第七章 構造と無力
文字数 3,205文字
1
「あの、聖女様。オリヴィアは本当に、何も悪くないんですか……?」
思わず全員が、この人物の発言に注目して視線を向けた。メアリーは言葉を続けた。
「本当に、カイトは助かる方法が無かったの……? だって、もう少しオリヴィアが勇気を出せば、村がこんなことになることは無かったじゃない……あたし、オリヴィアに言ったんです、『みんなを助けて。お願いだから薬を作ってよ』って……それなのに、オリヴィアはいつもあたしのこと無視して、乱暴して、「あなたには私の気持ちがわからない」って……。たしかにオリヴィアも苦しかったと思うの、でも、カイトだってもっと苦しんでた。あたしは、いつかオリヴィアが立ち直って、カイトを助けてくれると信じてた。なのにこんな結末、酷すぎるよ……」
オリヴィアは親友の為したこの真摯な言葉に、ひたすら慙愧に駆られ絶句するばかりだった。聖女はそんなオリヴィアを庇って結論を降した。
「私個人の判断としては、オリヴィアはそこまで悪くないと思いますが、難しいところです。ただ、この騒動の元凶は間違いなく魔女、いえ、この”女呪術師”イリィです。あなたを赦しておくことはできません!」
そのように告げると、ラエリは聖なる力を以て魔女イリィを撃った。イリィはたまらず痛みを訴え、捨て台詞を吐いてその場から遁走した。
「もう、乱暴はお止しになって! ねぇ、病を癒やすすべも知らない聖女様?」
「小癪な!」
ラエリは間髪も入れず、逃げる魔女に続いて小屋の外へと飛び出した。聖女は追った、女呪術師を引き捕らえて教皇庁の拷問部屋へと連れて行くために。逃げる魔女は妖術を以って追っ手に撃った。派手な閃光が辺りへ飛び散った。二種の閃光は真昼の花火のように地面を焦がし、不幸にもそこに立っていた木を穿った。光と闇のいたちごっこは森の中へと戦場をそのまま移しみるみると小屋を離れていった。付き人である少年、メアリー、そしてオリヴィアの3人は、その場に取り残された。
「カイトのお葬式に行ってくるね」
やがてメアリーが、俯くオリヴィアに突き付けるかのようにそう言ってから、そそくさと小屋をあとにした。聖女が見殺しの責任を追求しないのであればと、不服ながらもそれ以上の不満をオリヴィアにぶつけるのは避けたのだ――並ならぬ聖性への忍従を示した行動だった。オリヴィアは、おそらくメアリーはもう二度と自分に対して口も利いてくれないだろうし、今までの仕打ちを赦してもくれないだろうと悟った。それは象徴的な永遠の別れだったが、オリヴィアは手を振ることもできなかった。打ちひしがれて、己の手から何が滑り落ちても、もう取り戻す気力がなかった。
「ねえアレク……もう殺してよ」
聖女の付き人にそんなことを頼んでも、どうにもならないことは明らかで、「それとも自分でした方がいい?」と後で付け加える。みずからその生命を絶ったほうが、確実に母の待つ地獄へと行けるだろうとぼんやり考えてのことだった。
「そんなこと言っちゃだめだよ。きみはお母さんを悲しませてる」
アレクは密やかな、だがしっかりとした声で諭した。
「お母さん? そうよ、だって私が殺したようなものだもの。もし私が病気にかからなかったら、魔女とあんな約束をする必要もなかった。もし私がみんなを助けてなんて頼まなければ、もっと長く生きられた。私が我慢すれば……あんなこと言わなければ……」
「あのね、多分聖女様がいないときにこんなことを言っても、きみは救われないかもしれないけど、でも…オリヴィア、きみのお母さんはね、きみと同じ場所に行きたかったんだよ」
「どういうことよ……」
「お母さんの日記を読んだこと、ごめん、謝る。あまりにも暇だったから、つい。でもお陰で大切なことがわかった。きみのお母さんはあの日、娘に言われて仕方なく村に行ったんじゃない。だから、死にたいなんて言っちゃだめだ……これからきみは幸せになって、天国へ行かなくちゃいけないよ」
「……?」
アレクはオリヴィアの手を固く握りしめ、もう片方の手に母の日記帳を持たせた。文字の読めないオリヴィアに、少年が優しく、ひとつずつなぞってその意味を教えた。
2
聖女さま、聞こえますか?
この地のどこかにおられる聖女さま、わたしの悩みを聞いていただけますか?
私は実の娘の命を助けるために、ひとりの魔女の手を借りてしまいました。娘の命が助かったことに、後悔はしておりません。私にとってあの子だけが生きがいなのです。あの子が元気になった日のことを思い返すたびに、幸せで胸が張り裂けそうになります。ただ、どうかこの罪をお許しください。私はあの魔女と出会ったことを、それほど不幸だと思ってはおりません。
でも、日が経つたび、私の胸は不安な気持ちでいっぱいになります。魔女と約束してしまった私は、もう天国へ行くために必要な、あの細い階段を閉ざされてしまったのではないでしょうか? それは良いのです。きっと後悔はしません。どんな責め苦も堪えます。……けれどわが娘は、天国へ行けるでしょうか? 魔女の薬で助かったあの子は……。もし、私が余計なことなんてしなければ、天国で永遠に幸せに暮らせたのです、私が魔女に頼んだばかりに、本当に余計なことをして、もしあの子が天国へ行けなくなったら、きっと私は永遠の罰よりも辛い苦しみを感じなければいけないでしょう。
私は魔女に教えてもらった薬のことを秘密にしています。恐ろしいことです。こうして図らずも、沢山のひとを見殺しにするという魔女の愉しみに加担していることになるのですから。魔女というものはほんとうに恐ろしいことを考えます。聖女さま、もしかしたら、私は道を間違えてしまったのかもしれません。あの子の命を助けるのが当然と、そう思っていたのに、そのためにこんなに多くの人々を見殺しにしなければいけないなんて……、きっと魔女と出会ったのがすべての間違いだったのでしょう、あんな夜に、あんな森の奥になど入らなければよかったのです。薬草のことなんて諦めればよかったのです。
ですが聖女さま、私はきっとこの間違いを正します。私は明日、村へ降りて行こうと思っています。魔女が秘密にしたがっていた、あの薬の作り方をみんなに教えます。そうすることで沢山の命が救われて、少しでもこの罪が消えてなくなれば、私も娘も天国へ行けるでしょうか?
聖女さまはどう思われますか? いいえ、聞いても仕方がないことですね。いまの私に出来る最大の善行は、この薬を広めることしかないのですから。その最大をつくして天国へ行けなかったら仕方ありません。けれども聖女さま、もしあなたが私の悩みをきいてくださるなら、どうか娘のために、とりなしの祈りを捧げてやってくださらないでしょうか? 私はもう神に祈る資格さえありません、どうか聖女さま、こんな私の願いをお許しください。全てをお許し下さい。天の階 を、娘のためにお恵みください。
それでは、これから薬を煎じて参ります。どうか私の企てが成功しますように……
(間隙)
ごめんなさいオリヴィア、きっと、明日魔女は私の邪魔をするでしょう。だから、あなたが望むようなお金持ちな暮らしは、できないかもしれないけど……どうか許してね。お母さんはきっと……あなたの側に、来るべき日に……来るべき時に……永遠に、
いつまでも、ずっと一緒に居たいのよ、私の可愛いオリヴィア。こんな日になるまで、決心がつかなかったおろかな私をどうか許してね。あなたの言う通りに、もっとはやく村へ降りていって薬のことをみんなに伝えるべきだったのね。聖女様に、手遅れでないことを祈ります。
……
オリヴィアは絶え間ない嗚咽を抑えることができなかった。
「あの、聖女様。オリヴィアは本当に、何も悪くないんですか……?」
思わず全員が、この人物の発言に注目して視線を向けた。メアリーは言葉を続けた。
「本当に、カイトは助かる方法が無かったの……? だって、もう少しオリヴィアが勇気を出せば、村がこんなことになることは無かったじゃない……あたし、オリヴィアに言ったんです、『みんなを助けて。お願いだから薬を作ってよ』って……それなのに、オリヴィアはいつもあたしのこと無視して、乱暴して、「あなたには私の気持ちがわからない」って……。たしかにオリヴィアも苦しかったと思うの、でも、カイトだってもっと苦しんでた。あたしは、いつかオリヴィアが立ち直って、カイトを助けてくれると信じてた。なのにこんな結末、酷すぎるよ……」
オリヴィアは親友の為したこの真摯な言葉に、ひたすら慙愧に駆られ絶句するばかりだった。聖女はそんなオリヴィアを庇って結論を降した。
「私個人の判断としては、オリヴィアはそこまで悪くないと思いますが、難しいところです。ただ、この騒動の元凶は間違いなく魔女、いえ、この”女呪術師”イリィです。あなたを赦しておくことはできません!」
そのように告げると、ラエリは聖なる力を以て魔女イリィを撃った。イリィはたまらず痛みを訴え、捨て台詞を吐いてその場から遁走した。
「もう、乱暴はお止しになって! ねぇ、病を癒やすすべも知らない聖女様?」
「小癪な!」
ラエリは間髪も入れず、逃げる魔女に続いて小屋の外へと飛び出した。聖女は追った、女呪術師を引き捕らえて教皇庁の拷問部屋へと連れて行くために。逃げる魔女は妖術を以って追っ手に撃った。派手な閃光が辺りへ飛び散った。二種の閃光は真昼の花火のように地面を焦がし、不幸にもそこに立っていた木を穿った。光と闇のいたちごっこは森の中へと戦場をそのまま移しみるみると小屋を離れていった。付き人である少年、メアリー、そしてオリヴィアの3人は、その場に取り残された。
「カイトのお葬式に行ってくるね」
やがてメアリーが、俯くオリヴィアに突き付けるかのようにそう言ってから、そそくさと小屋をあとにした。聖女が見殺しの責任を追求しないのであればと、不服ながらもそれ以上の不満をオリヴィアにぶつけるのは避けたのだ――並ならぬ聖性への忍従を示した行動だった。オリヴィアは、おそらくメアリーはもう二度と自分に対して口も利いてくれないだろうし、今までの仕打ちを赦してもくれないだろうと悟った。それは象徴的な永遠の別れだったが、オリヴィアは手を振ることもできなかった。打ちひしがれて、己の手から何が滑り落ちても、もう取り戻す気力がなかった。
「ねえアレク……もう殺してよ」
聖女の付き人にそんなことを頼んでも、どうにもならないことは明らかで、「それとも自分でした方がいい?」と後で付け加える。みずからその生命を絶ったほうが、確実に母の待つ地獄へと行けるだろうとぼんやり考えてのことだった。
「そんなこと言っちゃだめだよ。きみはお母さんを悲しませてる」
アレクは密やかな、だがしっかりとした声で諭した。
「お母さん? そうよ、だって私が殺したようなものだもの。もし私が病気にかからなかったら、魔女とあんな約束をする必要もなかった。もし私がみんなを助けてなんて頼まなければ、もっと長く生きられた。私が我慢すれば……あんなこと言わなければ……」
「あのね、多分聖女様がいないときにこんなことを言っても、きみは救われないかもしれないけど、でも…オリヴィア、きみのお母さんはね、きみと同じ場所に行きたかったんだよ」
「どういうことよ……」
「お母さんの日記を読んだこと、ごめん、謝る。あまりにも暇だったから、つい。でもお陰で大切なことがわかった。きみのお母さんはあの日、娘に言われて仕方なく村に行ったんじゃない。だから、死にたいなんて言っちゃだめだ……これからきみは幸せになって、天国へ行かなくちゃいけないよ」
「……?」
アレクはオリヴィアの手を固く握りしめ、もう片方の手に母の日記帳を持たせた。文字の読めないオリヴィアに、少年が優しく、ひとつずつなぞってその意味を教えた。
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聖女さま、聞こえますか?
この地のどこかにおられる聖女さま、わたしの悩みを聞いていただけますか?
私は実の娘の命を助けるために、ひとりの魔女の手を借りてしまいました。娘の命が助かったことに、後悔はしておりません。私にとってあの子だけが生きがいなのです。あの子が元気になった日のことを思い返すたびに、幸せで胸が張り裂けそうになります。ただ、どうかこの罪をお許しください。私はあの魔女と出会ったことを、それほど不幸だと思ってはおりません。
でも、日が経つたび、私の胸は不安な気持ちでいっぱいになります。魔女と約束してしまった私は、もう天国へ行くために必要な、あの細い階段を閉ざされてしまったのではないでしょうか? それは良いのです。きっと後悔はしません。どんな責め苦も堪えます。……けれどわが娘は、天国へ行けるでしょうか? 魔女の薬で助かったあの子は……。もし、私が余計なことなんてしなければ、天国で永遠に幸せに暮らせたのです、私が魔女に頼んだばかりに、本当に余計なことをして、もしあの子が天国へ行けなくなったら、きっと私は永遠の罰よりも辛い苦しみを感じなければいけないでしょう。
私は魔女に教えてもらった薬のことを秘密にしています。恐ろしいことです。こうして図らずも、沢山のひとを見殺しにするという魔女の愉しみに加担していることになるのですから。魔女というものはほんとうに恐ろしいことを考えます。聖女さま、もしかしたら、私は道を間違えてしまったのかもしれません。あの子の命を助けるのが当然と、そう思っていたのに、そのためにこんなに多くの人々を見殺しにしなければいけないなんて……、きっと魔女と出会ったのがすべての間違いだったのでしょう、あんな夜に、あんな森の奥になど入らなければよかったのです。薬草のことなんて諦めればよかったのです。
ですが聖女さま、私はきっとこの間違いを正します。私は明日、村へ降りて行こうと思っています。魔女が秘密にしたがっていた、あの薬の作り方をみんなに教えます。そうすることで沢山の命が救われて、少しでもこの罪が消えてなくなれば、私も娘も天国へ行けるでしょうか?
聖女さまはどう思われますか? いいえ、聞いても仕方がないことですね。いまの私に出来る最大の善行は、この薬を広めることしかないのですから。その最大をつくして天国へ行けなかったら仕方ありません。けれども聖女さま、もしあなたが私の悩みをきいてくださるなら、どうか娘のために、とりなしの祈りを捧げてやってくださらないでしょうか? 私はもう神に祈る資格さえありません、どうか聖女さま、こんな私の願いをお許しください。全てをお許し下さい。天の
それでは、これから薬を煎じて参ります。どうか私の企てが成功しますように……
(間隙)
ごめんなさいオリヴィア、きっと、明日魔女は私の邪魔をするでしょう。だから、あなたが望むようなお金持ちな暮らしは、できないかもしれないけど……どうか許してね。お母さんはきっと……あなたの側に、来るべき日に……来るべき時に……永遠に、
いつまでも、ずっと一緒に居たいのよ、私の可愛いオリヴィア。こんな日になるまで、決心がつかなかったおろかな私をどうか許してね。あなたの言う通りに、もっとはやく村へ降りていって薬のことをみんなに伝えるべきだったのね。聖女様に、手遅れでないことを祈ります。
……
オリヴィアは絶え間ない嗚咽を抑えることができなかった。