三、白川涼子のわがまま

文字数 6,268文字

 入江以外に出していないのは、白川さんと秋津と朝井だが、朝井は今日も学校に出てきていないから後回しだ。
 白川さんも今日も白いスカートを履いている。夏場、雨が降っているんだから泥水が跳ねるんじゃないかと毎回気になるが、彼女はいつも好んで白を着ている。ブラウスやワンピース、スカート。靴下もいつも白だ。まるで純白のウェディングドレス。季節柄そんな表現が似合うが、ドレスを着ても僕らはまだ小学六年生だ。相手もいないだろう。
白川さんはいつも、取り巻きの女の子たちに囲まれている。が、その女の子たちから嫌われているということは暗黙の了解だったりする。白川さんが席を外すと、すぐに悪口大会が開かれているからな。ただ、みんなが仲良くしているのは、彼女の親御さんがどうやら偉い県会議員か何かだから、というらしい。僕にはそれがよくわからない。親が県会議員だからって、なんで子どもまで偉いと奉り上げられているのかが。親は親、子は子だと思うのだが、確かに白川さんにも問題はある。
親の威厳を振りかざし、自分も偉そうに振りかざすところは正直見ていて気分のいいものではない。「うちのパパが買ってくれたの」と見せるブランド物の財布は、小学校に持ってきてはいけないものだろうが、教師も黙認しているようだ。それほど白川さんの親の権力はすごいらしいというのは、子どもの僕でもわかる。
けど、今回のタイムカプセルの話は別だ。いくら偉い金持ちの子女でも、宿題は提出しなくては親にも怒られるだろう。だけど難しいのは、あの取り巻きたちの中に入って、『作文を提出してくれ』とはっきり言うのがはばかられることだ。間違っていることじゃないし、取り巻きたちもそれはわかるだろう。ただ、公衆の面前で辱めを受けたと恨まれたらちょっと怖い。
僕は休み時間中、白川さんを見つめていた。ひとりになる機会をうかがっていたんだ。チャンスは給食の時間。廊下に給食着を取りに行こうとしたところを引き止めた。彼女が給食当番でよかった。
「あの、白川さん。タイムカプセルの作文、まだ出してなかったよね」
「ああ、あれ? 出さなきゃいけないものなの?」
「そりゃそうだよ。みんな出してるんだから」
「みんな……それ、涼子も含まれるの?」
「え」
 言葉が一音しか出なかった。彼女は自分を特権階級だと完全に勘違いしている。
「涼子、給食当番だから」
 それだけ言って、彼女は僕の目の前から去って行った。嘘だろう? 小学校に特権階級なんてないのに。
「白川さんは厄介だなぁ」
 後ろから顔を出したのは、星岡だった。今だに僕が心の中で彼に『先生』とつけられないのは、教育実習生だからというだけではない。他のクラスの担当は、きっちりスーツを着てきているのに、星岡だけは今だにジーパンにTシャツ。きちんとする気概が見えないからだ。授業だけはわかりやすいから悔しいのだが。
「星岡……先生、白川さん、どういったら作文出してくれるかな」
「何度も当たってみるしかないだろ。それがタイムカプセル委員の役目だ」
「僕、好きでなったんじゃない」
「選ばれたんだろ?」
「家が一軒家だからだって」
「……それに意味があるってわかってるのか?」
「わからないよ」
「ひとつだけ、いい話をしてやるよ」
 星岡は中腰になると、にんまり笑った。
「タイムカプセルっていうのはな、頑丈な入れ物に入れられていて、そう簡単には壊れないんだ。掘り出すときショベルカーを使うから当たり前だけどな。だから、どんなことがあっても壊れない。君はその委員になったんだよ」
「……いい話って、それ? よくわからないんだけど」
「そうだな。わかるのは掘り出すときかもしれないな。ほら、給食だ。行こう」
 結局他にヒントをくれるわけでもなく、星岡はまた教室に戻って行った。何も教えてくれない教育実習生なんて、意味あるのか?
 
放課後、僕はなりふり構わず白川さんたちの輪に入っていくことにした。本音を言うと、彼女の態度が腹立たしかったからだ。白川さんの取り巻きだって、彼女をよく思っていない。親の権力が、とかそういう問題もあることはわかっている。だから付き合っているだけであって、白川さん自身が嫌われていることに気がついていない。これは酷なことかもしれないけれど、彼女だけが特別じゃないとわからせないといけない。
だってここは小学校だ。平等に教育を受ける場所。彼女ばかりが特別扱いされてはいけないところなんだ。
「白川さん、タイムカプセルの作文、出してくれるよね」
「んーどうしようかな」
「涼子ちゃん、私たちちょっと用事あるから、先帰るね」
「あ、ちょっと!」
 どうやら白川さんは見捨てられたようだ。だけど今日だけは逃がせない。
「出せない理由でもあるの? みんな出すものでしょ?」
「……」
 いつも口数の多い白川さんだが、黙り込んでしまった。一体何があるっていうんだ?
「戸叶くんって、いつもひとりだよね」
「え?」
「あんまり友達といないじゃん」
 それがどうしたっていうんだ。僕は人といるより、ひとりでいる方が楽だから……。自分に言い訳していたら、白川さんは自分の机に座った。
「あのね、涼子、女子大に入って、二十二歳卒業したあと、政治家のお嫁さんになるの。そう決まってるの」
「え……相手はもういるの?」
「うん。会ったことはないけどね。だから、夢なんか見る権利なんてないんだよ。私はもう、将来が決まってるんだから」
 そんな……。僕も夢はない。夢はないけれど、将来までは決められていない。なのに、わがままで傲慢な白川さんには、夢を見る権利すらなかったんだ。だからあんな風に友達を友達とも思えないような扱いをしていたのかもしれない。みんなはまだ結婚相手まで決められていない。きっと好きな人と恋に落ちて結婚できる、進学だって、自分で決められるはずなのに。そんな自由も彼女にはないのか。
「だからね、作文はすぐに書けるよ。だけどどうしても今は書きたくないんだ。これ、ひとりだけでいる戸叶くんにだから言ったんだからね。他の人には内緒にしてよね!」
 ピンクのランドセルを背負うと、彼女は逃げるように教室を出て行ってしまった。

 またいらないみんなの心内を知ってしまったな……。でも、入江も白川さんもどちらも共通していることがある。『夢を見る権利がないこと』だ。僕もそうなのかもしれない。知っていることが多すぎて、何を夢見たらいいのかわからない。これも同じだ。僕も権利をはく奪されている。誰から? 大人からだ。大人は僕らに夢を見ろという。身の丈に合わない夢を見ろと。壮大で、漠然としていて、なんだかわからないけれど、決して叶わない夢を見ろと言う。だけど僕らはそれが無理だと知っている。叶わない夢だと知っている。それって虚しいだけじゃないか。これは『大人の夢』の押しつけだ。大人はきっと、『子どもは夢を見るものだ』という固定観念を持っているんだろう。でも今は違う。僕らは夢を見られないことを知ってしまっている。大人の責任だ。大人が世の中を便利にしすぎたから。答えが簡単に出てくる世の中にしてしまったから。
 そんなことを考えながら、僕はまた空を見上げた。あの空にせめて、母親がいればよかったのに。現実は汚いんだ。
「何を考えてるんだ?」
「星岡……先生」
 先生というのはやっぱり慣れない。こんな男と一緒に居たら、不審者に誘拐されるんじゃないかと間違わされそうな予感はするが、相談できる相手は彼しかいなさそうだ。信頼できるかどうかはわかならないが、話しをしてみるだけしてみよう。もしかしたら谷先生とは違うかもしれない。不確定だが、そんな予感がする。だって、三十歳で教育実習を受けているんだ。普通とは違う感覚を持っているのかもしれない。だったら、話しを聞いてみるだけでも何か変わるかもしれない。
「星岡先生は、僕たちくらいのときに夢って持ってた?」
 きっと普通の大人だったら、持っていたというだろう。教育実習生なら『教師になりたかった』が鉄板だろうな。それかサッカー選手だとか警察官だとか、大きな会社の社長だとか、無難なことを言うんじゃないか?
「俺の夢? なかったよ。君らと同じくね」
「えっ……」
「小学生のときってさ、毎日毎日必死なんだよ。すっごくくだらないことかもしれないけれど、友達との関係が嫌で学校をどうやったら休めるか考えたり、宿題やってなくて怒られるのが嫌だからサボりたいとか、給食で残ったプリンをどうやって奪取するかーとか。将来の夢なんて、考える暇なかった」
 まったく、この教育実習生は……。なんてやつだ。教師に本当になれるのか? こんなちゃらんぽらんなおっさん。年齢的にも教育実習には遅いし、一体何が理由で今、小学校に来てるんだ?
「小学校の先生になることは夢じゃなかったんですか?」
「うん、俺に夢はない。だけど、やりたいことはある」
 星岡はガムを取り出すと、僕にひとつ渡して、自分も銀紙を剥いて口に放り込んだ。
「俺は一度大学を出てるんだ。社会学部ね。そこから教育学部に入り直して、今教育実習を受けている。なんでだと思う?」
「なんでって言われても……」
 社会学部って、何を勉強するところかもよくわからない。そこからなんで違う学部に入り直したのかもわかるわけがない。大人がいうところの社会に出たくない人間……モラトリアムってやつなんじゃないか?
 僕もガムを口に入れると、星岡はポケットに手を入れたまま笑った。
「俺、もともと子どもの社会学を調べていたんだけど、なーんかこのままじゃヤバい! って思ったの。だから教員にならないとまずいかなって」
 ニッと歯を見せる星岡の笑顔の意味がわからない。『なんかこのままじゃヤバい』って、漠然すぎやしないか? 星岡は不親切なことに、それ以上自分の話はしてくれなかった。
「戸叶、寄り道して帰るんじゃないぞ。先生は堂々とひとりカラオケして帰るけどな!」
 なんてひどい教育実習生だ……。そんなこと、普通は堂々と生徒に告げたりはしないぞ? というよりも本当に教育実習は合格するのだろうか。学生だから、単位っていうのか? 授業だけはしっかりやってくれてるんだよなぁ……。
星岡は僕にとって、教師ともなんとも言えない、複雑な存在に変わって行っていた。

「ただいま」
 鍵を開けて帰っても、今日もまだ父さんは帰ってきていなかった。職業柄こういうことはしょっちゅうだから、また今日もコンビニ弁当だ。自分で作れないわけではないけど、どうせひとりで食べるんだ。おいしいとかまずいとか、感じたところで意味なんてない。僕は財布を持つと、また近所のコンビニに向かった。
六月に入ると、冷やし中華や冷たい麺類が多くなる。僕は夏になると食が細くなるから、今日はそうめんにしようかな。それだけじゃバテそうだから、フランクフルトも。レジに弁当を持っていき、フランクフルトを頼むと、コンビニのおばちゃんに声をかけられた。
「あなた、いつも夕飯コンビニね。お母さんは?」
「えっと……仕事で忙しくて」
「そう。だったらおばちゃんから言っとくけど、今度は野菜も食べなさいね?」
 詮索されるかと思ったが、おばちゃんは何気なく気を遣ってくれただけだった。たったそれだけなのに、僕の目はなぜか潤んでしまって、袋を受け取るとすぐに店を出た。
 食事を食べながら、最後に父さんと一緒に食べた日を思い出す。サラダの日だっけ。今日言われた『野菜も食べなさい』っていうのは皮肉だな。
 もそもそ食べながら、僕は今日の白川さんのことを思い出していた。白川さんはすでに結婚相手が決まっていて、夢なんて見られないと言っていた。白川の結婚相手って? 検索したら出てくるだろうか。
 僕は食事が終わると、タブレットを取り出した。検索エンジンに入力するのは『白川涼子』。出てきたのは、フェイスブックだ。子どもなのにすでに作られてるんだ……。関係者には子どもはほとんどいなかった、政治家のおじさんや社長、おばさんばっかりだ。多分、この中の二世とかと結婚が決められてるんだろうな。政治家のお嫁さんになるって、幸せなことなんだろうか。確かに金銭面では守られているのかもしれないけれど、好きな人と自由な恋愛ができないってことだろう? それに、学校も決まっているってことは、小学校とは違って『ご学友』まで決定されているのかもしれない。もしかして、白川さんが今、嫌われものでいるのって、わざとなんじゃ――。親のお金や親の権力にくっついてくる友達なんて、本当の友達じゃない。だから……。
「ああ、また余計なことに気づいちゃった」
 僕は食後の麦茶を飲むと、床に置いてあったランドセルの中身を見た。連絡帳には星岡のコメントも残っている。
『タイムカプセル委員、頑張れな』
 どうせ他人事だ。僕の手伝いなんかしてくれないくせに。あと出していないのは、秋津一と朝井悠だ。朝井は引きこもりだけど、秋津はなんで提出してないんだろう? あいつは僕と変わらず、そんなに目立たない生徒だ。普段は宿題だってあっさりやって提出するし、問題児ってほどではない。ただ、学校で行事がある日はよく休んでいるくらいだな。そう言う日に限って風邪を引くらしい。運が悪いよな。
 とりあず朝井よりも秋津のほうが手っ取り早く提出してくれそうな気がする。明日はあいつに声をかけてみることにするか。
 僕は他に出された宿題をさっさと終わらせると、父さんの帰って来ない部屋の電気を消した。

 翌日朝――。
「秋津、タイムカプセルの作文、まだ出してなかったよね。できあがってるでしょ?」
 僕がたずねると、秋津は笑顔を浮かべた。
「あ、ごめん。実はまだ書いてないんだよな。色々書きたいことあってさ、三十歳になったときって、どんなことやってるかって真剣に考えたら難しくなっちゃって」
 僕は少しびっくりした。秋津は僕や白川さん、入江とは違う。夢がありすぎて書けないんだ。正直うらやましかった。秋津、どんな夢があるんだろう? この夢のない世界で、彼はどんな将来を夢見てるんだ?
「秋津は例えば、どんなことをやりたいと考えてるの?」
「そうだなぁ……科学者になって、渡米したりとか、火星探査に行ったりとか? なんてな。今の俺の成績じゃ難しいかもしれないけど」
 ……子どもだ。秋津は。でも、叶えられない夢ではない。現実的で、かつ叶えられそうな範疇の夢だ。きっと検索しても、具体的に夢に近づける方法が出てくる。子どもに見せかけた大人だ。僕らみたいに届かない夢を見て絶望している人間たちとは違う。
「いいな……」
「え?」
「いや、なんでもない」
 僕も最初からこんな風に素直に夢が見られたらよかったのに。でも、そんなに書くことがあったら、すぐにでも作文なんてできあがるんじゃないのか?
「秋津、どのくらいで作文書けそう? 一応先生には猶予はもらっているけど、その調子だったらすぐにできちゃうでしょ? 早く提出してくれるほうが、僕も助かるんだ」
「提出か……。そうだ、戸叶。お父さん、元気?」
「父さん? うん、なんで?」
「いや、前まで小学校のカメラマンやってたじゃん。仕事変わったんでしょ? だから今、偶然思い出して。提出は書けたらするよ」
 秋津はそういうと、自分の席に戻って行った。
 僕の父さん? なんでそんなことを急に思い出したりしたんだろう?
 気になったけど、谷先生と星岡が来たおかげで、考えは中断することになった。
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