始まりの始まりの終わり

文字数 5,665文字

 初夏のそよ風は辺り一面の背の低い草とあたしの短い黒髪とラシュウの短い銀髪を玩びながら、後ろへと流れていく。
 太陽は中天よりほんの僅かに傾いた所で、あたしの心中を無視するかのように燦燦と光を大地に降り注がせている。前を行くラシュウはあたしの背丈をゆうに越える大きな両手剣を担ぎ、所々色が抜けて年季が入っている事を物語っている黒く染め上げた皮鎧を着込んでいる。そして、その背中を見ながら歩くあたしは、自分が旅を始めたんだという事を嫌というほど認識する。
「……」
 あたしとラシュウの間に会話は無い。昨夜泊まった宿を太陽が東から顔を出す頃に出発したあたし達は、更に西へ向かって街道を歩いていた。今日はまだラシュウと何も言葉を交わしていない。だから、あたしは自然と思索に耽っていた。
 思えば、あたしが家出をしたのは、本当はハイランのあの館から、否、あたしの事を見向きもせずに執務に没頭する父の下から逃げたかっただけなのかも知れない。『世界を知りたい』なんて事は、ただの言い訳で――。

 ドンッ! 感傷に没入していて前を見ていなかったあたしは突然大きくて硬い何かとぶつかって、その反動で尻餅を付く。
「イタッ……」
 あたしは小さく呻くと、大きくて硬い何かの正体を確かめようと目の前にあるものを見上げる。見上げたあたしの視界にあったのは黒い皮鎧と短い銀髪の後頭部。……ラシュウの背中だ!
「ラシュウ、いきなり立ち止まってどうしたの?」
 もし悪意があっての行為なら、一言何か文句を言ってやろうとラシュウの背中に声を掛ける。ラシュウからの返事は無い。それどころか、前を向いたまま身じろぎ一つとしてしない。そこから感じ取れる雰囲気は、ただならぬ緊張だ!あたしは慌てて立ち上がると、恐る恐るラシュウの横から顔だけを出して前方を確認する。

 前方を見遣ったあたしの視界に飛び込んできたのは、あたし達の十歩ほど先に立つラシュウと負けず劣らずの体躯を持つ大男だった。お世辞にも清潔とは言えない茶色い皮鎧を着込み、ラシュウのそれよりも大きな両手剣を正眼に構えている。これは、明らかにラシュウに敵対する意思を持つ人間だ!
「見付けたぜ! 賞金首ラシュウ!」
 大男は満面の笑みを浮かべながら、大声を上げる。……ラシュウが賞金首? あたしは賞金首の事はよく分からないけれど、賞金首になるという事は何か

をしたということ……。確かに、戦い続けてきたのならそれは悪いことになるのだろうけれど、それだけで賞金首になるの……?
「お前を殺せば、しがないならず者生活とオサラバして神の加護の下で生きていける! 何せ、お前の首に賞金を懸けたのはあの聖教会なんだからな!」

 聖教会――。その名前と存在は、デイア大陸に生きる者ならば誰でも知っている。オール帝国において国教とされたクタ教の総本山。聖教皇を戴くデイア大陸最大の宗教組織……。でも、その聖教会が何故ラシュウの首に賞金を?
「お喋りはそこまでにしておけ。下らねえこと喋ってる暇があるなら、とっとと掛かってこい」
 今まで聞いたどの声よりもドスの効いた、低い太い声。感情を押し殺した声が、却ってラシュウの感情を引き立たせる。その感情は、怒り。……殺気が辺りを包む。ゴクリ、と思わず唾を飲み込むあたしはそれ以上の音を出すことが出来ない。
「言われずともそうさせて貰うぜ! 覚悟しろ!」
 大男は言うや否や、地面を蹴ってこちらに向かって跳躍する。低い軌道の跳躍。両手剣を振りかぶって、一気に間を詰めてくる大男の姿がやけにゆっくりに見える。

 大男とラシュウとの闘いの幕が上がった事をあたしはどこか芝居を観る観客のような気分で見ていたけれども、一瞬の間にあたしにも危険が及ぶかも知れない事に気付いて心の内が一気に恐怖に染まっていく。……これはお芝居なんかじゃない、現実だ! その事を認識した時には、大男はラシュウの目の前に迫っていて剣を振り下ろさんとしていた。
 危ないっ……! あたしは、反射的に目を瞑り手を顔の前に持ってきて防御の姿勢を取る。勿論、そんな事は大男が振り下ろす剣の前では何の意味も持たない行為なのだけれども、人間の持つ防衛本能が咄嗟にそうさせていた。次の瞬間、あたしの身体を誰かががっちりと掴んだ感触が全身の感覚から伝わってくる。岩のような硬い筋肉の感触。なめされた皮の感触と匂い。
 間を置かずして伝わってくるのは、今まで感じたことのない衝撃とぬるい風の感覚。恐る恐る目を開けると、視界に入ってくるのはあたしとラシュウがさっきまでいた地面に剣を振り下ろした格好で立つ大男……。ラシュウはあたしを抱えて大きく跳躍して大男の攻撃を躱していた。

 一瞬の浮遊の後、ダン! と再び大きな衝撃があたしの身体を襲う。それはラシュウが大地に着地した衝撃だ。あたしは舌を噛まないように歯を食いしばって、その衝撃に耐える。幸い、舌を噛むことはなかった。
 あたしが舌を噛まなかったことに内心少しの安堵を覚えた瞬間、再びドウッとあたしの全身を衝撃と痛みが襲う。あたしの視界が背の低い草で埋め尽くされる。ラシュウがあたしを乱暴に地面に置いたんだ……。
「ウッ……」
 痛い! と声を上げそうになったけれど、あたしが今置かれている状況のことを考えてそれを我慢をする。それでも反射的に呻き声を上げてしまったのだけれど、こういう状況に不慣れなあたしにはそれが精一杯の我慢の結果だった。
「そこにいろよ、ニムル。下手に動くと命の保証は出来ねえからな」
 頭の上から降ってくる低く抑えたラシュウの声。その声があたしの耳に届くのとほぼ同時に、あたしの視界の草が激しく揺れてガサガサと音を立てる。そして、ラシュウの気配が一気に離れていくのを感じる。あたしは急いで姿勢を立て直すと、ラシュウが行った方向を見遣る。ラシュウは、あたしから五十歩ほど離れた街道の脇の草原で大男と対峙していた。

 ほんの僅かな間に一気に事が起こり過ぎて時間の感覚がおかしくなっていたけれど、大男の一撃から今に至るまではほんの数瞬の出来事の筈だ。あたしはラシュウと大男との決闘の一部始終を見逃すまいと、固唾を飲み込んでラシュウと大男に意識を集中させた。

「オレの渾身の一撃を避けるたあ、大したものじゃねえか。伊達に聖教会に目を付けられている訳じゃねえみたいだな」
 大男が両手剣を使ってゆっくりと身体をほぐす様な仕草をしながら、ニヤリと笑みを浮かべてそう言う。『渾身の一撃』が躱されたというのに、妙な余裕が感じられるのは気のせいだろうか?
「ハッ、あの程度の攻撃を避けるなんざ朝飯前だぜ。

がいたって、何度だって避けられるに決まってるじゃねえか」
 対するラシュウは剣を抜くこともしないまま、笑みも浮かべず大袈裟に首を振って肩を竦めてみせる。まるで、全然詰まらないぞ、とでも言いたげな口調と態度。『お荷物』であるあたしは、その光景をただ見守ることしか出来ない……。

「……ラシュウよ、“フェノマタ”なるものを知ってるか?神が創り出した神器とも悪魔が創り上げた魔器とも謂われる、この世界の現象を意のままに操ることが出来る魔導具を」
 先ほどとは打って変わって、大男は神妙な調子で声を出す。……フェノマタ? あたしは、そんなものがあるなんて知らない。ハイランにいた時に、父の書斎に忍び込んでは蔵書を読み漁って外の世界のことを色々と勉強してはいたけれど、あたしが読んだ限りではどの本にもそんなものに付いては書かれていなかった。
「魔術アカデミーの講義のつもりか?生憎、俺はお前の生徒じゃないんでね、お前の講釈を聞く義理はねえな」
 わざとらしく手の平を上に向けて、分からないのポーズをしながら皮肉めかして言うラシュウ。その闘いにそぐわない態度が、却って場の緊張を感じさせる。
「――と言っても、一個のフェノマタで操れる現象はそこまで大きなものじゃねえ。極めて限定的なものだ。せいぜい、人間一人の戦闘力が飛躍的に上がる位の、な」
 大男はラシュウの皮肉に構わず言葉を続けると、両の口角を上げてニヤリと笑む。自信に満ちた笑み。それは、狩りの悦びに身を震わせる獣のそれだ。ラシュウは黙って大男に視線を向けている。表情は、あまり無いように見える。

「オレが怪力のバッズと呼ばれる理由を教えてやろう! そう、オレにはあるんだよ、フェノマタが! “怪力のフェノマタ”がな!」
『怪力のバッズ』と名乗った大男は続けてそう言うと、手にしている両手剣を地面に勢いよく突き刺す。その途端、鈍く大きな音とともに地面に亀裂が走る!  バッズの余裕は、“フェノマタ”という魔導具を持っていることから来るものだったということ? そんなにフェノマタには凄い力があるの?
「へえ、フェノマタを持ってるとはな。少々見くびってたぜ。だが、お陰でいい暇潰しキリングタイムになりそうだ」
 足元まで伸びた亀裂に全く動じる気配も見せずに、声を出すラシュウ。表情は相変わらず無さそうに見えるけれど、その声は心なしか弾んでいる。まるで、その展開を待ってました、と言わんばかりの抑揚。……フェノマタには凄い力があるんじゃないの? それでもラシュウ、貴方はフェノマタを持つ相手に勝てるとでも言うの?
「“怪力のフェノマタ”を使ったオレに壊せないものはない! ラシュウ、お前がどんなに強い剣士だったとしても、この力の差は覆せねえ! ニヒルを気取ったままあの世に行っちまいな!」
 バッズはそう叫ぶように声を張り上げると、助走も付けずに地面を蹴って跳躍する! 最初の一撃と同じ、低い軌道の跳躍。瞬きする間もなくラシュウとバッズの姿が交錯するのが見える。

 ドオン、という大きな音と衝撃があたしの所まで伝わってくる。そして、地面が大きく陥没する! もうもうと土煙が上がり、ラシュウとバッズの姿が見えなくなる。凄まじいまでの“怪力”だ。これを喰らったら、流石のラシュウでも……。
「なるほど、“怪力のフェノマタ”の魔力で自身の筋力を極限にまで高めてからの渾身の一撃か。いや、怪力の一撃とでも言うべきか? ……だが、言っただろ? 

の攻撃を避けるなんざ朝飯前だ、ってな」
 土煙の中からラシュウの声が聞こえる。いつもと変わらない、低い声。皮肉めかした調子で、この場の緊張を盛大に無視するかのような間の抜けた声があたしの耳に届く。土煙が晴れた時、ラシュウは陥没した地面のすぐ側に立って、先ほどと変わらない体勢で肩を竦めていた。
「避けてばかりいても、オレにはかすり傷一つも負わせることは出来んぞ! それとも、攻撃する隙すら見出せんか!?」
 陥没地の中心から素早く跳躍してラシュウとは陥没地を挟んだ反対側に着地したバッズは、両手剣を正眼に構え直しながら挑発の言葉をラシュウに投げ付ける。

「……一つ、言っておきたいことがある」
 数瞬の間、水を打ったような沈黙が場を包んでいたけれど、ラシュウの静かな声がそれを破る。妙に静かな声。いつもみたいに皮肉めかした調子は無い。
「……ほう、命乞いでもする気になったか? オレは生け捕りでも構わんぜ? お前を賞金首として聖教会の連中に引き渡せれば、それで良いんだからな」
 ラシュウの意外なほどに静かな声を聞いて一瞬思案気に首を傾げたバッズはそう応えたものの、両手剣を構えたまま警戒の姿勢を崩さない。場が再び沈黙に包まれる。あたしもバッズも、ラシュウの次の言葉を待つ。
「バッズ、お前は“怪力のフェノマタ”を持っている。だから、お前はそれなりには強い。そのことは分かった。だがな、この世界にあるフェノマタはそれ一つだけじゃねえ」
 相変わらず、不気味なほどに静かな声でラシュウが言葉を発する。……何なのだろう、この感覚は? 闘いの緊張とは別の、未知のものと遭遇した時のような、恐怖とも興味とも畏怖とも付かない得体の知れない感覚が心底からせり上がってくる。あたしはその得体の知れない感覚に心中を飲まれてしまわぬように、意識的に深呼吸をしながら二人の闘いの行方を見守る。

「だったら何だと言うんだ? お前もフェノマタを持っているとでも? ……ハッ! ならば、面白いじゃねえか! そうだとしたら、どっちがフェノマタ使いとして格上か決めようじゃねえか! お前がフェノマタを持ってたら、だがな!」
 バッズが両手剣を正眼から大上段に構えを変える。対するラシュウは棒立ちのままだ。背中に担ぐ両手剣に手を掛けてすらいない。もしラシュウがフェノマタを持っているのだとしたら、これは『フェノマタ使い』同士の闘いになる。フェノマタがバッズの言う通り『この世界の現象を意のままに操ることが出来る魔導具』なのだとしたら、この闘いはとても危険なものになる……。あたしの全身に鳥肌が立つ。怖い。だけれども、あたしはこの闘いを見なくちゃならないんだ……!
「抜かない剣に意味などないぞ、ラシュウ! オレに殺られた事を誇りにしてくたばっちまいな!」
 数瞬の後、バッズはそう声を張り上げる。次の瞬間、これが最後の一撃とばかりにほんの少し反動を付けて跳躍する。陥没地の上を低い軌道で跳ぶバッズ。その光景をスローモーションのように見るあたし。ラシュウの表情は見えない。見えないけれども、ラシュウはほんの少しニヤリと笑った。そう、笑ったことがあたしには

んだ。

 瞬間、凄まじい閃光と轟音と衝撃が辺りを覆う。その閃光と轟音と衝撃は、離れた所にいるあたしの身体に容赦無く小石や土塊を叩き付ける。あたしは、慌てて地面に伏せて頭を腕で覆い隠す。それでも、身体のあちこちで細かい痛みを感じ続ける。声を上げることすら出来ずに、あたしはただ自分とラシュウが生きていてくれることを神に祈るしかなかった。

 天にまします我らが主よ、哀れな旅人をお守りください。ソール――。


  Prologue of Killing Time! ~END~
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