二十九

文字数 1,473文字

 タイチの白い軽ワンボックスカーは一度、栃木県の佐野藤岡パーキングエリアに立ち寄った。まだ緊急配備はされておらず、深夜とはいえ、意外に利用者が多かった。
「ユキナさん、お腹すいてませんか?」
「ああ、腹減ったな、アタシ、佐野ラーメン食べたい」
「何言ってんすか、無茶言わないで下さいよ。今、ユキナさんがふらっと食堂なんか行ったら、大騒ぎになるじゃないすか」
「わかってんよ、冗談だよ、冗談。それにお前、そんなことしたらアタシが逃げるかもしんねえだろ」
 ユキナが楽しそうに笑う。
「ユキナさん、俺が恐くねぇんすか?」
「うん、微妙・・・・・・それよりタイチ、アタシ車の中にいて絶対逃げねぇからよ、何か温かい中華まんとかコーヒーとか買って来てくれよ。金はアタシが払うかんよ」
 タイチがユキナの瞳の奥を覗き込んだ。黒くて吸い込まれそうだった。
「ユキナさん、本当に本当に逃げたりしねえっすか?」
「おう、嘘なんかつかねえよ」
「わかりました。ユキナさんを信じます」
 タイチが車を飛び出して行った。
「あいつ、ダッシュしてやがる」
 純粋でバカな男だなと思った。逃げようと思えばいつでも逃げられる。隙だらけで、とても自分が誘拐されているとは思えないほどだ。相手はまだほんの子供なのだ。昔から好きな子には指一本触れることができないタイプ。笑みがこぼれた。欲求を吐き出したければ、すでに何度もその機会があったはずだ。でも、しなかった。タイチはいづれ捕まるだろう。だから今は、アイツのしょうもない純粋な「夢」に付き合ってやることにした。
「男って本当、バカだよな・・・・・・」
 タイチが売店の方からレジ袋をぶら提げて、猛ダッシュで戻って来た。息が切れ、肩で息をしている。
「お前、アホだな、そんな猛ダッシュなんかしたら、逆に怪しまれるだろが!」
「あっ、そっすよね、でも、ユキナさんが消えてしまうんじゃないかって俺、心配で、心配で」
「約束したろ、アタシはどこにも行きゃあしないよ。それより、例のブツ買って来たんだろうな?」
「任せて下さいよ、肉まんとピザまん二個づつちゃんと買ってきました。それからホットコーヒー、こっちは走るとこぼれるので缶で我慢して下さい」
「おお、上出来、上出来、さあ、食うべ」
 タイチが嬉しそうにユキナを見上げた。
「ユキナさん、東北弁、上手っすね」
「褒められてんのか? 一応、あんがとな」
 タイチが肉まんを食べる手を止めた。
「ユキナさん、一つ聞いてもいいっすか? ユキナさんの彼氏って、どんな男っすか? やっぱイケメンっすよね?」
 ユキナがタイチを見た。
「おう、超イケメンだよん」
 タイチが苦笑する。
「何で刑事なんか好きになったんすか? 有名タレントのユキナさんと刑事なんて、何か釣り合わないような気がするっすけど」
「そうか? そんなことないだろ? 誰がどんな仕事してようが、アタシは全く気にしないけどね。アタシはショウが刑事だから付き合ったんじゃなくて、アイツが刑事になる前からの憧れの人だったのさ。アタシの一目惚れ」
「ユキナさんが一目惚れするような男って、一体どんな奴なんすか。俺、だんぜん興味あります。田舎者の俺には百年早いっすかね」
「バァカ、タイチ、田舎育ちのコンプレックスなんざ捨ててしまえよ。ショウはな、お前と同じ盛岡出身だ。アタシの東北弁はショウの訛りが移っただけだよ」
 タイチが口をポカンと開けている。
「ま、マジっすか! ユキナさんの彼氏さん、盛岡の人っすか」
「どうだ、少しはコンプレックス捨てられそうか?」
 ユキナが微笑む。つられてタイチも微笑んだ。
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