出会うは疑念

文字数 5,777文字

 また一人、巡礼の街道の剥き出しの地面にドウッと力無く倒れ込む。……強い。新月旅団とラシュウとの闘いは一方的な展開になった。

 新月旅団の男たちは最初、数に物を言わせて得物の広刃剣を振り被ってラシュウに一斉に飛び掛かった。けれども、ラシュウは瞬間的に真上に跳び上がって男達の一斉攻撃を(かわ)すと、両手剣を背中の鞘から抜きながら落ちる勢いを利用して真下に集まった男達へと自分の身体と剣を振り下ろして渾身の一撃を見舞った。その衝撃は凄まじく、一斉攻撃を外してラシュウを見失っていた男達数人を街道の地面毎粉砕した。
 その時、あたしは初めてラシュウが自らの剣を鞘から抜いた姿を見た。ラシュウの剣は何の飾りも無い無骨な造りで、だけど、刀身がまるで燃え上がる火の様に、或いは鮮血の様に紅い色をしていた。一体、どうやったらあんな風に刀身を紅く染め上げる事が出来るのだろう? そんなあたしの疑問にお構いなく闘いは続く。ラシュウの一撃を辛うじて躱した残りの男達は素早く体勢を整え、ラシュウが剣を振り下ろした体勢から構え直す隙にラシュウの周りを取り囲んだ。その数、六人。

 ラシュウと男達の間の距離は、五歩か六歩の距離と言った処。男達は広刃剣を正眼に構え、ジリジリとラシュウとの距離を詰めていく。対するラシュウは両手剣の切っ先を右斜め下に向けて持ち、顔を正面やや下に向けたまま身じろぎ一つすらしない。
 ゆっくりと、にじり寄る様にラシュウとの距離を詰めていく男達。時間にすれば、ほんの短い時間。でも、その時間は永遠とも思える程に感じられる。灼熱の太陽があたし達を容赦無く照り付ける中、場が張り詰めた緊張で包まれる。端で見ているあたしもまた、その緊張を全身で味わっていた。
 ……暑い。ふと、そう思う。そして、そう思うと何故か喉の渇きが気になり始める。それと同時に、一筋の汗が額から頬を伝わって落ちていくのを感じる。むず痒い……。あたしは、そのむず痒さに気取られぬ様に、そして、ラシュウと男達の闘いへの意識を切らさぬ様に意識的に唾を飲み込む。ゴクリ、と言う喉の音がやけに大きく聞こえる。
 ラシュウと男達との距離が五歩から四歩になり、更にその距離を縮めんと男達は足をすり足で前に出す。ラシュウは相変わらず不動の構えだ。男達も無闇に近付く事はしない。無闇に近付けば、さっきの二の舞になるかも知れないのだから。数瞬の後、ジリッと誰かが一歩を踏み出す。そして、剣を僅かに振り上げる。

 ラシュウはその瞬間を見逃さなかった! 刹那(せつな)、ラシュウは反動も付けずに、踏み出してきた男に向かって低い体勢で突進する! 素早い、でも全体重を乗せた体当たりを喰らった男は、剣を振り上げる初動の隙を突かれた為にラシュウの突進に対する反応が僅かに遅れていた。その僅かな隙が致命的だった。その隙があったが為に、ラシュウの突進をまともに喰らう羽目になった。男は呻き声を上げながら地面に仰向けに倒れ込む。
 一瞬で一人を無力化したラシュウは、そのまま、突進の勢いを利用して身体を反転させながら斜めに構えていた剣を大きく横に薙ぎ払う。倒れ込んだ男の両隣にいた二人が、その薙ぎ払いを喰らって何も出来ずに絶命する。ほんの僅かな瞬間に一気に三人減って、残りは減った分と同じ三人になった。

 その後の展開は、闘いと呼べる様なものではなかった。一方的な殺戮。ラシュウは二人を片付け、最後の一人へと剣を向ける。ラシュウの表情を窺い知る事は出来ないけれども、決して愉快な気持ちではなかったと思う。ラシュウは――それがどんなものであれ――殺しを楽しむ様な人間ではないから。
「月は見えずとも存在する……。努々(ゆめゆめ)忘れぬ事だ、ラシュウよ……」
 残された一人が、呻く様な声でラシュウに向かって言葉を吐く。それが、彼の最期の言葉になった。

「お疲れ様」
 少し離れた街道の脇に退避していたあたしは、闘いが終わった事を見届けてから、辺りに気を配りながらゆっくりとラシュウに近付いて労いの言葉を掛ける。ラシュウは両手剣を鞘に仕舞う事もせずに俯いたまま立っていたけれど、あたしの声に気が付くと両手剣を鞘に仕舞いながらあたしの方へと視線を寄越す。
「哀れな奴等さ」
 ラシュウは、手の平を上に向けながらおどけた調子でそう言う。でも、その態度とは裏腹にラシュウの表情は堅い。
「新月旅団……だっけ? 貴方を知っていた様子だったけれど?」
 あたしは疑問を率直にラシュウにぶつけてみる。こういう時は、変に誤魔化さずに自分の思っている事を口に出した方がいい。あたしは、そういう考えでいる。
「戦稼業を永くやってりゃ、恨みの一つや二つを買うなんざ日常茶飯事さ。まあ、それに、俺は知っての通り賞金首だ。俺の命が欲しい連中は幾らでもいる。そういう奴等の事を一々気にしちゃいられねえな」
 ラシュウはそう応えると、この話はもう終わりとばかりにあたしから視線を外し、街道に散らばった新月旅団の男達の死体へと視線を移す。
「やれやれ、こんな世じゃ死体を片付ける人間もいねえ。面倒くせえが、片付けるしかねえな……」
 ラシュウはそう言うと、近くにあった死体を担ぎ上げる。そして、街道の端の目立たない場所へと死体を運んでいく。あたしは改めて新月旅団の男達の死体へと目を向ける。旅人用の布のローブに身を包んだ、

。あたしはふとローブの中身が気になり、近くにある死体の脇にしゃがむとそっとローブをはだけさせる。ローブの下には、鎖帷子を着込んでいる。まあ、当然の武装ね。そして、あたしは鎖帷子の左胸の部分に紋章が刻まれている事に気付く。太陽と月と竜と獅子が描かれた紋章……。この紋章は――。

「おい、ニムル、何やってんだ?」
 唐突に背後から低い声がする。低く、抑えた声……。
「あ、あたしは、その……」
 あたしは振り返りつつ、声の主であるラシュウにそう応えるのが精一杯だった。背中中に冷や汗が出るのが分かる。何故だか分からないけれど、凄く……気まずい……。
「こっちは後を片付けてんだ。そこにいられると邪魔になる」
 あたしを見下ろしてそう言葉を発しながら、肩を竦めるラシュウ。
「え、ええ、そうね。ごめんなさい……」
 あたしは反射的にそう謝罪する。別に悪い事はしていない筈なのだけれど、ラシュウの迫力に気圧されてしまう。あたしはすごすごとその場を離れて、ラシュウの

を見守る事にした。

 ラシュウは何も言わずに死体を片付けていた。あたしはそんなラシュウの様子を端で眺めながら、思索に囚われていた。……こういう時、あたしだって何か手伝えたら良いなと思うけれど、肉体労働ではあたしに出来る事は殆ど無い。そう、実際の処、あたしはラシュウにおんぶに抱っこになっている。そんな無力な自分がもどかしい……。
 そんなあたしの思いにお構いなくラシュウは黙々と作業を続けている。そして数刻後、片付け終えたラシュウが大きく息を吐く。その表情から察するに、流石のラシュウも闘いから連続で働き通しで疲れた様子だった。
「お疲れ様、ラシュウ。疲れたでしょう?水、飲む?」
 あたしは自分に出来る事をと思い、働き終えたラシュウにそう声を掛けて腰に括り付けている水袋を手に取ってラシュウに差し出す。
「ハッ、わざわざ気を使わんでもいいってのにな」
 そう言うラシュウは言葉とは裏腹に、口の端を上げてニヤリと笑む。そして、あたしが差し出した水袋を受け取ると、街道の剥き出しの地面にドカッと腰を下ろして水を飲み始める。
「しかし、大分時間を喰っちまった。これじゃあ今日は大して進めねえ。次の宿までは行けねえな……」
 胡坐をかいて座るラシュウは、水を一口飲み込んでから思案気にそう声を上げる。ラシュウのその言葉を聞いて、あたしは反射的に空を見上げる。太陽は大分西に傾いていて、この様子だと日没まで歩いたとしてもそう遠くまでは行けなさそうだ。
「さて、どうするか……」
 あたしとラシュウは、二人しかいない巡礼の街道で空を恨めし気に見上げていた。

「今夜の宿に困っているのでしたら、一旦ソルイエムに戻られては如何いかがでしょうか?」
 空を見上げていたあたしの耳に、唐突に誰かの声が入ってくる。男の声。でも、ラシュウの声じゃない。ラシュウよりも、もっと歳を重ねた男の声。
「誰だ、てめえ!」
 あたしが反応するよりも早く、ラシュウが怒声を上げる。あたしが空から視線を戻してラシュウの方を見ると、背中の鞘に仕舞った両手剣の柄に手を掛けて立ち上がるラシュウとその目の前に立つ細見の初老男性が目に入ってきた。
 その男性は背筋をピンと伸ばし顔に微笑みを浮かべて、敵意が無い事を示す様に両の手の平を顔の高さでラシュウに向けている。男性の格好は、黒い紳士服に黒いコートを羽織り、これまた黒いシルクハットを被っている。何て言うのか、国亡き無法の世の人通りの無い街道には似つかわしくないその出で立ちに、思わず現実感を失いそうになる。
「これはこれは、失礼を致しましたな。ワタクシはリチャード・マイヤーズと申す者。所用にてソルイエムへと参る途中、貴方達をお見掛け致したのです」
 リチャード・マイヤーズと名乗った男性は、そう自己紹介してから一礼をする。その所作はとても慇懃で、彼の言葉遣いと格好と合わせて、彼が平民ではない事を物語っていた。
「……ほう? で、その紳士が俺達に何の用だってんだ?社交界への誘いだったら要らねえぜ?」
 リチャードの言葉と態度に毒気を抜かれたのか、ラシュウは剣の柄から手を離して腕を組んで皮肉で応える。対するリチャードは相変わらず微笑みを浮かべたままだ。
「いえいえ、ワタクシが貴方方に声を掛けたのは社交界への誘いの為では御座いませんで。……ラシュウ様、と言いましたかな。先程の闘い、実に見事な手並みでした。実は、その腕前を見込んで貴方に頼みたい事があるのです」
 リチャードは微笑みを浮かべたまま、しかし真剣な口調で話す。その視線は真っ直ぐラシュウへと注がれている。リチャードの言葉と視線を受け取ったラシュウは、途端にリチャードから視線を外すと顔を手で覆う。そして、肩を震わせ始める。ラシュウは、笑っているんだ……。
「……クックック、そうかそうか。お前は面白い奴だよ、リチャード。俺達が宿に困っているのを知っていての頼み事って訳か? ……つまり、その頼みとやらを引き受ければ、俺達が今夜の宿に困る事は無い。ソルイエムの宿で高いびきって訳だ。だが、その頼みを断れば、俺達は荒野の真ん中で野宿する羽目になる。そうなんだろ?」
 そう言うラシュウは、何故だか心底楽しそうだ。その様子は、まるで新しい玩具を見付けた子どもの様に見える。何がそんなに楽しいのか、あたしにはさっぱり分からないのだけれど……。ラシュウの問い掛けにリチャードは一言も発さない。その沈黙は、肯定を意味している。
「リチャード、俺の心情としてはその頼みは受けてやりたい。だがな、生憎今の俺は雇われの身でな。雇い主の許可無く、勝手に依頼を受けたり出来ねえんだよ」
 さっきと一転して真面目な調子で、ラシュウは言葉を続ける。そして、あたしに視線を寄越してくる。その言葉を聞いたリチャードも、ラシュウに釣られる様にあたしへと顔を向ける。
「如何ですかな、ニムル様? 勿論、依頼をお受け下されば報酬は準備致しましょう。決して悪い条件ではないと思いますが……?」
 リチャードが微笑んだまま、そう声を掛けてくる。その微笑みに、何だか気圧されてしまう。凄く、断わりづらい……。あたしは横目でラシュウに視線を送って暗に助けを求めたけれども、ラシュウはそれを知ってか知らずか何の反応も見せない。あたしが決めろって事なのね……。あたしは心の中で一つ溜め息を吐くと、小さく頷いて口を開く。もう、どうにでもなれ……だわ。
「分かりました、リチャードさん。その依頼を引き受けましょう」
 小さく、でもはっきりと聞こえる様にあたしは声を出す。そして、リチャードと視線を合わせると笑みを作ってみせる。多分、相当ぎこちない微笑みになっているだろうけれど……。
「そうですか。快い返事を聞けてワタクシは感激至極で御座います」
 あたしの承諾の返事を聞いたリチャードは相変わらず微笑んだまま、でも少し弾んだ声で応える。そして、あたしに向かって一礼をする。
 こういう時、あたしが領主の娘としてのマナーをしっかりと身に付けていたらちゃんと返礼が出来るのだろうけれど、生憎あたしはそういう事は大の苦手で、マナーなんて身に付けないまま育ってきてしまった。だから、あたしはリチャードの一礼に対して軽く会釈して返す事しか出来なかった……。
「で、依頼を受けたんだ。内容を聞かせて貰おうか?」
 それまで、黙ってあたしとリチャードの遣り取りを見ていたラシュウが口を開く。
「それに関してはここでは何ですので、宿でゆっくりと話をさせて頂くという事で宜しいですかな?」
 リチャードはラシュウの問いにそう応えると、ソルイエムとは反対方向へと歩き出す。

「おい、ソルイエムはそっちじゃねえぞ」
 慌ててラシュウがリチャードを制する。再びラシュウの方向に向き直ったリチャードは慌てる様子も見せない。
「何、ソルイエムまでご足労願う事は致しませんで、近くに馬車を停めてあります。それに乗って行きましょう」
 リチャードはそう言いながら北西の方へと手を向ける。『そこに馬車がある』と言わんばかりに。リチャードが手を向けた先には小高い丘があり、馬車は見えない。そこに馬車を隠している、という事なのだろうか。
 これまでのリチャードの言葉を総合して考えるに、リチャードは馬車でソルイエムへと向かっていた最中にラシュウと新月旅団の闘いを目撃した。だから、安全の為に馬車を隠して、自分も隠れて闘いの行方を見届けてからあたし達に声を掛けた、という事なのかも知れない。それにしても――。
 リチャードがソルイエムへ向かう理由は、彼の依頼と何か関係があるのかしら? そして、肝心の依頼の内容は果たして何なのかしら? 分からない事だらけだわ……。

 数々の疑問を抱えたまま、あたし達はリチャードの馬車へと向かって行った。
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