カイル-5

文字数 2,130文字

 月日はあっという間に流れる。

 カイルが部隊に所属して二年と少しのことだった。ある夜、隊舎内にある次兄の私室に呼び出しを受けたカイルは、いつになく強ばった兄の表情を見て、思わず眉を寄せた。時に厳格さは忘れないながら、いつも温厚で、部下にも気さくな、あの次兄とは思えない緊張感が、私室に満ちている。

「もう、兄上は()たない」

 簡素な机に腕を置く次兄が、不意に零して、カイルは一層、不安げに表情を曇らせる。

「ライル兄に、何か──」

 思わず尋ねると、次兄は僅かに倦んだ顔を上げて、

「本当は、弟たちを巻き込みたくなかったんだがな……」

 自嘲するように呟くと、重い口を開く。

 三年前、不敬罪として死罪になった実母の処断を長兄が命じられたこと。王は四兄弟が誰と誰の子であるか、恐らく気づいていること。カイルとアイルの存在を盾に、長兄が不条理な王命に従い続けていたこと。故に、長兄が王の誅伐を目論み、兄二人が結託して、水面下で動いていたこと。

 次兄の告白に、カイルは何も言えず、愕然と俯く。震える手を握り締める。

「許せとは言わぬ、だが兄上を責めてくれるな」

 そう言った次兄の声が痛切で、カイルはやはり、言葉を失ったままだ。

 罪も、批判も、痛みも、苦しみも、たった一人で抱えて、背負って、孤高の長兄が歩く茨の道は、カイルが想像するより、どんなに険しかっただろう。満身創痍どころの話ではない。救いも、助けも求めず、求められずにいた長兄の孤独と闇は、きっと、次兄が思うよりも深いに違いない。

 体の震えが止まらなかった。長兄を思えば思うほど、呼吸が儘ならなくなって、苦しくなる。

 蒼白な顔で俯くカイルに、

「森の民を蜂起させる」

 次兄が告げた。

「え……?」

 カイルが衝撃を受けたように顔を上げると、次兄がいつになく険しい顔をしていることに気づく。他に選択の余地はないのだろう。

「森の民は現王権になってからずっと、王家から不当な搾取を受けていた、蜂起する理由はある」

 次兄は苦しげに、事の正当性を並べる。

 ああ、きっと、次兄もつらいに違いない。不義を犯した母を自ら殺害し、無辜の命を人質に取られる長兄同様、被差別民として生きる彼らを謀反に利用するなど、王家の搾取と何ら変わりないと知っているから。

 誰が、何処で、間違ってしまったのだろう。父と母の愛を否定すれば、それは即ち、四兄弟の存在を全否定することになる。彼らは罪の子で、母は罰された。ならば、これ以上の罰を受ける必要は兄弟にないし、出来うることなら、速やかに王城から逃げ出してしまえば、懊悩せずに済むのに。

 けれど、きっと、そういうことではないのだ。

 黙り込んだままのカイルに、

「最果ての樹海の生態系調査、及び、魔獣と竜族の分布調査の名目で命令書は書いた、行ってくれるな、カイル」

 次兄としてではなく、部隊長として、ザイルが命じる。

 カイルは是とも否とも言わなかった。どちらも答えられなかった。

「……そうなのね」

 出立の前日、カイルは面会に来た王女に、遠くへ行くことになったと告げた。カイルの僻地派遣が軍議で了承されてからも、王女に伝える機会はあったのだが、カイルはずっと言い出せないまま、今日(こんにち)に至ってしまったのだ。

 しばらくは戻れない、と告げたカイルに、王女は表情を曇らせる。

「もっと早く知っていたら、お父様に頼んで、貴方をわたくし付きの騎士にしたのに」

 王女の素直な独白に、カイルはそっと目を伏せた。

 王女が会いに来るたび、面会を求められるたび、カイルの中で何かが蟠り、憂鬱になっていく。彼女の花のような笑みは見ていたい。ずっと傍で見守りたい。しかし、それだけでは留まらない衝動が顔を出しそうになって、カイルはいつも狼狽える。

 だって、身分や片親は違えど、彼女は妹だ。青年になりきらない歳頃のカイルからすれば、ようやく性徴を迎える頃合いの、僅かに歳下の妹。妹なのだ。

 ドレスを握り締める手に気づき、その手を取りたいと思った。優しく頬を撫でながら指を絡め、次兄の命令など無視して彼女の(もと)にいたいと願ってしまった。

 愚かさを打ち払うように首を振ったカイルは、王女の目が見えないことに感謝する。

「それは嬉しい申し出ですが、わたくしの身には余ります」

 どうか、困ったように笑いながら言えているといい。どうか彼女には、遠回しな拒絶だと伝わらないで欲しい。祈りながら紡いだ言葉に、

「わたくしは貴方がいいのよ、カイル」

 王女が泣き出しそうな声で、いつかと同じ我儘を炸裂させる。

「わたくしのお願いを断らないで、ずっと傍にいると誓って、今、ここで!」

 頬を濡らしながら喚く彼女には、わかっていたのかも知れない。目が見えないからこそ、感じる何かがあったのかも知れない。この時のカイルには未だ見えていなかった、不穏な未来を、彼女は予知していたのかも知れない。

 いつになく激しく強い口調に、カイルは王女を見つめたまま、言葉を探しあぐねる。出来ることなら寄り添っていたい。それは本当だ。しかし、カイルは理性より、自らの気持ちを優先させることが怖い。父と母以上の過ちを犯してしまいそうで怖い。傍らで咲き続けて欲しいと願う花が、永遠に枯れてしまうことが怖い。

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