第1話:東日本大震災の時の偶然の出会い

文字数 1,700文字

 2011年3月11日・月曜日、忘れもしない、東日本大震災の日です。 この日、谷川智子は2年前に亡くなった亭主の死亡の事務手続きの書類の件で、横浜市役所から呼び出され、書類の不備を訂正するように言われた。

 その話で午前11時頃から市役所の2つの部署を行ったり来たりして昼過ぎに終了して、2つの部署で完了の確認をもらった。その後、散歩しながら、以前、亡くなった主人と一緒に行った、横浜・中華街のS飯店で昼食を食べた。

 昔デートした山下公園の噴水、赤い靴の女の子像の前に立った。この日は、うすら寒く、散歩する人はまばらだった。少しして噴水の向こうのベンチに座っていた初老の男性が慌てた様子で、こちらに向かって、早足でやってきた。

 驚いて、何か、谷川智子は後ろに知り合いでもいるのかと思い、後ろを振り返っても、誰もいない。変だなと思っていると、その男が、
「やー久しぶり、元気と声をかけてくるではないか、メガネをかけて、白髪交じりで、髪も薄い」。
「うーん思い出せない」。

「すると、俺だよ、俺、M中学の時、一緒だった、滝山恒夫だよと言った」。
「えー滝山君、うそー、おもわず、老けたねーと、言ってしまった」。
「きついなー、久しぶりの再会なのに、ひどいなーと笑った」。

「その笑い顔を見て、あー思い出した。同じ中学の同級生、滝山君」。
「彼は、学校を出て、商社マンになって、アメリカに渡った滝山君と聞いた」。
「そうだよ、やっと思い出してくれたか、と笑顔で答えた」。
「しかし、その後の消息は、わからなかったとわと正直に言った。
「ここは寒いからと、みなとみらいのデパートの喫茶店に入って話が弾んだ」。

「アメリカへ渡り仕事も順調で米国人女性と結婚し2人の子供ができた」。
「その後、仕事は順調だったが、会社から、日本への転勤命令が出た」。
「その時、彼女が、どうしてもアメリカを離れたくないと言い、何回も話し合ったが両方とも納得できず離婚」。

「しかし彼女が、私の事情も離婚理由に関係するから子供達の養育費だけは請求します」。
「でも、慰謝料は、放棄するという条件で離婚して、最近、日本に帰ってきた」。
「それから、今は仙台営業所で仕事をしていると語った」。 
「今日は、輸出入関連の事で、横浜税関に来たと教えてくれた」。

「仙台に帰る迄の少しの間、懐かしい山下公園に足が向いたって訳さと言った」
「今日は、何時までいられるのと谷川智子が聞くと、明朝9時に、仙台支店に出社できれば大丈夫だと言った」
「そこで、智子が、それなら、私と少しの間デートしようよと口から出た」
「えー、ほんと、それは、うれしいなと、滝山が、笑った」
「智子は、続けて、私も最近、主人を亡くしたばかりと言い涙ぐんだ」
「それは、大変だったねと言い、滝山が、軽く智子の肩を抱いた」

「そのやさしさが、智子の感情を揺さぶり、彼女は、滝山の胸で泣いた」
「ひときしり泣いて、感情が収まったのか、優しくしてくれて、ありがとうと言った」

「ところで滝山さん、今1人なのと聞くとワイフと別れてずーと独りぼっちさと答えた」
「もう、新しい女性を探そうという気力が失せたんだとつぶやいた」
「それなら、私にも、チャンスが残されてるのねと、智子は、いたずらっ子の様に笑った」
「すると60歳近くで白髪交じりで毛の薄くなったしらが男なんて、全然、魅力ないから、やめとけよと言い返した」

「でも、滝山君、中学の時、学校の成績も上位で、陸上部でも花形スターで、あんなに女の子にもてたのに、随分、弱気なこと言うのねと言った」
「あの頃は、天下国家を論じたら右に出る者がいない程、弁舌が立ったのに随分変わったのねと薄笑いを浮かべた」
「すると、中学生の時は、世間知らずで、背伸びしていただけさ、世の中に出て、自分の力の限界を痛いほど、味わったからねとぽつりと言った」
 そうしているうちに14時半になり、滝山が俺に、おごらせろよと言い、カフェの精算を済ませデパートを出た。寒いのでコートの襟を立てて、みなとみらいの方へ歩き出し数分が経った。
「その時、突然、歩道が大きく揺れ立ち止まり、智子は、滝山に抱き付き怖いわと叫んだ」
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