第8話 雨谷飾の回想

文字数 3,971文字

 私が再び目覚めたのは、2週間ほど前の夜だった。
 急に誰かに声をかけられたかのように、妙にはっきりと目が覚めた。
 目覚めた後も真っ暗だったけど、きしむ首を左右に動かし周囲を探ると、私が眠った秘密の部屋だと気が付いた。私の上も含めて、ほこりが高くつもっていて、長い時間が経過したように思えた。

 お父さまの遺体っ

 急に私は思い出す。慌てて部屋の外に出て、とても驚いた。
 屋敷内はきれいに磨き上げられ、塵一つおちていなかった。床や壁は記憶と同じ木の板が張られていたが、その色は記憶より黒々と艶があり、手入れの良さが感じられた。
 まるで初めて見る屋敷にも思えたが、窓の桟は私の記憶と同じもので、窓からは最後に見たのと同じ、月の光が優しく差し込んでいた。

 私とお父さまが使っていた家具はほとんど片付けられ、お父さまの遺体もなかった。
 混乱してそろそろと見回していると、屋敷の玄関には受付のようなものが設置されており、お父さまの大きな肖像が掲げられていた。

『紅林治一郎 安政3年~明治40年没 擬洋風建築最後の大家として知られる』

 肖像画の下のみたこともないような白いつるつるした板に、そのように記載されていた。
 もう一度、窓から外を見た。庭の様子はだいたい同じようにも見えたが、記憶とは木々の位置や大きさが随分違っていた。
 私はそっと屋敷を抜け出す。蛍の光を強くしたような、どこか冷たい白い外灯が庭の周りを点々と囲んでいるのを見ながら散策する。よく知っているのに全く知らない、そんな不思議な光景だった。おそるおそる垣根の向こうをぞくと、私が知っているのとは全く違う乗り物が走っていて驚いた。
 なんだか、私だけが、違う世界にタイムスリップでもしたような、少し怖いけどワクワクする、不思議な感覚だった。

 その後、私は秘密の部屋から屋敷の様子を観察し続けた。日中は何人もの人が屋敷の中を歩き回っていた。どうやら屋敷はお父さまの博物館のように使われているらしい。
 私は『誰にも足を踏み入れて欲しくない』というお父さまの願いをかなえることができなかったんだと理解し、何故お父さまが亡くなったその日に火をつけなかったんだろうと深く後悔した。
 けれども一方、お父さまが世間に評価されているということは誇らしくも思えた。そして、かつては私とお父さまの2人っきりの寂しい屋敷だったのに、窓も何もかも開放されて明るい光が差し込んでいて、お父さまを知らない人が歩き回りお父さまの事業と屋敷をほめそやしている風景は、とても不思議に、そして暖かく思えた。

 どうやら、私が眠りについてから、もう100年以上たっているようだ。私は愕然として、これからどうしたらいいのか考えた。
 お父さまはもういない。さすがに100年以上前のことだ。朽ちたにしろ埋葬されてたにしろ、残っていても骨くらいだろう。今さら屋敷だけ燃やしても、ひよりと一緒に朽ちるというお父さまの望みはかなわないように思えた。

 お父さまの望みに応えられないのはとても申し訳ないけれど、今更この屋敷を燃やしても意味がないように思う。私も思い出の残るこの家を燃やしたくない。それに今はこの屋敷は価値があるものと認められている。お父さまが誇らしく思えるし、いろいろな人にほめてもらいたい。

 私はまた考えるのを保留にして、人がいない朝に絵を描くことにした。
 外からみる屋敷はピカピカしていたけど、お父さまがいないせいか、少し寂しく見えた。

◇◇◇

 そんなある日の朝、私は知らない男の子に声をかけられた。
 どうしよう! 私、初めて男の子としゃべったかも。

 今朝、私が絵を描いていると、何を描いてるの? って声をかけてくれた男の子がいた。
 驚いたけど、やさしそうな人だなと思った。ちょっと話しているとさらにびっくりした。夕方にまた会いたいっていうの。
 初めてのことで固まってると、いつのまにか5時に待ち合わせることになった。
 どこに行こうか? って聞かれて、何も思いつかないし、外のことはわからなかったから、とりあえず『画材店』って答えた。

 画材店に2人でデート。デート!?
 おそるおそる屋敷の外に出て、東矢くんの後ろをついていく。やはり街並みは私が知っているものとは全く違っていた。画材店には、とてもたくさんの絵の具や紙がおいてあった。
 東矢くんは絵のことはあんまりわからないみたいだったけど、絵の具や紙の種類なんかは昔も似たようなものがあったので教えてあげた。

「いろんなのがあるんだね」

 東矢くんは優しくそう言ってくれた。人と話すのって楽しい。
 東矢くんもいろいろ学校のこととか教えてくれた。学校、いいな、いってみたいな。

 私はその夜、秘密の部屋で絵を描き進めながら、今日初めてあった東矢くんのことを思い出していた。
東矢くんはひよりさんじゃなくて私を見てくれていた。すごく楽しかった!
 こんなことは初めてで、驚いた。
 私を私として見てくれる。とても幸福に感じた。

 でも、私はお父さまにひよりさんの代わりとして作られた。私の役目はひよりさんのかざりになること。今もお父さまの意思を棚上げにしているのに、こんな楽しい気持ちになるのはいけないことのように感じた。
 東矢くんのことを考えると楽しい、けれども、それ以上に苦しい。

 東矢くんはたまたま猫ちゃんを探しに庭に入ってきたといってた。
 それならきっと、もう会うこともないよね。
 それなら忘れてしまったほうが、いいかな。
 そう思って、私は東矢くんのことは忘れることにした。

 忘れることは得意だ。
 お父さまはひよりさんにいろいろ教えることが好きだった。でも、家には私とお父さましかいないし、外から新しいことが入ってくることはない。話題はいつかつきてしまう。
 だから、いつのころからか、私は1日の終わりに、必要なこと以外、その日に覚えたことはすっぱり忘れることにしていた。

 今の私が覚えておかないといけないことは、お父さまとひよりさんのことと私のなり立ち、それからお父さまとの約束と描いている絵だけ。
 私にはお父さましかいない、お父さまを忘れると、何も残らない空っぽの死体しかのこらないから。

 お父さまとの約束だけ忘れてしまうという方法もあるのだろうけど、心がとがめた。それは、創造主を否定することだ。せっかく私を作ってくれたお父さまを。
 それに、私にはやることがない。ひよりさんの代わりという役目を失い、お父さまの願いをかなえる以外、やることもないんだ。やっぱり、最終的にはこの屋敷と一緒に燃えてしまおうと思う。

◇◇◇

 朝起きた私は、お父さまとの約束と、絵を描き上げたら約束を果たそうと思っていたことを思い出す。
ふと、絵を見ると不思議な感覚があった。
 私が普段見ている屋敷と庭より、数段キラキラ輝いて見えた。
 不思議だな、と思いながら庭に出かけると、男の子に会った。

 東矢くんは私をデートに誘った。
 初めてのことで、私だけを見てくれている東矢くんにどきどきした。
 東矢くんは私を図書館に誘った。
 外に出るのは初めてで、少し怖かった。
 図書館はとても大きくてきれいで、びっくりするほどの本が並んでいた。

「僕も紅林邸のことを知りたいと思って」

 という東矢くんの言葉が嬉しかった。
 私にはお父さまのことしかわからない。私は夜暇な時には屋敷の掲示を見ながらお父さまを思い出して過ごす。だから、私が一番お父さまと屋敷に詳しいはずだ。
 私は喜んで屋敷の事を話した。自分のことを聞かれるようで、なんだか嬉しかった。
 東矢くんも思ったよりお父さまや屋敷のことに詳しくて、びっくりした。
 特に、お父さまが亡くなった後のこと、実は屋敷がぼろぼろになっていたことがあったとか、いろいろ知っていた。私、よく無事だったなと思う。

 楽しく話をしているとき、急に、東矢くんは言った。

「紅林邸で男の人の幽霊が出るんだって。雨谷さんのお父さんだったりするのかな? 雨谷さんを見守っているのかも」

 お父さまが……見てる……。
 お父さまが幽霊になって私を見ている。私がずっと、お父さまの最後の言葉を無視し続けているのを見ている。私の中でガラガラと何かが崩れていく音が聞こえる。

 気が付いたら、私は秘密の部屋にいた。
 図書館からどうやって家に帰ったのか、全くわからなかった。
 あわてて部屋を出て、屋敷の中を探し回るけど、お父さまの幽霊は見つからなかった。
 お父さまは私のことを怒っているのだろうか、悲しんでいるのだろうか。お父さまは、なくなってから100年以上も、ここで私が役目を放り出しているのを見ていたんだ……。
 私は何てことを……。
 申し訳なくて、涙がこぼれそうになった。
 私は急いで前と同じように薪を集めようとしたが、この家に薪はなかった。

 私は途方に暮れて、傍らに置いてあった絵を見る。
 絵はもう完成だ。
 せめてと思い、絵の中の屋敷のベランダに、なるべく幸せそうに見えるよう、お父さまを描き入れた。

 東矢くんには迷惑をかけた。きっと今日はとてもびっくりして、困らせてしまっただろう。たった一日だったけど、東矢くんに会えてとてもうれしい。
 そこで、書き入れたお父さまのあたたかい雰囲気に、あれっ? と思う。
 東矢くんには初めて会った気がしなかった。ひょっとしたら、忘れているだけで、何度か東矢くんに会ったことがあるのだろうか?
 絵の中のあたたかい雰囲気は、なんとなく東矢くんを思い出させた。

 それなら、この絵がこんなに素敵なのは、東矢くんのおかげだろう。この絵は一緒に燃やすのではなくて、東矢くんにお礼にプレゼントしたい。それに、今日の迷惑もあやまりたい。
 だからお父さま、あと一日だけ待って、お願い。私は約束を果たすから。
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