十五

文字数 3,233文字

 錦糸町のクリスタルエンタープライズの事務所。つけっ放しのテレビに、昼のバラエティー番組に出演しているミウラユキナが映っている。ヨシザワエリナがその姿を羨望の眼差しで見ていた。二人とも今年で三十歳になった。ユキナは相変わらずテレビの中でも明るくて、天然で、自分のような裏路を経験していないことくらいすぐにわかる。高校時代はユキナと二人でクラスの男子の人気を分け合っていた。ただ、ユキナはクラスの女子にも好かれていたのに対し、自分はいつもユキナの陰に埋もれていた。芸能界入りはエリナの方が早かった。大学に在籍している時から細々とモデルの仕事をこなした。ユキナは追ってこないと思っていた。ユキナへの劣等感を癒してくれたのは、自分は無名ではあるが芸能の世界で生きているという自負だった。それなのに気がつけば、ユキナは後から芸能界に入ったにも関わらず、エリナの手の届かないずっと先を歩いていた。ユキナはユキナ、自分は自分と言い聞かせても、心が内出血を起こした。自分はこのまま誰の眼に留まることも無く、パッとしないまま人生を終えるのだろうか? そんなことを考えていた時、セクシー女優を多く輩出することで有名だったヤマザキの事務所にスカウトされた。ちょうどAV女優が深夜番組に出始め、そのうちの何人かは女優として歩み始めていた。昔のような暗いいかがわしさはなく、オープンで明るい雰囲気に誘われ、軽い気持ちでAVの仕事を承諾してしまった。撮影スタジオを前に急に恐くなって辞退しようとしたが、高額な違約金が発生すると脅され、仕方なく男優に抱かれた。ギャラの振り込まれた通帳を見ながら、一日中泣いたのを今でも覚えている。人生は不公平だなと思う。隣のソファで一緒にテレビを観ていたワタナベタイチが物欲しそうに溜息をついた。
「ミウラユキナ最高」
 エリナはチッと口を鳴らした。
「タイチ、別の番組にしてよ」
「姉さん、どうしたんすか? 急に」
「気に入らないのよ、アノ女」
「そうっすか? 俺、大ファンなんすけど、あの美貌で天然ボケかまされると、たいていの男はコロッといっちゃいますよ」
「ふん、勝手に死んじゃえば! 面白くない」
 タイチが苦笑した。
「そう言えば姉さん、この前、ミウラユキナがマネージャーみたいな女と二人で、この通りを歩いてたんすよ。俺、急いで追いかけたんすけど途中で見失っちまって」
「え? ユキナがここに?」
「あれ? 姉さん、もしかして知り合いなんすか? だったら今度、俺に紹介してくれませんかね。そしたら俺、姉さんの言うこと何でも聞きます」
「バカ、何言ってんのよ、知り合いなわけないじゃん、あんな女」
 エリナが唇を噛んだ。
「姉さん、恐わっ、女の人には人気無いんすかね、やっぱ美人過ぎるからとか?」
「知らないわ。何が美人過ぎる料理研究家よ。本当はガサツでだらしない女のくせに」
「やっぱ姉さん、知り合いなんすね」
「なによ、いいでしょ別に。高校の同級生よ、悪かったわね」
「へえ、そうなんすかぁ」
 タイチが目を輝かせた。

 ショウが錦糸町の街に来ていた。クリスタルエンタープライズに行く前に、幾つか立ち寄りたい場所があった。その一つが小松川公園だった。十四年前に事件があった公園で何かを見つけようとしたわけではない。ただ、その当時の思いに触れてみたかった。エビサワユウジの気持ちもわからなくはない。法律や正義を振りかざすつもりなどなかった。身内の復讐のために殺人を犯した男。そのことが、ショウの脳裏から離れなかった。ここはかつてエビサワユウジが同級生をリンチした後、荒川に捨てた場所だった。それが妹を汚した奴らへの『復讐』だったと知る者は少ない。春先は桜の美しい場所らしいが、今、目の前にあるのはスプレーで落書きされた案内板であった。昔も今も不良少年たちの溜り場には違いないが、枯れ草に覆われた公園はどことなく寂しげで、ひっそりとしていた。風化・・・・・・十四年前の事件のことなど、もう誰の記憶にも無いのかもしれない。公園の案内板に黒と赤のスプレーで『阿修羅』と殴り書きされている。『阿修羅』は警視庁でも特に監視を強化している暴走族だった。墨田区を中心に江戸川区、江東区の暴走族を傘下におさめ、現在では都内最大の集団となっていた。そして阿修羅は単なる暴走族ではなかった。元々在日中国人グループから成っており、今では錦糸町の他、新宿歌舞伎町、池袋北口に根をおろしている。時にはヤクザである北陽会との対立の話も耳にする。武闘派で残忍な行動は、北陽会のヤクザが一目置くほどである。いわゆる『半グレ』と呼ばれる集団だ。広域指定暴力団とは認定されず、暴対法の網をくぐり抜けることができる。ある意味、ヤクザより質が悪い。
「エビサワユウジノ背後ニハ、阿修羅ト言ウ、ヤバイ暴走族ガイルミタイデスゼ」
 と教えてくれたのは李俊明である。
「ソレト、モウ一ツ、コレハ旦那ニ言ウベキカドウカ」
「何だ、珍しく歯切れの悪い物言いだな、どうした?」
「池袋北署ノ動キニ変化ハナイデスカ?」
「殺されたヤマザキと対立していたシンドウマリコの会社が池袋にあるが、池袋北署からは何も言ってこないな。何か今回の事件と関係があるのか?」
「噂デスガネ。旦那ハ、オニズカロクロウ、ト言ウ男ヲ知ッテルデショウ?」
 ショウは警察学校の同期で、署内のイジメを苦に自殺したオカダジロウの顔を思い浮かべた。そのジロウに陰湿なイジメを加えていたのがオニズカロクロウの甥、オニズカセイヤだった。
「ああ、知ってるさ。警視庁第五方面本部長、オニズカロクロウのことだろう? それがどうした?」
「シンドウマリコノ後ロ盾トイウ、専ラノ噂デスゼ」
「まさか」
「ソノ証拠ニ、数年前カラ池袋北口ノチャイナタウンデ、新種ノ合成麻薬ガ流通シテイルニモ関ワラズ、池袋北署ハ見テ見ヌ振リダ」
「ブラッドとは違う薬物なのか?」
 李俊明が頷く。
「クイーンズエクスタシーと呼バレル合成麻薬デ、入手ルートハ不明。現在デハ都内ノ一部ノ風俗店デ出回ッテイルガ、ソレラハ全テ、エビサワト、呉美華ガ経営スル店ダ。警視庁ハ何故カ、ソノドラッグダケ摘発シテイナイ」
「妙だな」
「ト言ッテモ、サスガノ旦那デモ、手ガ届カナイ御人デショウ?」
「かもな」
「墨田ニ阿修羅トイウ暴走族ガイテ、奴ラハ今、池袋デ警察ノ保護ヲ受ケテ、ヤリタイ放題ダヨ。勢力ガドンドン拡大シテイル。エビサワユウジハ元阿修羅ノ総長ダ。ソレガ今ヤ池袋北口ノチャイナタウンニ地下銀行マデ持ツヨウニナッタ」
 ショウが顔を上げた。
「地下銀行だと?」
「ソウダヨ、俺タチ日本ニ出稼ギニ来テル連中ハ、必ズ本国ニ送金シテル。悪イ金ヲ海外ノ口座ニ送金シテ、ロンダリングスルニモ闇口座ガ必要ナンダ」
「中国は景気が良いんじゃないのか?」
 李俊明が苦笑する。
「ソレハ一部ノ富裕層ダケ。特ニ東北ノ農村ハ皆貧シイ。今デモ在日ヲ頼ッテ来日シ、本国ニ送金スル流レハ変ワッテイナイ」
「そのフロントがエビサワユウジたちだと言うのか?」
 李俊明が頷いた。
「しかし、オニズカロクロウが奴らに操られる理由は何だ?」
 李俊明が得意気に鼻を鳴らす。
「今回ハ、高クツキマスヨ、旦那」
 ショウが目の前に突き出された手をピシャリと叩く。
「で、理由は何なんだ?」
「ソレガネ、以前、秋葉原ノキャットイヤートイウ店デ働イテイタ女カラ聞イタ話ダガ、オニズカロクロウニトッテ都合ノ悪イ情報ヲ、奴ラガ握ッテイルラシイ」
 ショウはすぐにオカダジロウが風俗嬢に託したとされるSDカードだと気付いた。
「SDカードがあるんだな?」
「サスガ旦那。モウ、ソンナコトマデ知ッテルトハネ。ソウ、甥ノオニズカセイヤガ警察内デイジメヲシテイタ証拠ガ映像デ残ッテルッテ話。ソレガ何故カ奴ラノ手ニ渡ッタ」
「ジロウが浮かばれんな」
「旦那ノ友達デ?」
「ああ、警察で唯一の友達だった」
 そう言いながら、ショウは李俊明の手に札を握らせた。
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