信じざる者

文字数 4,973文字

 街道での出来事の後、あたし達はリチャード・マイヤーズと名乗った老紳士と共に、彼の馬車に乗ってソルイエムへと戻っていた。リチャードが乗ってきたという馬車は二頭の馬車馬が牽く幌付きの馬車で実用性が重視された頑丈な造りになっていて、あたしとラシュウが乗ってもまだまだ重量とスペースには余裕がある様に感じた。まさかリチャードが馬車を御するのかな、なんて考えが浮、勿論、そんなことはなく、お付きの御者がいた。
 その馬車はソルイエムでも屈指の高級宿である『落涙の恵み(グレイスオブティアー)亭』へと入った。あたしとラシュウとリチャードは宿に入り、御者は馬車と馬車馬と共に宿に併設されている厩舎へと入った。御者は厩舎に泊まる。

 この宿の『落涙の恵み』という名の由来はこの地に伝わる伝承に纏わるもので、その伝承とは「大昔にはこの地は生命の存在を許さぬ不毛の土地であったが、ある時、流浪の民がこの地を訪れた。この地の余りに厳しい環境に心を痛めた流浪の民は、幾ばくかの生命が生まれる様に大地の女神に祈りを捧げた。女神は祈りを聞き届け、一粒の涙をこの地に落とした。その落涙は一つのオアシスとなり、そこからこの地に生命が誕生した」というもの。この伝承の女神の落涙、そして伝承そのものが『落涙の恵み』と呼ばれ、ソルイエムの住人の間で語り継がれて信仰の対象になっている、という事らしい。客室に置いてある、この宿の案内の冊子に書いてあったわ。ご丁寧に宿の案内を用意しているなんて、流石は交易都市の高級宿、と言った処かしら。
「……害獣討伐、ですか」
 リチャードの依頼内容を聞き終えたあたしは、その落涙の恵み亭の客室で依頼内容を反芻はんすうする様に小さく声を発する。客室は過度な装飾はないけれども清潔さを感じさせる造りで一部屋が割合と広く、ベッドの他にテーブルが一つと椅子が四つ置かれている。ソルイエムが交易都市である事を考えれば、商人が商談をする事も想定された造りになっているのかも知れない。

 リチャードは部屋を人数分、つまり三部屋取ってくれた。あたしとラシュウは、二人で一部屋に泊まるから二部屋でいいと言ったのだけれど、リチャードは『男女が同じ部屋に泊まるのは色々と不都合がありましょう。いえ、お金の事は気にしないで下さい』と言って結局三部屋を取る事になった。
 そのリチャードの依頼は単純と言えば単純で、彼が住むフォルクデンという街の住民を襲う害獣を討伐して欲しいとの事だった。何故、他の住人ではなく彼が害獣討伐の為の依頼をしに来たのかというと、リチャードはフォルクデン領主であるドグナ・カーディスに仕える執事であり領主であるドグナ・カーディスの名代として、依頼を受けてくれる傭兵を探していたとの事。つまり、本当の依頼主は、リチャードではなくフォルクデン領主ドグナ・カーディスという事になる。

「そうです。これは、我が街フォルクデンにとって重要な事業になりましょう」
 あたしの向かいに座って、依頼内容を話している間ずっと背筋を伸ばしたままのリチャードがあたしの呟きに反応する。『我が街フォルクデンにとって重要な事業』だなんて、何の信頼性も無いあたし達にその事業を依頼するのは……何と言うのか、少し不自然だと思うのだけれど……。
「しっかし、街を挙げての事業とやらに、何処の馬の骨とも分からん俺達を雇って大丈夫なのかよ?」
 あたしの隣で退屈そうに話を聞いていたラシュウが、皮肉めいた調子で声を出す。ラシュウの疑問は当然と言えば、当然ね。リチャードはあたし達の素性を知らない筈で、少なくとも彼にはあたし達は単なる二人旅の男女にしか見えていない筈なのだから。
 まあ、付け加えるなら、相当妙ちきりんな男女に見えている事でしょうけど……。
だって、一〇代半ばのうら若き乙女――自分で自分の事をこんな風に言うのは、何だか小っ恥ずかしい限りね――と、筋骨隆々な剣士の男が一緒に旅をしているんだから。普通に考えたら、無法の世の旅人としては明らかにおかしい。人攫さらいか、人身売買か、それとも……駆け落ちか。どう考えたって、何か訳ありの二人に見える筈。
「それについてはご心配無く。フォルクデン領主ドグナ・カーディスは寛大な方。身分や出自を気にする事は御座いませんで」
 リチャードが、あたしの考えている事に対しては少しずれている答えを言う。でも、ラシュウの言葉を受けての答えなら、そう応えるのも無理はない。勿論、ラシュウとあたしの意図が同じだとは限らないのだけれど、ラシュウはあたしの意図を代弁してくれたのだと思う。否、そう思いたいってだけなのだけれど……。
 そして、そんなあたしとラシュウの意図を知ってか知らずか、リチャードは敢えてあたしとラシュウの関係について詮索していないのかも知れない。単純にあたし達を慮ってか、それとも、厄介事に首を突っ込みたくないのか……。まあ、どちらにせよ、詮索されないならそれはそれで一向に構わないのだけれど。
「そうかい、そいつは楽しみだな。その寛大な依頼主に甘えて、今夜はゆっくり寝させて貰うぜ」
 相変わらず皮肉めいた調子で、リチャードに応えるラシュウ。……その不遜な態度は、一体何処から来るのだろう? リチャードを怪しむ気持ちは分からなくはないけれど、相手がいる手前それに相応しい態度ってものがあるわ。例え、礼儀を知らない傭兵だと言ってもね。相手は、フォルクデンという街の領主の遣いとしてソルイエムに来ているんだから。野盗を相手にするのとは訳が違うのよ?
「ええ、そうして下さい。当初はソルイエムに着いてから傭兵を探す予定でしたから、数日はソルイエムに滞在せねばならないと思っていました。しかし、期せずしてこんなに早く貴方方が依頼を受けて下さった。ですので、予定よりもかなり早く、明日にはフォルクデンへと戻る事が出来ます。どうお礼を申して良いか……」
 そう言いながら、座ったまま、リチャードは神妙な面持ちでテーブルに顔を付けんばかりに上半身を折り曲げて一礼する。
「い……いえ、良いんです。あたし達はオルクシティに行く途中で、旅費も必要ですし。……それに、人を助ける事が出来ればそれに越した事は無いですから」
 リチャードの慇懃な振る舞いに申し訳ない気持ちになったあたしは、何とかそれに応えようと必死で言葉を絞り出す。何だか、取り繕う様な言い方になってしまったのだけれど……。
「帝都オルクシティに、ですか……。遠くまで行くのですね。……いえ、何、どんな事情があるのかは知りませんが詮索は致しません。ただ、旅の無事を神に祈り申しておきましょう」
 リチャードはあたしの言葉にそう応えると、天井を仰ぎ見て目を瞑る。そして、ゆっくりと口を開く。
「天にまします我等が主よ、旅人の行く道に加護をお与え下さい。ソール……」
 リチャードは、神への祈りを口にする。デイア大陸、そしてそこに住まう全ての生命を創った神。唯一にして至高の存在。心の拠り所。全てを愛せし者――。
「ソール……」

 あたしはリチャードの祈りに釣られる様に祈りの言葉を口にする。
「ハッ! わざわざ神に祈らんでも、無事にオルクシティまで連れて行くさ」
 あたしとリチャードの祈りを邪魔するかの様に、ラシュウが皮肉めかして笑う。その口振りから感じるものは、悪意。何に対して、誰に対しての悪意なのかは分からない。勿論、今この場に限れば、それはあたしとリチャードの『祈り』に向けられたものだ。でも、ラシュウが悪意を向けたい相手は、もっと別にあるのかも知れない。あたしの心の内は、ラシュウの悪意の正体を探りたいという好奇心とラシュウの粗雑な態度に対する反発心でいっぱいになる。今にも、ラシュウへの非難の言葉が出そう……。
 でも、相手はラシュウ。大陸最強を自称し、実際、難無く敵を打ち倒してきた猛者。あたしが彼の意に反する事をしたら、どうなるか……。怖い……。唇が小刻みに震えるのが分かる。そして、無意識に何度も口を開き掛けている事も。ラシュウ、貴方は――。

『神なんか、いねえんだよ』

 翌日、この地方では珍しく雨が降る中、あたし達は馬車に乗ってフォルクデンの街を目指していた。リチャードによると、フォルクデンはソルイエムから北西の方角に位置し、馬車で半日ほど掛かるとの事。つまり、フォルクデンに着くのは早くても夕方になるって事。会話の無い馬車旅をしなきゃならないのは、正直に言えば楽しくはない。でも、その原因を作ったのは他でもないあたしなんだ……。あたしはその思いから、そして、この重苦しい空気から意識を逸らすように、自責の念を頭の片隅に抱きながら昨夜のラシュウの言葉を思い返していた。
 そう、ラシュウは確かに言った。『神なんか、いねえんだよ』って。あたしとの――初めての――口論で、ラシュウが言った事。いつもの調子で皮肉めかして、でも、いつにもなく真剣な表情でラシュウは神を否定したんだ。それは、決して冗談で言った訳じゃないって事……。

 街道でラシュウと戦った新月旅団の一人は、ラシュウに向かって『異端者』と言った。異端者……。聖教会の異端審問により異端の烙印を押されし者。神に背きし者。悪魔に魅入られし者。存在してはいけない者――。
 もし、ラシュウが異端者だとしたら、聖教会がラシュウに賞金を懸けている事の説明は付く。聖教会にしてみれば、異端者がデイア大陸を自由に闊歩するのは許されない事。生死を問わず、異端者を捕らえたい筈だ。だけれども、仮にラシュウが異端者だとして、じゃあ、何でラシュウは異端者になったのかという疑問がある。そして、何でラシュウは異端者の身でありながら、自由の身でいれるのかという疑問もある。あたしには何もかもが分からない……。ラシュウの事も、世界の事も、あたし自身の事さえも……。

 あたしが物思いに耽っていると、馬車が急に止まった。馬車が止まった感覚で現実に引き戻されたあたしは、何事かと辺りを見回す。それはラシュウとリチャードも同じだったらしい。ラシュウは一つ溜め息を吐いて小さく肩を竦める。リチャードは御者台へと身を乗り出して顔を向ける。
「どうしましたかな?馬車の不調ではなさそうですが……」
 リチャードが御者に声を掛ける。あくまで、ゆっくりとした口調。それは恐らく、あたし達全員を落ち着かせる事も考慮しての口調なのだと思う。
「い、いえ、前方に人が、倒れてまして……」
 御者はリチャードに向かって慌てた様子で声を返す。そして、馬車の中と人が倒れているという前方を交互に見遣る。
「行き倒れか? 別に珍しい事じゃねえだろ?」
 ラシュウが面倒臭そうに声を上げる。馬車の外を見ようともしない。
「そうですが、生きているのか死んでいるのか、ここからだと分かりません。もしかしたら、生きている可能性も……」
 御者のその言葉を聞いたからという訳でもないのだけれど、あたしは身を乗り出して馬車の外の様子を窺う。雨の中、馬車の前方一〇歩ほどの距離の場所に誰かが倒れている。ここから見た処、目立った外傷はなさそうだ。衣服もちゃんと着ている。それに加え、背中に何かを背負っているのが見て取れる。

「放っておくのは良くないわ。様子を見るだけでもしましょう?」
 別に、その人間に何かを感じた訳ではないし何か理由がある訳でもないけれども、あたしは咄嗟にそう言っていた。放っておくのは、何だか気が引ける。そして、濡れる事を覚悟で馬車から出ようとする。
「おい、軽率な事をするな。仮に生きていたって、俺達が奴を助ける義理はねえんだぞ?」
 ラシュウが咎めの声を出す。そこにはほんの僅かだけれども、困惑の感情が混じっている。そう、確かに、ラシュウの言う通り。あたしのしようとしている事は確かに軽率だ。見ず知らずの他人を助ける義理なんて何処にも無い。だから、あたしが、あたし達が目の前の人間を助けたって何の得にもならない。寧ろ、損になる可能性の方がずっと高い。でも、それでも――。
「ラシュウ。あたしは、目の前の人間を助けたいのよ」

 あたしはラシュウにそう言うと、馬車から降りて、降りしきる雨の中へと出ていく。馬車に残されたラシュウが、ゆっくりと腰を上げる気配を感じながら。
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