第7話
文字数 5,123文字
七
僕はその後、基本的には一人で生きてきた。もちろんそうしたいと思ったわけではないが、結果的にそうなってしまったのだ。Tとはあれ以来一度も会っていない。そう、あの夜、河原でオカマ音頭を踊って以来、だ。それは僕にとってはかなりきついことだった。正直彼のほかに、僕が考えていることを理解してくれそうな人など思い付けなかったからだ。それでも「もしかしてこれでよかったのかもしれないな」と感じていたことも事実だ。というのもあの夜僕は悪魔――元悪魔――と取引をしたのだったし、それはTを守る代わりに、僕自身が悪魔の資格を引き継ぐ、というものだった。だとすると、僕はやはり彼と離れていた方がいいのかもしれない。彼に悪影響を与えないためにも。それに、そもそも僕らが知り合ったのは、Tが悪魔と十字路で契約を結んだことが発端だったのだ。そう考えると、もしかしたら彼は僕のこと自体も忘れてしまったのかもしれない。そういう可能性はまったくないとも言い切れなかった。「角 がなくなるのと同時に、契約のこと自体も忘れる」と、そういえば悪魔が――元悪魔が――言っていたからだ。
だとすると、僕は本当の一人ぼっちになったことになる。友達もいないし、恋人もいない。家族の場所に戻ることはもはやできない。角 が生えていることは誰にも言うべきではない(言ったところで理解されない)。ふとトシトシのことが頭に浮かんだが、僕は安易に彼女に助けを求めたりするべきではないだろう、と思った。僕はおそらく、一人でこの世界を生き抜いていかなくてはならないのだ。もちろん個別的なケースにおいては助け合うことは必要だろう。それは当然のことだ。しかし最も本質的な部分においては、僕はこの世で生きることの責任を、一人で負わなければならない。それがおそらくは「大人になる」ということの本当の意味なのだ。
ということで僕は――表面上は――ごく普通の生活に戻った。きちんと大学に通い、講義を聴いて、ノートを取った。週に三回アルバイトをし、稼いだお金で本を買った。きちんと歯磨きをし、休みの日には長い散歩に出た。
なんだ、これじゃ前とおんなじじゃないか、と思うこともあったが、結局はそれが僕なのだから仕方がない。本質的にTとは違っているのだ。僕は良くも悪くも、あそこまでワイルドにはできていない。しかしそんな風に生きながらもなお前に進むことができたのは、おそらくこの角 の存在が大きかったのだと思う。これはほとんど何も語らなかったけれど、時折ほのかな熱を持つことがあり、その温度によって僕に何かを伝えてくれていた。それはつまりこういうことだったように思う。
僕は傷ついて、立ち直ったり、あるいはさほど有効に立ち直れなかったりした。恋をして、それはうまく行かなかった。また恋をして、今度はうまく行ったように思えたが、長い目で見れば単なる幻想に過ぎなかった。大学を卒業して、就職した。僕は一生懸命仕事に励み、お金を稼いだ。ときどき同じところをグルグル回り続けているだけのような気分になったが、そんなときは頭に生えた二本の角 のことを思った。実際にそこに触ってしばらく座っていることもあった。それは相変わらず僕に同じことを伝えていた。
ときどきTや、トシトシや、悪魔のことを考える。彼らは一体何をしているんだろうな、と思う。でも当然のことながら、彼らは彼らの人生を生きているのだ。僕は僕の人生を、淡々と生き続けるしかない。
おそらく僕は、そうやって自分を鍛えていたのだと思う。というか少なくともそうやって、自分の人生を正当化してきた。うまく行ったことよりは、うまく行かないことの方が多かったが、それでも。やってくる一日一日が自分の課題 なのだと考えた。これを乗り切れば、また一歩成長した自分が現れるのだ、と。
そのようにして僕は二十八歳になった。悪魔が予言していた、寿命の歳だ。僕は今ではIT企業に勤めていて、それなりの収入もある。恋人は今はいないが、頑張れば作れそうな気もする(なかなかそういう気にもなれないのだが)。顔立ちも二十歳 の頃から少し変わった。大人っぽくなり、幼さも――多少ではあるが――以前よりは抜けている。この世界で生き続けていくためのシステムを形作った。それは毎日更新され、たとえウィルスに冒 されたとしても復帰可能だ。僕にはそれが分かる。
両親には「いつ結婚するのか」とよく訊かれる。八年も経つと、彼らも歳を取ったなあ、という感慨が湧いてくることになる。父親はあと二年もすれば還暦を迎えることになる。そんなこと、正直僕には信じられない。ついこの間まであんなに若々しかったじゃないか? でもまあ、よく考えてみれば、ウラディミール・ホロヴィッツは八十を越えてもピアノを弾き続けた。ゲーテは七十歳を越えてから十代の女性に恋をした。だとすると、別に六十歳なんてなんということもないのではないか?
まあそれはともかく、「今はちょっとほかにやることがあるから」と言って僕は電話を切る。それが最近の恒例になっている。僕にとっての「ちょっとやること」とは、あくまで自分を鍛えることである。そして
そして今日「そのとき」がやって来た。冒頭に述べた通り、最近僕はイエス・キリストのイメージをよく見る。彼はどこかから、どこかへと執拗に歩き続けている。あるいは僕は彼の姿に自分自身を重ね合わせているのかもしれない。それは十分にあり得ることだ。傲慢になる可能性はあるものの――だってあのイエス・キリストと自分を同列に論じているのだから――それはある程度仕方がないことだったのかもしれない。なぜなら僕は彼と同じように一人ぼっちだったし、それにもかかわらずどこかへと進み続けていたからだ。おそらくは大衆がまったく理解しないような場所へと。
やがて彼が何かを見つけた、という感覚がある。僕は――それは平日の午後八時で、僕はスーツを着たままじっとしている。帰って来るとすぐに、そのイメージに捉えられたのだ――台所の椅子に座り、目を閉じて、ただその様子を窺 っている。そんな風にしていると、さまざまな記憶が蘇ってくる。たとえばTとフォルクスワーゲンビートルに乗っているときの記憶。古いブルーズが流れている。そういえば二人でたらふくドーナッツを食べたこともあったな。あんなことをしたって心の穴を埋めることはできないのに。でもその光景は今の僕の心を確実に温めてくれる。だとすると、あながち無駄でもなかったわけだ。そしてトシトシの長い話。孤独なオカマは、きっと今でも孤独なままだろう。でもそれは、ある意味では必然的な流れだったのではないか、と今では思う。彼女は――彼は――強い人間だ。強い人間は、おそらくはそれだけの責任を負って生きていかなくてはならない。それはつまり何かを差し出し――つまり失い――代わりに何かを得ることを意味する。
あとは悪魔だ、と僕は思う。彼はTに授けられた悪魔の資格を、この僕に引き渡した。あの河原での夜のことだ(月が綺麗に輝いていた)。僕は彼が「オカマ音頭」を踊ることと引き換えに、それを承諾した。その結果僕は二十八までしか生きられなくなった。この角 があることによって、僕は真実を見る機会を保証される、と彼は言った。だから八年の間自分をきちんと鍛えていなければならないのだ、と。
さあ、イエス・キリストが何かを見つけたぞ、と僕は思う。現代的な姿をしたイエス・キリスト。ジーンズに濃い緑色のシャツ。コンバースのスニーカー。格好だけを見ればその辺にいるごく普通の若者である。でも彼が普通ではないことを僕は知っている。おそらくは彼自身もまた知っている。我々はひどく不毛な人生を生きている。もちろん時折風が吹くことはあるが、おそらくはそれだけでは十分ではない。というか少なくとも僕には十分ではない。僕は二十歳 かそこらの頃、自分の人生を信じることができなかった。というのも自分には価値なんてないと思っていたからだ。それに加えて周囲には、自分の頭を使えそうな人など一人もいなかった。少なくとも僕はそう思っていた。僕はきっとふてくされていたのだと思う。だから文句ばかり言って、何一つ行動を起こそうとしなかったのだ。でも今では違う、と僕は思う。今僕は二十八歳で、あの頃に比べれば少し賢くなった。それに多少はタフになったのではないか、と思う。何に価値があり、何に価値がないのかを計る
イエス・キリストが見つけたのは一つのドアだった。彼は都会の街を歩き回り、ようやくその秘密のドアを見つけたのだ。青い、木製のドア。広い道路の真ん中に、それだけポツンと立っている。周囲に音はない。人々の話し声も、車が通る音も聞こえない。ただ風の感触はある。透明な、音のない風。
彼はドアノブに手を伸ばし、そしてゆっくりと回す。ギーという音がして、手前に扉が開く。僕は一度目を閉じ、今自分は死のうとしているのだ、と思う。頭に生えた二本の角 が、熱く火照 っている。右側の角が象徴するのは勇気だ。左側は死。その真ん中に僕がいる。
風が吹いて、青い空を吹き抜けていく。僕は一度死に、分子にまで分解される。そして少しずつ少しずつ再生していく。イエス・キリストの姿はもはや見えなくなっている。もっともそんなものは必要ないのだ。なぜなら今や僕が・・・。
ロバート・ジョンソンは悪魔と契約してギターのテクニックを手に入れた。そんなことが本当にあったのかどうかは知らないが、とにかく彼が若くして死ななければならなかったことは残念だと思う。僕は時を信じない。時なんてものは、いわば豆乳バナナスムージーみたいなものなのだ。過去と未来とが、場所によってまだらに入り混じっている。まるで豆乳とバナナのように。
生きている限り明日はやって来るが、二度と同じ明日はない。毎日風は吹くが、二つとして同じ風はない。僕はあなたに言いたいのだ。もしあなたが世界を愛していないのだとしたら、それは非常にもったいないことなのだ、と。なぜなら世界を愛そうとする
ためしに三秒数えてみてください。目をつぶっていち、にい、さん、と。あなたはその時間を無駄にしたことになる。こんな僕なんかの指示に従ったばっかりに。でもまあそれも悪くないじゃないですか。人生とは矛盾したものだ。人生とは謎だ。人生とは穴だ。人生とは・・・。もうなんでもいいや。とりあえず今日は眠ることにしましょう。おやすみなさい、みなさん。目覚めたときには新しい一日がやって来ているはずだ。おいしい朝食を取って、どんな風にその日を生きるのか、あらためて考えようじゃないですか。
もっとも僕にいえることはただ一つだけです。
僕はその後、基本的には一人で生きてきた。もちろんそうしたいと思ったわけではないが、結果的にそうなってしまったのだ。Tとはあれ以来一度も会っていない。そう、あの夜、河原でオカマ音頭を踊って以来、だ。それは僕にとってはかなりきついことだった。正直彼のほかに、僕が考えていることを理解してくれそうな人など思い付けなかったからだ。それでも「もしかしてこれでよかったのかもしれないな」と感じていたことも事実だ。というのもあの夜僕は悪魔――元悪魔――と取引をしたのだったし、それはTを守る代わりに、僕自身が悪魔の資格を引き継ぐ、というものだった。だとすると、僕はやはり彼と離れていた方がいいのかもしれない。彼に悪影響を与えないためにも。それに、そもそも僕らが知り合ったのは、Tが悪魔と十字路で契約を結んだことが発端だったのだ。そう考えると、もしかしたら彼は僕のこと自体も忘れてしまったのかもしれない。そういう可能性はまったくないとも言い切れなかった。「
だとすると、僕は本当の一人ぼっちになったことになる。友達もいないし、恋人もいない。家族の場所に戻ることはもはやできない。
ということで僕は――表面上は――ごく普通の生活に戻った。きちんと大学に通い、講義を聴いて、ノートを取った。週に三回アルバイトをし、稼いだお金で本を買った。きちんと歯磨きをし、休みの日には長い散歩に出た。
なんだ、これじゃ前とおんなじじゃないか、と思うこともあったが、結局はそれが僕なのだから仕方がない。本質的にTとは違っているのだ。僕は良くも悪くも、あそこまでワイルドにはできていない。しかしそんな風に生きながらもなお前に進むことができたのは、おそらくこの
お前はどこか重要なところと結び付いているのだ
。それが具体的にどこなのかは分からなかったけれど、少なくともそう感じられるだけで僕には十分だった。それさえあればなんとか生きられるような気がしたからだ。僕は傷ついて、立ち直ったり、あるいはさほど有効に立ち直れなかったりした。恋をして、それはうまく行かなかった。また恋をして、今度はうまく行ったように思えたが、長い目で見れば単なる幻想に過ぎなかった。大学を卒業して、就職した。僕は一生懸命仕事に励み、お金を稼いだ。ときどき同じところをグルグル回り続けているだけのような気分になったが、そんなときは頭に生えた二本の
お前はどこか重要なところと結び付いているのだ
、と。正直この感覚がなければ、生き続けることはかなりきつい作業になっていたに違いない。僕は基本的に一人ぼっちで、ほとんど誰とも分かり合うことなどできなかったからだ。ときどきTや、トシトシや、悪魔のことを考える。彼らは一体何をしているんだろうな、と思う。でも当然のことながら、彼らは彼らの人生を生きているのだ。僕は僕の人生を、淡々と生き続けるしかない。
おそらく僕は、そうやって自分を鍛えていたのだと思う。というか少なくともそうやって、自分の人生を正当化してきた。うまく行ったことよりは、うまく行かないことの方が多かったが、それでも。やってくる一日一日が自分の
そのようにして僕は二十八歳になった。悪魔が予言していた、寿命の歳だ。僕は今ではIT企業に勤めていて、それなりの収入もある。恋人は今はいないが、頑張れば作れそうな気もする(なかなかそういう気にもなれないのだが)。顔立ちも
両親には「いつ結婚するのか」とよく訊かれる。八年も経つと、彼らも歳を取ったなあ、という感慨が湧いてくることになる。父親はあと二年もすれば還暦を迎えることになる。そんなこと、正直僕には信じられない。ついこの間まであんなに若々しかったじゃないか? でもまあ、よく考えてみれば、ウラディミール・ホロヴィッツは八十を越えてもピアノを弾き続けた。ゲーテは七十歳を越えてから十代の女性に恋をした。だとすると、別に六十歳なんてなんということもないのではないか?
まあそれはともかく、「今はちょっとほかにやることがあるから」と言って僕は電話を切る。それが最近の恒例になっている。僕にとっての「ちょっとやること」とは、あくまで自分を鍛えることである。そして
そのとき
に備える。そのときまでに十分に鍛えられていなければ、君は一瞬で破滅するだろう、と悪魔――元悪魔――は言った。僕は二十八になった。いつそのときがやって来てもおかしくはない。果たして僕はそれに――真実に――耐えられるのだろうか?そして今日「そのとき」がやって来た。冒頭に述べた通り、最近僕はイエス・キリストのイメージをよく見る。彼はどこかから、どこかへと執拗に歩き続けている。あるいは僕は彼の姿に自分自身を重ね合わせているのかもしれない。それは十分にあり得ることだ。傲慢になる可能性はあるものの――だってあのイエス・キリストと自分を同列に論じているのだから――それはある程度仕方がないことだったのかもしれない。なぜなら僕は彼と同じように一人ぼっちだったし、それにもかかわらずどこかへと進み続けていたからだ。おそらくは大衆がまったく理解しないような場所へと。
やがて彼が何かを見つけた、という感覚がある。僕は――それは平日の午後八時で、僕はスーツを着たままじっとしている。帰って来るとすぐに、そのイメージに捉えられたのだ――台所の椅子に座り、目を閉じて、ただその様子を
あとは悪魔だ、と僕は思う。彼はTに授けられた悪魔の資格を、この僕に引き渡した。あの河原での夜のことだ(月が綺麗に輝いていた)。僕は彼が「オカマ音頭」を踊ることと引き換えに、それを承諾した。その結果僕は二十八までしか生きられなくなった。この
さあ、イエス・キリストが何かを見つけたぞ、と僕は思う。現代的な姿をしたイエス・キリスト。ジーンズに濃い緑色のシャツ。コンバースのスニーカー。格好だけを見ればその辺にいるごく普通の若者である。でも彼が普通ではないことを僕は知っている。おそらくは彼自身もまた知っている。我々はひどく不毛な人生を生きている。もちろん時折風が吹くことはあるが、おそらくはそれだけでは十分ではない。というか少なくとも僕には十分ではない。僕は
ものさし
のようなものも身に付けた。あとは一歩前に踏み出すだけだ。必要なのは勇気、そして自分を信じる心だ。イエス・キリストが見つけたのは一つのドアだった。彼は都会の街を歩き回り、ようやくその秘密のドアを見つけたのだ。青い、木製のドア。広い道路の真ん中に、それだけポツンと立っている。周囲に音はない。人々の話し声も、車が通る音も聞こえない。ただ風の感触はある。透明な、音のない風。
彼はドアノブに手を伸ばし、そしてゆっくりと回す。ギーという音がして、手前に扉が開く。僕は一度目を閉じ、今自分は死のうとしているのだ、と思う。頭に生えた二本の
足を踏み出して
、と誰かが言う。それはTの声ではないし、トシトシの声でもない。別れたガールフレンドの声でもない。僕は目を開け、そこにあるものを見る。何一つ見逃さないように、すべてを網膜に焼き付ける。そして意を決して前に進む。誰かが背中を押してくれる。そっと。押しつけがましくない程度に。風が吹いて、青い空を吹き抜けていく。僕は一度死に、分子にまで分解される。そして少しずつ少しずつ再生していく。イエス・キリストの姿はもはや見えなくなっている。もっともそんなものは必要ないのだ。なぜなら今や僕が・・・。
ロバート・ジョンソンは悪魔と契約してギターのテクニックを手に入れた。そんなことが本当にあったのかどうかは知らないが、とにかく彼が若くして死ななければならなかったことは残念だと思う。僕は時を信じない。時なんてものは、いわば豆乳バナナスムージーみたいなものなのだ。過去と未来とが、場所によってまだらに入り混じっている。まるで豆乳とバナナのように。
生きている限り明日はやって来るが、二度と同じ明日はない。毎日風は吹くが、二つとして同じ風はない。僕はあなたに言いたいのだ。もしあなたが世界を愛していないのだとしたら、それは非常にもったいないことなのだ、と。なぜなら世界を愛そうとする
姿勢
こそが、最終的には我々を救うことになるからだ。ためしに三秒数えてみてください。目をつぶっていち、にい、さん、と。あなたはその時間を無駄にしたことになる。こんな僕なんかの指示に従ったばっかりに。でもまあそれも悪くないじゃないですか。人生とは矛盾したものだ。人生とは謎だ。人生とは穴だ。人生とは・・・。もうなんでもいいや。とりあえず今日は眠ることにしましょう。おやすみなさい、みなさん。目覚めたときには新しい一日がやって来ているはずだ。おいしい朝食を取って、どんな風にその日を生きるのか、あらためて考えようじゃないですか。
もっとも僕にいえることはただ一つだけです。
動き続け
、動き続け
、動き続けなさい
。あとのことは、考えるだけ無駄です。アディオス、アミーゴ。寂しくなったら僕のことを呼んでください。たぶん忙しくて行けないと思うけど。じゃあ。失礼。