第4話:原発事故と滝山のプロポーズ

文字数 1,626文字

 11時1分、原子炉建屋が、1号機と同じ様に水素爆発し大破した。一瞬の透明な爆発の直後、燃料プール付近で一瞬の赤い炎が上がり爆発の煙が上がった。大量の瓦礫「がれき」が、高度、数100mまで巻き上げられ7人が負傷し復旧作業も中断。と言う事で、東京電力福島第一原子力発電所では、大騒ぎとなった。

 原子力発電所の1,2、3、4、5、6号機のうち5号機・6号機は、1~4号機と、立地が異なりやや離れた高所にあり津波被害がやや軽微だった。つまり、原子炉1,2、3、4号機が、全て、炉心溶融、水蒸気爆発を起こしたと考えられ、大きな被害となった。そして近隣の町、村の放射能が急上昇、人が住めない状況となり、避難を余儀なくされた・


 その後、数年間経っても避難指示により自分の家にさえ帰れない悲劇が長期間続く。東日本大震災から5日目の3月15日金曜日、首都圏の鉄道が、ほぼ全線が、再開された。滝山は、M物産・横浜営業所に出勤して営業所のみんなに挨拶して回った。横浜営業所の首藤真一所長が当分の間、こちらで勤務してもらうと言い、翻訳業務に当たってくれと言われ了解した。


 その後、ずるずると滝山は、智子さんと同棲を続けた。2011年5月に米国にいる子供の養育費の支払いが終了の通知書が届いたと言った。滝山恒夫は米国籍であり、いまだにアメリカの銀行に口座を持っていた。日本では、三菱UFJ銀行の米国子会社を通じて、お金のやりとりをしていた。しかし、1960年代1ドル360円時代、会社からの給料は米ドルだった。

 それが1970年の時、米ドル360円で15万ドルを手数料支払い後5300万円にして、円口座に入れていた。1973年から変動相場制になり、1996年4月には、80円で5300万円を65万5千ドルに変えた。その後、2010年12月には、自己資金の約35万ドルと合計し100万ドル。

 そして、現在1ドル80円前後と円高なので、円安になった段階で、米ドルを円に換えようと考えて、生活に必要な円を持つ事にしていた。しかし、今回の東日本大震災で一瞬、1ドル76円を切る円高になった。しかし、いずれは、円安になるだろうと考えていた。5月5日、子供の日に、滝山は、意を決して、谷川智子さんに、再婚しないかと話した。

 それを聞いて谷川智子は、気が動転し、涙を浮かべ、どうしたら良いのかしらと迷った。そこで、滝山が自分に正直に判断してと言い、それほど、焦らないから、慌てないで、優しく告げた。次に滝山が、谷川智子に子供さんいるのと聞くと1人男の子がいると答えた。

 もう独立して千葉の新日鉄君津製鉄所に勤めていて木更津郊外に住んでいて病弱な奥さんと子供が3人いると打ち明けた。やがて2011年11月になり滝山が智子さんに彼女の誕生日に結婚しようと告げた。本気ですかと聞き直すので、君が良ければ、そうしたいと滝山が、冷静に伝えた。続けて、笑いながら僕と結婚して下さいと言ってと大きな声で訴えた。

次に、滝山が、冷静になり、結婚して下さいと小さな声でささやいた。わかりました結婚してあげると智子さんが言うと、滝山が、彼女を抱き付いて、嬉しいと笑顔になった。智子さんは、涙声で、滝山君の馬鹿!、中学の頃から、あなたを好きだったのよと口をとんがらせた。そして、半年後の2011年12月24日、クリスマスイブの日に結婚届けを提出。

 結婚するに当たり滝山恒夫と智子の2人が自分達の資産をお互いに公開。谷山は亡き夫の死亡保険など事故保険金で2千万円と財産分与分1千万円で合計3千万円。一方の滝山恒夫はと100万ドルと50万円と伝えた。

 その後、M物産に仙台営業所から横浜営業所への転勤願いを提出。すると仙台の所長から了解され、59歳で定年まで1年なので了解を得られた。そして2012年となった。2月下旬に、新横浜近く大倉山の梅林で梅の花見をして4月には、山梨まで行って桜と桃の両方の花見をして楽しんだ。
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