんな有様だよ。なんでも飲み会の時に自分でカミングアウトしたらしいぜ。売り専ボーイと遊んでるって。妻子もいる男が、誇らしげにさ。おまえは大丈夫だと思うけど、面白いから一度サイトだけでも覗いてみろよ」

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