十三

文字数 2,509文字

 桜田門にある警察庁。二十階にあるサワムラジュン警察局部長室からは、皇居が一望できる。冬の東御苑雑木林が赤や黄に染まっている。それを吸い込むかのような青空が広がっていた。早朝からマキノクニヒコが訪れていた。夏の上海では、顔に泥を塗られる形となった。タザキショウの規律違反に対し、何らかの重い処分があるものと思っていた。ところが、結果は二週間の謹慎だけだった。納得がいかなかった。処分が軽くなった背景に、サワムラ警視長の力が働いたのは想像に難くなかった。ただ、同郷の先輩後輩という間柄だけで、そこまでタザキショウを庇う理由がわからなかった。自分より二歳年上ではあるが、階級では自分が上。たかが巡査長のタザキショウにいいようにあしらわれてしまった。プライドを傷つけられた、やるせない思い。サワムラ警視長まで動かしてしまう、タザキショウという男は一体何者なのか? 悔しさが次第に憎しみに変わりつつあった。
「サワムラ警視長殿、自分は今回のタザキ刑事の軽過ぎる処分に納得がいきません」
「納得?」
「はい、彼は重大な規律違反を犯しています」
 マキノが下を向いた。
「君は、私が手心を加えたと言いたいんだろう?」
「いえ、そういうわけでは」
「構わんよ、そう思われても構わん」
 マキノが顔を上げた。
「何故、サワムラ警視長はそんなにタザキ刑事を庇うのですか? 同郷でいらっしゃるのは存じ上げておりますが、とてもそれだけとは思えません」
 サワムラが背を向けた。窓の外に吸い込まれそうな青空が見える。紅葉の色彩が絵具をばら撒いたように拡がっていた。東京にもこんな景色があるのだなと思う。
「君はタザキ刑事のご両親の事件のことは知っているか?」
 マキノが眉間に皺を寄せた。
「タザキ刑事の両親の事件ですか? 存じ上げません」
「そうか、では、タザキ刑事の祖父が元衆議院議員、国民自由党幹事長タザキコウゾウだということは?」
 マキノが正面を見据えた。
「それに関しましては、存じ上げております」
「さすがに調べたようだな」
「サワムラ警視長、タザキ刑事の両親の事件とは何でありますか? 警視庁のデータベースには記録が無かったように思いますが」
 サワムラの姿が、表情がわからない程度にガラス窓に映っている。
「今から二十年以上前の話になるが、タザキショウ君がまだ小学三年生だった頃、パリで暮らしていたご両親が何者かに殺害される事件が起きた。私は当時、警視になったばかりだったが、内密にその国際的な事件の担当をすることになった。私が経験する初めての国際事件だった」
「サワムラ警視長殿がその事件を」
「そう、そして私の故郷である盛岡を訪れた時に、高校、大学の先輩でもあるタザキコウゾウ氏とショウ君に会った。タザキコウゾウ氏のことは知っていたが、会うのは初めてだった。当時六十代だったが、早過ぎる政界引退が話題になった人物だった。なにしろ政権与党だった国民自由党の幹事長を四十代で務め、末は総理と言われた政界の大物だった。それが突然の政界引退、その後、盛岡で隠居ということだったから、初めはマスコミも大きく取り上げたが、そんな話題も落ち着いた頃の出来事だった」
 マキノが唾を飲み込んだ。
「そうだったんですね、でも、何故、事件の記録が全く残っていないのでしょうか?」
 サワムラはしばらく窓の外を眺めていた。窓に反射して映るマキノの姿に向かって、語気を強めた。
「ある人物によって、全て抹消されたのだよ」
「政治ですか?」
 サワムラが小さく頷いた。
「その政治家とは誰なんでしょうか?」
「知らない方が君のためだ」
 マキノは背筋に釘を打ち込まれたような衝撃を覚えた。小さな闇はこれまでにも何度か耳にしてきた。けれどもこの件に関しては別物であるような気がした。これまでの自分は部外者で、遠巻きに見ているだけでよかった。いつでも振り払える火の粉だった。これ以上知ってはならない。顔面に血が上り熱くなる。
「ショウ君のご両親の事件は、政治家の戦争の幕引きだったのだよ。タザキコウゾウが戦った相手が一枚上手だった。その代償は大きかった。タザキ先生は孫のショウ君とその弟のリュウ君を護るために政界を引退した。そして私はタザキ先生と約束をした。ショウ君を護り続ける、とね」
 マキノが唇を噛み締めた。
「タザキ刑事には弟がいるのですか?」
 サワムラが頷く。
「二つ歳の離れた弟がいる。タザキリュウというのが本名だ。事件の後、タザキ先生がリュウ君を護るために母方の親戚に養子に出した。苗字は確か、サエキ」
 マキノが目を大きく開いた。
「サエキリュウ」
 その瞬間、大学時代のアイツの顔が飛び込んできた。
「アイツがタザキ刑事の弟」

 ホンダサヤカはキャリアである自分の権限を最大限利用して、警視庁のデータベースにアクセスしていた。しかしタザキショウの『過去』は見つからなかった。何度キーボードを叩いても一緒だった。祖父がタザキコウゾウ元衆議院議員というだけで、それ以上の過去と呼べるものは無かった。サヤカは上海でのショウの行動を思い返していた。ショウ先輩は「弟を探しに行く」と言った。初めは弟が死んだと嘘をついていたが、最期に本当のことを話してくれた。詳しい事情はわからない。過去に何があったのかも、完全に消されている。初めて会った時から、ただの一警察官ではないと感じていた。探していた弟に会うことができたのだろうか? 隠さねばならない弟の存在。元大物政治家の孫。その弟が指名手配中のハダケンゴと共にいる。謎が深まるばかりだった。あれ以来ショウ先輩には会っていない。しばらくの謹慎の後、万世橋署に復帰したと耳にした。会いに行こうと思えば行ける。だが、恐かった。心が急加速でショウ先輩を求めている。けれども、真実を知るのが恐かった。仕事が手につかなった。諦めなければならないこともわかっている。頭では理解していても、心が宙に浮いたままなのだ。せめてショウ先輩の過去が知りたい。キーボードを打つ指が震える。モニターにショウ先輩の名前を探す。ため息が出た。本当はショウ先輩の過去なんて、永遠に見つからないことを願っていた。
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