第14章「地獄里での戦い」

文字数 9,541文字

「地獄里までは、普通に歩いたら二週間以上はかかるが、俺たちが瞬足術を使えば、五日ほどで辿り着ける。だがエンマは、まだ瞬足術を使えないから、鈴蘭に乗ってもらう。」
 蘭丸にそう言われ、エンマは、鈴蘭の背に乗ろうとして吼えられた。
「おい、こいつ嫌がってるぞ。」
「鈴蘭。仕方ないんだ。お前が俺以外乗せたくないってのは分かるが、今は我慢してくれ。」
 蘭丸は鈴蘭の頭を優しく撫でながら言った。すると鈴蘭は、くう、と低く鳴いて、渋々エンマを背に乗せた。
「鈴蘭は誇り高い性格でな。俺以外絶対乗せないし、俺の命令しか聞かないんだ。」
「へえ。賢い奴なんだな。」
 そして、蘭丸が先頭に立って瞬足術を使い走り出すと、続いて鈴蘭も走り出した。ぴたりと蘭丸の後ろについて走っていく。その走りには余裕が感じられ、もっとスピードが出せそうなくらいだった。
 その後から、蓮花、楓、椿も瞬足術を使い走っていた。皆、風を切り、景色も見えないほどの速さで駆けていく。
 月光の照らす道を駆ける彼らの姿は、一陣の風となって夜の闇を吹き抜けていった。

 朝になり、エンマや蓮花たちがいなくなったことを知った氷助とみぞれは、一人泣いているフータから事情を聞き、早速長老のもとへ行って報告した。
「全く蓮花め。あれほど言っておいたのに、エンマを連れて行くとは。」
 芭蕉はため息をついた。
「しかし長老様、あいつらの気持ちも分からんでもないです。それに、そこまでエンマのことを思ってくれる仲間がいるってのも、嬉しいことです。蘭丸も、最初はあんなに嫌がってたってのに。」
 明るい表情で氷助は笑っていた。
「…しかしな、現実的には無謀というものだ。まだ、地獄里のことはよく分かっておらんのだ。どんな敵が待っているかも分からんのに、気持ちだけで行動するのは愚かなことだ。すぐにも隊を組織して、地獄里へ向かわせよう。」
 すぐさま芭蕉は里の兵を招集し、それを五名ずつ三つの隊に分けて、地獄里へと向かわせた。
「大丈夫かしら…。」
 家に戻り、みぞれはフータを慰めながら、心配そうに呟いた。
「なあに、蘭丸も蓮花もいるんだ。大丈夫だよ。若いってのは、怖いものなしでいいなあ。びびって何にもしねえでいるより、なんかやった方がいいだろう。そんで俺たち大人があいつらを手助けすりゃいいんだ。」
 どっしりと構えている氷助を見て、みぞれは微笑んで、フータの頭を撫でていた。

 今度は花霞の里から、地獄里へ。
 あのとき、全てを失って花霞の里へ向かっていたときとは、違っている。
 エンマの心は不思議と落ち着いていた。
 魔物に蹂躙(じゅうりん)された地獄里のことを思えば、激しい憎しみが込み上げてくるが、あのとき、一人で衝動にかられたまま、雷鬼のもとへ向かったときとは違い、衝動を抑えることが出来た。
 霊術もまともに使えないのに、魔物の巣へ行くということがどれだけ無謀なことであるか、エンマにも分かっていた。
 しかし、安心感があった。今はあのときとは違い、一人ではないのだ。仲間たちがいるのだ。それだけで、心が満たされ、穏やかになれるのだった。
 大丈夫だと、強く思えた。

 予定よりも早い、四日目の夕方に、地獄里へ着いた。
 地獄里へ入る前に、蘭丸は鷹の電光丸を放って様子を窺わせていた。そして戻って来た電光丸から、伝心術で里の様子を知る限り、地獄里にはおよそ五百もの魔物がいることが分かった。
「思っていたより、魔物の数が多いな…。」
 地獄里に住んでいた人間の数は、二千人程度だったが、生き残っている人間は一人もいなかった。およそ五百匹の魔物の全てが、人間の死体に乗り移る「化身の術」で人間に成り変わっていた。ということは、ほぼ五百人の人間の死体が使われ、残りの人間は全て食い殺されたのであろう。
「それに、何か異様な感じだ。魔物以外にも、何かありそうだ。エンマ、お前は後ろにいろよ。先に出て行ったりするな。」
 蘭丸に言われ、エンマは黙って頷いた。
 地獄里に近付くにつれて、奇妙な空気が辺りに漂ってきた。胸が悪くなるような、強い臭気が立ち込めてきて、エンマは思わず鼻を覆った。
 空には日も星も見えず、暗い雲が空を覆い隠し、既に夜のような暗さが里を包み込んでいた。
 懐かしい故郷とは思えない、異様な景色だった。
 木も草も枯れ果て、田畑も潰されたように跡形もなくなっていて、どす黒い泥ばかりがぐちゃぐちゃに地面を塗り潰していた。
「くそっ!」
 エンマは鈴蘭から飛び降りて、変わり果てた里を眺めた。
「おや、旅の方ですか。」
 里の入り口に、人間が二人いた。
 だが、心眼で見ると、彼らの体内には妖気が見えた。
「こいつらは魔物よ。」
 先に飛び出したのは、蓮花だった。
 蓮花は瞬足術を使って、目にも止まらぬ速さで、里の入り口にいた魔物たちを、霊力を纏った拳で粉砕していった。
 あっけなく、魔物たちは灰となって消えた。
「さすがに気分が悪いわね。人の体に乗り移ってるなんて。」
 だが蓮花は、全く容赦する気もなかった。
「心眼の使えないエンマには、普通の人間に見えるかもしれないけど、この里の人間は皆殺しにされて、魔物に体を乗っ取られたの。だからここにいるのは皆魔物なのよ。」
「ああ…。分かってる。」
 エンマは俯いて、唇を噛んでいた。
 地獄里への侵入者の気配に、魔物たちも気付いたようだった。
 わらわらと魔物たちが集まって来て、エンマたちを取り囲んだ。その数およそ百匹。
「こいつらを縛るから、その間に倒すんだ。」
と、楓が低く呪文を唱え始めた。
 すると魔物たちは皆、何か見えない糸で雁字搦(がんじがら)めに縛られたように動けなくなった。楓の言霊の術「呪縛」による効果である。
 先に蘭丸が飛び出し、刀を抜いたかと思うと、流れるような速さで駆けながら、魔物を一気に十匹、斬り裂いた。魔物たちの体が崩れて、真の醜い姿を現したかと思うと、その肉が、星屑のようにきらきらと散っていった。
 一方椿は、蘭丸の様子を窺って、後から静かに刀を抜いた。
 椿の刀の刃は、漆黒の色をしていた。鞘も全て、漆黒の材質で出来ており、黒光りしているので、その刀の名は「玄月刀(げんげつとう)」といった。そしてその黒は、椿を表す色と言っても良かった。
 椿はにたりと不気味な笑みを浮かべて、漆黒の刃に霊力を纏わせた。普通なら、青白い霊気が見えるのだが、刃の黒い色が強く反映して、まるで黒い炎が刃を包んでいるように見えた。
「ひゃははっ!」
 椿は狂ったような顔で魔物の群れに飛び込んで行った。魔物が、次々と椿の刃に八つ裂きにされて、黒炎とともに粉々に砕け散っていく。
 理性を失った狂人のように、椿は笑い声を上げながら、荒々しく魔物たちを壊し尽くしていった。
 蓮花は、霊力を纏った拳で、一匹一匹、確実に仕留めていった。
「…破邪滅殺。」
 蘭丸たちが戦っている間に、楓は呪殺の言霊を唱え終わった。
 するとまだ残っていた三十匹ほどの魔物が、一度に全て塵となって消滅した。
「すげえな…。」
 エンマはただ感嘆して、四人の姿を見ているしかなかった。百匹ほどいた魔物たちが、わずか数分の間に全て消されたのだ。
 それでもまだ、どこからか魔物はうじゃうじゃと湧いて出てきた。それを先程と同じようにして、次々と葬り去っていった。
 しかし、あまりにも魔物はあっけなくやられていた。これでは、魔物たちは、やられるために集まってくるようなものだった。
 エンマはそれを見てすっかり油断していた。そちらの見物に気をとられていて、背後からゆっくりと近付いてくる気配に気付いていなかった。
 突然、エンマは首を掴まれて放り投げられた。
「うわっ!」
 泥水の中に投げ込まれて、エンマは頭から泥を被り、泥だらけになった。
 見上げると、そこに立っていたのは、いつか、エンマに因縁をつけてきた体の大きな男だった。
「てめえ…!」
 しかしその男は既に魔物に乗っ取られているのだ。そのことを思い出して、エンマは複雑な気持ちになっていった。
 エンマは立ち上がろうとしたが、泥に足をとられて、思うように動けなかった。それを、魔物は太い腕でエンマの首根っこを掴んでそのまま連れ去ろうとした。
「エンマ!」
 そこへ急いで駆けつけて来た蓮花が、飛天術で飛んできて、魔物の顔面に向かって、霊力を纏った足で、勢いよく蹴りを入れた。いきなり顔を蹴られて、魔物はふらついてエンマを掴んでいた手を離した。
「あいつらを大勢集めて私たちを引き付けておいて、その隙にエンマを連れ去る気だったのね!」
 蓮花は、霊力を纏って青白く光り輝いた両の拳で、魔物に殴りかかっていった。心眼で、魔物の急所を捉えている蓮花は、魔物の腹を狙っていた。
 しかし魔物は、巨体のくせに身軽だった。蓮花の攻撃をひょいと跳躍してかわし、後方へ飛び退いた。それを追って蓮花は、泥の上を瞬足術で駆け、猛烈な勢いで魔物に拳を打ち込んだ。
「ぐばっ!」
 蓮花の拳は魔物の腹の中心を深く抉り、そのまま貫通して肉を弾き飛ばした。そして、抉れた腹の肉は灰となり、穴の開いた腹部から全身へと、肉が灰に変わっていって、最後には跡形もなく消滅した。
「おっそろしいぜ…。」
 思わずエンマは呟いた。
「油断しないで。攻撃は出来なくても、せめて身を守ることは出来るでしょ。」
「分かってらあ!」
 蓮花にきつく言われ、エンマはカチンときて大声を出した。
 息つく暇もなく、そこへ、今度は二匹の魔物が現れた。その二匹は、他の魔物のように化身の術で人間の死体に乗り移っておらず、人型の魔物の姿をしていた。
 一匹は褐色の肌をしており、もう一匹は頭に二本の角が生えていて、下顎から大きく鋭い牙が突き出ていて、黄土色の肌をしており、二匹とも黒い衣を身に纏っていた。
「まさか本当にエンマがここへ来るとは。邪蛇様の言っていた通りだな。」
 黄土色の魔物が言った。
「エンマ!こいつ…角のある方は、結構強いわ!気を付けて!」
 そう言って蓮花は、まず先に褐色の魔物の方を狙っていった。心眼で妖気を見て、二匹の強さを瞬時に判断したのだ。
 エンマは刀を構えて、こちらを見ている黄土色の魔物を睨み付けながら、出方を窺った。
 心眼などなくても、エンマには相手の妖気の強さを感じ取ることが出来、エンマの額に汗が浮かんできた。
 それでも、一太刀でも浴びせてやりたくて、エンマは刀に霊気を込めた。
「やる気か?」
 明らかに馬鹿にしたように、黄土色の魔物はエンマを見て嘲笑った。
「うらあっ!」
 一気に血が昇り、エンマは相手の挑発に乗ってしまった。
 いきなり相手の懐に飛び込んでいって、そのまま魔物の太い腕にいとも簡単に捕らえられ、泥の中に投げ飛ばされた。
「くそ…!」
 口の中にまで泥が入って、エンマは泥をぺっと吐き出した。最早エンマの体は、頭から足先まですっかり泥だらけになっていた。
「エンマ!」
 褐色の魔物を倒して、蓮花が素早く戻って来た。
「エンマには無理よ!」
 蓮花は、両の拳と両足に霊力を纏わせており、手足が青白く光っていた。
「ハアッ!」
 蓮花は大声を張り上げて深く息を吐くと、黄土色の魔物に向かって瞬足で移動し、拳を突き出した。
 が、魔物の方も素早くかわし、高く跳躍して宙に浮かび上がると、上から火の玉を幾つも吐き出してきた。火の玉の群れは、蓮花を取り囲むようにして襲い掛かってきた。
 それを、蓮花は飛天術で飛び上がってかわし、そのまま瞬足を使い魔物に突っ込んでいったが、またも素早い動きで逃げられた。
 魔物は、蓮花の攻撃法を見抜いていて、蓮花から距離をとっていた。
 そして火の玉はまだ燃え盛っていて、蓮花を狙って追ってきた。
「くっ…!」
 蓮花は火の玉に向けて霊力を放出し、火の玉を消した。だがそうして消している間に、他の火の玉に囲まれて、一斉に攻撃を受けた。
「ああっ!」
「蓮花!」
 火達磨になった蓮花を見て、思わずエンマは立ち上がって叫んだ。
 しかし蓮花は全身から一気に霊力を放出し、火を振り払った。火は、蓮花の霊力によって浄化されて消え去った。
「はあ…はあ…。」
 蓮花は肩を激しく上下させて呼吸していた。今ので、蓮花は霊力を相当に消費したようだった。
「てめえっ!」
 エンマはいてもたってもいられなくなって、黄土色の魔物に向かっていった。
 しかし泥のせいで思うように進めずもたついている所へ、魔物が下に降りてきて、エンマを捕らえようと手を伸ばしてきた。
「ガルルル…!」
 そこへ、鈴蘭が駆けつけてきて、背後から黄土色の魔物の足に鋭い牙で噛み付いた。その牙は、霊気で青白く光っていた。魔物は噛み付かれて、身動きが取れなくなった。
 すぱっと、魔物の体が青い光とともに真っ二つになったかと思うと、星屑となって散っていった。駆けつけて来た蘭丸が、魔物を斬り裂いたのだ。
「大丈夫か。もうこっちは終わったよ。」
 まだまだ余裕、と言わんばかりの表情で、蘭丸は言った。
「あんなに魔物がいたのに、ほとんど雑魚だったな。」
「でも、何かおかしいわ…。」
 蓮花は不安を感じていた。
 伝視で警戒しつつ、しばらく進んで行くと、エンマは泥の中に、何やら赤いものが蠢いているのを見つけて、傍へ近寄って行った。その赤いものは、血のように赤く、ぬめぬめと光っていて、何か大きな生き物の卵のような形をしていた。
「なんだ、こりゃあ…。」
 試しに蹴ってみると、硬そうに見えた殻が割れて、中からどろどろとした赤黒い液体が流れ出して、エンマの足にべっとりと纏わりついた。
「うあっ、汚ねえ!」
 思わず飛び退いて、再び卵を見ると、割れた卵の中から、何かが這い出てきた。
「ゲウ…ゲウウッ。」
 奇怪な鳴き声を発しながら出てきたのは、魔物の幼生だった。緑色の目を不気味に光らせて、大きく裂けた口の中には尖った牙が生え揃い、黒い体は卵を満たしていた粘液にまみれて濡れ光っていた。
「魔物の赤ん坊か!」
 エンマは刀を抜き、魔物の体を斬り裂いた。それでも魔物は消滅せず、二つに斬り裂かれてもなお、生きていた。
「げっ!」
 エンマは周りを見渡して、あまりにも醜怪な光景に、吐きそうな気分になった。
 見れば、卵はそれ一つだけではなかった。泥の中に、幾つも幾つも卵が産み付けられていて、あちらこちらで、毒々しい、どす黒い血のような色をした卵が、ぬめぬめと光って(うごめ)いていた。辺りには、鼻を突き刺すような、異様な臭気が漂っていた。
 今、その中の一つの卵から、また一匹魔物が生まれ出ようとする所だった。殻を鋭い爪で自ら破って出てきた魔物の幼生。
「ギャギャア。」
 不快な鳴き声を上げて、緑の目ばかりぎょろぎょろと光った、気味の悪い顔をエンマの方へ向けて、魔物は短い鼻を蠢かしていた。胴体と言えるような部分はほとんどなく、頭の下にすぐ手足が生えているように見えた。
「気持ち悪りい奴だ!」
 のろのろとエンマの方へ近付いて来た魔物を、エンマは刀で斬ったが、やはりそれだけでは死なず、平気で動き続けていた。
 それを、蓮花が素早く蹴って粉砕した。
「魔物の卵ね。奴らが卵を産んで、そうやってこの里に魔物を増やしてるんだわ。」
「魔物って、卵から生まれんのか…?」
「下級の魔物はそうみたい。人型に近い魔物は、人と同じようにして生まれるらしいから、数が少ないの。下級の魔物ほど、獣や虫のように生まれるから、数が多いってわけ。」
「そうか…。」
 エンマは、自分が卵から生まれる所を想像したが、そうではないと分かりほっとしていた。
「向こうにも、その向こうにも、卵があるぞ。」
 汚いものを見るような目で、蘭丸が言った。
「全て消し去りましょう。でないと、魔物が増えて大変なことになるわ。」
「それに、卵を産んでいる魔物がいるはずだ。そいつを倒さないとな。」
「あたしの言霊は、さすがに卵には届かないよ。せめて生まれてくれなければね。」
 楓は、小刀を取り出して、霊力を纏わせて卵に突き刺した。すると卵は一瞬にして灰と化して消えた。
「フン。こんなにいっぱい、壊しがいがあるじゃないか。アハハッ!」
 椿は楽しそうに笑いながら、泥の中の卵を次々と霊剣で突き刺して、滅していった。
 蓮花は楓と同じように、小刀に霊力を纏わせて卵を消滅させていった。
 蘭丸は嫌そうに顔をしかめながら、霊剣で卵を消していった。
 こうして全ての卵を消し去りながら、伝視術で辺りを窺っていた蓮花は、遠くの方に、何か蠢いている大きな影を発見した。
「何かいるわ!」
 その影に近付いていくと、今までに見たこともない、おぞましい姿の化け物が、泥の中を這いずり回っていた。
 それは芋虫のような形をした醜い怪物だった。肌色の体には、血管のようなものが脈打っていて、どちらが頭なのか区別がつかない断面部分には、様々な人の顔が、幾つも幾つも浮き出していた。
 太い管のようなものが幾つか、体から飛び出すようにして突き出ていて、その一つから、何かが出てくる所だった。
 管が収縮し、そこから赤い粘液と共に出てきたのは、先程見た魔物の卵だった。この怪物が、魔物の卵を産んでいたのだ。
 さらに、上の方から飛び出している管が蠢き、縮んだかと思うと、管が伸び縮みしながら、卵を押し出すようにして、泥の中にぼたりと赤黒い卵を産み落とした。ぐちゃり、と音を立てて、卵が泥の中に沈み、そこら中に赤いねばねばとした粘液が飛び散った。
「こんなの、初めて見るわ…。」
 蓮花は嫌悪を露わにして言った。
「こいつが、魔物の卵を産んでいたのか…。」
 激しい臭気に、蘭丸は顔をしかめ、鼻を覆っていた。
「俺がやってやる!」
 エンマは、おぞましい魔物に向かって、刀を振るって斬りつけた。すると魔物の体の表面がぱっくりと裂けて、中からどろどろと夥しい体液が流れ出てきたが、すぐに傷口が塞がっていき、また斬っても同じように塞がるばかりだった。
 魔物から流れ出た体液が、泥の中で一本だけ生え残っていた草にかかって、みるみるうちに、草を枯らしていった。
「こいつの体液は、毒よ。この毒で、里を枯らしていったんだわ。」
 それを見て蓮花が言った。
「くそっ!」
 なおも斬りかかろうとしたエンマを、蘭丸が前に出て制止した。
「お前は心眼を使えないだろう。それではいくらやっても無駄だ。ここは、俺に任せろ。」
 蘭丸は、刀を振り下ろして魔物を一刀両断した。
 斬られた魔物は、綺麗に真っ二つに分かれたが、消滅しなかった。もっと悪いことに、二つに分かれた魔物の体は、それぞれ独立して再生し、一匹が二匹になってしまった。しかも、二匹とも大きく膨らんで、一匹だったときと同じ大きさに戻った。
「なんて奴だ…!」
 蘭丸は呆れたように言った。
「だめよ、蘭丸。こいつの魂は一つじゃないわ。たくさんありすぎて、どれが急所なのかも分からないわ。見定めきれない…。」
 蓮花は、心眼で魔物を見ながら言った。
「じゃあ、どうすれば…。」
「フフン。やっと、あいつの出番が来たようだね。」
 椿は、指笛を吹き鳴らした。
 するとどこからともなく、カラスの大群がやって来た。
 黒いカラスの群れの先頭を、一羽だけ、胸の所が白いカラスが飛んでいた。
黒天(こくてん)だよ。僕のしもべのカラスさ。」
 胸元の白いカラスの黒天は、椿の頭上を旋回し、カアカアと鳴いた。
「黒天。あいつ、あのきもい化け物を食い殺せ。」
 椿が命じると、黒天は高く鳴いて、仲間のカラスたちを引き連れて、一斉に魔物に襲い掛かっていった。
 カラスたちは、その鋭いくちばしで、魔物の体をついばみ、その肉を食い荒らし食い千切り、全て食べ尽くしていった。
 あっという間に、魔物の肉はカラスたちの腹の中に収まり、魔物は跡形もなくなった。
「…あんなもの食って、平気なのかよ。」
「大丈夫さ。むしろいい栄養になるんだ。妖気を取り込んで、霊気に変えるんだよ。」
 椿はエンマを見て、笑って答えた。
「おのれ、卵塊蟲(ランカイチュウ)を…。」
 いつの間に現れたのか、エンマたちの目の前に、顔色の悪い老人のような者が立っていた。
「て、てめえは…!」
 エンマは、その姿を覚えていた。皺だらけの青白い肌で、醜い姿をした老獪(ろうかい)
 根の国で出会った、雷鬼の手下の魔物。エンマは、邪蛇(ジャジャ)をそのように認識していた。
「そういえば、エンマ。お前には、まだ私の名を名乗っていなかったな。私の名は、邪蛇。雷鬼様に仕えている者だ。」
「うるせえ!てめえの名前なんかどうでもいい!俺の里を、こんなにしやがって!」
 エンマは、怒りに任せて、邪蛇に向かって刀を振り下ろしたが、何の手ごたえもなかった。
「お前では、この私を倒すことなど出来ん。」
 陰湿な笑みを口元に浮かべて、邪蛇は言った。
「私たちなら倒せるかもしれないわ。」
 エンマの前へ進み出て、蓮花が言った。
「おや…。お前の霊気…前にもどこかで…。」
 邪蛇は、蓮花を見て細い目を見開いた。
「そうか。あいつらの娘か。この霊気…覚えているぞ。強力な霊気だ。」
「あいつら…?」
 蓮花の心を、嫌なものが掠めた。
「そう。私が、お前の両親を殺して、その霊気を奪ったのだ。」
「…あんたが!あんたが私のお父さんとお母さんを…!?」
 蓮花の心が大きく動揺した。
「なんだって!?」
 蘭丸も、驚いたように叫んで、邪蛇を睨み付けた。
「私は、強い霊気が欲しい。それを自分のものとして、妖気に変え、己の妖力を高めるために。お前の両親の霊気は、実に素晴らしかった。私の力となって、今も私の中で生きている。さあ、お前の霊気も取り込んでやろう。親子共々、私の力となってもらおうか。」
 邪蛇の額の傷がぱっくりと割れて、そこから第三の目がぎょろりと現れた。
 三つの目が大きく見開かれ、蓮花を狙って、第三の目から怪しい緑色の光線が放たれた。
「ああっ!」
 蓮花は、光線に胸を貫かれて、その場に倒れた。
「蓮花ッ!」
 蘭丸は蓮花に駆け寄り、その身を起こした。傷はなかったが、蓮花は意識を失っていた。
「蘭丸。こんなときに、蓮花、蓮花、は止めてくれよ。冷静にこいつを見るんだ。僕たちに、こいつは倒せないね。」
 椿は邪蛇を観察しながら言った。
「逃げるしかなさそうだよ。」
「逃げるだって?椿、俺はこいつを許せない!蓮花の親を殺したこいつを!蓮花がどんなに苦しんできたか、俺は分かってるから!絶対に許せないッ!」
 蘭丸は最早冷静さを失い、目の前の憎い仇に心を囚われていた。
「ふふふ…。人間とは、実に単純で、脆いものだな。」
 邪蛇は、白目のない真っ黒な目を見開いて、低く笑った。
「バカにしやがって!!」
 エンマが叫んだ。
「俺たちを何だと思ってんだ!てめえのために、蓮花の親が殺されたり、地獄里がこんな目に合ったりしたっつーのか!ふざけんじゃねえっ!雷鬼もてめえも、俺がぶっ殺してやる!!」
 エンマの体から、凄まじい霊気と、妖気とが、湧き上がっていた。
 仲間を思う心と、憎しみとが混ざり合って、エンマの中に新たな力が生まれていた。
 青い霊気と赤い妖気。それらが一つになり、何者をも超えた気を発していた。
「おお…。」
 邪蛇はエンマを見て、魅入られたように、思わず声を上げていた。
 紫の光が、エンマの体から発せられ、辺り一面が眩く光り輝いていたのだ。
 エンマは、緑色の目を強く煌めかせ、真っ赤な髪は、炎のように燃え盛って見えた。そしてその背後から、大きな影が浮かび上がっていた。
 その影は、エンマ自身の姿だった。それが何倍にも大きくなって、光り輝く紫色の影となって見えているのだ。
 皆圧倒されて、その神々しい姿を、声もなく見ているばかりだった。
 ――地獄里に、今、神が誕生した。
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