七、バンジージャンプとライブハウス

文字数 15,399文字

 旅行当日は、学校の正門前に集合した。見送りに来たのは、白川さんと入江のお母さんだけだった。それはしょうがない。僕らの親は仕事があったから。
「星岡さん、うちの子をよろしくお願いします」
「はい、お任せください。ケガなく、つつがなく研修してまいります!」
 ちょっとふざけた調子で笑う星岡は、今日はもう夏休みということで私服極まれりといった格好だ。これまでも破れたジーパンなんてふざけた服装だったけど、今日はハーフパンツにアロハシャツだ。ここまで元・教育実習生の型を破ってもいいのだろうか? 
「そうだ、紹介しないとな。うちの妹のメイだ。今日は車だからな、運転のサポートをしてもらおうと思って」
「オッス! みんなひょろいガキンチョだなぁ。これじゃ兄貴も心配になるよ」
「こら、メイッ! 親御さんの前だっ!」
 車から出てきたのは、ショートカットでホットパンツにTシャツと、快活そうな女性だった。メイさんは頭をかきながら白川さんと入江のお母さんに頭を下げた。
「いやぁ、みんな色白だから、つい」
「こいつはいつも口が悪いんです。本当にすみません」
「でも、楽しい旅にすることは約束しますっ! 絶対一生の思い出になるようなね!」
 メイさんが手を広げて力説すると、親御さんたちは苦笑いを浮かべた。その空気を察した星岡が、俺たちに車に乗るように促す。大きめのワンボックスだ。
「さ、そろそろ出ないと遅くなっちまうからな。では、お子さんたちをお預かりします」
「それでは行ってまいります!」
 メイさんは助手席から手を振るが、後部座席の子どもたちは誰一人として親御さんに手を振らなかった。僕たちはこれから最高に楽しくなる一泊二日を過ごす。嫌な思い出は一旦置いて行く。だからだ。

「そうだ、みんなにメイの紹介をしないとな」
 車の中では、ハンドルを握る星岡が、助手席のメイさんをちらりと見る。先ほど妹さんだというのは聞いたけれど、今は何をしている人なんだろう。
「えっとね、私、今の二十七なんだけど、兄さんと同じく大学生してるんだ」
「星岡兄妹はどちらも留年生なんですか?」
 秋津が冷めたように聞くが、メイさんは首を振った。
「ううん、私も大学はストレートだよ。ただ、入学するのが遅かったの。中学高校と引きこもりでね。大学に通うっていうか、社会復帰するまでに時間がかかっちゃったんだ」
 メイさんが言うには、高校を卒業した後引きこもりをしていたらしい。だが、星岡の力添えもあって、何とかコンビニのバイトを始めた。そこで対人関係に自信をつけて、バイトで貯めたお金で、二十四歳のときに大学に進学したらしい。
「引きこもりになった原因って?」
「いじめだよー」
 白川さんの質問にも、笑って答える。彼女はもともと女子校に通っていたらしい。それもそうか。おじいさんが元国会議員って言ってたもんな。一応今はこんなアクティブな格好をしているけれど、白川さんみたいに良家のお嬢様というやつなんだろう。
「些細なことだったけど、私には耐えられなかったんだ。机が隠されたり、悪口をいわれたり……暴力こそはなかったけれど、学校に行くのが怖くなっちゃってね。だから学校に普通に通っている子たちがフツーにすごいと思ってるんだ」
 学校に通うことがすごいことか。朝井は自分の意思で休んでいるけれど、確かに言われてみたらそうなのかもしれない。決められた時間に起きて、登校して、授業を受ける。それだけならできるかもしれないけれど、ここで人間関係がうまく行ってなかったら、学校に通うのが辛いはずだ。
 白川さんはメイさんの話を聞いて、黙り込んだ。白川さんも似たような境遇なのかもしれない。学校ではみんなには囲まれているけど、実際囲んでいるのは敵だ。自分がその場を離れると、すぐに悪口大会が始まる。これって、目には見えないいじめじゃないか。白川さんも気づいているんだろう。だけど、これは谷先生や大人から見たらいじめじゃない。言われているとしても単なる悪口、冗談程度と思われてしまう。ましてや白川さんの親御さんは国会議員だ。彼らを敵にするのは普通の生徒だったら避ける。だから、決して証拠が残らないように悪口だけを言うんだ。言葉は消えてなくなるものだから。
「フツーに学校に行くだけで、すごい?」
「うん、すごいすごい! 私は耐えられなかったからねぇ。だから、涼子ちゃんだっけ? も兄貴から聞いてるけど、偉いと思うよー」
「星岡先生! メイさんに何か言ったんですか⁉」
「いーや、ここにいる生徒はみんな苦労人だっちゅーだけだぞ」
 噛み合わない会話だが、僕は胸が温かくなった。星岡はやっぱり僕らのことを見ていてくれた。谷先生よりも、親よりもずっと。
 しばらく車を走らせると、海ほたるだ。そこでラーメンをみんなで食べると、いよいよ千葉に突入だ。
「ところで本当にどこに行くんだ?」
 朝井がたずねた。
 海沿いを走る。窓は解放感から開けている。運よく車酔いをしているメンバーはおらず、みんな車窓から波が行き来している様子を眺めている、夏だ、海だと高校生大学生は騒ぐけれど、僕も少しだけその気持ちが分かった気がした。この青い空に、白くラインを描く海を見ていると、気持ちがいい。飛ばしている車の風も。
「そうだなぁ、まずはマザー牧場だな」
 その言葉に僕らはわっと歓声を上げた。研修旅行だと聞かされていたから、大人とは何かとか説教じみたことでもされるのかとちょっと思っていたが、それは杞憂だったようだ。ちゃんと星岡は遊びにも連れて行ってくれる。
「マザー牧場なんて、初めてかも」
「千葉だったらディズニーランドに行っちゃうもんね」
 白川さんと入江も嬉しそうだ。
「兄貴ー、みんな喜んじゃってるよ?」
「いいんじゃないか? 喜ばせておけば」
 機嫌よさそうにハンドルを握る星岡に、浮かれるみんなとは違った考えがあるとは気づかなかったが、なぜか秋津だけは顔色を変えていた。

 マザー牧場はまだ夏休み初日の平日ということで、空いていた。車を駐車場に止めると、前言した通り全額星岡が入場料を払ってくれた。
 入場ゲートを通過すると、さっそく目に入ってきたのがソフトクリーム売り場だ。
「のど乾いたなぁ」
「朝井はおっさんか。それはお偉いさんが飲み会に誘うときの口上だぞ。それよりも一番に行く場所があるんだ」
 星岡が笑うと、メイさんも横から顔を出してにんまりする。この兄妹は笑うとそっくりだ。
「え、どこだろう? ブルーベリー狩りとか?」
「そんなのあるの? 行きたい!」
 きゃっきゃと地図を見て喜ぶ女子とは違い、秋津だけ別のところを見つめている。空? 違う。何か高い台のようなものが立っている。あれはなんだ?
「すごく嫌な予感がするんだけど」
「秋津、それは多分大当たりだなぁ! はっはっは」
「はっはっは」
 笑う星岡兄妹とげっそりする秋津。何があるって言うんだ? 秋津が青ざめた理由。それはすぐにわかった。僕たちが連れられてきたのは、バンジージャンプ台のふもとだったからだ。
「今日は君ら全員にこれを飛んでもらう!」
「やっぱり……」
 秋津が顔に手を当てる。
「え⁉ な、なんで!」
「いやだよ、こんなの!」
「……」
嫌がる女子たちに、黙り込む朝井。僕もだ。なんでここまで来てバンジージャンプしないといけないんだ? 理由がわからない。理解不能と言った顔をした僕らに、星岡は手に腰を当てて言った。
「三十まで、生きているかもわからない。君たちはそう思ってるんだろう? だったら今死ぬ気になってここから飛び降りることも可能ってわけだ。違うか?」
「な、そうとは言ってねえだろ!」
「今飛ぶのと三十まで生きているかどうかってことは関係ない……」
「うるさいうるさーい!」
 文句を言った朝井と秋津の言葉を打ち消すように、子どもみたいに声を上げるメイさん。周りにいた大人たちが何事かとこちらを見る。メイさんは続けた。
「文句を言うくらいだったら、最初っから暗い未来予想なんてするな! 今、飛ぶことで変わることなんて何ひとつないんだから、やってみれっ!」
 変わることがない……? そう言われてみればそうだ。高いところから飛び降りると言っても、安全は確保されている。怖がることなんてなにひとつない。バンジーを飛ぶことで、未来が変わることだってない。だったら今、この瞬間を楽しんでみるのもひとつの手なんじゃ……。
 二十数メートルの高さから飛び降りるのには度胸がいる。確かに怖い。でも、ここまで来たんだし、こんなチャンスは滅多にない。初めてのバンジージャンプ。飛んでみるのも悪くないかもしれない。
「僕、飛んでみようかな」
「え、マジで⁉」
「本気? 戸叶くん」
 朝井と白川さんが驚くが、他のふたりも覚悟を決めたようだ。
「私も飛んでみる」
「最初はびびったけど、根性試しにはちょうどいいかもな」
 僕らに未来はないと思っていた。だけど、今は違うんだ。未来はないかもしれないけれど、『今』はある。バンジージャンプを飛べるのは、今、この瞬間だ。入江と朝井もそれに気づいたみたいだ。
「……みんなが飛ぶなら、私もやってみようかな」
 白川さんも遠慮がちにつぶやいた。みんなが飛ぶなら、という枕詞はついているが、この選択は自分でしたものだ。親に決められたものじゃない。小さくいった言葉を、白川さんは直す。
「ううん、飛びたい。自分の意思で!」
「あとは……」
 秋津はなかなかうんと言わない。高所恐怖症なのだろうか。それなら無理に飛ばせることはできない。だが、僕は秋津の手を握った。
「せっかくだから、飛んでみない? みんなで飛んだって思い出になると思うんだ」
 きっと星岡は保護者だから無理を言えない。だからこそ僕が代わりに無茶を言う。どうせだったらみんなで飛んでみたい。この大空を、なんて何かの歌みたいだな。
「僕が飛ぶんだよ? 秋津が飛べないわけがないよ」
「……ちっ、わかったよ。飛べばいいんだろ!」
 舌打ちに、やけになったような口調。それでも僕は了承を得た。これで全員決死のバンジージャンプ決定だ。
「ではでは、これを引いてもらいましょー!」
 メイさんが取り出したのは、人数分の割り箸だ。根元には数字が書かれている。ということは、これは飛ぶ順番だな。すでに用意されていたということは、みんなが飛ぶこと前提だったな? とちょっと苦笑い。みんなで一斉に割り箸を引くと、なんと一番手は秋津になった。
「嘘だろ!」
「嘘じゃない。男に二言はないだろ?」
 そういう朝井はトリだから余裕なんだろう。二番手は僕、三番手は白川さんで、四番手は入江だ。星岡が全員分の料金を払うと、一人ずつ器具をつけていく。一番手の秋津は、ガクガクぶるぶると震えているように見えるが、口を真一文字に結んでその恐怖を隠しているようだ。二番手の僕も一緒に器具をつけているので、横顔からその様子がうかがえる。
「大丈夫だって、死ぬことはないんだから」
「昔検索したことがあるんだ。バンジージャンプの事故っていうの」
 あっちゃー、と僕は頭を抱えた。こういうところが現代の日本の弊害だ。知らなくてもいいことを知ってしまっている僕らは、なんて不幸なんだろう。でも、今は違う。
「秋津、知らなくてもいいことを知った上で克服するって、なんかかっこよくない?」
「は?」
「ともかく飛んでみればわかるよ、行って来い!」
「わっ!」
 僕は秋津の背中をバシンッ! と叩く。秋津はそれを恨めしそうに見ながら、階段を上がって行く。僕もその下で彼の雄姿を見学することにした。
 どうやら上では飛び方のレクチャーを受けているらしい。顔面蒼白という漢字が本当に似合っているのは笑っちゃいけない。次は僕の番なんだから。
 準備ができたのか、上の係員が下の人に合図を送る。
「行きますよー、3、2、1!」
 カウントダウンが終わると同時に、秋津は飛んだ。びよんびよんとゴムがなんども伸び縮みする中、腕を交差させたままだ。何度か上下して、ゆっくりと下の空気マットに下ろされると、秋津は大声を出した。
「と、飛んだぞ! 俺にも飛べたんだから、戸叶は余裕だよな!」
 さっき煽った仕返しか? 飛び終わったらもう怖いものはないといった感じが鼻につく。さっきまで震えていたくせに。だったら僕だって、言われた通り余裕で飛んでやる。腕を交差させたままの秋津とは違って、両手でダブルピースしてやる。
 器具を装着したまま、着々とジャンプ台へと上っていく。下を見ると、飛び終えた秋津と星岡兄妹とみんなが待っている。ここで怯える姿を見せたら一生の恥だ。僕は『余裕で飛ぶ!』と決めた。この信念は変えちゃいけない。未来がどうなるかわからない。飛んだあと、何も変わることもないだろう。でも、何か小さくても自分に勇気がつくのなら? やってみないとわからない。頂上に着くと、未来も変えられるかもしれない、なんて気になってくる。
「いいですか? ジャンプのときはロープを掴まないでくださいね」
 係員さんに注意を受けると、準備万端だ。またカウントダウンが始まる。3、2、1。
 僕は、飛んだ。ダブルピースなんてものじゃない。両手を広げて、鳥のように。一瞬、みんなの驚く顔が見えた。その中で、星岡だけが満足そうな顔をしていたのが印象的だった。
 僕が飛び終えると、白川さんと入江も堂々と飛んだ。女の子たちのほうが意外に度胸がある。特に入江は僕がやろうとしていたダブルピースをしてみせて、心から楽しんでいたみたいだ。白川さんは飛び終わったあと、「少し緊張した」と唇を震わせていたが、入江は胸を張ってみせた。
 最後の朝井は完璧に楽しんだ。もう全員が飛んだあとだったから、気持ちに余裕があったのだろう。みんなが怖がってないんだから、自分は平気だ。元から漢気のあるやつだが、やはり見事なジャンプだった。
「さ、みんなどうだったか?」
 星岡の問いに、みんなは笑顔で答える。
「もう一回でも飛べるな!」
「お前は怖がってただろ」
「でも、この高さから飛べたら、何も怖くなくなった気分だね!」
「そうそう、今まで親に決められてきたこととか、どうでもよくなっちゃった」
 嬉しい反面、みんな手軽だな、なんて、僕はちょっと冷めた目で見ていた。たった二十数メートルの高さから飛んだって、やっぱり何も変わらない。それなのに、みんなの目はきらきらしている。それがどうも腑に落ちない。それは僕だけがまだ、現実の中にいるからだろうか。
 実は、僕はマザー牧場に一度来たことがある。父さんの取材の関係で、どうしても僕をひとりに留守にさせるわけにはいかなかったんだ。そこで父さんはモデルさんの撮影をしていたんだけど、花畑でどうも彼女を口説いていたようだったのだ。その思い出が脳裏をよぎる。今はもう関係ない話なのに。僕の研修旅行ともつながりはない。ただ同じ場所ってだけだ。僕はここで新しい思い出を作った。みんなでバンジージャンプを飛ぶっていう。それだけでいいじゃないか。それなのに、まだ僕は現実とのジレンマの間にいる。
「みんなでバンジー飛んだ記念に、ソフトクリーム食べよー!」
 メイさんは何も知らないように、明るくみんなを誘う。星岡もこのことはきっと知らない。知らないはずなのに、僕を憐れむような眼差しで見つめるのはどうしてだろうか。まるで父さん以上に父さんみたいじゃないか。やめてくれよ、そんなカッコいい三十歳なんてこの世にいる訳がないんだから。
 
 みんなでソフトクリームを食べて、ブルーベリー狩りをしたり、羊を見たあとは、また車移動だ。すっかり夕方になってしまったが、今日泊まるところに連れて行ってくれるらしい。
 さすがに立派なホテルってわけではないよな。コテージとか、もしかしたらテントを立てるのかも。そう予想をしていたが、僕らが連れていかれた場所は意外なところだった。
 ここは……ライブハウスか? 入ったことはないが、地元の駅前にあるのを見たことがある。小さな体育館みたいなところという表現で合っているだろうか。こんな場所に泊まれるのか? よくわからず、ライブハウスの中に通されると、すでに星岡やメイさんたちと同い年くらいの大人がたくさんいた。
「よっ! 来たか、坊主たち」
「待ってたんだよー、星岡兄の教え子たち!」
「もう教育実習は終わったから、教え子じゃないんだけどな」
 星岡とメイさんが僕たちにオレンジジュースを配ってくれる。ここで今日は眠れって、止まるところじゃないじゃないか! 
 大人たちに囲まれて困っていると、メイさんがステージに上がった。
「今日は私たちのライブを見てもらおうと思って、ここに泊まってもらうことにしたんだ。ライブハウスの店長に無理言ってね。ここに来てるお客は、みんな兄貴と私の友達なんだ」
 友達と呼ばれた人たちを見回してみる。みんなすでにお酒を飲んでいたりしてはいるけれど、楽しそうに腕を上げた。
 僕たちに対しての態度も優しい。ステージが見えるように前に連れて行ってくれたり、立ちっぱなしだと辛いからとイスを用意してくれたり、ジュースのおかわりを持ってきてくれたりと、完全に僕らがお客様扱いだ。
「ライブって、メイさんが歌うの?」
 白川さんに曇りのない笑顔でうなずくメイさん。しばらくして、ギタリストとベーシスト、ドラマーもステージに上がって来た。メイさんの前にはキーボードだ。
「ここにいるメンバーもね、実は引きこもりだったんだ。だけど、ネットで知り合って、バンドを始めたんだ」
 ピアノを弾きながら語るメイさんに、僕らだけではなく他のお客も注目する。
「みんな引きこもりだったけどね、今は大工にSE、企業の女社長もいるんだから! 世の中捨てたもんじゃないでしょ?」
 紹介されたメンバーは、少し照れくさそうに笑いながらチューニングを始める。みんなメイさんと同年代ってことは、三十代前後ってことだよな。みんなラフな格好はしてるけど、中身は違うんだ。
「せっかくだから、みんなの話もしよっか」
 MCを務めるメイさんが、まずはベースの女社長と呼ばれた人に話を振る。
「ええっと……いきなりだね」
「いきなりだよー」
 ヤジが飛ぶが、それすらもおかしそうに受ける。長い髪をかき上げると、ベーシストの女性は話し始めた。
「私は家が貧乏だったのね。いじめの原因がそれで。引きこもってずっと死んだお父さんのベースをいじってるのが趣味だったの。それをある日ネットにアップしてみようと思って……」
 彼女の話では、そのベースの動画を見たメイさんが、彼女にメールをしたらしい。『一所にバンドを組んでみないか』と。そこで同じように声をかけたドラマーのSEの男性と、大工のギタリストとともに『引きこもりバンド』こと『Hick』を作ったらしい。
「『Hick』っていうのは、引きこもりの『H』と『Sick』を混ぜた造語なんだ」
 『sick』は病的なという意味もあるらしいが、『むかつく』という意味もあるらしい。メイさんやみんなは引きこもってはいたが、本当はそんな自分に反吐が出るほどムカついていたらしい。なんで自分は家に籠っているのか。外に出て、普通の子たちと同じように過ごせないのか。その気持ちが爆発したからこそ、このバンドができた。普通の子と同じようにできないなら、せめて自分たちらしく生きてみたいと。
「まだみんなたちが目指すような大人に、私たちはなれてないよ。ここにいる全員、きっとね」
 メイさんはウインクすると、大きく『1、2、3、4』とカウントを取った。曲が始まる。大きなサウンドに心臓にまで来るバスドラム。低音のベースが空気を振動させる中、ギターとキーボードの楽し気な音がライブハウスにこだまする。歌うメイさんは心底たのしそうに。他のみんなも同じときを感じている、こんなに楽しい曲は聴いたことがなかった。心からみんなで演奏している。歌詞にあるように、踊り出しそうで、鼻歌を歌いながらスキップをしそうな曲だ。
 一曲終わると、メンバーは全員でお辞儀をした。お客に向かってというよりも、僕らに向かってだ。
「聴いてくれてありがとー! 今のところ未来がない君たちに贈る!」
 未来なんてなくてもいいじゃないか。そう思えた一瞬だった。僕らは今を一歩一歩生きている。未来も過去もない。あるのはこの今一瞬だけなんだ。
「じゃ、撤収! みんなご飯にしよー!」
 ライブでやった曲はたった一曲。そのあとはすぐ後ろにテーブルがセッティングされ、バイキング形式みたいに料理がセッティングされた。僕たちが座っているうちに、大人たちがみんな準備してくれた。みんな手際よく、料理や紙皿を運び、僕たちは料理を選ぶだけになっていた。たったそれだけのことなのに、僕は感動していた。その場にいる人たちが、視線や顔の向きだけで会話をしている。アイコンタクトというやつだ。みんなそれだけでわかるんだ……。
「ま、ツーカーな仲だからな」
 僕の隣でハンバーグを取っていた星岡がくすっと笑う。僕があまりにもぽかんとしていたからだろう。それだけここにいる人たちは、相手のことをよく知っているということか。
「ここにいる人たちは、みんな友達だって言ってたけど、どんな仲なの?」
「んー友達の友達の友達、とか?」
 へらへら笑ってばかりの星岡は、酔っているのかとでも思うくらいだったが、酒は一滴も飲んでいなかったはずだ。
「友達の友達の友達が、ここまでアイコンタクトとかで動けるものなの?」
「こう言ったら君は嫌がるとは思うけど……これが本当の大人ってやつだよ」
 顔がカッとなった。『大人』は今僕が一番嫌いな言葉だ。それを知っていて、星岡はわざと使った。ハンバーグを僕の分まで皿に載せると、さらに僕を煽る。
「君の知っている大人は、きっと幻想なんだ。戸叶、君の身近にいる『大人』は何人だ? お父さん以外で」
「えっと、谷先生と……あれ?」
 そうだ。谷先生と父さんくらいしかいない。あとはクラスメイトのお母さんくらいで。しかもそのお母さん方は学校行事で会うくらいの関係だ。それと校長先生と……いや、校長先生はそんなに知っている人じゃないか。としたら、僕の知っていた大人って誰だ? モデルの女性? 見たことがあるだけだ。話したことはない。秋津のお母さんも知らない。だったら、僕の知ってた大人って……?
「検索エンジンで調べられることと現実は違うってことだ。この中にもし、宇宙飛行士がいるって言ったら、君は信じるか?」
 僕が首を振ると、星岡はさらにオムレツまで取ってくれた。
「だろうな。人は誰しも色々な顔を持っているってことだよ。一面だけじゃない。それに、完璧な大人なんて元からいないんだよ。君は理想を持ちすぎだ」
「理想を持つことはいけないことなの?」
「悪くはないけど、それを持つことで将来を悲観するのはよくないってことだ。君はお父さんを見て、『大人はなんて汚いんだ!』って思ってたみたいだけど……って、それは秋津もだな」
 僕の隣に来た秋津にもオムレツを取ってやる星岡は、やっぱり面倒見がいい。面倒見がいいからこそ、教育実習生になんてなったんだろうけど。
 秋津は何の話だ、と言った顔をしている。だから僕はこそっと教えてやった。
「うちのお父さんはクズだけど、それも一面で完璧な人間はいないってこと」
「だったらうちの母さんだって」
 秋津が同意すると、入江も会話に加わって来た。
「うちのお母さんもだよ! 教室の運営なんてうまく行ってないくせに、全部私に任せて!」
 なんだなんだと白川さんと朝井も寄って来る。
「みんな、親の悪口はやめたらどうだ? うちの母さんはバツイチだけど一生懸命働いてくれてるぞ」
「じゃ、尊敬できるのは朝井くんのお母さんだけってことだね」
 そういったのは白川さんだった。白川さんもご両親に思うところがあるのだろうか。
「お父さんもお母さんも、『あれやれ、これやれ』ってうるさいのよ。でも、こんな悪口を学校で言ったら、他の子から伝わっちゃうからね」
「俺たちはいいのか?」
「みんなも親御さんの悪口言ってるから同罪よ」
 パエリアをよそいながら、白川は少し気取って言った。もう『さん』はつけない。別にこだわりがあったわけではないが、やっぱり彼女はどこか上流階級の人だと思っていたんだ。でも、もう一緒にバンジージャンプを飛んだ仲だし、親の悪口を言った仲間だ。
 みんな好きなものを皿に載せると、イスの場所まで戻り、食事開始だ。他の大人たちは小さいテーブルを囲んで、立食パーティーみたいな状態。星岡は僕らのところへ、メイさんとバンドメンバーを連れて来てくれた。
「どうだったか? メイたちはカッコよかったか?」
「カッコよかったです!」
 素直に言ったのは白川だ。他のみんなもうんうんとうなずいているが、僕だけは素直に慣れない。だってここでカッコいい大人を認めてしまったら、僕が悩んでいた意味がなくなる。みんなそうだと思っていた。
『カッコいい大人なんていない』『夢を見るだけ無駄』『自分たちは夢を見ることもできない不幸な子どもだ』。これってもしかして、僕の思い込みだった? 僕は本当の大人を知らない。でも、ここにいる人たちは、子どもっぽくみんなで仲良く楽しくやりつつ、仕事もしっかりしている。こういう大人が本当にいるなんて。
 星岡は僕の頭をがしっとわしづかむと、にんまりする。
「人の多面性ってわかるか? 大人だって、大人になりきれないんだ。本当は子どものままだったりする。それでも二十歳を超えると強制的に大人にされちまうんだよ。それでも根本的なところは、君たちと一緒だ」
「どういうところが?」
「仕事=学校で勉強すること。それ以外は遊んだり、好きなことをしたりする。変わらないだろ? 仕事の意味がどうかってなるなら、また話は変わるけどな」
 僕らが学校に通っている時間以上に、大人は働いている。それ以外はこうやってライブハウスに集まって騒いだり遊んだりしている。僕はあまりにも現実に絶望していたのかもしれない。それはダメな大人が身近にいたから。
「お父さんも一緒だろ?」
「父さんは違う。あんな大人――」
「なんでお父さんが働いているか、わかるだろ? 仕事が好きっていうのもあるかもしれないけど、一番なのは君との生活のためかもしれないぞ」
 そうだろうか。僕のことを置いて、仕事に行くくせに、僕との生活を考えて? ハンバーグを突きながら、僕は黙り込む。もしそれが本当だとしたら、僕は父さんの一面しか見てなかったってことだ。他のみんなはどうだろう。今の話は聞こえていたはずだ。
「俺は母親が恋するっていうの、どうしても受け入れられなかったけど……母さんにも人生はあるんだし、母さんの幸せを祈るのも息子なのかなぁ。それも母さんの一面だし」
 秋津もオムレツを箸で刻みながらしみじみとつぶやく。
「うちのお母さんも経営とか管理とかは下手だけど、苦手なだけで、ピアノ教師としては有能なんだよね。それが違う一面ってことか」
 入江からも母親を認める発言が飛び出す。複雑そうな顔をしているが、自分を納得させるためにこくこくしながら口にパエリアを運ぶ。
「白川の親は、君の将来を心配しすぎているだけじゃないか? きっと腹を割って話せば、君の行きたい未来を応援してくれると思う」
「そうなのかなぁ」
「朝井の母さんは、もう少し息子以外の他人に頼ることを知ったほうがいいな。君が心配なのはわかるけど、小学校の大事な思い出が作れないなんて、きっと本意じゃないと思うぞ」
「俺はみんなが心配だから……」
「その君の心配をするのがお母さんだろ。だから今回の旅行、OKしてくれたんだ」
「母さん……」
 みんながみんな、自分の問題点と向き合っていると、ドラマーの兄ちゃんがビールを片手に話しかけてきた。
「だけど嬉しいな。星岡兄に聞いた話だと、大人に絶望している子たちだったんだろ? そんな彼らにカッコいいって言われるなんて」
「そうそう! 私なんて会社の人からは『お飾り社長』なんて言われてるんだよ?」
「俺もいまだに大工の仕事で、親方から文句言われるし……」
 苦笑しながら日頃の愚痴を言うふたりに、メイさんは料理をテーブルに置き、腰に手を当てて、軽く怒った。
「こら! ふたりとも自分を過小評価しすぎ!」
「……わかっただろ? 完璧な大人なんていないんだよ。俺たちだってまだまだなんだから」
 SEのドラマーの兄ちゃんが間に入る。そうか。完璧な大人はいないのか。
僕には夢なんてない。将来の夢なんて見るだけ無駄。三十歳になった自分も想像がつかない。でも、みんなの話を聞いて、少しわかった。『完璧じゃなくてもいいんだ』。三十歳になるまでに、大学に入って、いい会社に入社。子どもができて――っていうのは、ひとつの選択肢でしかない。それが普通だと思っていたけれど、答えはいくつもあるんだ。
ここに来ている大人たちは様々だ。ボロボロの服を着ている彼は、世界を放浪しているバッグパッカーらしい。向こうにいるスーツの人は弁護士さん。女性をナンパしようとしているのは、IT企業の社長らしい。みんなある一面では優秀ですごい人だけど、こうやって遊びに来ることもある。『完璧な三十代』というのが夢でしかなかったんだ。
だったらもっと自由に将来のことを考えてもいいんじゃないか? 僕はかなり凝り固まった考え方をしていたらしい。父さんのせいにするわけじゃないけど、あんなダメな大人が近くにいたら仕方ない。ずれていた方向を見事修正してくれたのは、星岡だ。
「うまいか? メシ」
「うん」
「そっか。よかった」
 くしゃりと頭をなでられた僕は、嬉しいような気恥かしいような感じがして、大きな口で残りのハンバーグをまるっと口に入れた。

 食事が終わると、後片付けだ。料理は見事完食。料理が入っていた箱――チェーフィングディッシュというらしい――は、車に積んで回収。僕らはテーブルやイスを運ぶのを手伝った。フロアがきれいになると、星岡兄妹以外の大人は帰って行った。
「また会おうな!」
「今度は夢が見つかるといいね!」
 温かい言葉をみんなからもらった。僕らは夢を見る権利すらないと思っていた。それでもあんな自由で楽しいことに目をきらめかせている大人たちを見ていたら、三十歳になるのも悪くないかなと思えた。まだ確証はない。だが、胸の中になにか種のようなものが宿った気がする。この種に水を与え、うまく花を咲かせることが僕にはできるのだろうか。
 大人になることはやっぱり不安だ。完璧な大人なんていないし、目指さなくてもいいと言われても、僕は真面目に生きられるのだろうか、なんて。いくら完璧な大人じゃなくてもいいと言われても、やっぱり父さんみたいにはなりたくないなぁ……。僕のわがままだ。
「それじゃ、俺たちも出かけよう。今日のメインイベントだ!」
「え? まだあるの? イベント」
「もちろんだ。夏休みなんだからな! ほら、さっさとしろ」
 星岡が僕らを急かす。もう夜も遅いのに、今度はどこに連れていく気だ? ライブハウスを出ると、また車に乗って探検に出発だ。

「ここは? 海なのはわかるけど……」
 入江がメイさんにたずねると、彼女は少し寂しそうに言った。
「この場所、昔は砂浜だったんだ。でも、都市計画で海の流れが変わっちゃってね。砂浜っていうより、今は陸と海との境界線になってるただの土手だね」
「仕方ねぇよ。人がやっちまった失敗は、いつも未来が背負うんだから」
 星岡は笑いながらバケツともうひとつ荷物を取り出した。星岡の手にしているものを見た朝井のテンションが上がる。花火だ。
「お、星岡先生、ナイス!」
「やっぱり夏は花火だよな」
 秋津も喜んで星岡からバケツを奪うと、波打ち際まで走り、水を汲む。入江と白川も花火の封を切って、ろうそくの準備を始めた。みんなこういうことに興味はないと思っていたのに、やけに積極的だ。
「先生、火ぃつけて!」
 白川がお願いすると、星岡がライターでろうそくに火をつける。一番に花火を手にした朝井が着火すると、みんなも次々火を移していく。
「あんまり振り回すなよ!」
 星岡とメイさんは笑顔で僕らを見守ってくれている。僕も仲間に加わり、両手に花火を持ちながら振り回す。すると、秋津に「ガキくさいからやめろ」と笑いながら注意された。いいだろ、別に。ガキなんだから。
 五人でばんばん着火させていたから、すぐに本数が減り、残りは線香花火のみになってしまった。楽しい時間はあっという間と言うが、まさにその通りだ。
 線香花火をひとり一本持つと、円を書くようにしゃがみ込む。その輪の中には星岡とメイさんもいる。誰が最後まで残るか競争。これは鉄板のゲームだ。
「いくぞ」
 朝井の合図で全員が線香花火に火をつける。
 パチパチと静かに火花を散らす。誰もが無言で、波の音が耳に痛い。そこで星岡が僕らに質問をした。
「みんな、ここに来て聞こえた『夏の音』はあったか?」
「夏? うーん、海の音かなぁ」
 一番に答えたのが白川だった。
「他には? あるだろ、いたらいたでうるさい虫」
「……もしかして、蝉?」
 秋津の解答に星岡はうなずいた。
「うん。蝉は羽化してからの命が短い。土の中で何年も眠り、空を飛べるのは一週間だけ。それって不幸だと思うか?」
「蝉の気持ちになんてなったことないよ……」
 白川のため息とともに、線香花火がぽとりと落ちた。「あーあ」と残念そうな表情を浮かべるが、口元は笑っている。星岡は続けた。
「蝉はずっと想像しているんだ。土の外に出たらどんな世界が待っているのかって。夢を見ているうちは幸せだ。だけどそのあとは?」
「すぐに死ぬんだから、幸せなわけがない」
 朝井、脱落。丸くて大きかった夏の太陽が落ちた。残るは白川と秋津と僕だ。
「そうだ。外の世界に行くことが死へのカウントダウンになるんだ。それって人間と同じだと思わないか?」
 入江の花火も落ちた。同時に入江はハッとしたような顔で、口を開いた。
「それって、人も生まれたら死ぬことが確実ってこと?」
「そんなバッサリ言い切らなくても……」
 まだ僕の夏の火はついている。秋津との一騎打ちだ。星岡の顔が、オレンジに照らされる。
「蝉は空を飛ぶ。一週間の短い間にな。死ぬとわかっていて、どう生きるか。俺はそれをみんなに問う。タイムカプセルの宿題は、どんな夢を見るかじゃない。君たちがどう生きたいかということなんだ」
 落ちた。僕と秋津の線香花火が同時に。線香花火も一瞬の夏の夢だ。パチパチはじけて、静かに灯をともし、ぽとりと静かに落ちて消える。
 蝉と線香花火は似ているんだ。
「よーし、銭湯行くぞ!」
 花火がすべて終わるとみんなで片付けに入る。今夜の海は静かだが、僕らを見てどう思っているのだろうか。曇り空。星は出ていなかった。
 
 銭湯で体をきれいにすると、今度は車で数分の豪邸についた。ここが星岡の実家らしい。白亜の広い家は一階建てだが、その分面積があった。
「嘘でしょ? 先生、本当に何者⁉」
 驚いたのは入江だ。一応は国会議員の孫だからだろうか。それ相応の家に住んでいた。
「今日はうちの親留守にしてもらってるから、泊まるにはベストだろ? 客間は多くあるしな」
 メイさんと星岡に案内され、男子と女で部屋を分ける。
昼はマザー牧場、夜はライブに花火と楽しい時間を過ごしすぎた僕たちはくたくたで、ようやく横になれると部屋に吸い込まれていった。
メイさんを含めた女子と星岡にお休みをいうと、僕と秋津、朝井はすぐにベッドに横になった。
「はぁ……楽しかったけど疲れた」
 僕がつぶやくと、秋津が枕を抱きしめて言った。
「それより、見つかったか? 夢」
「わかんねぇ」
 返事をしたのは朝井だった。
「わかんねぇけど……未来っていうのはなんとなくわかった気がする」
 朝井は不登校だが、頭はいいのかもしれない。僕と秋津に説明する。
「日々の積み重ねなんだ。いい日も悪い日もあって、それの繰り返しで未来になる」
 そうか。僕は気づいた。タイムカプセルは何年も埋まって、決まった日に掘り出される。それまでは何も変えることはできない。でも、その埋められた手紙を見るその日まで、『今』を何度も何度も繰り返していくんだ。今日みたいにイベント盛りだくさんの日もあれば、いつものように陰鬱な日もある。タイムカプセルはその積み重ねを知らない。つまり……。
「夢ってさ、もっと奔放なものなのかもしれない」
「奔放? 戸叶ってちょいちょい難しいこと言うよな」
 秋津がパジャマに着替えながら笑う。今のは顔に似合わず賢いっていう誉め言葉なのだろうか? それともからかい? 朝井は後者に見えたらしく、ふふっと鼻で笑った。
「三十歳になっても、生きてるかどうかはわからない。でも、僕らは今、生きている日々を重ねている途中なんだ。それと……三十歳になっても、完璧な大人になれるとは限らない。だったら夢っていうか、僕らの新たな面を見つけることが大事なんじゃないかな」
少年のままでいたいけど、きっと成人したら嫌でも大人と言われる。かっこ悪い姿、情けなくて今の自分に見せたくないような大人になっているかもしれない。だったら、今の僕たちが夢を見るんじゃなくて、大人になった自分に夢を見せてあげるのはどうだろう。
 なりたい職業だって、何も既存の職業から選ぶ必要はない。三十歳になった自分がどんな職業になっているかはわからない。検索しても出てこない答えを、ずーっと探すより、自分でこうやって決めてしまったほうが早い。『職業は夢じゃないし、大人でも完璧じゃない』。
 僕らは悲観しすぎていたんだ。あまりにも子どもが抱えるには大きすぎる問題に直面していたから。
 きっと旅行から帰っても、何も変わらないだろう。今の僕らは夢を見ない。夢を見るのは、大人になった僕たちだ。
「あっ、そういや星岡たちにお礼ってどうしようか?」
 僕がふたりにたずねようとしたところ、すでに朝井も秋津も眠り込んでしまっていた。

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