11話「友だちじゃない」

文字数 2,505文字




僕は、駅から20分ほど歩いた「サンハイツ」の105号室の扉に鍵を差し、中へ入る。

二間しかない部屋で、奥の寝室には古月がぐったりと横たわっていた。僕は枕元に膝を下ろし、彼に声を掛ける。

「ただいま古月。包帯とか買ってきたよ」

古月が起き上がる時に彼を支えようとすると、殴られた痕が痛むのか、古月は顔をしかめた。

「腕出して。あ、まず傷口を洗わないと!服脱げる?お風呂場に…」

僕がそう言うと古月は首を振り、自分で立ち上がる。

「…洗ってくるのは、自分でやる。お前はここで待ってろ」

「ん、うん…」



浴室から帰ってきた彼は、手当をしやすいようにか、シャツを脱いでいた。僕は箱から出した包帯や消毒液などを、今一度見回す振りをしながら、考えていた。

“古月って、けっこう筋肉付いてるんだなぁ…まあ、あれだけ強いんだから、当たり前か…”

“でも、今回は全然反撃もせずに…”

「消毒から、ね…」

僕はどうしても、彼の姿を見ているのが辛かった。

彼の素肌に、たくさんの痣が浮いて、酷く殴られたところはもう腫れ上がり始めている。

“僕のせいだ”

消毒液と脱脂綿を持つ手が震える。また涙が溢れてくる。どうしてこんなことに。

「…ごめんね、古月…!」

彼は黙っていて、顔を上げてくれなかった。怒っているのかもしれないと思って少し怖かったけど、そんなの当然だし、僕は彼が何かを言い出すのを待った。

薄暗いアパートの狭い部屋で、古月は小さく息を吐く。

「…お前、俺のこと、なんで怖くねえの」

変な時に変なことを聞かれたなと思った。僕はとりあえず、答えを考える。

「え…えっと…全然怖くないわけじゃないけど…なんでかな、でも、古月だって僕とおんなじように、気持ちとか、考えとかあるに決まってるし…」

ちょっと照れくさいのをごまかすために、どうしても僕はうつむいてしまった。

古月は壁にもたれていた姿勢から起き上がり、僕に近寄る。

「…俺が今からすることも、怖くないか」

「え?」

僕が声を上げたのと、急に片腕を強く引かれたのは同時だった。

「わっ…」

視界が揺れ、そして目の前が暗くなる。

次の瞬間にはもう、目の前に閉じられた彼の瞼があることがわかった。

つっかかるように触れてきた彼のつたない唇は少しかさついていて、優しく僕のそれに押し当てられてから、そろそろと離れる。

古月は、落ち込んだ顔をしてうつむいていた。僕は心臓がドクドクと激しく鳴り止まず、息苦しくて堪らなかった。


「これでわかったろ。俺はお前を、ただの友だちとして見てねえんだよ」

そう言って彼は膝を抱え、腕の中に顔を隠す。

「お前が悪いんだ…俺に馴れ馴れしくしてきて、あんなふうにつきまとったり、泣いたりなんてするから…」

“誤解されてる”

そう思った僕は、彼が好きだったんだろう。だから、「自分は好かれてない」という彼の言葉をなんとか否定しなきゃと思った。その時初めて気づいた。


“僕は君が好きだったから、一緒に居たかったんだ”


「古月…」

それなのに、どうしよう。

“キスされて好きだったことに気づいたなんて言って、信じてもらえるのかな…それに、本当に好きなの…?”

彼は多分、今までこの気持ちを隠していたんだと思う。だからあんなに僕を突き放したし、今日僕に向かって怒ったんだ。

一体いつから好きだったのか、それは僕にはわからなかったけど…

「もういいだろ…帰れよ…一人にしてくれ…」

すっかり思い込んでしまっている彼に近寄り、僕はなんとか勇気を出した。

「帰らない」

そう言った僕の声は絶対に彼にわかってしまうほど震えていて、頬の熱さで僕は倒れ込みそうだった。

古月が顔を上げる。恥ずかしくて目を逸らしてしまいそうなのを、頑張って我慢した。

「…なんで」

僕は何も考えることができなかった。まだ気持ちは動転を続けて胸の中は嵐だし、こうして彼の前でじっと静かにしてるのだけでも苦しい。

「君がそうしたいなら…もう一度、して欲しい」

彼は驚いて目を見開き、一瞬その大きさに気を取られているうちに、僕は押し倒された。

「ふるづ…ん…!」

僕は彼のキスで布団に縫い止められ、両腕を押さえつけられていた。逃げようとしても逃げられない。

“どうしよう!これ、襲われる…!?”

「…ん……んう…!」

目を開けると、彼がひたむきに僕に食らいついていて、潤んだ瞳がぎらぎらと光っていた。



「はぁ…は…」

やっと放してもらえた時には、僕は息をするのに必死で、目を回して倒れているに近い状態だった。

頭がぽーっとして、くらくらと揺れているみたいだ。

「悪ぃ…俺…」

古月は、僕に襲いかかってしまったことにまたちょっと怯えているみたいで、顔を手で覆って悔しそうな顔をしていた。

「大丈夫」

今更に顔を真っ赤にして照れている彼に、「手当て、しよっか」と声を掛ける。

「あ、ああ…」



僕は、彼を大切に思う気持ちを包帯の一回り一回りに込めて、優しく消毒綿を当ててから、絆創膏を貼った。

古月は恥ずかしそうにずっと顔を逸らしていたり、なるべく僕を見ないようにしていた。

“やっぱりだ。君は恥ずかしがり屋だもんね”

そう言ってみて、怒り出してふくれる彼を想像していた。



手当が終わると、急に僕のスマートフォンが着信メロディを鳴らす。

ちょっとの間放っておいても鳴り止まなかったので、僕はポケットの中から取り出して画面を見た。

「あ、母さんだ。どうしよう…」

学校に行かない日があることを母さんには叱られていたし、そのことで黙っているのも、もう限界だった。

帰らなければ、また僕はその限界を早めてしまう。

「相田」

僕が振り返ると、古月は煙草に火をつけようとしていた。そして吸い込んでから、煙を吐く。

「明日、また来い」

“まだ好きって言ってない”

でも、別れ際のどさくさの中で言うのも嫌だった。

“明日、ちゃんと…”

「…わかった。今日は大事にしてね、怪我したんだから。明日はおみやげ持ってくるから」

「ん」

僕は玄関先まで送ってもらったから、またキスするのかなと思ったけど、ちょっと戸惑いがその場にあっただけで、彼は「早く行け」と僕を送り出した。



僕はもう閉じられてしまった105号室を何度も振り返り、唇を指先で気にしながら、家に帰った。




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