第四章 生の魔女と火にかけた魔女

文字数 3,078文字

「どういうこと?」

オリヴィアは、メアリーの口から紡ぎ出されたその言葉を、よく分からないといった風の顔で訊き返すことにした。

「だからね、薬をカイトにあげようとしたけど、失敗しちゃったの。だからもう一度新しいのを……」

「ちょっと待って」

オリヴィアがメアリーを連れてきてからいくらかの日数が経過し、ふたりのいささか奇妙な共同生活もすっかり慣れたものとして定着しはじめた頃、しかしオリヴィアは、ずっとこのように居られるわけでないことを予覚していた。彼女の親友であり同じ村の仲間でもあるメアリーは、終局的にはオリヴィアが治療薬を作って村人の皆を治療してくれるものと期待しており、いくらオリヴィアが母を失った経緯に同情していたとしても、その思いは変わらない。
 そこでオリヴィアはメアリーのいちばん大切な男友達であるカイトに薬を分け与えることで、すれ違いを誤魔化し、この平穏な共同が畢るのを遅らせようとした。カイトだけは特別に助けるから、代わりに自分の願いを聞いて欲しいという取引だった。《

「大丈夫。あたしはちゃんとオリヴィアの味方だから。オリヴィアを裏切ったりしないから安心して」
「だって命の恩人だもん。当然でしょ?」


そんな言葉に耳を傾けたい気持ちの裏で、心にわだかまるのはカイトの存在だった。もしメアリーにとって特別な存在であるカイトを助けてしまったら、この生活は一体どうなってしまうだろう? メアリーはどんな態度で自分と接するようになるのだろうか? 自分のことはもう見捨てられてしまい、二人で遠くへ行ってしまうのではないか。そのことを考えるたび、オリヴィアの色は憂鬱に染まった。
 そして今回の事件は起こった。メアリーから薬を渡されたカイトは、それを一人分だと知らされていたにも関わらず、より症状の重い父親を助けるために使ってしまったというのだ。こうしてオリヴィアの計画もメアリーの計画も失敗に帰した。

「どうしてそんなことになるの」

「ごめんなさい。カイトが勝手に……」

「メアリーは、ちゃんと説明した?」

「したよ! 『薬はここにあるこれだけ分しか無い』って……でもあいつバカだから自分に使わずに……おじさんを助けて……ごめんなさいオリヴィア、お願いだから一度薬をつくって――」

しかし、オリヴィアはそれを遮って言った。

「私、約束したでしょう? 薬を作るのはこれきりにするって。もう一度作って、もしまた別の人間に薬が渡ったりしたら、同じことの繰り返しじゃない」

「もう約束は破らないから! お願い、今度はちゃんとカイト自身が使うようにきつく言うから! ね、ね?」

「メアリーの馬鹿。ひとつしか無いって言われて出された薬が、もうひとつあったら、誰だって気がつくでしょう? 全部出せって話になるよね。だから、もう止めましょう」

「そんな! 止めるってどういうこと!?」

そのままふたりは激しい口論へと発展した。オリヴィアは薬を作りたくはなかったし、そもそも最初からメアリーだけが特別に特別だから助けたのだ、ということをどうか解って欲しかった。けれども言い合ってばかりでは伝わらない。ふたりは何ら建設的な会話を交わさず、その日は挨拶を交わすこともなく床に入った。


 喧嘩があってから、仲直りもろくにせぬまま迎えたある朝、メアリーはオリヴィアの前から黙って姿を消した。母が薬の調合を記した羊皮紙がなくなっていて、裏切られたとオリヴィアが気付くまでに、それほど時間は掛からなかった。

「どうして解ってくれないの……そこまでカイトのことが大切?」

むなしく朝日の照る虚空へとオリヴィアは呟いた。メアリーが居なくなった今、いっそのこと小屋を捨て着の儘逃げてゆこうとも考えたが、それでもメアリーが戻ってくるかもしれないという淡い期待から、その場でただ待つことにした。メアリーは自分を裏切ったりしないと約束した――だから無断で飛び出して行くことはあっても、それきり帰ってこないことはないだろう――と。
 やがて夕立が過ぎ、夕闇が訪れた。辺りからもう光が消えようという時刻、戸口に気配があり、それは魔女の娘を捕らえにきた村人の群れでは無かった。しとど濡れた少女がそこに立っていて、オリヴィアは何も言わずに彼女を中へ招じ入れた。「カイトの体調を見に行っていた」と言い訳するメアリーに成果を問うと、滂沱たる紅涙が彼女の頬を伝った。

「もう、長くないって……このあいだまで、元気に話すこともできたのに!」

カイトを一日中看病していたであろうことが、その憔悴から窺い知れた。いくら看病しようと無為で、これを救えるのはただ薬のみと知っているはずなのに、秘薬に頼むことを諦め、ひたすら長い時間を看病に費やした無策の真意はオリヴィアには図りかねた。

「風邪ひくよ」

そう忠告するとメアリーはオリヴィアの優しげな視線をきっと睨み返して、いかにも至当である情動を押し殺して俯いた。その立ち姿は、身体的な寒さからひどく震えていた。

「おねがいオリヴィア……薬の作り方を教えて…カイトを助けてよ! あなただけが頼りなの…」

オリヴィアはできるだけ感情を抑え返答した。

「そうしたいのは山々だけど、薬の作り方が書いてある紙を、失くしちゃったの」

そしてさも困ったような仕草を見せると、メアリーはゆらゆらと服の間から一枚の紙片を取り出し、オリヴィアに託したげな様子を見せた。

「あの、これ……」

それは他ならぬオリヴィアの母親が遺した羊皮紙だった。

「で、どうだった? 誰かこの薬を作れそうだった? 見せたんだよね? 他の誰かに」

メアリーはゆっくりと首を横に振る。その顔には失意が深く刻まれていた。

「誰もこれ読めないって……お願い、オリヴィアだけが頼りなの」

「私だけが頼りなんて嘘、あなたが頼りにしてるのはあの薬でしょ!!」

オリヴィアは物欲しげに纏い付いてくるメアリーを振り払い、そのまま思い切り床へと叩きつけた。そうして倒れ込んだメアリーを、何度も何度も足蹴にする。

「ごめん、ごめんなさい……! 許して、言うこと聞くから、これからは良い子にするから! だから……」

メアリーがそう懇願しても、オリヴィアは許さなかった。もしこの羊皮紙を見せられた大人がそこに横たわる文字列の正しい意味をちゃんと読み取りさえしていれば、正しく薬を煎じてさえいれば、もう自分はメアリーにとって用済みの存在となっていたことが、どうしようもなくオリヴィアには腹立たしかった。

「ねえ、私があなたをどうして助けたと思ってる? こんなことさせるため? ちがう。こんな勝手なことさせるためじゃない! 食糧を取ってきてもらう為でもないし、村の様子をきくためでもないの! あなたの命は私のもの、だから私の言う通りにしてよ!」

「や、やめて、ひぐぅ…!」

足蹴にしているメアリーから、抗議とも悲鳴ともつかない小さな叫び声が洩れた。その意志を蹂躙するかのように、オリヴィアは何度も踵で均す。メアリーは、決して立ち上がり抵抗する様子を見せなかった。静かにオリヴィアの怒りが過ぎ去るのを待っていた。そのときオリヴィアは初めて、なぜ自分がメアリーを助けたのかを理解しつつあった。

(そうだ、私はメアリーを、ただ自分の物にしたかったんだ……)

その理由に一片の慈悲もなくただひたすら利己的であったことが、オリヴィアには空恐ろしかった。
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