十六

文字数 1,353文字

 サングラスにキャップを被り、ユキナが新宿二丁目に向かっていた。ムシャクシャした気持ちを修復できず、イサオの店で飲むためだった。ショウにはメールで伝えておいた。高校時代の友人が殺人事件に巻き込まれたと知り、ショウに話した。すると偶然にも万世橋署でショウが事情を聴いた第一発見者が、友人のヨシザワエリナだと知って驚いた。ヨシザワエリナはショウがユキナの恋人だということを知らない。ショウは事件の経緯をユキナに話した。そして、伝えるべきか迷ったが、ヨシザワエリナがクサナギヒカルというAV女優だと伝えた。ユキナが絶句した。ネットでクサナギヒカルと検索すると、確かに厚化粧したヨシザワエリナの顔が出てきた。信じられなかった。つい最近会った時は、細々とモデルの仕事をしていると言っていたのに。急に気持ちが落ち着かなくなった。不安と憤りが混在していた。それでイサオの店で飲むことにした。
「あら、ユキナちゃん、お久ね、髪切った?」
 イサオでさえ気付くのに、ショウが気付かないことにまたイライラが込み上げた。
「ああ、切ったけど、何か?」
「おお、恐っ! 今日はまた荒れてるのね? どうしたの、ショウ君とケンカでもした?」
 ユキナがカウンターに腰掛けた。
「いんや、ショウとはケンカする程も会ってない」
「あらら、それは寂しいわね、でもユキナのそのイライラ、一体どうしたのよ。お肌荒れちゃうわよ」
「余計なお世話。とりあえずビールちょうだい! ビール」
 ユキナが出されたグラスビールを一気に飲み干す。
「いやあ、相変わらず空いてて落ち着くな、この店」
「何よ、嫌み? 悪かったわね、どうせ暇ですよ」
 ユキナがイサオの顔を見て、ニヤリとした。
「そっか、イサオ、お前暇なのか、だったら今度一緒に錦糸町行かない?」
「錦糸町? 飲み屋?」
「いやいや、高校時代の親友がいてさ、会いに行こうかと」
 珍しく歯切れの悪いユキナの口元を見つめた。
「何か訳ありなのね、それこそショウ君と行ったらいいじゃない?」
「うん、でもな、アイツも忙しそうだし、それに、刑事連れては行けない」
「だったらアンタのとこのジャーマネは? ケイコちゃん? だっけ?」
「ケイちゃんには内緒で行きたいんだよね、やっぱ恥ずかしいじゃん。その子、AV出てんから」
「ふうん、そうなのね、アンタの友達がAV女優にね」
 ユキナは最近覚えたシングルモルトをロックで貰った。
「何か、アタシにはわかんのよ。痛いほど、エリナの苦労が」
 ユキナがグラスを煽った。氷が音をたてた。
「この業界ってさ、そりゃあ努力するのは当たり前だけど、いくら頑張っても報われない時もありゃ、望んでないのに有名になってしまうこともあるわけよ。その運命のイタズラというか、気まぐれに翻弄されちゃったら負け。潔く諦めるのは決して負けじゃないのに自分に負けたと勘違いして。でも、諦め切れずに自分を安く切り売りし始めたら本当の負けになっちゃう」
「厳しいこと言うのね、ユキナちゃん」
 ユキナがグラスの氷を見つめたまま、唇を噛んだ。
「いいわよ、ユキナ、一緒に行きましょう、そのお友達のところに。ちょうど月曜日、店お休みだから」
 イサオがカウンター裏のカレンダーに○印を付け、小さく錦糸町と書き入れた。
「サンキュー、イサオ、恩にきるぜ」
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