第15章「神力」

文字数 6,884文字

「素晴らしい…!これはまさしく、神だ!」
 邪蛇はそう叫び、満面の笑みを湛えて、エンマに近付いていった。
 エンマは、近付いて来た邪蛇に向かって、刀を一振りした。
 その一振りは、物凄い威力で邪蛇をなぎ払った。
 邪蛇の体は強風に煽られたようになって吹き飛び、泥の中に突き落とされた。
 エンマは、そこから一歩も動いていなかった。ただ手を動かしただけだった。
 紫の眩い光の中で、エンマの表情ははっきりと見えない。エンマの背後から浮かび上がっている大きな影は、ただ無表情に、地上を見下ろしていた。
「欲しい…。この力…。」
 泥の中から顔を上げて、邪蛇は血まみれになった顔で笑っていた。
「人も魔物も超える…この力…。神の力だ…。」
 風が止んでいた。音も止まっていた。時間も止まっているようだった。
 見えない力が働いている。
 大気はぴんと張り詰めていて、万物が何か大きな力に支配されているという感覚だけがあった。
 蘭丸も椿も楓も、誰もその場から動けず、ただ上空のエンマの影を見上げていた。
 もう夜なのに、空は明るく、雲一つなく光が差していた。
 その光の中に、巨大なエンマの影が浮かび上がって輝いている。
 エンマの手が動いた。
 エンマの刀が一瞬閃いて、邪蛇の体が縦に真っ二つに斬り裂かれた。
 邪蛇の三つの目玉が転がった。それらは、目玉というよりも、ただの真っ黒い玉のようだった。目玉は泥の中に吸い込まれていった。
 さらに邪蛇の体は引き裂かれ、肉片となって散らばり、やがて灰となっていった。
 しかし、邪蛇が消えて終わりではなかった。
 空が妖しく輝き出し、青と赤の光が入り乱れ、雲が起こり、雷が生じた。
 そして激しい嵐が吹き荒び、雷雨が地獄里を襲った。
 最早紫の光はどこにもなく、赤い炎を纏ったエンマが妖気に狂い暴れているばかりだった。
「エンマ!」
 意識を取り戻した蓮花が叫んだ。
 その声にはっとして、我に返った蘭丸は、エンマを止めようとして、近付いて行った。
 だがエンマには、誰の声も聞こえていなかった。走り寄って来た蘭丸に斬りかかり、蘭丸は避けきれずに腕を斬りつけられた。
「ぐあっ!」
 腕を押さえて、蘭丸はその場に倒れた。
「ウウウウ…。」
 エンマは低く唸りながら、緑色の目をぎらつかせて、蘭丸に襲い掛かろうとした。
「やめな!お前の仲間なんだろう!」
 突然、エンマの前に女が現れた。
 白銀の髪に、青い薔薇の花飾りを挿した、豊満にして妖艶な美女。夜鬼だった。
 夜鬼は、エンマの腹を殴って気絶させた。
「こいつはあたしが預かっていくよ。このままじゃあ、あんたたちを殺しかねないからねえ。」
「あ、あなたは誰なの!?」
 蓮花が訝しげに聞いた。
「あたしは黄泉の国の夜鬼ってのさ。心配するな。こいつを取って食おうなんて思ってないよ。ただ、ちょいとこいつには試練を与えないとだめなようだからね。あたしがびしばし鍛えてから、あんたたちのもとに帰してやるさ。」
 夜鬼は、エンマを抱えたまま、霧となって消えていった。
「ち、ちょっと!」
 蓮花は追いかけようとしたが、もうどこにも夜鬼の姿はなかった。
「どういうこと?なんなの、あの女は…。」
「ま、それはともかく、僕たちは命拾いしたんだよ。確かにあのままじゃあ、ヤバかったからね。」
「でも、エンマが連れ去られたのよ!」
「それは後で考えよう。とりあえず、蘭丸を治すのが先だろう。」
 楓が、蘭丸の傷を再生術で癒していた。
「思っていたより傷が深いな。里に戻ったら、あたしの医院で治してやるよ。」
「エンマ…。」
 蘭丸は悲しげに呟いていた。

 黄泉の国。
 死と生の中間にある国だ。
 夜鬼はここに住んでいる。
 夜鬼は吸血族の頂点に立つ者であり、また黄泉の国の王でもあった。
 死と生の中間に住まう者の王として、夜鬼は、寿命を持たず、その若々しい体は何度も再生して生き続けることが出来るのだった。
 夜鬼の住む宮殿に着いた。
 宮殿は、あまり大きくも小さくもなく、円形の白い屋根と白い柱の美しい宮殿だった。
「起きな!」
 夜鬼がいくらエンマの顔を叩いても、エンマは目覚めなかった。
「…無理もないか。神力を使っちまったんだからね。この餓鬼は…。」
 中庭まで来ると、夜鬼はそこへエンマを置き去りにして、どこかへ行ってしまった。

 水の音がして、目が覚めた。
 体中が疲労困憊(こんぱい)したように重苦しかった。
 エンマはむくりと身を起こして、辺りを見回した。
 見たこともない立派な建物だった。
 建物の中に広がっている庭の中に、噴水があって、綺麗な水を湛えていた。
 それを見つけると、エンマは噴水まで這っていって、縁に手をかけると、水に口をつけてがぶがぶと飲み、乾ききっていた喉を潤した。
 何故こんな所にいるのか、何も思い出せなかった。
 覚えているのは、邪蛇という魔物に啖呵を切った所までだった。
「ようやく起きたかい。」
 振り返ると、以前出会った覚えのある、夜鬼が立っていた。
「てめえは…ヨキ、だったな。」
「へえ、よく覚えてたねえ。嬉しいよ。あたしはお前の保護者みたいなもんだからね。忘れられちゃ困るのさ。」
「保護者?」
「そうさ。あの後も、こっそりお前の様子を遠くから見ていたんだよ。そして、今だってお前のピンチをあたしが救ってやったってわけなのさ。」
「…俺はなんでこんな所にいるんだ?あいつらは…。」
「またお前がおかしくなっちまったんだよ。妖力が暴走してね。それでお前は、仲間を殺す所だったのさ。」
「なにっ!」
「大丈夫。蘭丸の怪我は大したことはないよ。蓮花も、皆無事さ。」
「…そうか。…っつーか、なんで蘭丸や、蓮花のことまで知ってんだ?」
「そりゃあ、お前を見守ってたからね。だいたいの仲間のことは把握してるよ。」
「ちっ、人のことを知らねえうちにどっかから見てたってのか…。」
「随分とぬるい毎日を過ごしてたみたいだね。まあ、それはそれで霊力の足しになったようだからいいんだけどさ。でも、ここではそうはいかないよ。あたしはお前を鍛えるためにここに連れて来たんだからね。」
「ああ、前に言ってた、妖術のことか。それを教えてくれんのか?」
「その前に、お前はまだ霊術も身に付けていないじゃないか。それなのに、先に霊力を出せるようになるなんて無茶苦茶だよ。…まあいい。それより、お前はすぐに妖力で暴走しちまう。こいつを何とかしないことには、おそらく霊術もまともに扱えないだろうと思ってね。先に、妖力を抑える修行をしてもらうよ。」
「妖力を抑える?」
「そう。お前は性格的に、すぐに熱くなるだろう。性格はどうしようもないが、力を使うときにはそれが災いして、すぐに暴走してしまう。だから、妖力を意図的に抑える方法を身に付けることで、暴走しないようにする術を覚えるんだ。」
「どうやって?」
「焦るな。それより、お前、泥だらけで臭いな。あたしの宮殿を汚しちゃ困るよ。とりあえず風呂に入ってきな。着物も適当に出しておくから。それが済んだらなんか食わしてやって、それから修行に入る。…ま、どうせまた汚れるんだけどな。」
 エンマは泥だらけの体を洗って、夜鬼の用意した清潔な黒い着物を着ると、心身が清められたようになって、疲れも少し楽になった気がした。
 そして夜鬼に連れられて、広い部屋に入ると、テーブルの上に、様々な御馳走が用意されていた。獣肉や魚や穀物や果物やら。食べきれないほどたくさんあった。
「ここいらじゃあ、ろくな食べ物がなくてね。お前のためにわざわざ人間の所まで行って、獲ってきてやったんだよ。明日からは、こんなうまい飯は食えないから、今のうちに食っとけ。」
 夜鬼が言うまでもなく、エンマはがつがつとすごい勢いで食べまくっていた。
「ふふふ…。お前を見ていると、昔の雷鬼を思い出して、つい懐かしくなってねえ…。」
 夜鬼は、エンマをじっと見ながら、微笑んで言った。
「雷鬼!?ふざけんな!」
 エンマは食べ続けながら、夜鬼を睨んだ。
「あいつにも、かわいいときがあったのさ。今はあんなだけどねえ。だからかな、あたしにはお前がかわいくて仕方がないんだよ。」
「はあ?気持ち悪りいこと言うな。」
「かわいいからこそ、試練を与えるんだよ。それが親心ってもんさ。」
「てめえは俺の親じゃねえ。」
「…お前は、じじい、じじいって呪いみたいにそればっかりだけどねえ、お前は花霞の里で、何をもらってきたか分かってんのか。…全くお前は、修行のことばっかりでさ。あの可愛い蓮花の気持ちにも全く気付きもしないで。かわいそうに。」
「なんのことだ?」
「お前は鈍いってことさ。まあ、餓鬼だから仕方ないな。」
「バカにすんな!」
「アハハハ。ほんとに、かわいいねえ。」
 夜鬼は、色気を湛えた琥珀色の瞳でエンマを眺めながら、楽しそうに笑っていた。

 花霞の里に戻った蓮花たちは、意気消沈していた。
「全く、だからあれほど言ったのだ。エンマを連れて行くなと。」
 事の次第を芭蕉に報告すると、芭蕉は渋い顔をした。
「黄泉の国か。そこにエンマがいるとすれば、根の国よりはましだろう。ただ、黄泉の国のことは、わしにもよく分からんのだ。どうやってそこへ行けばいいのかも見当がつかん。」
「そんな…!じゃあ、エンマはどうなるんですか?」
 蓮花が沈痛な面持ちで言った。
「その女を信じて待つ以外に他に方法はないとしか、今は言えん。勿論、どうにかエンマを探す手立ては考えるがな。」
 蓮花は下を向いた。
「とにかく、お前も疲れただろう。ゆっくり休みなさい。地獄里の魔物退治に関しては、本当にご苦労だった。礼を言うぞ。」

 蓮花はエンマを連れ去られて、心に穴がぽっかりと開いたようになっていた。
 そしてそれは蘭丸も、フータも同じだった。
 楓の医院に連れて来られ、怪我の治療を受けた蘭丸は、蓮花と共に家へ戻って行った。
「俺はエンマを止められなかった…。」
 蘭丸は、自分を責めるように言っていた。
「蘭丸のせいじゃないわ。」
 それっきり二人は何も言わず黙り込んで歩いていた。
「なんで兄貴は帰って来ないんだよう!」
 蘭丸たちが帰ってくると、フータが一目散に走って来て聞いた。
「ごめんね…。私たちのせいでエンマは…。」
 それしか、蓮花には言えなかった。
「うわああーーーん!」
 フータは大声で泣き出した。
「大丈夫よ、フータ。じきに戻って来るわ。」
 みぞれはそう言ってフータを慰めたが、しばらくは泣き止みそうになかった。
 それを、氷助が太い腕を組んで見守っていた。
 フータの泣き声を聞いていると、自然と他の者まで涙が出そうになるのだった。

 その頃、エンマは夜鬼に連れられて、宮殿の地下に向かい、階段を下りている所だった。
 やけに長い螺旋(らせん)状の階段で、暗がりの中、階段の他には何もなかった。
「夜鬼。俺は昨日おかしくなったことを全然覚えてねえ。一体、何があったのか教えろ。」
 階段を下りながら、前を歩く夜鬼に向かって、エンマが言った。
「お前は神になっていたのさ。」
「は?」
「あたしがお前にこだわる理由。それは雷鬼とアヤメの血を継いでいるからなのさ。そして、それがうまく合わさって、あのときお前は神の力を発揮した。霊力と妖力。それが一つになって、神力になったってわけさ。」
「しんりょく…?」
「だがその力はあまりにも強大すぎて、今のお前の手には負えなかった。それですぐに妖気に取り込まれちまって、憎しみの塊と化して暴れたんだ。それを止めようとした蘭丸を殺そうとまでしてね。」
「蘭丸…。」
 ズキンとエンマの心が痛んだ。
「…そうだ、あの…邪蛇って奴は、どうなったんだ?」
「お前が殺したよ。神力でね。」
「そうか。」
「だがおそらくあいつは生きている。」
「なに!?」
「邪蛇はあれで死ぬような奴じゃないよ。おそらくあれは替え玉かなんか使ってたと思うよ。あいつはずる賢いからねえ。」
「あいつは、蓮花の親を殺したんだ。霊気を取り込むため、とか言ってな。」
「強い霊気は強い妖気にもなり得る。霊気と妖気はもともと一つだったからね。邪蛇はそうやって強い霊気の持ち主を殺して、妖力を蓄えてきたのさ。」
「絶対にあいつも許せねえ。雷鬼と一緒に殺してやる。」
「またそうやって、憎しみに火をつけるのかい。その餓鬼臭い性格を何とか改められないのかねえ。それじゃいつまでたっても、成長しないよ。」
「餓鬼、餓鬼って、さっきから!バカにすんのもいい加減にしろ!」
「餓鬼に餓鬼と言って何が悪いのさ。」
 夜鬼はにやっと笑って振り返ったかと思うと、次の瞬間には、エンマの背後にいて、足でエンマの背中を思い切り蹴り飛ばした。
「ぐっ…!」
 そのまま、エンマは階段を転がり落ちていった。
 階段の一番下まで転がり落ちて、身を起こすと、そこには大きな鉄の扉があった。
「お前は当分、この中で暮らして、この中で修行するんだよ。」
 いつの間にか、気配もなく夜鬼がエンマの傍に立っていた。
 夜鬼は、重い鉄の扉の鍵を開け、扉に体を当てて押し開けると、ゴゴゴ、と大きな音が響き渡った。
「さあ、入りな。」
 中に入ると、(かび)臭い匂いが充満していて、エンマは鼻をつまんだ。
 内部は真っ暗闇で、中がどうなっているのかよく分からなかったが、やけにじめじめとしていて、生ぬるい空気が漂っていた。
「なんにも見えねえじゃねえか。」
「あたしには見えるよ。暗闇に暮らす者だからね。でもお前がそう言うなら仕方ない。灯りをつけてやろう。」
 夜鬼は、どこからか蝋燭を持ってきて、火をつけた。
 ぱっと蝋燭の周りが明るくなって、少しだけ内部の様子が見えた。
 壁は岩肌のようにごつごつしており、床は硬い土になっていて、どうやら地下を掘って作った部屋のようだった。広さは分からなかったが、まだ奥に何かありそうだった。
「さて、何もヒントがない状態で妖力を抑えろと言っても、どうすりゃいいか分からないだろうね。お前は、自分の中の妖力を感じることが出来るだろう。それは、どんなイメージだ。」
「うーん…。炎だな。赤い炎。」
「じゃあ、その赤い炎を小さくしていって、最後には消す感じだ。多分、雷鬼の所へ行ったときには、その炎はものすごく大きかったはずだ。それは、お前の憎しみが大きく、強かったからだ。今度は、それを抑えなきゃならないから、大きな炎を、徐々に小さくしていって、消すことをイメージするんだ。」
「ああ、よーく分かったぜ。」
「しかしそのためには、まずお前の妖力をある程度引き出してからでないとな。お前が正気を失わない程度に。まあ、お前の場合、妖力を出すのは難しくないだろう。」
「憎しみを強く思えばいいんだろう。」
「そうだな。」
 妖力を出すことは、霊力を出すことよりも簡単に出来た。
 エンマの体が赤い炎に包まれたように見え、緑色の目がらんらんと光り出した。
「ストップ。それ以上は出すな。またおかしくなるぞ。」
 夜鬼が言った。
「くっ…。」
 しかし、霊力を出すときと違い、妖力は容易に、際限なく放出出来そうな感覚だった。霊力を出すときの心の状態は、静かで広大な星空のイメージを持って行っているが、妖力は、それとは全く逆の興奮状態で、感情を高ぶらせるだけで、膨大な力を引き出し放出することが出来るのだった。
 この力を制御するのは、エンマにとって難しいことだった。
「炎を小さくして消していくんだ!」
 夜鬼にそう言われても、既にエンマは制御出来なくなっていた。
「やっぱ、いきなりは無理か。」
 エンマの暴走を見て取ると、夜鬼は、訳も分からなくなって襲い掛かって来たエンマの頭を片手で掴んで、その妖気を吸い取った。
 がくんと、エンマは意識を失って倒れた。
「この餓鬼は…。困ったねえ。」
 口ではそう言いながらも、どこか楽しげに、夜鬼はエンマを見つめて微笑んでいた。
「夜鬼。そいつは何者だ?」
 暗闇の奥から、足音も立てずに出て来た者があった。
「ああ、柘榴(ざくろ)か。こいつがエンマだよ。」
「そいつ、いい匂いがするなあ。すごくうまそうだぜ。」
 柘榴と呼ばれた者は、蝋燭の明かりに照らされて、その醜い姿を現した。
 女の姿をしていたが、顔半分が爛れて崩れていて、片目しか開いておらず、痩せ干からびた白い体に、黒い衣を巻き付けて着ていた。
「あんたにも、協力してもらいたいんだ。こいつの修行にね。」
「修行?」
「そう。こいつは妖気が強すぎるから、それを制御させる技を身に付けさせるのさ。」
「妖気ね。アタイがそれを食えばいいんだろ。」
 柘榴はざらついた唇を半月のように歪めて笑った。
「ずっとマズイのばっか食ってたからな。久々にうまい気が食えそうで嬉しいぜ。ケケケ。」
「あんたはいいだろうよ。気を食うからね。あたしにとっては、こいつの血を吸ったって、まずくて飲めたもんじゃないからね。何しろ、半分は雷鬼なんだから。」
「この気の匂いは、アヤメか。どうりでうまそうだと思ったんだ。」
「とにかくあたしはこいつにヒントを与えたから、もう行くよ。後はあんたに任せるから。」
 そう言い残して、夜鬼は闇に消えた。
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