ライル-6
文字数 2,204文字
四兄弟の三男に当たるカイルが王城を出て久しい。壮健で変わりないことを、ライルと次弟は知っているものの、何も知らないアイルにしてみれば、この非常事態だからこそ、不安になるのも無理はないのかも知れない。
「カイルとは仲が悪かったんじゃないのか?」
しょぼんと項垂れるアイルを、次弟がからかう。
四兄弟が揃っていた頃、アイルはカイルを嫌いだと言って憚らなかったし、カイルのほうもアイルとは接し方がわからないようだった。常に喧嘩するわけではなかったものの、兄二人を独占したいアイルと、末弟の幼さに戸惑うカイルでは、なかなか折り合いがつかず、弟二人はずっと、ぎこちなかったのだ。
からかわれたと気づいたアイルが、ぷくっと頬を膨らます。
「カイル兄様は好きじゃないけど、いないと寂しいのは本当だもん」
むっとしたように見えたアイルはけれど、しょげた声で反論するから、
「あまりいじめてやるな、ザイル」
ライルが窘めるのに、次弟が苦笑した。
「カイルも時が来れば戻る、心配はいらない」
次弟が寝室を出て行き、部屋にはライルとアイルだけになる。寝台へ横になる末弟に、ライルはそう告げて、小さな体へシーツをかけてやる。
アイルはしばらく黙ったまま、どこか祈るような眼差しでライルを見つめて、
「──兄様は何処にも行かない?」
心細そうに尋ねた。
動揺してはならないと思いながら、ライルは、アイルの言葉に僅かながら目を見張り、蒼玉の視線を正面から見つめ返すことが出来ない。
「母様は死んじゃって、カイル兄様とザイル兄様は遠くへ行っちゃう、ライル兄様は僕を置いて何処かへ行かない?」
縋るような言葉だった。同時に、本当のことを聞かせて欲しいと願っていた。成長は緩やかながら、妙に聡い末弟のことだから、大人の都合や事情なんて誤魔化し方は通用しない。わかっていても、この小さい弟に全てを話すことなど、ライルには出来なかった。か細く薄い両肩に負わせるには、これは余りに過剰な重荷だ。
ライルはアイルの手を取って、優しく、きつく、握り締める。
「傍に居よう」
嘘をついた。蒼玉の円らな瞳を真っ直ぐ見つめて。
「約束してくれる?」
アイルは尚も重ねて問う。長兄の優しい嘘を敏感に察しながら、知らないフリをして、確信を得ようとするように。
ライルは微かに口角を上げることで精一杯だった。それ以上、言葉で嘘を塗り重ねることは出来なかった。
アイルがするりと、互いの小指同士を絡めて、
「やくそく、だからね」
一方的に契るのを、黙って見守っていた。
このときに覚えた痛みは──胸が張り裂け、四肢が引き千切れるのに勝るとも劣らないほどの痛みは、ライルを後々まで苦しめた。末弟に嘘をつき続けてまで何を成そうとしているのか、時にわからなくなり、空虚に陥るほどに。
けれども、これは何としても、成さねば成らぬ復讐だった。亡き父の宿願で、四兄弟の存在の正当性を証明するための、聖戦でもある。
生まれてきてはいけない命など、この世にはない。それが例え、どんなに罪深い経緯を持った子どもたちでも。そうでなければ、ライルがここで息をしていること自体、許されないことになってしまう。それは即ち、四兄弟の父と母をも否定することになる。ライルが生まれ、ここに生きていることこそが罪咎の何よりの証左なのだとしても。父や母の物語を否定することだけはあってはならない。ライルや、弟たちの命をも否定されてしまうからだ。
三年前、玉座の間。
近衛兵と宰相を従えた王は、刑吏を務めるライルを召喚し、こう告げた。
「我が妃が儂を裏切り、何処ぞの馬の骨とも知れぬ者と、子を成しておった」
跪拝するライルは身動ぎ一つせず、王の告白を聞いている。
「王位継承者を産む者として、儂の妻として、これは立派な背信であり、不敬罪に当たるとは思わぬかえ」
玉座に頬杖をつき、気だるそうな声で話す王の表情を見ることも出来ず、伏せた顔を強ばらせている。
普段、宰相や側仕えの臣下を通してしか会話しない王が、直々に話しかけること自体、異例のことであるのは、官吏の末端としてライルもよく知っている。針山の上に立たされているような、チクチクとした不快感を一身に浴びながら、それでも折り目正しい跪拝を崩さない。
「法に詳しい有能な刑吏として問うておるのだ、意見はないか」
老齢の宰相が厳かに言った。
「──法に照らせば、不敬罪には二通りの処罰が御座います」
発言を許可されて、ライルは顔を伏せたまま、静かに口を開いた。
「第一に流刑、これは国内の何れの領地に留まることも許さない、国外追放でございます。第二に死罪、王位継承を争う謀反を企て、王権に反旗を翻した場合の適用例がございます」
ふむ、と王が頷く気配がした。傍らの宰相と何やら言葉を交わすのが、微かに耳に届く。
「……して、この場合の処断は、どちらが適当と思われるか、刑吏としての意見はどうじゃ」
またしても、口を開いたのは宰相だった。
ライルは困惑する。王は何を問おうとしているのか、どんな答えを期待しているのか、その意図が読めない。
「国史に見る適用例から鑑みますに、流刑が最も適当かと存じます」
嫌な予感がしていた。冷や汗が背筋を伝う感覚に身震いしそうになるのを、堪える。
王と宰相が再び、ヒソヒソと言葉を交わし、
「──手緩 い」
ライルの進言を嘲笑うように告げたのは、王だった。
「カイルとは仲が悪かったんじゃないのか?」
しょぼんと項垂れるアイルを、次弟がからかう。
四兄弟が揃っていた頃、アイルはカイルを嫌いだと言って憚らなかったし、カイルのほうもアイルとは接し方がわからないようだった。常に喧嘩するわけではなかったものの、兄二人を独占したいアイルと、末弟の幼さに戸惑うカイルでは、なかなか折り合いがつかず、弟二人はずっと、ぎこちなかったのだ。
からかわれたと気づいたアイルが、ぷくっと頬を膨らます。
「カイル兄様は好きじゃないけど、いないと寂しいのは本当だもん」
むっとしたように見えたアイルはけれど、しょげた声で反論するから、
「あまりいじめてやるな、ザイル」
ライルが窘めるのに、次弟が苦笑した。
「カイルも時が来れば戻る、心配はいらない」
次弟が寝室を出て行き、部屋にはライルとアイルだけになる。寝台へ横になる末弟に、ライルはそう告げて、小さな体へシーツをかけてやる。
アイルはしばらく黙ったまま、どこか祈るような眼差しでライルを見つめて、
「──兄様は何処にも行かない?」
心細そうに尋ねた。
動揺してはならないと思いながら、ライルは、アイルの言葉に僅かながら目を見張り、蒼玉の視線を正面から見つめ返すことが出来ない。
「母様は死んじゃって、カイル兄様とザイル兄様は遠くへ行っちゃう、ライル兄様は僕を置いて何処かへ行かない?」
縋るような言葉だった。同時に、本当のことを聞かせて欲しいと願っていた。成長は緩やかながら、妙に聡い末弟のことだから、大人の都合や事情なんて誤魔化し方は通用しない。わかっていても、この小さい弟に全てを話すことなど、ライルには出来なかった。か細く薄い両肩に負わせるには、これは余りに過剰な重荷だ。
ライルはアイルの手を取って、優しく、きつく、握り締める。
「傍に居よう」
嘘をついた。蒼玉の円らな瞳を真っ直ぐ見つめて。
「約束してくれる?」
アイルは尚も重ねて問う。長兄の優しい嘘を敏感に察しながら、知らないフリをして、確信を得ようとするように。
ライルは微かに口角を上げることで精一杯だった。それ以上、言葉で嘘を塗り重ねることは出来なかった。
アイルがするりと、互いの小指同士を絡めて、
「やくそく、だからね」
一方的に契るのを、黙って見守っていた。
このときに覚えた痛みは──胸が張り裂け、四肢が引き千切れるのに勝るとも劣らないほどの痛みは、ライルを後々まで苦しめた。末弟に嘘をつき続けてまで何を成そうとしているのか、時にわからなくなり、空虚に陥るほどに。
けれども、これは何としても、成さねば成らぬ復讐だった。亡き父の宿願で、四兄弟の存在の正当性を証明するための、聖戦でもある。
生まれてきてはいけない命など、この世にはない。それが例え、どんなに罪深い経緯を持った子どもたちでも。そうでなければ、ライルがここで息をしていること自体、許されないことになってしまう。それは即ち、四兄弟の父と母をも否定することになる。ライルが生まれ、ここに生きていることこそが罪咎の何よりの証左なのだとしても。父や母の物語を否定することだけはあってはならない。ライルや、弟たちの命をも否定されてしまうからだ。
三年前、玉座の間。
近衛兵と宰相を従えた王は、刑吏を務めるライルを召喚し、こう告げた。
「我が妃が儂を裏切り、何処ぞの馬の骨とも知れぬ者と、子を成しておった」
跪拝するライルは身動ぎ一つせず、王の告白を聞いている。
「王位継承者を産む者として、儂の妻として、これは立派な背信であり、不敬罪に当たるとは思わぬかえ」
玉座に頬杖をつき、気だるそうな声で話す王の表情を見ることも出来ず、伏せた顔を強ばらせている。
普段、宰相や側仕えの臣下を通してしか会話しない王が、直々に話しかけること自体、異例のことであるのは、官吏の末端としてライルもよく知っている。針山の上に立たされているような、チクチクとした不快感を一身に浴びながら、それでも折り目正しい跪拝を崩さない。
「法に詳しい有能な刑吏として問うておるのだ、意見はないか」
老齢の宰相が厳かに言った。
「──法に照らせば、不敬罪には二通りの処罰が御座います」
発言を許可されて、ライルは顔を伏せたまま、静かに口を開いた。
「第一に流刑、これは国内の何れの領地に留まることも許さない、国外追放でございます。第二に死罪、王位継承を争う謀反を企て、王権に反旗を翻した場合の適用例がございます」
ふむ、と王が頷く気配がした。傍らの宰相と何やら言葉を交わすのが、微かに耳に届く。
「……して、この場合の処断は、どちらが適当と思われるか、刑吏としての意見はどうじゃ」
またしても、口を開いたのは宰相だった。
ライルは困惑する。王は何を問おうとしているのか、どんな答えを期待しているのか、その意図が読めない。
「国史に見る適用例から鑑みますに、流刑が最も適当かと存じます」
嫌な予感がしていた。冷や汗が背筋を伝う感覚に身震いしそうになるのを、堪える。
王と宰相が再び、ヒソヒソと言葉を交わし、
「──
ライルの進言を嘲笑うように告げたのは、王だった。