ライル-3
文字数 2,100文字
夢の中、いつも彼女は許しを乞うている。罪深く愚かな母親だと、息子にばかり非業を背負わせてしまっていると。そして彼女はこうも言う。誰よりも、何よりも愛している。
彼女の棺は本来、罪人として誰に見送られることもなかったが、執行者であるライル一人だけは、葬送の場にいた。城と森の全容を見下ろすことができる、小高い丘陵だった。
彼女は形ばかりの棺の中で眠り続けている。大恩を仇で返した咎人として、墓標なく埋葬されている。
彼女の生家は爵位を剥奪されて野に下ったと聞く。三年後の今、彼らがどうしているか、ライルは知らないし、調べようとも思わなかった。それに、これは、彼らのための行動ではない。
「ライル!」
中庭に面した回廊を歩く彼を、少年の声が呼び止めた。振り向けば、末弟と同じ金髪の子どもが、中庭から駆け寄ってくるところだった。
「殿下」
王妃に似た少年を、ライルはそう呼ぶ。この国の第一王子、その人だからだ。
「通りかかってくれて助かった、お前の弟は手加減しないから困る」
末弟の仕草を彷彿させるように、ローブを掴む少年が指差す先を見やると、赤銅色の髪の武人がいた。剣術の稽古の時間らしい。
ライルは冷徹な顔をふわりと緩め、
「手加減は罷りなりませぬ、殿下」
口を尖らす王子を窘める。
少年は更に憮然としたようで、ライルのローブから手を離し、ますます表情を曇らせる。
「だって──」
「その御身を護るための術です、どうかご容赦を」
ライルは諭してから、黙り込む少年に、
「そういえば、先日、アイルに稽古をつけて下さったようで」
何日か前に末弟から聞いた話で水を向ける。
少年はやはり唇を尖らせて不貞腐れたまま、ライルを見上げた。
「殿下がとてもお強かったから、自分も強くなりたいと、アイルはそう申しておりましたよ」
賞賛に、少年はわかりやすく顔を綻ばせ、それでも平静を装おうとして、ぎこちない表情になる。あからさまな照れ隠しをライルは微笑ましく見守って、稽古から逃げ出した彼の背中を、迎えに来た武人のほうへ、そっと押し出した。
「わっ、ザイル!」
「私は化け物ではありませんよ、殿下、さぁ、続きを」
足音もなく近づいた師匠を見て、王子は露骨に悲鳴を上げる。手放しに褒める優しい宰相の掌返しを、少年は恨めしそうな顔で振り向き、
「今度から、お前に褒められたら逃げるようにする」
と告げて、武人に肩を押されるまま、中庭へと戻って行った。
王と王妃の間には、二人の子どもがいる。王子と王女の兄妹だ。彼らは、母である王妃が死罪になったことは知らない。病で倒れて急逝してしまったことになっている。
王妃を亡くした王には、既に何人かの貴族の娘が、後妻の候補に挙げられた。しかし、どの縁談も、王が首を縦に振ることはなかった。故に、後添えがおらず、後添えとの子どもも望めないため、兄妹から王位継承権が奪われることはない。
それはそれで良かったのだと、ライルは思う。思うが、母を亡くした兄妹が父である王に顧みられることなく、教育係や乳母に一任されている現状には、どうしても複雑な思いが去来する。
兄妹が産まれたということは、少なからず、王に王妃を思う気持ちがあったのだろう。王がいつから王妃の不貞に気づき、疑っていたのか定かではないが、王妃を深く愛していた時期もあるという事実は、そこはかとなく、ライルを不快にさせるのだ。
国を取り巻く深い森の中には、ドラゴンを神と信奉し、狩猟と採集の生活を送り、祈祷師 を首長に据える原始的な部族が棲んでいる。彼らは人々から森の民と呼ばれながら野蛮視され、夜の国における社会的カーストの最下層に位置しているが、魔獣を意のままに使役するという特性から、どの領地も明確な手出しはして来なかった。王族の森に住まうことへの引き換えとして、森の民から、現王が生娘を搾取していると知ったのは、ライルが刑吏に就いて、間もなくのことだった。
「知っておるか」
玉座に跪拝するライルに、王はよく肥えた醜い顔で、
「あの野蛮な部族の娘は上玉が多い、腰が引き締まって張りもある」
自慢げに語るので、ライルは人知れず、伏せた顔を汚らわしそうに歪める。
「しかしながら孕みやすいのが難点でな」
王が何を言わんとしているのかわからず、ライルが無礼にも顔を上げると、王は下卑た口元をこれ以上なくにやつかせながら、
「適当に罪を作って殺してしまえ」
事も無げに、ライルへ指示した。
慈悲もない言葉に呆気に取られ、何も返せないライルに、王はますますにやけた顔で、
「王たる儂ではなく、ドラゴンを崇める部族の娘だ、間引いたところで問題なかろう」
言い放つと、意味深に目を細めて、
「それとも貴様、含むところでもあるのか」
率直に問う。
臣下が会する玉座の間だ。下手なことは言えず、ライルは顔を伏せ、
「──御意に」
そう答えるしかなかった。
自ら孕ませた女を使い古しのように捨て去り、また新たな生娘を部族に催促するような、救いようのない男だが、腐っても国王だ。権力を恣にしてはいけない人間が王家を継いでしまったのが、この国の不幸。それ以上でも、以下でもない。
彼女の棺は本来、罪人として誰に見送られることもなかったが、執行者であるライル一人だけは、葬送の場にいた。城と森の全容を見下ろすことができる、小高い丘陵だった。
彼女は形ばかりの棺の中で眠り続けている。大恩を仇で返した咎人として、墓標なく埋葬されている。
彼女の生家は爵位を剥奪されて野に下ったと聞く。三年後の今、彼らがどうしているか、ライルは知らないし、調べようとも思わなかった。それに、これは、彼らのための行動ではない。
「ライル!」
中庭に面した回廊を歩く彼を、少年の声が呼び止めた。振り向けば、末弟と同じ金髪の子どもが、中庭から駆け寄ってくるところだった。
「殿下」
王妃に似た少年を、ライルはそう呼ぶ。この国の第一王子、その人だからだ。
「通りかかってくれて助かった、お前の弟は手加減しないから困る」
末弟の仕草を彷彿させるように、ローブを掴む少年が指差す先を見やると、赤銅色の髪の武人がいた。剣術の稽古の時間らしい。
ライルは冷徹な顔をふわりと緩め、
「手加減は罷りなりませぬ、殿下」
口を尖らす王子を窘める。
少年は更に憮然としたようで、ライルのローブから手を離し、ますます表情を曇らせる。
「だって──」
「その御身を護るための術です、どうかご容赦を」
ライルは諭してから、黙り込む少年に、
「そういえば、先日、アイルに稽古をつけて下さったようで」
何日か前に末弟から聞いた話で水を向ける。
少年はやはり唇を尖らせて不貞腐れたまま、ライルを見上げた。
「殿下がとてもお強かったから、自分も強くなりたいと、アイルはそう申しておりましたよ」
賞賛に、少年はわかりやすく顔を綻ばせ、それでも平静を装おうとして、ぎこちない表情になる。あからさまな照れ隠しをライルは微笑ましく見守って、稽古から逃げ出した彼の背中を、迎えに来た武人のほうへ、そっと押し出した。
「わっ、ザイル!」
「私は化け物ではありませんよ、殿下、さぁ、続きを」
足音もなく近づいた師匠を見て、王子は露骨に悲鳴を上げる。手放しに褒める優しい宰相の掌返しを、少年は恨めしそうな顔で振り向き、
「今度から、お前に褒められたら逃げるようにする」
と告げて、武人に肩を押されるまま、中庭へと戻って行った。
王と王妃の間には、二人の子どもがいる。王子と王女の兄妹だ。彼らは、母である王妃が死罪になったことは知らない。病で倒れて急逝してしまったことになっている。
王妃を亡くした王には、既に何人かの貴族の娘が、後妻の候補に挙げられた。しかし、どの縁談も、王が首を縦に振ることはなかった。故に、後添えがおらず、後添えとの子どもも望めないため、兄妹から王位継承権が奪われることはない。
それはそれで良かったのだと、ライルは思う。思うが、母を亡くした兄妹が父である王に顧みられることなく、教育係や乳母に一任されている現状には、どうしても複雑な思いが去来する。
兄妹が産まれたということは、少なからず、王に王妃を思う気持ちがあったのだろう。王がいつから王妃の不貞に気づき、疑っていたのか定かではないが、王妃を深く愛していた時期もあるという事実は、そこはかとなく、ライルを不快にさせるのだ。
国を取り巻く深い森の中には、ドラゴンを神と信奉し、狩猟と採集の生活を送り、
「知っておるか」
玉座に跪拝するライルに、王はよく肥えた醜い顔で、
「あの野蛮な部族の娘は上玉が多い、腰が引き締まって張りもある」
自慢げに語るので、ライルは人知れず、伏せた顔を汚らわしそうに歪める。
「しかしながら孕みやすいのが難点でな」
王が何を言わんとしているのかわからず、ライルが無礼にも顔を上げると、王は下卑た口元をこれ以上なくにやつかせながら、
「適当に罪を作って殺してしまえ」
事も無げに、ライルへ指示した。
慈悲もない言葉に呆気に取られ、何も返せないライルに、王はますますにやけた顔で、
「王たる儂ではなく、ドラゴンを崇める部族の娘だ、間引いたところで問題なかろう」
言い放つと、意味深に目を細めて、
「それとも貴様、含むところでもあるのか」
率直に問う。
臣下が会する玉座の間だ。下手なことは言えず、ライルは顔を伏せ、
「──御意に」
そう答えるしかなかった。
自ら孕ませた女を使い古しのように捨て去り、また新たな生娘を部族に催促するような、救いようのない男だが、腐っても国王だ。権力を恣にしてはいけない人間が王家を継いでしまったのが、この国の不幸。それ以上でも、以下でもない。