三十一

文字数 3,364文字

 ユキナを乗せた車が那須高原の辺りを通りかかった時、道路状況を伝えるインフォメーションが岩手県内の降雪を伝えていた。松尾八幡平から先は、雪によるタイヤチェーン規制がかかっている。
「やべ、盛岡も雪っすね。ノーマルタイヤしか持ってねえっすよ。最悪どこかでタイヤチェーン買わないと走れねえっす」
「タイヤチェーン?」
「そうっす。ユキナさんは東京の人だからタイヤチェーンなんて知らないかもしれねえっすけど、東北では普通っす。金持ちはスタッドレス履くっすけど、最近は冬でも雪が積もらなねえ場所が多くなったから、普段はノーマルで、雪が降った時だけタイヤチェーンを装着する人が増えたっす。チェーンって言ったって鎖じゃねえっすよ。硬化プラスチックで装着が簡単なやつが安く売ってるっす」
「普通のタイヤじゃ、やっぱマズいのか?」
「そうっすね、雪にタイヤを取られるのもあるっすけど、だいたい路面が凍ってるのは暗くて見えねえっすから、そんなところでブレーキ踏んだら、ハンドル制御不能になって事故るっす。よく東京で雪が降ったら、みんな事故起こすじゃないっすか」
「ああ、わかる、わかる。みんな転んでんかんな」
「ユキナさんとのせっかくのドライブが、こんな軽自動車とはね。何かロマンチックじゃねえっすけど、すみません」
「タイチ、お前、案外ロマンチストなんだな。アタシはどんなボロ車だって全然気にしねえよ。真夜中の高速道路なんて走ったことねえし、遠くにポツンと街の明かりが見えるのも悪くねえよ」
「ユキナさんにそう言ってもらえると嬉しいっす。都会育ちの女の人に田舎の景色が退屈だと思われるのが悲しいっすから。それもやっぱ彼氏さんの影響なんすよね?」
「ん? かもな」
 それからしばらく二人は無言だった。福島県内は平坦で長かった。そして少しづつ勾配がきつくなって行く。山間部に差しかかった。オレンジの外灯以外、辺りは漆黒の闇だ。カーラジオからユーミンの曲が流れている。
「俺、この曲好きなんすよ。ブリザードでしたっけ?」
「ユーミンか、お前、若いのに古い曲知ってんな。アタシもユーミンは好きだよ。何か切ないけど」
 坂道で車のエンジンが唸りをあげる。街外れのラブホテルのネオンが目に入る。タイチがゴクリと唾を飲み込んでいるのがわかる。
「なあ、タイチ、次のパーキングで何か食おうぜ」
「いいっすよ。次は国見っす。暗くて蔵王は見えねぇっすけど、この辺りが最も標高が高いんすよ」
「タイチ、悪いんだけどアタシ、お手洗いに行きたいんだよね。一人で行かしてくれるかな? さすがにお前が付いて来るわけにはいかねえだろ?」
 タイチが顔を赤らめた。
「いいっすけど、絶対、逃げねぇって約束してくださいよ」
「わかってんよ。必ず戻るから車で待ってろ」

 同じ頃、ショウの車が闇を切り裂いていた。このアウディA6クワトロという車は、高速になればなるほど、路面にピタリと張り付くようだった。一瞬で駆け抜ける真赤な線。目に見える全ての車を追い抜いた。各パーキング、インターチェンジには、ミウラユキナらしき人物を見かけ次第、すぐに通報するように手配してある。ユキナがどこかのパーキングに顔を見せてくれればよいのだが・・・・・・。同乗している男のことも気になった。しかし、それを今、考えたくはない。ショウがアクセルを踏み込んだ。

 ユキナの行動をタイチが車の中から監視している。キャップを深々とかぶり、小走りにトイレに駆け込んだ。誰にも気付かれた様子は無い。このまま売店やレストランに飛び込んで事情を話せば、自分は保護されタイチは捕まるだろう。だが、自分を信頼して自由にしてくれたタイチを裏切るのが嫌だった。我ながら何てバカなんだろうと思う。でも、それがミウラユキナという人間だった。ユキナは焼きそばでも買おうと思ってレストハウスの中に入った。深夜にもかかわらず、案外利用者が多かった。長距離トラックの運転手が、温かいラーメンをすすりながらテレビニュースを見ていた。すると、緊急速報を知らせる音が鳴り、画面テロップが流れた。
「タレントのミウラユキナさんが誘拐された模様」
 ユキナはそのニュースを口をポカンと開けて見ていた。
「アタシか?」
 すると数人が自分を見ていることに気がついた。ユキナは慌てて車に戻った。タイチもラジオを聴いていた。
「タイチ、やべぇぞ。たぶん、見つかったかも」
「今、ラジオでも言ってました。とりあえずここを出ましょう」
 タイチが車を出した。売店の前に小さな人だかりができていた。
 国見峠を越え、仙台を過ぎてからはしばらく平坦だった。平日の深夜だったので、世間がこの事件を知るのは夜が明けてからである。明日には芸能界を含め、世間はその話題で持ちきりになるに違いない。恐らくタイチの白い軽自動車も目撃されている。このまま走り続けても捕まるのは時間の問題だった。それでも、タイチはそれを知ってか知らずか、満足そうにユキナを助手席に乗せ車を走らせている。岩手県に入り、平泉を過ぎた辺りでユキナがタイチに話しかけた。
「なあ、タイチ、お前、捕まるの恐くねえのか?」
「恐くないって言ったら嘘になりますけど、今、こうしてユキナさんと一緒にいることのほうが嬉しくて、俺、やっぱバカですかね?」
 タイチがニコッと笑う。
「お前、やっぱバカだな。この先、どうすんだよ。盛岡までは行けるかもしれねぇけど、ずっと逃げ隠れしてるわけにもいかねぇぞ。アタシが誘拐されたって世間は大騒ぎしてんだから」
「ユキナさんは、やっぱ凄い人っすね。俺、盛岡に着いてからのことなんて、これっぽっちも考えていねえっすよ。なるようにしかならねぇんだし、もう、どうにでもなれって感じっす」
「アホ・・・・・・」
 ユキナが微笑んだ。タイチが顔をくしゃくしゃにした。
「なあ、タイチ、エリナは無事なのか?」
 すると、さっきまで笑顔だったタイチの顔が曇った。
「わかんねぇっす。でも、たぶんエリナ姉さんは・・・・・・」
「たぶん、何だよ」
「俺には言えねぇっす」
「そんな、嘘だろ」
 それからユキナは下を向いて押し黙ってしまった。また雪が降り始めた。車のワイパーが規則的に音を立てる。雪片がフロントガラスのぶつかって砕け散る。暗闇と雪の中を突き進む。ユキナは初めて東北という土地に恐怖を感じた。心の底は冷え切っているのに、暖房の温風が肌に当たるせいで体の表面だけが火照る。心の中の声が次第に大きくなる。
「お願い、ショウ、早く助けに来て!」
 ショウが仙台南インターチェンジ付近を走行中に無線が入った。
「ショウ、聞こえるか? 逃走中の車のナンバーからホシの身元が割れた。ホシはワタナベタイチ二十一歳。東北自動車道国見パーキングエリアで、タレントのミウラユキナさんと一緒にいるところを目撃されている。車は白の軽ワンボックスでナンバーは足立○○―○○だ。現在、岩手県内を走行している模様。岩手県警にはすでに応援を要請した」
「こちらタザキ、現在、東北道、仙台南インターチェンジ付近を走行中、このまま追走します」
「ショウ、お前の気持ちはわかるが、すでにこの事件はマスコミに流れ、世間的な注目を浴びている。慎重に頼む」
「了解」
 ショウはチッと口を鳴らした。
 水沢付近を走っていたタイチが急に口を開いた。
「ユキナさん、ちょっとルート変更します。そろそろインターチェンジ出たところで検問とか有りそうですし、先回りして高速降りて、下道行った方がよさそうっす。雪も強く降って来てるし」
 ユキナは何も答えなかった。タイチは水沢江刺インターチェンジで高速道を降りた。検問はまだ追いついていなかった。ギリギリのところだった。後数分遅れたら検問に引っ掛かっていたかもしれない。一度、国道四号線に出た。そのまま夜の街道を北上する。小さな田舎町はすぐに後方の光る点となって通り過ぎた。やがて人気の無い森の中を通った。ラブホテルのネオン看板が至るところに見える。そのネオンを通り過ぎる度、胸が苦しくなった。ユキナは下を向いたまま黙っていた。タイチは強引にでもユキナを抱いてみたいと思ったが、エリナの死を悟って肩を落とす姿を見て、そんな気も薄れた。そのまま水沢、花巻と順調に通過し、夜明け前に盛岡に入った。
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