ザイル-4

文字数 2,034文字

 それでも、兄の苦悩は間近で見てきたから、理解しているつもりだ。

 搾取の後始末を任され、不敬に問われた王妃の処断を誘導され、当の執行者に任命される。無辜の命を、実母を、その手に掛ける兄の心労は想像を絶する。

 執行の前日、兄を慮って居室を訪れたザイルに、兄は弱音を吐露した。どうにかして王妃を連れ出したい、救いたいと願っても、王立軍と各領軍の全てを敵に回すことになる。戦力は長兄の魔力とザイルの武力、カイルがどうにか魔獣で応戦できるかというところだから、現実的ではなかった。

 それでも、背中を押すべきだっただろうか。先のことなど考えず、母を連れて逃げようと言えたら良かっただろうか。父違いの弟妹のことや、母の生家のことなど脇に置いて、何も考えずに動いていたら違っただろうか。

 兄のことだから、きっと、母以外の何かを見捨てるという選択は出来なかったのだ。両手で掬えるものなど限られているのに、全てを救えなければ意味がないと、一人で担う罪を、葛藤する道を選んだ。

 せめて、ザイルにも豊富な魔力があれば、形勢は変わっていたのかもしれない。ありもしない未来を、選べなかった選択肢を考えるだけ詮ないことだと思いながらも、考えずにはいられなかった。まるで、罪悪感に対する言い訳を並べ立てるように。

 兄を緩やかに狂わせたのは、紛れもなく、ザイルだった。兄に別の道を示せなかったばかりに、たった一人で、青い修羅の道を往かせてしまった。だから最期まで兄には付き従うと決めた。思うところは全て切り捨て、底なしの深淵へ共に堕ちよう、と。

 それでも、ザイルは時に、息苦しさを覚えて吐きそうになる。溺れる過程はこんなにも苦しい。兄のように狂ってしまえたら、灼けた鉄を呑むような苦界など経なくても済んだだろうか。否、兄だってきっと、ザイル以上の辛酸を舐めてきた。時たま弟に見せた弱音など、彼が味わってきた夥しい苦痛の中の、氷山の一角に過ぎないに決まっている。

 王妃の処刑前夜、諦観を浮かべて微笑んだ兄の顔を、ザイルは決して忘れない。力なく微笑むしか出来なかった兄の絶望の深さを、決して忘れない。

 だからこれは、母のためではない。ザイルにとっては、兄のためなのだ。

 森の民が蜂起したのは、それから二月(ふたつき)後のことだった。

 原始的な生活を送る彼らのことだ。先進的な武力を持つはずなどないと、当初は軍部も高を括り、相手にしていなかった。軍議でも、王立軍からの派兵は視野になく、彼らの住処に近い領軍の迎撃で済むだろうと結論が出された。

 森の民が住まうのは、鬱蒼とした原始林で、国有化された土地だ。国の外れの僻地にあり、地平線の彼方まで延々と、広大で深遠な森が続く地。世界の成り立ちを語る神話には、そこが世界の最果てと記されている。巨大なドラゴン種や凶暴な魔獣が闊歩する、人の手が及ばない神秘の地でもある。

 辺境の森に接する各領地は出兵を拒んだ。文明が届きにくい僻地だけあって、未だに土着信仰(アニミズム)が強く、神宿りの森を傷つければ、住民たちの反感を買うというのが理由だった。

 蜂起から半月後、王家友軍の形で、とある領から迎撃隊が組織されて出兵すると、事態は雲行きを怪しくする。

「竜種……だと?」

 最前線から齎された報告に、軍議は俄かに色めき立った。

「現在、確認されているだけで五種の竜種がおりますが、此度、前線で確認されたのは紅玉色の鱗を持つものでした」

 将官を筆頭に、佐官から三尉官上席までが集う軍議の場は、読み上げられた報告に静まり返る。

「五種の中でも取り分け凶暴とされる焔の種が、森の民の背後に布陣しており、近づけません」

 報告に拠れば、戦死者は日に日に増えていた。消し炭すら残さず焼き払う、溶岩の竜種のせいで、遺族に返還できる勲章や遺留品もない。溶けて消えたくはないと、離脱して遁走する兵士も増えており、行方不明者までもがうなぎ上りなのだという。

「更に──」

 沈黙する軍議に、追い討ちがかかる。

「森の民の武装は我らと同等です。魔獣を使役するぶん、友軍の壊滅も時間の問題と思われます」

 三佐官末席のザイルは、軍議の円卓の片隅で、厳かに報告を聞いていた。表情は真顔で、眉一つ揺らがない。

「何ということだ……」

 深く嘆息した三将官中席が頭を抱えるのを合図にしたように、席に着く他の四人もそれぞれに険しい顔つきになる。

 魔獣の種類によっては、たった一頭だけでも、人間の武力など無効だ。徒党を組んで攻めたとして、何人が生き残れるかどうかの話になる。魔獣だけでそうなのだから、竜種を討伐しようとすれば、一国が滅びる可能性もある。彼らは天災の権化だからだ。

 前線には、全てを灰燼に帰す竜種が一翼。森の民が操る魔獣が多数。武装した森の民の精鋭が五百。対する友軍三千では、不利どころの話ではない。

「して、少佐」

 三将官末席の目配せを受け、三佐官上席がザイルを呼ぶ。

「魔獣使に詳しい貴様に問うが、凡人(ただひと)の分際で竜種を操ることは可能か」
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