十一

文字数 4,344文字

 東京、四ツ谷の北陽会総本部。六番町の閑静な住宅街の中にあり、周辺住民とは事を荒立てないのが信条のようだ。四ツ谷署の管轄ではあるが、同じ千代田区管内ということもあり、ショウも良く知っている地域である。北陽会東京総本部の構成員は、ここ数年大きな変動がない。五代目カナメユタカ、東京本部若頭ソウマケンイチ、舎弟頭ムラナカリョウジ、統括部長のタナベサダオ、その下に本部長のセリザワカツミがいる。ハダケンゴは一匹狼だったが、北陽会の稼ぎ頭で舎弟頭のムラナカと同格の扱いを受けていた。どこの世界でも金を多く集めることができる奴が偉いというわけだ。
 北陽会の構成員で動きがあったとすれば、ハダケンゴが消え、舎弟頭ムラナカの舎弟としてヒラノカズヒロという男の姿を目にするようになった。それとアベヤスオという準構成員がセリザワの運転手になった。この男は例のヒアリの事件で逮捕され不起訴処分となり釈放されたが、ショウの口利きで再び組に戻ることを許された。当初、足を洗うように勧めたのだが、どうしても一般社会に馴染めず度々トラブルを起こすものだから、ショウも仕方なく自分の情報屋も兼ねて、セリザワに口を利いたのである。ショウとセリザワは妙に気が合った。何度か違法駐車を見逃してやったのがきっかけだったが、歳も近く、また互いに東北出身ということで顔を合わせれば話す仲だった。セリザワは仙台出身で、タナベのように気性は荒くないが我慢強く根性が据わっている。若頭ソウマケンイチのお気に入りでもあった。
 万世橋署では、今回のヤマザキカズオ殺害事件とブラッドが深く関わっていると見ていた。というのもヤマザキの遺体の傍から赤い粒が見つかったからであり、ハダケンゴとのつながりも見えていたからである。しかし、これ以上ブラッドとの関連を調べるのは難しかった。警察庁と厚生労働省との間に横の情報共有が不足していた。捜査方法でも折り合いが悪く、逆に捜査のメスを入れ難い状況が続いていた。正確な情報が入って来ない。下手に動いてエスの身元が知れると、ヒラノの命にかかわる。そして、今回の殺人事件が起きた。ショウたちは捜査の足枷に対して苛立ちを覚えていた。それもあってショウは独自の情報を得るために、アベヤスオに渡りを付けた。六番町にあるポルトガル料理の店に呼び出した。そこはビルの地下にあるレストランで、ランチで時々利用したことがある。
「タザキさん、お久しぶりっす」
「元気そうでよかった」
「セリザワさんには良くして貰ってます。でも、何ですか? 話って。四ツ谷のこんなど真ん中で刑事さんと待ち合わせなんて、俺、ビビッちゃいますよ」
「どうせ、昼休憩以外は外に出られないんだろ? だったら近場の方がいい。それにこの店のポルトガル料理はなかなかいける」
「俺、そんな高級なもの食ったことねえっすよ」
「ランチはメインディッシュを選んだら、後はバイキングだ。好きなだけ食え」
「組の奴らと鉢合わせだけはごめんです。で、話って何ですか?」
「秋葉原で起きた殺人事件、知ってるか?」
「ええ、セリザワさんが電話で話すのを運転しながら聞いてました。Y企画のヤマザキって社長が殺されたとか」
「そうだ、実は奴の遺体の傍にブラッドが落ちていた」
「そうですか、それでセリザワさんが慌てていたわけっすね」
「セリザワは何故、慌てていたんだ?」
「ドラッグが関係している事件だからじゃないですか? 兄貴が死んだ時もそうでしたけど、テレビで放送されちゃうと風当たりが強くなるから」
「組が関与してるんじゃないのか?」
「さあ、運転手の俺にはわかりませんよ。少なくともセリザワさんは関わってない。セリザワさんは誰かが仕掛けた罠だと言ってました」
「罠? ヤマザキの殺害をカモフラージュさせたということか?」
「だってそうでしょう? ヤクザが目立つような事件起こすと思いますか?」
「確かにな。ヤクザが背後からクリスタルの灰皿で殴打するってのはどうもな。男の仕業と言うよりむしろ非力な女の仕業のようにも思える」
「セリザワさんも同じこと言ってました」
「そうか、呼び出して悪かったな。また何かあったら教えてくれ」
ショウは万世橋署に向かった。

 取調室でショウがヨシザワエリナと向かい合っていた。エリナが下を向いたまま黙っている。同い歳と聞いていたが、もっと若く見える。髪は幾分脱色しているが、目鼻立ちのハッキリとした美人だった。
「もう一度聞くが、どうしてヤマザキの事務所へ?」
 エリナが灰色の事務机の角を見つめた。
「だから、さっきも刑事さんに同じこと言ったじゃない。何回同じこと答えなきゃならないんですか?」
 ショウの前に捜査一課が事情聴取していたのだ。
「申し訳ない。殺人事件なんでね、慎重になってる」
 エリナがショウの顔を見上げた。
「私、以前は殺されたヤマザキって人の事務所と契約していたんです。それで、一ヶ月くらい前に別の事務所から誘いがあって、移籍しようと思ったんですけどなかなか辞めさせてくれなくって、それで」
「それで?」
「私、ヤマザキ社長に直接お話しようと思ったんです」
「それで?」
 エリナが眉間に皺を寄せた。
「もう、何なんですか? 言わなくったってわかるじゃないですか!」
 ショウが苦笑する。ただ黙ってエリナの目を見つめた。
「どうして事務所を移ろうと思ったの?」
「どうしてって、こっちの方が条件が良かったから」
「こっちの方って?」
「ダイヤモンドエンタープライズよ!」
「そのダイヤモンドエンタープライズって事務所、どこにあるの?」
 エリナが一瞬目を逸らした。
「錦糸町よ」
「条件が良かっただけ?」
「何が言いたいんですか?」
「いや、何も。でも、驚いたでしょう? 部屋を訪ねたら鍵が開いていて、覗いてみたら死体があったんだから」
 ショウが微笑んだ。
「あ、何か私のこと疑ってます? 私が殺ったとでも?」
 ショウが首を横に振った。
「じゃあ何故、そんなこと私に聞くんですか?」
「他に誰かいたんじゃないかなって」
 エリナが顔を紅潮させた。
「いません。私一人でした」
「死体はどこにあったんでしたっけ?」
「リビングよ、あの事務所はヤマザキの自宅みたいなものだったから」
「で、玄関を開けたら、リビングでヤマザキが死んでいるのが見えた」
「ええ、そうよ」
「凶器は何かご存知ですか?」
「灰皿よ、クリスタルの灰皿」
「よく覚えていますね」
「見えたのよ、ヤマザキの死体の脇に転がっているのが」
 ショウが苦笑する。
「クリスタルの灰皿から犯人の指紋は検出されませんでした」
「だから?」
「誰かが指紋を拭き取ったんではないかと」
「そりゃ、そうでしょう? 私が犯人でも、逃げる前に指紋くらい拭き取るわ」
「犯人は残念ながらここでミスを犯しました」
「どういうことですか?」
「ドアノブには、誰の指紋も付いていませんでした」
 エリナが首を傾げる。
「不思議なことに、あなたの指紋も検出されなかった」
「私が拭き取ったとでも?」
 ショウが苦笑して、首を横に振った。
「あなた、誰かを庇ってませんか?」
「庇ってません!」
 エリナがジッとショウの目を見つめる。
「いいでしょう。では、別の質問をします。ヨシザワさん、あなたフロントビジョンというAV販売会社を知ってますか?」
 エリナが小さく頷いた。
「殺されたヤマザキはフロントビジョンに女優を供給していた。GODというメーカーと業界シェアを競って対立していたという話も聞いている」
「そうなんですか?」
「失礼ですが、あなたのご職業は?」
 エリナの表情が歪んだ。顔を紅くして俯いた。
「ご存じなんでしょう?」
「ええ、確かクサナギヒカルでしたっけ? 私、こう見えても刑事になる前、新宿のAVセル店で働いていたことがあるんですよ。ちょっとは業界に詳しいつもりです」
 ショウが微笑した。エリナが顔を上げる。
「私、本当はAV女優になんてなりたくなかったんです。初めはヤマザキ社長の事務所がAV女優専門だなんて知らなくて。気付いたら、そういう契約になってるって、拒否したら多額の違約金が発生するって脅されて・・・・・・私」
 次第にエリナの顔が黒く淀んで行った。肩を震わせ、目から涙が頬を伝い、机にポトリと落ちた。
「私、有名になりたかったんです。アダルトのお仕事を数本こなしたらテレビに出してくれるって。でも、それが嘘だとわかっても抜け出せなかった」
 ショウが頷いた。
「そしたら去年、エビサワさんからウチに来ないかって誘われて、ダイヤモンドエンタープライズに移籍したら、いつか映画に出してくれるって。それで私、ヤマザキ社長にそう伝えたんです。でも応じてくれなかった」
「それで一人でヤマザキの事務所に出向いた?」
「え、ええ、そうよ」
「君、マジメな子だね。そんな契約バックレてしまえばよかったのに」
「刑事さんがそんなこと言っちゃっていいんですか?」
 エリナが涙を拭った。
「たかが契約だろう?」
「そんな簡単なことじゃないんですよ。ヤマザキ社長には北陽会というヤクザがついていました。私が逃げたって、どこまでも追ってくると思います」
「あなたをスカウトしたエビサワという人は、ケツを持ってくれなかったの?」
「ケツを持つ?」
「ああ、ゴメン。エビサワが話をつけてくれなかったのかってこと」
「それは、実はそのことで事務所同士が揉めてましたから」
「なるほどね」
「あなたが庇っているのは、そのエビサワって人なわけだ」
「いいえ、違います。ユウジさんではありません」
 ショウが目を大きく開いた。
「エビサワユウジ?」
 ショウは顎に手をやった。ショウはその名前に覚えがあった。以前、ユキナと六本木にいた時に声をかけてきた男だ。その男がフロントビジョンと対立していたとは知らなかった。GODの女社長シンドウマリコと関係があるのだろうか? GODという会社は設立当初から、北陽会とは別ルートで女優を確保していることで業界では有名だった。それは女社長であるシンドウマリコの人脈であるとされてきたが不明だった。なぜ不明のままだったのか? ショウは首を傾げた。GODの本社は池袋にある。足を運ばねばならない。すぐに、あの事件を思い出した。ショウがまだ入庁したばかりの秋葉原交番勤務時代の事件である。あの時は弟リュウの情報を掴むために少々無理をして、北口の雑居ビルにプライベートで潜入した。台湾人情報屋の李俊明を使って突き止めた男に、ショウは右足を銃で撃たれ負傷している。確かあの時も池袋北署は動かなかった。そのお陰でショウの単独行動も揉み消されたわけだが、当時からその緩慢さに違和感を覚えていた。もう一度、今度は刑事として池袋に捜査の手を伸ばすことにした。
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