第26章「ヤトとエン」

文字数 5,921文字

――俺は人でも魔物でもない。空気と同じ…、それでいて全部なんだ。
 喜、怒、哀、楽、様々の心、感情。
 その全てを選ぶことが出来る。その全てになることが出来る。
 この世界を壊そうと望めばその通りに出来るし、この世界を生かそうと思えばその通りに出来る。
 今、この世界は――、ここにある世界は、俺を中心とした円の中にある。その「エン」の中の世界を守ることを望んでこうなった。
 「エン」の外、「エン」に害をなすモノどもを取り除こう――。

 一瞬の間に全てを理解したエンマは、神力で魔物たちを滅ぼした。
 緑の目から放たれた紫の閃光が、魔物たちを焼き払い、即座に消滅させたのだ。
 紫色の炎に焼かれた魔物たちは、灰になる暇もなく炎の中に溶け消え、炎は空気中で燐光となって煌めきながら、花が散るかのように消えていった。
 しかしそのエネルギーは莫大なものであった。
 魔物たちを一気にせん滅させると、エンマは気を失ってその場に倒れてしまった。
「エンマ!」
 蓮花が駆け寄っていって、エンマを揺さぶったが、全く気が付く気配もなかった。
「…気を失っているだけだ。おそらくさっきの物凄い力を使ったせいだろう…。」
 楓が、エンマをみて言って、呪文を唱え始めた。それは、気を取り戻させるための言霊であったが、霊術を封じられているこの場所で、うまく働くかどうかは分からなかった。
「あ、兄貴…。」
 それを、フータも心配そうにして見ていたが、不意に肉壁に触れて、声を上げた。
「苦しみが消えた!もう、こいつは苦しんでないよ!元に戻ったんだ!」
「う…。」
 エンマが目を開けた。
「…良かった。どうやら、言霊が通じたみたいだね。ってことは、霊術も使えるようになったかもしれないよ。」
 楓が言った。
「すげー…、体が…重い…。」
 エンマは体に違和感を覚えていた。先程まで、肉体を離れて魂だけの存在となっていたことは薄っすらと感じてはいたが、いざ肉体に戻ると、先程の感覚が嘘のように思えてしまっていた。
「なんていうか…。呆れたわ。」
 蓮花が安堵して、微笑みながら言った。
「魔物になってみたり、あんな凄い力を発揮したり。もう、呆れるしかないわよ。」
「何言ってやがんだ。俺がいなかったら、今頃おめーらは魔物に食われてるトコだぜ。」
 エンマは起き上がろうとしたが、上手く体に力が入らなかった。
「だめだ…。動けねー。」
「無理するな。あれだけの力を使ったんだ。しばらく休んでいろ。なんだか、俺の霊力も元に戻ったみたいだ。さっきまでここには、俺たちの力を封じる何かがあったが、それがなくなったようだ。今は魔物の気配もここにはないと言い切れる。」
 蘭丸が自信に満ちた表情で言った。
「兄貴のおかげだよ。」
 肉壁に抱きつくようにして体をぴったりとつけて、フータが言った。
「こいつ、ヤトって名前なんだ。ヤトは、魔物じゃない。海に住んでるんだ。それを捕まえられて、魔物の毒にやられて、おかしくされたんだって。体も昔はこんなに大きくなかったけど、怪物に変えられたせいで、こんなにでっかくなって海の底にいて、いつも毒に苦しんでたんだ。でも、兄貴の力のおかげで、毒が消えたってさ。」
「フータはこの生き物が何なのか、分かるのか!?」
 蘭丸がびっくりして言った。
「うん。なんでか知らねえけど…。おいらには、こいつの心が分かるんだ。仲間だから。」
「仲間?」
「多分。よく分かんねえけど…なんかそんな気がすんだ。」
 フータはどこか寂しそうな顔で言って、微笑んだ。
「本当に、フータは不思議だな…。」
「…ということは、このヤトは、何者かによって怪物に変えられて、魔物の通り道にされてたってわけね。そして、私たちがヤトを見つけることが出来なかったのも、霊力が使えなかったのも、ヤトが侵されていた毒のせいだったのね。これで納得がいったわ。」
 蓮花が頷きながら言った。
「エンマのさっきの力で、ヤトを苦しめていた魔物の毒が浄化されたのね。」
「へー。すげーな、俺。」
 まだ転がったままの状態で、エンマは抑揚のない調子で言った。
「…こっちは浄化されてないよ。」
 椿が楓の手当てを受けながら言った。左手首に包帯を巻かれている。
「命は取り留めたけどね。でもこれじゃ、僕はこの先役に立ちそうにもないね。利き手を怪我したんだから。」
「それに毒が回ってるんだ。応急処置は施したつもりだが、いずれにしてもきちんと毒の治療をしないといけないよ。さっき来た所から、飛天術で地上に戻るしかないな。」
「僕一人の力じゃあ、無理そうだな…。毒が回ってて、うまく霊術を使えるかどうか…。」
 椿は俯き加減で、楓を見つめながら言った。
「分かってるよ。あたしに掴まって飛べばいいさ。…そういうわけで、あたしたちはここでリタイアだよ。」
「フフ、すまないねえ。結局足手まといになっちゃってさ。」
「仕方ないわ。魔物の通り道がこんなふうになってるなんて、誰も予想してなかったんだもの。ここから先は、私たちが行くから。椿と楓が里に戻って、長老様たちに知らせてくれると助かるわ。」
「ああ。そうするよ。椿、あたしの手に掴まりな。」
 楓がさっと左腕を出すと、椿は両手で楓の腕にしがみついた。
「それじゃ、死なないように気をつけてねえ。フフフ…。」
 椿はエンマたちを見て皮肉っぽく笑ってみせた。
 そして、楓が飛天術を使い、ぱっと飛び上がって、先程落下してきた穴から上へ吸い込まれるようにして消えていった。
「…この先に進むのか?」
 奥の方を見つめながら、不安そうにして蘭丸が言った。
「当たり前でしょ。この魔物の通り道…ヤトの中がどうなってるのか調べるのよ。魔物たちがここを通ってくるのなら、どうにかして、魔物たちが通れないようにしないと、いつまでたっても魔物は人間の世界へ侵入して増えていくばかりだわ。ここで防がないと。」
 蓮花はきっぱりとそう言った。
「でもエンマはまだ動けないようだし、ひとまず魔物の気配はここにはないようだから、少し休みましょう。」
「腹減ったな…。」
 エンマが腹を押さえて呟いた。
「干し芋があるわよ。」
 蓮花は布袋から干し芋を幾つか取り出して、エンマの手に渡した。
「何だ?これ。芋か?」
 寝転がったまま、干し芋をむしゃむしゃと食べながら、エンマは聞いた。
「ええ。サツマイモを干して乾燥させたのよ。保存食になるし、それにおいしいから、よく持ち歩いてるの。」
「またおめーが作ったのか。」
 エンマはすぐに食べ終わってしまい、まだ物足りなさそうにしていた。
「エンマ。蓮花にもらわなくても、俺たちだって母さんから持たされたろ。干し飯を。全く意地汚い奴だな。」
 蘭丸が呆れたように言った。
「そーいやそーだったか。でもこのとーり、動けねーんだ…。もうちっとばかし腹が膨れれば、体力が回復しそーなんだが。」
 今度は蘭丸が、干し飯を自分の布袋から取り出して、エンマに与えた。
「あんがとよ。へへ、なんとか少しは回復してきたぜ。」
 ぺろりと干し飯も食べてしまうと、エンマは身を起こした。
「フータ、どうした。」
 後ろを向いて肉壁に張り付いたまま、じっと動かないでいるフータを見て、エンマが近寄って行きながら声を掛けた。
「ううっ…。」
 フータは静かに泣いていた。その横で、小太郎が心配そうにフータを見ている。
「おい…。一体どうした?魔物にどっかやられたのか?」
 心配になって、エンマはフータの背中に手を当てて、顔を覗き込んだ。
「兄貴…。」
 フータは慌てて涙を拭い、明るく笑ってみせた。
「何でもねえ!魔物にもやられてねえよ!おいらはこの通り大丈夫だよ!」
「…なんか変だぜ、フータ。そんな作り笑いするなんてよ。何隠してんだ?言ってみろよ。」
 エンマは真面目な顔でフータを見つめていた。
「何でもねえって!」
 しかしフータは、堪えきれなくなったように口を歪めて、また涙をぶわっと流した。
「ううう…わあーーーーーっ!」
「一体どうしたってんだよ。いきなり…。」
 エンマはフータをなだめるように背中をさすり、頭を撫でてやったが、そのように優しくすればするほど、フータの泣き声は大きくなっていくばかりだった。
 二人の様子を、蓮花と蘭丸も見守っていた。
「フータ…。おめー、こいつがおめーの仲間だとか言ってたよな?それって、どういう意味なんだ?」
「分かんねえ。」
「分かんねーのに仲間なのか?」
「うん。」
「……。」
 フータは何かを知ったのではないかと、エンマは感じていた。
 ヤトというこの不思議な生き物の、柔らかな肉壁に寄り掛かって、フータはいつになく悲しげな表情で泣いていた。
 清らかな涙がきらきらと光って、フータの幼い頬を伝っていく。
 そのあまりにもか弱く、はかなげな小さな姿に、エンマは何も言えずただ黙って見守っているしかなかった。
 しばらくして、フータの泣き声が止んだ。
「おいらね、もう泣かないよ。」
 決然として、フータは立ち上がって言った。
「おいらは兄貴のために頑張るんだ!」
 そしていつものように、フータは明るく、元気に笑った。
「…ああ。」
 エンマも微笑み返したが、どこか、フータが寂しそうに見えて仕方がなかった。

 根の国を見下ろす、雷鬼の居城。
 ねじれたような形の、四つの黒い尖塔が天を突くように聳え立ち、城壁は色とりどりの石が、何かの生き物の鱗のようにぎっしりと並べられて造られており、城門は化け物が口を大きく開けたように、上下に鋭い牙のような鉄柵が飛び出ていた。
 まるで城そのものが何かの生き物のような、有機的なデザインの城であった。
 その城の中の一室で、雷鬼は一人大きな石の椅子に座って何かを待っていた。
 部屋は広くもなく狭くもなく、人や獣を(かたど)ったかのような、奇妙な形をした彫像が至る所に無造作に置かれ、その間に、髑髏や粉々になった骨が幾つも転がっていた。
 時々、苛々したように、雷鬼は足を踏み鳴らしている。
「ええい!まだなのか!」
 突然、雷鬼は手から炎の玉を生じさせて、それを勢いよくどかんと床に叩き付けた。すると、炎の玉が当たった所が割れて、大きな穴が開いた。穴の下は真っ暗で何も見えない。
「邪蛇め…。」
 雷鬼は穴の中をじっと睨んでいた。
「雷鬼様…。もうしばらく、お待ち下さい…。あと少し…。」
 穴の下から、細い声がした。
「お前は何度でも蘇る。そこが俺の部下として、使える点なのだ。」
 雷鬼は太く逞しい腕を組み、激しい輝きを帯びた緑の目で、穴の下を見下ろしていた。
 やがて、雷鬼の怒りが頂点に達して、いかずちが落ちる寸前、穴の中から白いものが半身を現した。
 それは、全身がぬるりと白い人の姿であった。白い体には何も身に付けておらず、裸だった。
 頭髪や体毛は一切なく、青白い顔には皺一つない。だが、それは邪蛇であると一目で分かった。
 両眼のほか、額に、第三の眼があるのだ。それは、邪蛇だけの特徴であり、他の魔物にはないものであった。
 まるで、邪蛇は若返ったかのようだった。地獄里で消滅したときには、皺だらけの醜い老人のような姿だったが、今の姿は、十代の若者のような姿だった。
「もう少し、お待ち下されば、丁度良いところまで、成長出来ましたのに。」
 細い声で言って、邪蛇は無表情で、白目のない真っ黒な瞳を雷鬼に向けた。
 瘦せ細った白い体と、何の感情もない顔。それは、不気味さと、妖しさとを兼ね備えた、ある種の退廃的な美を感じさせる姿であった。
「…私が再生している間にも、予定通りに事が進むようにしておりましたが。」
「ヤトだな。」
「はい。私の計画では、今頃、ヤトから大量に魔物が湧き出して、各地で人間どもを襲っているはず。これで、人間の国は、じわじわと滅びていくでしょう。」
「そうかな。俺は確かに人間を滅ぼせと命じたが、お前は俺とは別のことを考えているだろう。」
 雷鬼は、邪蛇を見てにやりと面白そうにして笑った。
「ヤトは奴らには見つからないだろうが、エンマには見つかるだろう。あいつは半分魔物なのだからな。それを、お前も分かっていたはずだ。そうして、あえてエンマに発見させておいて、根の国に誘い出そうというのだろう。お前の狙いは、エンマだからな。」
「エンマを捕らえることは、以前から雷鬼様が命じていたことです。」
「いや、お前は何かを企んでいる。」
「企みなど…。私はただ、雷鬼様に従うだけですから。」
「フフ…。見え透いたことを。まあいい。俺は退屈なのだ。お前が面白いことを考えてくれれば、俺はそれを攻略すればいいのだ。お前の野望を打ち砕くこと。それが楽しくてたまらんのだ。」
「野望など…。私はただ、雷鬼様に仕えるだけですから。」
 何の感情もない言葉を、邪蛇は繰り返すばかりであった。

 しばらく休んで、エンマの体力はすっかり回復したようだった。
「さーて!そろそろ行こうぜ。」
 エンマは立ち上がって、幾つも分岐した道を眺めた。
「霊力が使えるようになったから、私にもヤトの体内が見えるわ。伝視も通じるし。」
「けっ、それも何だか…。せっかく俺にしか出来ねーことって、張り切ってたのによ。また蓮花たちに手柄を取られんのか。」
「そういう問題じゃないでしょ。エンマがいなかったら、私たちは全滅してたわ。もう十分エンマは手柄を立ててるわ。」
「そうか?へへへ…。」
 蓮花に言われ、エンマは照れくさそうに笑った。
「随分余裕だな、エンマ。いずれ、この道は根の国に通じてるんだろう。お前は、根の国に行く覚悟が出来てるのか?」
 蘭丸は真剣な表情で言った。
「そうだな。ま、なるようになんじゃねーの?」
 軽く答えるエンマに、蘭丸は呆れたように首をすくめた。
「…どうやら、ヤトの体の中心部は、海底にあるみたい。その中心部から、ヤトの触手が根みたいになって、海底から地中にまで伸びて、広がっているんだわ。」
 伝視でヤトを観察しながら、蓮花が言った。
「俺たちは、今海底にいるのか?」
 蘭丸も伝視でヤトを探った。
「そうらしいわね。さっきの穴からまっすぐに海底まで落ちてきたみたい。その先は見えないわ。でも、おそらく魔物がいる…。」
 蓮花は目を閉じて伝視をやめ、一息ついた。
「このヤトってのは、他にもいるのかな。魔物が国の至る所に現れただろ。それが全部、ヤトを通って来た魔物だとしたら…。」
「どうかしら…。でももし他にもいるとしたら、大変ね。」
「ごちゃごちゃ言ってねーで、とりあえず先に進むしかねーんじゃねえか?」
 エンマは待ちきれない様子で言った。
「そうね。今やれることをやるしかないわ。…こっちよ。」
 蓮花が先に立って、道の一つを選んでそこを進んで行った。
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