六、夢を見るための合宿?

文字数 5,216文字

 授業中、僕はそれどころじゃなかった。なんで僕らは夢が見られない? 親のせいだとわめくことが甘いとしても、それは絶対のことで、僕ら子どもにはどうしようもないことだったんだ。だからって親に説教なんてできるか。僕らは『経験値』だけは大人に勝てない。どうやっても。どんなに正論を叩きつけようが、大人のほうが長く生きているというだけでそちらが正義になってしまうのだ。
 休み時間、谷先生から作文は集まったかと聞かれたが、まだ集まっていませんと答えた。
 夢のない僕らは、どうやってこれから夢を見ればいい? 夢を見た経験がないまま大人になるとどうなるのだろう。やたら合理的で、冷たくて、現実主義者になってしまうだろうな。もう僕らにその片鱗は見えている。それを助けてくれる大人も、残念ながらいないようだ。カッコいい三十歳。たったそれだけの作文がかけないなんて、僕らはどうかしている。書けないような社会もどうかしている。
 そんなことを考えながらボーッと一日を過ごしていたら、帰りの会で星岡に呼ばれた。
「戸叶くんと入江さん、白川さん、秋津くんは今日の放課後残ってください。タイムカプセルの作文について、みなさんとお話がしたいです」
「……」
 みんな無言で星岡を見る。何を考えているんだ? 星岡はみんなの状況を知っているはずだ。夢が見られない現実。不幸な現状しか僕らにはないのに。
「あの、私家の手伝いが……」
 入江が挙手したが、星岡は首を振った。
「親御さんには先に『学校の行事で遅くなる』と連絡をしてあります。ね、谷先生」
「夏休み明けまでに書けばいいとは言ったけど、それはタイムカプセルを埋める時期なんですよ。未だに作文を書けてないので、一度星岡先生に面談を受けてもらおうと思ってね」
 面談なんて言うけれど、谷先生は面倒くさいことを星岡に任せたいだけだ。それでも谷先生に詰問されるよりはマシか。
 こうして僕らは、何を企んでいるのかわからない星岡の言う通り、放課後教室に残った。
「……なんだよ、妹の世話で忙しいのに、来ないと卒業がまずいって?」
 僕たちしか残っていないクラスに、大声が響く。朝井だ。これで全員が本当に集まった。星岡は満足そうに僕らを見ると、机を班の形に直すように言った。何をしようというんだ。
「君たち夢のない小学生に、無理やりにでも夢を見てもらおうと思う」
「は?」
 僕らはげっそりとした顔で星岡を見た。夢を無理やりにでも見させる? できるわけがない。できたとしても、それは大人の洗脳でしかない。
「何をする気なんですか」
 たずねたのは秋津だ。そりゃあ具体的に何をするかがわからなければ、非難もできない。星岡は自分で作ったのか、五冊のパンフレットを僕らに配った。
「夏休み、千葉研修――?」
「色んな人に無理を言ってな、一泊二日でみんなに研修を受けてもらおうと思って」
「待てよ! うちにはそんな金も暇もないぞ!」
 一番に文句を言ったのは朝井だった。朝井の家は確かに、経済的な余裕も、人手も足りていない。だが、その点も星岡は抜かりなかった。
「俺の大学の福祉学部の人間が手伝ってくれると申し出てくれているんだ。ちなみに、金額も俺持ちだ。俺の地元に来てもらうだけだからな」
「星岡先生の地元?」
 入江が不思議そうな顔をすると、白川さんが怪訝な表情を浮かべた。
「旅行ならちょっとしてみたい気はするけど、お父さんたちがなんていうか……」
「これでもうちのじいさんは元国会議員なんだよ。行って損はないと思うぞ?」
 さらりとし発言したことに、僕はびっくりした。本当に星岡は一体何者なんだ? おじいさんが国会議員だなんて……本当だったらこんな風にのんきにモラトリアム学生やっている場合じゃない気がするんだけど、それでもいいのか? 普通だったら二代目・三代目議員候補とか言って、奉り上げられてるんじゃないかって気はする。
 そもそも夏休み前までじゃないか? 教育実習は。星岡がそこまで俺たちにしなくちゃいけない義務なんてないはずだ。教育実習が終わってしまえば、僕らは関係がなくなるんだから。
 それでも星岡は僕らを真っ直ぐに見つめると、こう言ってくれた。
「君たちは夢を見る権利がある。それは大人たちに奪われてはならない大切なものなんだ。今夢を見ないでどうする。現実に押し殺されて終わり? 三十まで生きているかわからないなんて、十一、二歳の子どもが言う言葉じゃない。俺は君たちにそんなことを言わせる社会を許したくない。だから君たちを夢の世界に連れて行きたいんだ。頼む――ついてきてくれないか? 俺は君たちを絶望の淵に置いて行きたくなんてない」
 複雑だった僕たち。戸惑いながらもお互いの顔を見やる。星岡は教育実習生らしくなかった。長髪だし、格好だって破れたジーパンなんてPTA受けなんて絶対しない服装だ。それでも教壇に立ったときだけはしっかりと授業をしてくれたし、何よりも僕たちをどんな大人たちよりも見てくれている気がする。
「夢なんて見れねぇよ」
 朝井が言った。
「そうですよ。私たちは大人に支配されてるんです」
 入江も悲し気につぶやく。
「夢を見る間もなく、未来は決まってるんだよ」
白川さんはひきつった笑いを見せる。
「国籍が違うだけで、僕にはこの小学校でみんなと同じことができない」
 秋津もがっくりしながら言う。だけど僕は――。みんなよりは少しはマシな僕は。
「僕は行きたい」
 みんなは僕に注目した。そりゃあ、みんなより立場はマシだ。だけど、僕だって夢を見られない小学生のひとりだ。だったら星岡の見せてくれる『夢』っていうのを見てみたい。今見なければ、きっと僕は一生見られない。そんな気がするから。今、このときを逃しちゃいけない。本能だった。
「よし、戸叶は行くな。他のみんなはどうする? 親御さんの許可はなんとしてでも取ってやる。俺が聞きたいのは、君たちの希望だ」
「……家の仕事から逃げられるのなら」
 次に声を上げたのは入江だった。家から出ていれば、少なくてもクレームの対処はしなくてもいい。心を休めることができるだろう。
「お父さんたちがいいって言うなら!」
 白川さんは乗り気だ。もとから将来が決められていることや、クラスメイトに嫌われている以外にしがらみもないからな。だが問題はあとのふたりだ。
「俺は妹が心配だ。いくら福祉学部の人が手伝ってくれるって言ってもな」
「朝井、妹やおばあさん、お母さんのことを大事にしてるのはわかるが、一番大切にしないといけない人のことを忘れていないか?」
 星岡の問いかけに首を傾げる朝井。星岡は朝井に向けて指をさした。
「君自身だよ」
「俺?」
「君はいつも人の事ばかり気にかけている。自分の時間を惜しんで、やりたいことを我慢して、人に尽くしている。お母さんはどう思うだろう。君がそこまで人に尽くして、やりたいことをやれていないと不安にならないかな」
「そんなこと、初めて言われた……」
 朝井はうつむいて黙ってしまった。次は秋津だ。
「秋津、君は現実に失望しているだろ。色々な不運が重なった。それだけだと言い切るには重い問題かもしれないが、『運が悪かった』で済ませられるくらい軽くなってみろよ。旅に出れば少しは見方も変わるかもしれない。俺しか行き場所がわからない、ミステリーツアーに出てみればね」
「……ミステリーツアーか、面白い。現実逃避にはもってこいだ」
「返事は急がないよ。よく考えてみてくれ。行くなら俺にひとこと言ってくれればいいから。じゃ、今日は解散」
「俺、行くよ!」
 解散と言った瞬間、朝井が声を上げた。彼なりに色々思うことがあったのだろう。僕から見ても、彼は自分を犠牲にしていた。おばあさんの介護と妹さんも看護。それに家のこと
自分の時間なんてなかったように感じた。だったら数日くらい、自分の時間を作ってもいいじゃないか。
 朝井も参加意思を表明すると、秋津もうなずいた。
「だったら俺も行くよ。俺、もう少し話してみたい。戸叶と。そのきっかけになるなら」
 僕は秋津を見た。そうだな、僕たちの間には会話がまだ少ない。国籍の問題もあるけれど、秋津が今、大変に抱えているのはお母さんのヒステリーだ。そこから逃げるという手段にもなりえるなら。
「よし、全員参加だな! 日にちは夏休み初日から一泊二日。行く場所は千葉のどこか! 親御さんたちには泊まる場所など伝えておくが、君たちには秘密だ。楽しみにしていてくれよ」
 夏休み。そう言えば僕に、夏休みの予定なんてなかったな。父さんはずっと仕事が入っていると言っていたし、僕ひとりで行くとしたら、学校のプールと図書館くらいだ。
「夏休み、か」
 朝井も感慨深げに口にする。彼も夏休みなんて概念はなかったのかもしれない。入江さんも。
「そう言えば私も習い事ばっかりだったのよね」
「俺も」
 白川さんと秋津は、習い事でスケジュールが埋まっていたタイプか。それぞれケースは違えど、僕たちに夏休みらしい夏休みもなかったんだな。これは少しだけ、星岡に感謝しなくてはいけないのかもしれない。
 星岡は満足したようににんまり笑い、机に頬杖をついていた。

 時が過ぎるのは早い。六月末から七月。夏休みまでは意外と学校ではやることが多かった。夏休みに入る前の準備ということで、テストやら宿題の用意やら、読書感想文で使う図書の説明やら、普段の授業の間に、様々な夏に向けての準備が多く入っていた。僕にとってはそのおかげで、夏休みの千葉旅行までの日程が早く感じられて、今まででは感じられないほどドキドキしていた。今までの学校行事で行った泊りがけの自然教室とはまた違う。修学旅行とも。ああいった旅行とは今回は趣旨が違う。まず千葉に行くことしかわかっていないし、そこで何をするかも知らない。星岡いわく、『夢を見るための旅行』というが、夢ってどうやってみるんだろう? 大人はすぐ嘘をつくが、星岡はきっとそういった汚い類の大人じゃない。そう僕は信じている。
 父さんは千葉旅行に行くと言ったとき、「楽しんで来いよ」としか言わなかった。普通だったらただの教育実習生が行う泊りがけの旅行だ。幾分か心配はするはずなのに。それでも僕はよかった。ひとりの夏休みを過ごすより、星岡やみんなと過ごしてみたい。特に秋津とは話をもっとしなくちゃ。父さんもきっと、あの一件が僕にバレてから、僕との関係がぎくしゃくしていて離れたかっただろうし。その証拠に、夕飯の時間に帰って来ることが少なくなっていたし。この旅で僕はもっと大人になる。父さんと対等に接することのできるような、そんな『大人』に。

 七月終業式。今日で一応、教育実習も終わりだ。学校で星岡と会うことはなくなるが、明日からは一泊二日の千葉旅行。僕は案外わくわくしていた。父さんは仕事人間だから、遊びに連れて行ってくれるとしても、知り合いの女性が一緒にいたりして、親子水入らずということはあまりなかった。どうせ僕がダシに使われていたんだろうと今ならわかる。
 でも星岡は言ってくれた。僕らに夢を見せてくれると。大人に何ができるんだとも思うけど、その大人の腕前を拝見と行こうじゃないか。
 星岡はクラスで堂々と教育実習のお礼を言うと、みんなに深々と頭を下げた。少し涙ぐんでいたようにも見えたが、星岡の涙の意味はきっと、感謝とか喜びじゃない。僕らを見てから目に星を浮かべたから。意外と大人も涙もろいんだな。子どもの僕らよりずっと。
 終業式が終ったあと、僕ら研修旅行出席生は星岡には言わないで集まっていた。この面子が集まるのも珍しいことだったりする。今日、朝井は一応学期最後ということで来ていた。
「星岡は一体何を考えていると思う?」
 秋津の疑問に、白川さんが答える。
「誘拐とか、犯罪の部類ではないよね。うちのお父さんたちもOK出してくれたくらいだし」
「うちにお母さんもいいんじゃないって言ってくれた」
 入江も同調すると、朝井も言った。
「うちにも本当に福祉学部の人たち来てくれたんだよな」
「ってことは、本当に下心とかなしに僕たちのために……?」
 僕たち五人は少しだけ声を失った。まさかこの時代に、無条件で知らない子どもたちのために何かしてくれる大人がいるなんて思わなかったからだ。自分たちの親ですら、自分の子どもを放置しているのに。
「なんか俺たちもしてやりたいな、お礼」
 朝井が言うと、入江もうなずいた。
「うん、具体的には何も思いつかないけどね」
「それは研修旅行中にみんなで考えるっていうのは?」
「面白そうだな」
 白川さんの提案に秋津も乗った。
 僕らはまだ本当に大人を信じ切れていない。それでも、星岡だけは僕たちの中で少しだけ特別な存在になってきているのは確かだった。
 明日の予定をみんなで確認すると、手を振って別れた。これで僕らの夏休み、開始だ――。

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