カイル-6
文字数 2,015文字
カイルは下唇を噛んで、
「殿下が思っておられるほど、わたくしは綺麗ではありません」
ぽつりと零す。
これに、王女は強く首を振る。
「顔貌 の話ではなく、わたくしは、地下の鼠共に相手をしてもらうくらいが丁度いい、穢れた存在です」
「違うわ」
カイルの言葉を遮るように、強く否定した王女は、冷えた手に温もる手を重ねて、
「どうしてそんなに恐れるの、どうしてそんなに、その命を貶めるの」
見えない瞳に力を込めて、願うように、祈るように言い募る。
「お願いよ、わたくしのためだけに生きていて、誰も貴方を許さなくても、わたくしが貴方の全てを許すから」
出来ることなら、その言葉に縋りたかった。この世界に生きることを許されて、いつかのように、二人だけの花園で息をしていたかった。
カイルには、そんな未来を選ぶことも出来た。全てを一身に背負う長兄も、そんな長兄のために奔走し続ける次兄も、一人で生きていく力のない末弟も見捨てて、王女付きの侍者として、全ての因果の外に生きる未来を。
温もる手を一瞬、力強く握り返したカイルは、
「わたくしは罪の子なのです」
儚く微笑みながら、真実を突きつける。
「殿下のお母上が犯した、重大な罪の残滓です」
放した手が力なく落ちた。表情と共に顔色さえなくした王女は、中空を見つめたまま、何かを言いかけた唇をきつく結ぶ。
「気に掛けて下さり、身に余る光栄でした、どうかお元気で」
カイルはそれだけをどうにか告げると、彼女に背を向け、軍靴を鳴らして歩き去る。
胸がざわついていた。枯らす前に手放した花を思うと、今すぐにでも八つ裂きにされたくなる。それでも、これで良かったのだ。これでようやく、躊躇いがなくなる。兄に準じて王家に仇なすことができる。
「カイル!」
背を向けた向こうで、喉を引き裂くような悲鳴が呼んだ。思わず振り返ったカイルは、足音を頼りに駆け出そうとする王女の姿を見て、息を呑む。
目が見えない彼女が、供もなく走ればどうなるか。咄嗟に過ぎった想像通り、ドレスの裾を踏んで、転 ぶ彼女を抱き止めずにはいられなかった。
「でん、」
言いかけた唇の端に、何も知らない柔らかな唇が触れる。刹那、身を強ばらせたカイルは、頬に口付けようとして誤っただけだと言い聞かせながら、彼女の華奢な肩に手を置いて、
「それでも、それでも貴方はわたくしのものなのよ」
泣き濡れる瞳と頬に気づき、口を噤む。
「貴方が誰だろうと構わない、お願い、わたくしの光なの、貴方さえ傍にいてくれたら、何も望まないの」
きっと、母に恋した父も、こんな気持ちだったのだろうか。去来してやまない衝動に嘘をつけなくなって、理性で押さえ付けることも儘ならなくなって。
隊舎の静かな回廊で、カイルは彼女の無垢な唇を塞いだ。
だから、呪われた運命を背負う覚悟は出来ていた。出来ていたけれど、目の前に広がる現実の残酷さは、カイルの密かな覚悟さえ嘲笑う。
炎に飲まれた第一王子と王女の居室で、実弟に当たる王子を躊躇なく切り捨てた次兄が、頬を返り血に濡らして、カイルを振り向く。
「躊躇うな」
剥き身の剣を片手に、カイルは立ち尽くす。
肌を焼く熱気とただならぬ雰囲気から、腰が抜けたように座り込む王女は、喘ぐように肩で息をしている。
「城が森の民に落ちれば、彼らのやり方で蹂躙される、そうなれば、生皮を剥がされるより辛い目に遭う」
次兄が唱える理屈は、頭ではわかっている。生き残ったほうが残酷だから、そうなる前に死を与えるのが優しさだと。それでも、カイルには選べない。可憐な花を手放すことが出来なかったのに、自ら手折ることなど、無理だ。
震えながら立ち尽くすカイルに、
「……退いていろ」
焦れたのか、次兄が剣の血糊を払って、王女に歩み寄る。
「わたくしが、」
普段の兄らしさなど欠片もなく、情け容赦を忘れ去った次兄の腕を掴み、カイルは咄嗟に言った。
「わたくしが、必ず、この手で」
このあと、次兄は長兄と合流する手筈だ。この場は任せて欲しいと縋ることで、カイルは迫る運命から逃れられはしないかと、必死に画策する。
王子にも、王女にも、何の罪もない。四兄弟と同じ母を持ち、王を父に持っただけの、不運な子供たちだ。それは、不義の息子である彼らと変わりない。生まれたことに、生きていることに、罪はない。
次兄は腕を掴むカイルを振り向き、
「妹だからこそ、今、貴様の手で楽にしてやれ」
冷たい光を宿す翡翠色で、告げた。
怯える王女の目と、瑠璃色がかち合う。孤独であろうとしたカイルを何かと気にかけ、事ある毎に構いにやって来る、この世の何よりも美しい生き物が、悟ったように微笑んだ。
死を悟った母と、きっと同じ顔で。
カイルは剣を握り直した。次兄を制止していた手を放し、熱気に肌を灼かれる王女に歩み寄る。
「また会いましょう、カイル」
掠れる喉から振り絞るように、彼女は言った。
「今度はきっと、幸せになれるわ」
「殿下が思っておられるほど、わたくしは綺麗ではありません」
ぽつりと零す。
これに、王女は強く首を振る。
「
「違うわ」
カイルの言葉を遮るように、強く否定した王女は、冷えた手に温もる手を重ねて、
「どうしてそんなに恐れるの、どうしてそんなに、その命を貶めるの」
見えない瞳に力を込めて、願うように、祈るように言い募る。
「お願いよ、わたくしのためだけに生きていて、誰も貴方を許さなくても、わたくしが貴方の全てを許すから」
出来ることなら、その言葉に縋りたかった。この世界に生きることを許されて、いつかのように、二人だけの花園で息をしていたかった。
カイルには、そんな未来を選ぶことも出来た。全てを一身に背負う長兄も、そんな長兄のために奔走し続ける次兄も、一人で生きていく力のない末弟も見捨てて、王女付きの侍者として、全ての因果の外に生きる未来を。
温もる手を一瞬、力強く握り返したカイルは、
「わたくしは罪の子なのです」
儚く微笑みながら、真実を突きつける。
「殿下のお母上が犯した、重大な罪の残滓です」
放した手が力なく落ちた。表情と共に顔色さえなくした王女は、中空を見つめたまま、何かを言いかけた唇をきつく結ぶ。
「気に掛けて下さり、身に余る光栄でした、どうかお元気で」
カイルはそれだけをどうにか告げると、彼女に背を向け、軍靴を鳴らして歩き去る。
胸がざわついていた。枯らす前に手放した花を思うと、今すぐにでも八つ裂きにされたくなる。それでも、これで良かったのだ。これでようやく、躊躇いがなくなる。兄に準じて王家に仇なすことができる。
「カイル!」
背を向けた向こうで、喉を引き裂くような悲鳴が呼んだ。思わず振り返ったカイルは、足音を頼りに駆け出そうとする王女の姿を見て、息を呑む。
目が見えない彼女が、供もなく走ればどうなるか。咄嗟に過ぎった想像通り、ドレスの裾を踏んで、
「でん、」
言いかけた唇の端に、何も知らない柔らかな唇が触れる。刹那、身を強ばらせたカイルは、頬に口付けようとして誤っただけだと言い聞かせながら、彼女の華奢な肩に手を置いて、
「それでも、それでも貴方はわたくしのものなのよ」
泣き濡れる瞳と頬に気づき、口を噤む。
「貴方が誰だろうと構わない、お願い、わたくしの光なの、貴方さえ傍にいてくれたら、何も望まないの」
きっと、母に恋した父も、こんな気持ちだったのだろうか。去来してやまない衝動に嘘をつけなくなって、理性で押さえ付けることも儘ならなくなって。
隊舎の静かな回廊で、カイルは彼女の無垢な唇を塞いだ。
だから、呪われた運命を背負う覚悟は出来ていた。出来ていたけれど、目の前に広がる現実の残酷さは、カイルの密かな覚悟さえ嘲笑う。
炎に飲まれた第一王子と王女の居室で、実弟に当たる王子を躊躇なく切り捨てた次兄が、頬を返り血に濡らして、カイルを振り向く。
「躊躇うな」
剥き身の剣を片手に、カイルは立ち尽くす。
肌を焼く熱気とただならぬ雰囲気から、腰が抜けたように座り込む王女は、喘ぐように肩で息をしている。
「城が森の民に落ちれば、彼らのやり方で蹂躙される、そうなれば、生皮を剥がされるより辛い目に遭う」
次兄が唱える理屈は、頭ではわかっている。生き残ったほうが残酷だから、そうなる前に死を与えるのが優しさだと。それでも、カイルには選べない。可憐な花を手放すことが出来なかったのに、自ら手折ることなど、無理だ。
震えながら立ち尽くすカイルに、
「……退いていろ」
焦れたのか、次兄が剣の血糊を払って、王女に歩み寄る。
「わたくしが、」
普段の兄らしさなど欠片もなく、情け容赦を忘れ去った次兄の腕を掴み、カイルは咄嗟に言った。
「わたくしが、必ず、この手で」
このあと、次兄は長兄と合流する手筈だ。この場は任せて欲しいと縋ることで、カイルは迫る運命から逃れられはしないかと、必死に画策する。
王子にも、王女にも、何の罪もない。四兄弟と同じ母を持ち、王を父に持っただけの、不運な子供たちだ。それは、不義の息子である彼らと変わりない。生まれたことに、生きていることに、罪はない。
次兄は腕を掴むカイルを振り向き、
「妹だからこそ、今、貴様の手で楽にしてやれ」
冷たい光を宿す翡翠色で、告げた。
怯える王女の目と、瑠璃色がかち合う。孤独であろうとしたカイルを何かと気にかけ、事ある毎に構いにやって来る、この世の何よりも美しい生き物が、悟ったように微笑んだ。
死を悟った母と、きっと同じ顔で。
カイルは剣を握り直した。次兄を制止していた手を放し、熱気に肌を灼かれる王女に歩み寄る。
「また会いましょう、カイル」
掠れる喉から振り絞るように、彼女は言った。
「今度はきっと、幸せになれるわ」