過ぎ去りしものを求めて

文字数 5,077文字

 活気の溢れる街ね……。交易都市ソルイエムに対するあたしの第一印象がそれだった。街道での怪力のバッズとの闘いから約一カ月後、あたしとラシュウは大陸中南部に位置する交易都市ソルイエムに辿り着いていた。交易都市ソルイエムは大陸の各地を結ぶ街道同士がぶつかる場所にあり、オール帝国時代に交易の一大拠点として栄えた商業の街だ。

 帝国中期に活躍した博物学者ルクシニー・オロイオは『デイア大陸に於ける大陸各地の風土』という書の中でソルイエムについて「彼の街で買えぬ物は女心と皇帝の座のみ」と記している。また、その書に依れば、ソルイエム付近の自然環境について「降水量は極めて少なく非常に乾燥した土地であり、街を一歩でも出れば大きな植物の生えない岩肌が剥き出しになった荒地が広がっている。故に草食、肉食を問わず動物も非常に少なく、所々に点在する洞窟に夜行性の小動物が小規模の棲息圏を築いているのみ」と記されている。
 確かに、温暖な気候で草原が何処までも続くムスペル近辺の土地と比べると――夏季である事もあるけれど――、ソルイエムに近付くにつれて暑さを強く感じる様になり、周囲の植物が減っていく事が見て取れた。そして、ソルイエムはムスペルの整然とした街並みとは打って変わって非常に雑然とした街並みが続いている。更に、流石に交易都市と言うべきか――帝国が滅亡したってのに――人が多い! その、人の多さが暑さを助長しているという錯覚にあたしを陥らせる。

 中天の太陽がジリジリと大地とあたし達を焦がす中、あたしのすぐ目の前を行くラシュウとはぐれない様に、人の波に呑まれない様に、あたしは道路の脇に立ち並ぶ露店へと視線を向ける事もなくソルイエムを東から西へと歩いていた。
 此処から西の最果てオルクシティへと向かうには、ソルイエムから西へ伸びる街道――通称『巡礼の街道』――を行き、聖山ルトヴィアを頂く大陸中部と西部の間に横たわるコムン山脈を越えるルートが一般的だ。山脈を超えればオルクシティに大分近付ける。勿論、そこまで行くにはまだまだ時間が掛かるのだけど……。

 オルクシティ――。
 デイア大陸全土を統一し、オール帝国の初代皇帝となった英雄オルクの名を冠した元・帝都。三六〇年余り続いた帝国の時代、ずっと帝都であり続けた「世界の中心」。帝国が栄華を極めていた時代、数々の詩人や芸術家はオルクシティを言葉の限りを尽くして讃えた。曰く、ある者は「天国に最も近しい都」、またある者は「皇帝の慈悲の下、あらゆる存在が調和する理想郷」だと。
 と言っても、あたしはそういった言葉を信じて、オルクシティに甘い夢を見ているから行きたい訳じゃない。あたしがオルクシティに行きたい理由はたった一つ。オルクシティが

から。
 つまり、この世界の事を知る為にはオール帝国という存在が何だったのかを知るという事は必要不可欠になる筈。ならば、まずは元帝都オルクシティに行くのが手っ取り早い。その先の事を考えている訳ではないけれども、オルクシティに行けば次の目標も見付かるかも知れない。だから、あたしは旅の最初の目的地を西の最果てにあるオルクシティに決めたんだ。

 あたしはオール帝国の事を全くと言っていい程知らない。
 栄華を極めた帝国の秩序と権威に翳かげりがさし、大陸各地の都市が帝国に反旗を翻す様になったのが帝国暦三四〇年頃。あたしが産まれる少し前の話だ。あたしが産まれたのは帝国暦三五五年。その頃は帝国に対する各都市の反乱が最も激しい時で、帝国の統治からの独立を宣言する都市も相次いで現れてきた頃だった。勿論、あたしはその頃の記憶は無いのだけれど、父からその頃の話をよく聞かされた。
 父曰く、ハイランは主に、反乱の指導的存在だった学術都市ムスペルへの援助と援護を行っていて、あたしが産まれた瞬間には父はハイラン中の兵力と支援物資を搔き集めてムスペルに加勢として行っている最中で、あたしと初めて対面したのはそれから約一週間後の事だったらしい。
 帝国と各都市の争いは熾烈を極めたけれども、帝国暦三五九年にオール帝国第十三代皇帝クコットが皇帝の座を退き後継者となる者が誰もいないという事態が起こると、情勢は一気に反乱側の優位となり、その後は帝国の残存勢力との小競り合いは発生するものの帝国の終焉は誰の目にも明らかとなっていった。
 それまでは反乱に加わらず沈黙を保ち、様子を窺うかがっていた都市も次々と帝国からの独立を宣言し、帝国暦三六五年には全ての都市が帝国の統治からの独立を宣言しオール帝国の統治は終わりを迎えた。あたしが十歳の時の事だ。
 つまり、今は帝国暦で言えば三七〇年という事になる。尤もっとも、英雄オルクが皇帝の座に就きオール帝国の建国を宣言した年を元年とする帝国暦を、帝国が滅んで尚使う事が正しい事なのかは疑問なのだけれど……。

 でも、あたしが帝国について知っている事はそれ位で、それらの全ては父から聞かされた事でしかない。あたしがあたしとして知っている事は何も無いんだ……。だから、あたしは自分の足と手と頭で、オール帝国を含めたこの世界の事を知りたいんだ!

「……おい、ニムル? さっきから上の空のようだが?」
 いつの間にか自分の考えに没入していたあたしの耳に、周囲の喧騒けんそうと聞き慣れた低い男の声が入ってくる。聞き慣れた声……。声の主は……ラシュウだ! ラシュウはあたしの目の前で逞たくましい身体を少し屈かがめて、その鋭い目であたしを見下ろしている。思えば、ラシュウと面と向かい合った事は初めてかも知れない。いつも、あたしはラシュウの後を付いて歩くだけで背中ばかりを見ていた気がする。
「……え、ええ。ちょっと……その、考え事をしていたわ」
 ラシュウの声で自分の思索から現実に引き戻ったあたしは人通りの激しい雑踏の中、反射的に立ち止まった。ラシュウと向かい合うという慣れない事態もあって、少し戸惑い、結果として自分でも分かるくらいに間の抜けた返事をするのが精一杯だった。そして、あたしは自分が案外物思いに耽りやすい人間なんだという事に生まれて初めて気付く。
「いいか、ニムル? 考え事をするのはいいが、場所を弁わきまえろ。ここは交易都市ソルイエム。見ての通りソルイエムは人が多い。はぐれちまったら、お互いを探し出すのは難しい」
 ラシュウはそんなあたしに言い聞かせる様に、ゆっくりとした口調で話す。その話し方が逆にあたしには辛く感じる。
「ごめん……なさい」
 あたしは、謝意を表明するのが精一杯だった。
「まあ、いいさ。お前はまだ旅に不慣れだし、本当の危険ってものも経験しちゃいねえ。そういうお前をお守りすんのが俺の役目だしな。ただ、気を付けてくれよ」
 ラシュウは今度はぶっきらぼうに言うと、やれやれと言った感じで手の平を上に向ける。その仕草は、この一カ月で見慣れたものになっていた。こういう時のラシュウは、案外何も考えていないんだ。つまり、この話は終わりって事。
「そうね、ラシュウ。気を付けるわ」
 そんなラシュウを見て、少し気が楽になったあたしは軽い口調で応えるとラシュウの二の腕を軽く叩いて歩き出す。ラシュウは肩を竦めると、あたしには先に行かせまいとばかりに大股で歩き出した。あたし達はまた、ソルイエムを東から西へと歩き始めた。

 太陽が丁度中天と地平線の中間点を通る頃に、あたしとラシュウはソルイエムの西端にある大門に辿り着いていた。その大門はソルイエムで最も大きな門で、近くにソルイエムが都市として発達するきっかけとなった大きな水源がある事から『水瓶(みずがめ)大門(たいもん)』と呼ばれているらしい。ソルイエムの人達にとって、その水源と水瓶の大門は特別な存在という事らしい。ラシュウが歩きながらあたしに説明してくれた。
 水瓶の大門には警備が二人いて、通行人を見張っている。と言っても、本当に見張っているだけで、通行人の素性や持ち物を検査したりはしていない様だった。大陸各地の治安が沈静化しつつあるとは言え、まだまだ治安は良くない筈なのだけれど、それで本当に大丈夫なのかしら? と他人事ながら少し心配になってしまう。
 そして、あたしとラシュウも――当たり前と言えば当たり前なのだけれども――何の咎めも無く水瓶の大門を出て、コムン山脈へと至る巡礼の街道へと歩を進めた。

 巡礼の街道に出てすぐはソルイエムを出入りする人達が沢山行き交っていたけれども、数刻程行くと通行人の姿はめっきり減って、辺りにはあたし達と数人の旅人らしき人しかいなくなった。と、唐突にラシュウが立ち止まる。ラシュウの背中から感じられる気配は、決して穏やかなものではなかった。つまり――。
「……さっきからずっと俺達をつけている様だが、何か用か? 話があんなら、いくらでも聞いてやるぜ? だから、コソコソするんじゃねえよ」
 低く抑えた声。こういう時、ラシュウは大抵殺気立っている。つまり、何かしらの危険が迫っているという事だ。だけれど、あたし達の周囲にいる数人の内、誰に対して言っているのか、或いはあたしには見えていない誰かに対して言っているのか、あたしには分からない。

 ラシュウの言動につられてあたしも立ち止まり、周囲に気を配ろうとした瞬間、ラシュウの目の前にいた布のローブとフードに身を包んだ旅人風の男が勢いを付けて振り返ると、ラシュウの方にステップすると同時に懐から何か刃物を振り翳してラシュウの胸目掛けて突進する!旅人風の男がラシュウの胸を貫くと思った瞬間、逆にその男が大きく後方に吹っ飛ぶ。ラシュウが腕を突き出して拳で男を殴り飛ばしたんだ! 男はその一撃でもんどり打って背中から地面に叩き付けられる。そして、動かなくなる。どうやら、気絶したらしい。
「ハッ! 大したこたあねえな。俺の命を取ろうってんなら、最低でも一〇〇万の大軍くらいは引き連れて来いよ!」
 ラシュウは突き出した腕ともう片方の腕を上に挙げて手をひらひらとさせる。ラシュウなりの勝利のポーズらしい。全く様になっていないけれど……。

「流石だな、逆賊ラシュウ。流石、神聖なるオール帝国を貶おとしめ続けた男だ」
 そう声がすると同時に、あたし達の周りにいた人達全員がラシュウとあたしの前に立った。その数はおよそ十人。全員が布のローブとフードに身を包み、素顔と服装は見えない。
「その物言い……。お前等、新月旅団だな?」
 先程の大声から一変して、再び低く抑えた声になったラシュウが目の前に立ち塞がった男達にそう言葉を投げ掛ける。
「その通り、我々は新月旅団の者だ」
 男達の内、中央にいる男がラシュウに応える。新月旅団……? 初めて聞く名だ。彼等の言葉から察するに、どうやらラシュウを敵視していて、更にオール帝国と何か関係ありそうだ。あたしは――不謹慎ながらも――唐突に、あたしが知りたいと願うオール帝国の名が男達の口から出た事に内心興奮していた。
 今の状況が危険なのは分かってる。ラシュウにそういう処を『気を付けてくれよ』って言われた事もね。でも、それこそ、あたしにはどうにも出来ない部分でどうしても興奮を抑え切れなかった。あたしの悪い癖ね……。

 あたしは無理矢理意識を現実に戻して眼前へと目を向ける。ラシュウと男達の間には相変わらず、殺気立った沈黙が横たわっていた。

「ラシュウ……」
 中央の男が呟く位の声音で声を出す。
「逆賊め……」「反逆者め……」「罪人め……」「異端者め……」「汚らわしい……」「地獄に堕ちろ……」
 中央の男に続いて、周りの男達も口々にラシュウへと言葉を投げ付ける。それは、あたしには言葉というよりも呪詛の様なものに聞こえた。何か、ラシュウにとてつもない

を抱いているかの様な、尋常ではない言葉の発し方……。

 あたしにはラシュウの背中しか見えず、表情は見えない。でも、その背中から伝わってくるラシュウの感情は、これまで感じた事の無い感情だ。それは、とても言葉では言い表せられない、複雑な感情。怒り、哀しみ、憐あわれみ、それに――。ううん、今のあたしではまだ分からない感情がある。何か……妙に暖かい、不思議な感情。ラシュウは確かに殺気立っているのだけれど、その感情は何処か

を想っている……。
 ラシュウと出会って一カ月。まがりなりにも、一緒に旅をしてきてラシュウの事が解り始めていた。そう、思っていた。でも――。

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