第3話 紅林邸のおばけのうわさ
文字数 4,369文字
7日間、雨谷さんと一緒にいろいろなところに出かけて、いろいろな話をした。
その結果、雨谷さんはとてもいいひとだと感じた。
雨谷さんは亡くなったお父さんに捧げるために、紅林邸の絵を描いている。お父さんのことを話す雨谷さんは、ちょっと恥ずかしそうにはにかんでいた。
やっぱり、僕が封印を解いたせいで時間が巻き戻っているのは大変申し訳ない。このままだと雨谷さんはずっと変わらないし、不幸が目に見えている。それにこのままじゃ雨谷さんにら新しいこともいいことも起こらない。
僕は雨谷さんの時間を進めたい。
昨日までに雨谷さんから聞いたことからも、紅林邸に怪異の原因があるように思われる。だから、僕は紅林邸のこと、僕が解放してしまった怪異が何かを調べようと思った。
8日目の早朝も、夕方に雨谷さんと会う約束をした。
今日は図書館に行こうかな。その前に、と、僕はお昼ごはんの菓子パンを手早く食べて、学校の図書室に行く。
昼休みの図書室は、ぽつりぽつりと利用者もいて少しざわめいていた。
郷土史のコーナーは確か総記の0分類だ。僕は図書館を見回し、窓際に置かれた大き目の本棚で新谷坂の歴史を探していると、突然大声で話しかけられた。ここ図書館なんだけど。
「おっボッチーじゃん。何探してんの」
ボッチーというのは『一人』という僕の名前からきた、この人独自の僕のあだ名だ。
僕を気軽にそう呼んだのは末井奈也尾 。僕のクラスメイト。
明るい金色に染めた髪を頭の上にくるりと結い上げて、制服も肩を出して着崩しているちょっとギャルっぽい人。夏はまだ随分先なのに、健康的な小麦色の肌を維持している。
ナナオさんは、行動力にあふれててさっぱりした楽しい人なんだけど、本当に悪気なく結構ひどいことをサラッと言う人でもある。オカルトな話が大好きな人で、偏ってることも多いけど、僕にいろんなうわさを教えてくれる。そして、僕が新谷坂の封印を解いた時に一緒にいた人でもあり、今でも僕とまともに話をしてくれる貴重な人だ。
このあたりの事情は何かの機会で話そうと思うけど、いじめられているわけじゃないよ、念のため。
僕は紅林邸のことを調べてるというと、ナナオさんはニカッと笑ってこういった。
「あー。あそこも幽霊でるもんな」
えっそんな話聞いてない。
よくよく聞いてみると、3週間ほど前、近所の人が夜中に散歩していたら、紅林邸の中で人影がうろついているのを見たらしい。それ以外でも何人か目撃例があるとか。紅林邸は遊歩道沿いだから、夜でも散歩やジョギングする人が結構いるのだろう。
しかも、幽霊のうわさが出たのは、ちょうど3週間ほど前からのようだ。
やはりタイミング的にも僕が封印を解いた影響に思える。
ナナオさんは面白がって、棚から何冊か本を出してきてくれた。ナナオさんはギャルっぽい外見に似合わず、図書室の常連だ。怖い話とか聞くとまめに図書室に調べにくる。
文献を引きながら、図書室にしては大きな声のナナオさんの話に耳を傾ける。ナナオさんは紅林邸のことも先週早速調べたそうだ。
「紅林邸は、明治何年かに紅林治一郎 って人が建てたんだ」
ナナオさんは開いた本の中の紅林邸の写真と、少しぼやけた白黒の人物の写真を指差す。白黒まだらの髪に髭が生えた男性で、分厚いメガネをかけていて、なんとなく学者っぽい人が、本の中から僕を見ていた。
「そんで、確か50くらいで病気で死んだんだけど、その時紅林邸で不審火が出てる。昔の新聞がどっかにあった」
意外と本格的に調べてるんだな。
真面目な顔したナナオさんを見上げて思う。
「不審火っていうくらいだから、そんなに大きな火じゃなかったの?」
「うん、なんか屋敷の玄関から火が出たっていう連絡があったらしいんだけど、消防がきたときは誰もいなくて何もなかったって書いてた。最終的にはいたずら通報と思われるっぽい書き方だったな」
うーん、事件性なしかな。
「んで、この紅林治一郎、ソウゾクニンっていうの? 家をもらう人がいなかったみたいで、この辺が開発されるまでだいぶんほっとかれて、建物は結構ボロボロになったらしい」
それはかなり意外。結構奇麗にみえたんだけどなぁ。
「でもって、建物自体はめっちゃいいヤツっぽかったから、神津 市が買って、ナントカ指定して、なおして観光客に見せてるんだって」
文化財指定とかかな。貴重な古い建物は国とか市町村とかが指定して保護していると聞いたことがある。
僕はナナオさんに尋ねる。
「目撃された幽霊はこの紅林治一郎っていう人なのかな」
「うーん、私としてはそう思うんだけど。でも、幽霊っつっても窓から動く人影を見たってだけらしいし、顔とかはよくわかんないかもね」
「ナナオさんは目撃してないの?」
ナナオさんはニヒヒッと笑って答える。
「先週何日か見にいったんだけど、親バレして夜間外出禁止になっちった」
冗談のつもりだったのに、なんと調べに行っていた。さすがの行動力だ。
それから、と、ナナオさんは思い出したように、手を胸の前でプラプラさせながらおどろおどろしく言う。
「紅林邸の秘密の部屋には死体が隠されていて、よなよな動くっていううわさもあるんだ。治一郎が死体を集めてたとか、治一郎に殺された死体が動き回ってるとか、昔からのいろんなうわさがある。でも、そのうわさは治一郎が生きてた時からあったうわさみたい。まあ最近見た幽霊ってのもその死体が動いてるのかも知んないけど」
いや、ナナオさん、それはそれで立派にホラーだと思うよ。そっちのほうが怖い。
秘密の部屋。昔の家だし公開されるほど有名な家だからか、不思議な造りがいろいろあるんだとか。少しだけ、紅林邸がおどろおどろしく感じられた。
「探した範囲ではほかに事件とか事故とか、誰かが死んだっていううわさもなさそうだったから、私はこの幽霊、紅林治一郎じゃないかと思うんだけど……ボッチーが幽霊見たらおしえてな」
バイバイッといってナナオさんは軽やかに去っていく。
僕は幽霊がでたと聞いて、もう一つの可能性を考えた。
幽霊の目撃情報が突然出始めたタイミングは3週間前。およそ3週間前から雨谷さんはお父さんのために絵を描き始めた。ひょっとしたら、紅林邸の幽霊は雨谷さんのお父さんで、雨谷さんを見守ってる可能性もあるんじゃないかな。
◇◇◇
放課後、僕は学校と紅林邸の間の遊歩道で隣を歩くニヤに問いかける。今は人通りもなく、僕がニヤに話しかける姿を怪しむ者もいない。
「紅林邸の怪異は新谷坂の封印から出たやつなのかな」
「そうだ。」
ニヤは断言した。
ニヤは自分から詳しく話すことは少ないけれど、聞けばいろいろ教えてくれる。
でも、ニヤの情報はいろいろ欠けていることが多い。聞いたことだけ教えてくれて、関連することや注意すべきことは改めてちゃんと聞かないと教えてもらえない。だから、ニヤの断片的な情報だけで突っ走ると、あとでとんでもない勘違いに気づくことがある。
人間じゃないからか、このへんの意思疎通はちょっと難しい。
「なんで雨谷さんの時間は繰り返しているんだろう」
「前に進むことを望まないからだ」
まあ、それはそうなのかもだけど。あれ? 誰が望まないの? 幽霊?
「幽霊は雨谷さんのお父さんなのかな。それでなんでかわからないけど、雨谷さんの時間を巻き戻してるとか?」
「幽霊……。アマガイを縛る意思を幽霊と呼ぶならアマガイの父であるのは正しい。だが、繰り返しを望んでいるのはアマガイ自身だ」
あれ? ちょっと思っていたのと違った。
よくわからないところもあるけど、幽霊はお父さんでも巻き戻しを望んでいるのは雨谷さん自身なのか……。
でもなぜ?
何か嫌なことがあって忘れたい?
雨谷さんはお父さんに捧げるために、思い出の紅林邸の絵を描いている。本当は描きたくないから忘れたい? でも毎日絵は描き進んでる。よくわからないな。誰かに無理やり描かされてる? そんな感じは全然ない。雨谷さんは絵のことを楽しそうに話す。
遊歩道は2メートルくらいの幅で見通しがよく、茶色いブロックが敷かれた路面に左右の木々が影を落としている。
考えるのを一旦やめて影から目を上げると、その先の紅林公園入り口で、雨谷さんが手を振っていた
直接聞いても……いいのかな?
◇◇◇
「僕も紅林邸のことを知りたいと思って」
僕は6日前と違う口実で図書館に雨谷さんを誘う。
雨谷さんはどことなく嬉しそうに、図書館行きに同意してくれた。
図書館で紅林邸の資料を広げる。
さすがに雨谷さんは詳しく、紅林邸についていろいろな話を教えてくれた。
紅林邸は擬洋風建築 っていう明治時代に流行った建築様式で、今はあんまり残っていない珍しいものらしい。塔屋がある白い漆喰で塗られた洋風のたたずまいなのに、屋根には日本の瓦が拭いてある。外見は洋風なのに部屋の中は木の板が貼られていて、どこかちぐはぐなレトロ感が評判なのだとか。この雰囲気は近所のおばさま方に人気で、土曜にはお茶会が開かれることもある。
それから、家族のことも聞いた。
雨谷さんにはお母さんがいなくて、お父さんと二人で暮らしていた。お父さんが生きていた頃は、お父さんとよく紅林公園で遊んでいたらしい。それで雨谷さんが絵を描いてるベンチで、お父さんとお弁当を広げてた。
懐かしそうに雨谷さんは僕に話す。とても優しい時間が流れる。改めて聴いた範囲でも、やはり雨谷さんはお父さんと仲良しで、絵を描くのが楽しそうだ。
やっぱり紅林邸の幽霊は雨谷さんのお父さんで、雨谷さんを見守ってるんだろうか?
それなら、雨谷さんには幽霊のことを話してもいいのかな。
「そういえば、紅林邸で男の人の幽霊が出るんだって。雨谷さんのお父さんだったりするのかな? 雨谷さんを見守っているのかも……」
そこまで言ったとき、僕は雨谷さんの地雷を踏み抜いたことに気が付いた。
それまでにこやかに話していた雨谷さんは急変して、急に氷の彫像にでもなったかのように硬直した。小さな口をぱくぱくと開き、見開かれた目の焦点はあっていない。
「……お父さまが…………見てる………………?」
雨谷さんは震えるそうつぶやいて、下を向いてまた固まった。
「雨谷さん……? 雨谷さん!?」
周りの温度が急に下がった気がする。
その後は、雨谷さんとは何の話もできなかった。雨谷さんの目元はぼんやりしていて、話しかけた僕の声もまるで耳に入っていないようだった。僕は目がうつろな雨谷さんをつれて図書館を後にする。
紅林公園の前で、せめて自宅まで送らせてほしいと頼んだが、雨谷さんは小さく首をふるばかりだった。紅林公園から力なく歩き去る雨谷さんの姿が消えるまで見送るしかなかった。
その結果、雨谷さんはとてもいいひとだと感じた。
雨谷さんは亡くなったお父さんに捧げるために、紅林邸の絵を描いている。お父さんのことを話す雨谷さんは、ちょっと恥ずかしそうにはにかんでいた。
やっぱり、僕が封印を解いたせいで時間が巻き戻っているのは大変申し訳ない。このままだと雨谷さんはずっと変わらないし、不幸が目に見えている。それにこのままじゃ雨谷さんにら新しいこともいいことも起こらない。
僕は雨谷さんの時間を進めたい。
昨日までに雨谷さんから聞いたことからも、紅林邸に怪異の原因があるように思われる。だから、僕は紅林邸のこと、僕が解放してしまった怪異が何かを調べようと思った。
8日目の早朝も、夕方に雨谷さんと会う約束をした。
今日は図書館に行こうかな。その前に、と、僕はお昼ごはんの菓子パンを手早く食べて、学校の図書室に行く。
昼休みの図書室は、ぽつりぽつりと利用者もいて少しざわめいていた。
郷土史のコーナーは確か総記の0分類だ。僕は図書館を見回し、窓際に置かれた大き目の本棚で新谷坂の歴史を探していると、突然大声で話しかけられた。ここ図書館なんだけど。
「おっボッチーじゃん。何探してんの」
ボッチーというのは『一人』という僕の名前からきた、この人独自の僕のあだ名だ。
僕を気軽にそう呼んだのは
明るい金色に染めた髪を頭の上にくるりと結い上げて、制服も肩を出して着崩しているちょっとギャルっぽい人。夏はまだ随分先なのに、健康的な小麦色の肌を維持している。
ナナオさんは、行動力にあふれててさっぱりした楽しい人なんだけど、本当に悪気なく結構ひどいことをサラッと言う人でもある。オカルトな話が大好きな人で、偏ってることも多いけど、僕にいろんなうわさを教えてくれる。そして、僕が新谷坂の封印を解いた時に一緒にいた人でもあり、今でも僕とまともに話をしてくれる貴重な人だ。
このあたりの事情は何かの機会で話そうと思うけど、いじめられているわけじゃないよ、念のため。
僕は紅林邸のことを調べてるというと、ナナオさんはニカッと笑ってこういった。
「あー。あそこも幽霊でるもんな」
えっそんな話聞いてない。
よくよく聞いてみると、3週間ほど前、近所の人が夜中に散歩していたら、紅林邸の中で人影がうろついているのを見たらしい。それ以外でも何人か目撃例があるとか。紅林邸は遊歩道沿いだから、夜でも散歩やジョギングする人が結構いるのだろう。
しかも、幽霊のうわさが出たのは、ちょうど3週間ほど前からのようだ。
やはりタイミング的にも僕が封印を解いた影響に思える。
ナナオさんは面白がって、棚から何冊か本を出してきてくれた。ナナオさんはギャルっぽい外見に似合わず、図書室の常連だ。怖い話とか聞くとまめに図書室に調べにくる。
文献を引きながら、図書室にしては大きな声のナナオさんの話に耳を傾ける。ナナオさんは紅林邸のことも先週早速調べたそうだ。
「紅林邸は、明治何年かに
ナナオさんは開いた本の中の紅林邸の写真と、少しぼやけた白黒の人物の写真を指差す。白黒まだらの髪に髭が生えた男性で、分厚いメガネをかけていて、なんとなく学者っぽい人が、本の中から僕を見ていた。
「そんで、確か50くらいで病気で死んだんだけど、その時紅林邸で不審火が出てる。昔の新聞がどっかにあった」
意外と本格的に調べてるんだな。
真面目な顔したナナオさんを見上げて思う。
「不審火っていうくらいだから、そんなに大きな火じゃなかったの?」
「うん、なんか屋敷の玄関から火が出たっていう連絡があったらしいんだけど、消防がきたときは誰もいなくて何もなかったって書いてた。最終的にはいたずら通報と思われるっぽい書き方だったな」
うーん、事件性なしかな。
「んで、この紅林治一郎、ソウゾクニンっていうの? 家をもらう人がいなかったみたいで、この辺が開発されるまでだいぶんほっとかれて、建物は結構ボロボロになったらしい」
それはかなり意外。結構奇麗にみえたんだけどなぁ。
「でもって、建物自体はめっちゃいいヤツっぽかったから、
文化財指定とかかな。貴重な古い建物は国とか市町村とかが指定して保護していると聞いたことがある。
僕はナナオさんに尋ねる。
「目撃された幽霊はこの紅林治一郎っていう人なのかな」
「うーん、私としてはそう思うんだけど。でも、幽霊っつっても窓から動く人影を見たってだけらしいし、顔とかはよくわかんないかもね」
「ナナオさんは目撃してないの?」
ナナオさんはニヒヒッと笑って答える。
「先週何日か見にいったんだけど、親バレして夜間外出禁止になっちった」
冗談のつもりだったのに、なんと調べに行っていた。さすがの行動力だ。
それから、と、ナナオさんは思い出したように、手を胸の前でプラプラさせながらおどろおどろしく言う。
「紅林邸の秘密の部屋には死体が隠されていて、よなよな動くっていううわさもあるんだ。治一郎が死体を集めてたとか、治一郎に殺された死体が動き回ってるとか、昔からのいろんなうわさがある。でも、そのうわさは治一郎が生きてた時からあったうわさみたい。まあ最近見た幽霊ってのもその死体が動いてるのかも知んないけど」
いや、ナナオさん、それはそれで立派にホラーだと思うよ。そっちのほうが怖い。
秘密の部屋。昔の家だし公開されるほど有名な家だからか、不思議な造りがいろいろあるんだとか。少しだけ、紅林邸がおどろおどろしく感じられた。
「探した範囲ではほかに事件とか事故とか、誰かが死んだっていううわさもなさそうだったから、私はこの幽霊、紅林治一郎じゃないかと思うんだけど……ボッチーが幽霊見たらおしえてな」
バイバイッといってナナオさんは軽やかに去っていく。
僕は幽霊がでたと聞いて、もう一つの可能性を考えた。
幽霊の目撃情報が突然出始めたタイミングは3週間前。およそ3週間前から雨谷さんはお父さんのために絵を描き始めた。ひょっとしたら、紅林邸の幽霊は雨谷さんのお父さんで、雨谷さんを見守ってる可能性もあるんじゃないかな。
◇◇◇
放課後、僕は学校と紅林邸の間の遊歩道で隣を歩くニヤに問いかける。今は人通りもなく、僕がニヤに話しかける姿を怪しむ者もいない。
「紅林邸の怪異は新谷坂の封印から出たやつなのかな」
「そうだ。」
ニヤは断言した。
ニヤは自分から詳しく話すことは少ないけれど、聞けばいろいろ教えてくれる。
でも、ニヤの情報はいろいろ欠けていることが多い。聞いたことだけ教えてくれて、関連することや注意すべきことは改めてちゃんと聞かないと教えてもらえない。だから、ニヤの断片的な情報だけで突っ走ると、あとでとんでもない勘違いに気づくことがある。
人間じゃないからか、このへんの意思疎通はちょっと難しい。
「なんで雨谷さんの時間は繰り返しているんだろう」
「前に進むことを望まないからだ」
まあ、それはそうなのかもだけど。あれ? 誰が望まないの? 幽霊?
「幽霊は雨谷さんのお父さんなのかな。それでなんでかわからないけど、雨谷さんの時間を巻き戻してるとか?」
「幽霊……。アマガイを縛る意思を幽霊と呼ぶならアマガイの父であるのは正しい。だが、繰り返しを望んでいるのはアマガイ自身だ」
あれ? ちょっと思っていたのと違った。
よくわからないところもあるけど、幽霊はお父さんでも巻き戻しを望んでいるのは雨谷さん自身なのか……。
でもなぜ?
何か嫌なことがあって忘れたい?
雨谷さんはお父さんに捧げるために、思い出の紅林邸の絵を描いている。本当は描きたくないから忘れたい? でも毎日絵は描き進んでる。よくわからないな。誰かに無理やり描かされてる? そんな感じは全然ない。雨谷さんは絵のことを楽しそうに話す。
遊歩道は2メートルくらいの幅で見通しがよく、茶色いブロックが敷かれた路面に左右の木々が影を落としている。
考えるのを一旦やめて影から目を上げると、その先の紅林公園入り口で、雨谷さんが手を振っていた
直接聞いても……いいのかな?
◇◇◇
「僕も紅林邸のことを知りたいと思って」
僕は6日前と違う口実で図書館に雨谷さんを誘う。
雨谷さんはどことなく嬉しそうに、図書館行きに同意してくれた。
図書館で紅林邸の資料を広げる。
さすがに雨谷さんは詳しく、紅林邸についていろいろな話を教えてくれた。
紅林邸は
それから、家族のことも聞いた。
雨谷さんにはお母さんがいなくて、お父さんと二人で暮らしていた。お父さんが生きていた頃は、お父さんとよく紅林公園で遊んでいたらしい。それで雨谷さんが絵を描いてるベンチで、お父さんとお弁当を広げてた。
懐かしそうに雨谷さんは僕に話す。とても優しい時間が流れる。改めて聴いた範囲でも、やはり雨谷さんはお父さんと仲良しで、絵を描くのが楽しそうだ。
やっぱり紅林邸の幽霊は雨谷さんのお父さんで、雨谷さんを見守ってるんだろうか?
それなら、雨谷さんには幽霊のことを話してもいいのかな。
「そういえば、紅林邸で男の人の幽霊が出るんだって。雨谷さんのお父さんだったりするのかな? 雨谷さんを見守っているのかも……」
そこまで言ったとき、僕は雨谷さんの地雷を踏み抜いたことに気が付いた。
それまでにこやかに話していた雨谷さんは急変して、急に氷の彫像にでもなったかのように硬直した。小さな口をぱくぱくと開き、見開かれた目の焦点はあっていない。
「……お父さまが…………見てる………………?」
雨谷さんは震えるそうつぶやいて、下を向いてまた固まった。
「雨谷さん……? 雨谷さん!?」
周りの温度が急に下がった気がする。
その後は、雨谷さんとは何の話もできなかった。雨谷さんの目元はぼんやりしていて、話しかけた僕の声もまるで耳に入っていないようだった。僕は目がうつろな雨谷さんをつれて図書館を後にする。
紅林公園の前で、せめて自宅まで送らせてほしいと頼んだが、雨谷さんは小さく首をふるばかりだった。紅林公園から力なく歩き去る雨谷さんの姿が消えるまで見送るしかなかった。