12話「君の涙」

文字数 2,527文字





僕はその日、もちろん制服を着て、学校に行った。

“帰りに寄るね”

そう送ったメッセージには、古月から10時頃に“おう”とだけ返信があった。多分、彼はそれまで眠っていたんだろう。

“古月は、大丈夫かな…”

僕は落ち着きなく、授業が終わるまでを過ごして待っていた。

でも、正直に言うと、彼の部屋に行くのは少し怖かった。

殴られるかもなんてもう考えていないのに、今日自分はどうなるんだろうと思うと、ほんの少し不安だったのだ。







ピンポーン。そんな当たり前の音がするベルを鳴らして、彼の部屋の前に立つ。外は寒いので、僕は両手を擦り合わせちょっとの間待っていた。

扉が開くと、古月が姿を現す。彼の頬は昨日より腫れ上がっていて、僕が湿布の上に貼った絆創膏は、少し剥がれかけていた。

「よう。入れよ」

「う、うん。お邪魔します…」



昨日来た時と、彼の部屋は何も変わっていなかった。

居間には小さめのローテーブルがあって、テレビと、それからCDコンポ、あとはファンヒーターがある。

キッチンには冷蔵庫と小さな食器棚があり、寝室には布団が敷かれたままで、ハンガーラックに服が掛けてあった。

浴室への短い廊下の途中には、壁をくり抜いたようなスペースに洗濯機があって、トイレはその先だ。

昨日と違うのは、居間のテーブルにカップラーメンが放置されていて、CDコンポから大きめの音量で、ロックミュージックが流れているところ。

「布団に寝てなくて大丈夫?」

「ああ。もう痛みも引いてきたしな」

そう言いながら古月は、音楽をプツリと止めた。

それから、カップラーメンのゴミに今気づいたように、中身を流しに開けて容器をゴミ箱に放る。

「まあ座れよ」

古月はそう言って、ファンヒーターの前を勧めて、スイッチを入れてくれた。

「いいの?ありがとう…」

彼は冷蔵庫からパックのジュースを出して二つのコップに注ぎ、テーブルに置く。

そして、僕からは横向きに見えるように、テーブルに肘をついて床にぺたんと胡座をかいた。

「ありがとう…僕も、これ…」

僕は、学校近くのお菓子屋さんで買ったクッキーを、鞄から出して彼に差し出した。

「ここ、美味しいってよく家で買ってるから…美味しいと、いいんだけど…」

「ふうん」

古月は箱を開けて個包装になったクッキーを一つ手に取り、無造作に袋を取り去って、口に放り込んだ。

「ん、うまい」

まだ口にクッキーを詰め込んだまま、彼は笑顔でそう言って、僕を振り向く。





お菓子を食べて、ジュースを飲んで。もちろんそれだけで済むはずもない。

“家に呼ばれたってことは…何か、家でしかできないことをするんだろうな…ああ!その先を考えると変になりそう!”

僕たちは無口なまま過ごしていたけど、クッキーを五枚食べ終えてから、古月は喋りだす。

「お前、なんで昨日あんなこと言ったんだよ」

あんなことと言うのは、多分僕が「もう一度して」なんて言ったことだろう。

“改めて説明するなんて、恥ずかしいけど…”

僕は顔が熱くて、頬が真っ赤になってるんだろうことが自分で分かったので、うつむいて片手で目の下を隠した。

“でも、僕は言いたい”

「えっと…その…僕も、君が好きだったってわかったし…」

「いつ?」

古月はテーブルに身を乗り出す。

僕は体中が熱くなってきて、頭がふわふわするほどだった。

「キス…された時…」

それに古月はあんまり納得していないような顔をしていた。そりゃあそうだと思う。

「でも、キスされても全然嫌じゃなかったし…その…すごく、嬉しかったから…だから…」

なんでだろう。胸の内を晒してるはずなのに、これより話すのが嬉しいことなんか、ない気がする。

「僕、君と一緒にいたいと思ってたけど、どうしてかはよくわかってなくて…でも昨日、“好きだったから一緒にいたかったんだ”ってわかって…」

ずっと言いたくてたまらなかったことだけど、まともに彼の顔を見てなんて喋れなかった。

「ふうん」

気のない返事が返ってきたから、“分かってもらえなかったのかな”と思っておそるおそる彼を見ると、横を向いて前髪で顔を隠した彼の頬が、赤らんでいたのを見た。

“古月は、いつからだったんだろう”

僕が先に聞かれたから、今度は彼に聞き返そうと思った。

“真っ赤になってごまかしたって、絶対聞き出してやろう”

そう思って僕は内心でちょっとほくそ笑む。

「古月はさ、いつだったの?」

そう言っても、古月はここじゃないどこかを見ているようだった。

彼は遠い思い出を探るように、床に目を落とす。

「…初めは単純にお前が気に食わなかった」

そう言った時の古月は、悔しそうに顔をしかめていた。

「でも…お前がいつも俺を気にしてるのがわかって、それでもっと気に食わなくなっていって…」

僕は、「うるさい」、「関わるな」と、自分をはねつける彼を思い出していた。

「俺は、なんで気にいらねえのかなんて考えないでお前を殴ってたのに、お前が…」

そこで古月は言葉を切り、焦れったそうに片腕を揺らす。

「お前が、俺の前で笑ってるのがなんでなのかわからなくて…でもそれが欲しいと思った時には、多分もう…」

そう言った時、彼はぽろぽろと涙を流した。

「古月、なんで泣くの?」

彼の涙を見て、僕は窓の方に近寄り、彼の前に座り込んだ。でも古月は首を振る。

「うるせえな…わかってんだろうが…」

「わかんないよ…」

ぐしぐしと長袖シャツの袖で涙を拭うと、彼は僕を見て悲しそうな顔をする。僕はとにかく彼を慰めないとと思って、抱きしめようとしたけど、彼はそれにほんの少しだけ抵抗した。

まるで怖がりの小さな犬が吠えるように、彼は僕の腕から逃げようとする。

でも、僕でも抑え込めるくらいの力だったから、やがて僕の腕にすっぽりと彼は収まった。でも、古月は泣き止まなかった。

「ねえ、泣かないで」

鼻をすする音の合間で、彼はこう言った。

「…殴らねえって決めたのは…お前が居たからだ…俺はもうお前を殴りたくなんかないし…誰かを殴れば…それがお前だったらと思うのが…嫌でたまらないんだよ…」

僕はそれを聞いて、嬉しいような、胸が苦しいような気持ちになって、“古月を守らなくちゃ”と、どうしても思った。

僕はなかなか泣き止まない彼に、何度も「大丈夫、もう大丈夫」と繰り返していた。




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