第1話 釣り餌

文字数 1,944文字

「見たいんだよ」
柳田は、言った。
「久しぶりに見たいんだ。きみたちの愛し合う姿が。全裸で絡み合う姿がね」

「何を企んでいる」
龍一の、携帯電話を持つ右手と声が震える。柳田が、何か良からぬ思いを抱いているのは確かだと感じた。
「何も企んじゃいないさ。どうしてきみはそう素直じゃないんだ」
「悪いが、他にやることがあるんでね。いつまでもあんたの悪趣味に付き合ってられねえよ。そんじゃ」
携帯電話を切った。すると入れ替わるように、傍で寝転んでWeb漫画を読んでいた翔太の携帯が鳴った。
「柳田さん?」
電話に出た翔太の言葉に、龍一は驚いて振り返る。
「はい…はい…うん、わかりました」
素直に頷く翔太が、柳田から同じ要求をされていることがわかる。翔太は電話を切ると、
「龍くん! 柳田さんがお小遣い五十万円くれるって!」
興奮した様子で、龍一に満面の笑みを見せた。龍一は、腹の底で舌打ちした。あの野郎、そんな釣り餌見せやがったのか。
「例の条件付きだろ。またあいつの前で、オナったりエッチしたりしなきゃならねえんだぞ。わかってんのか、おまえ」
「わかってるよ。それが僕の仕事というか…それでお金もらってるんだもん。あ、それからね。毎月のお手当十万円も、ちゃんと振り込んでくれるって」
翔太と龍一は、一年前ゲイ向けの出会い系サイトで知り合い、アパートで一緒に暮らし始めた。翔太と柳田もまた、同じ頃同じサイトで知り合った。
「いいから、ちゃんと洗濯物片付けろよ。さっきまで畳んでいたんじゃなかったのかよ。なんでいつの間にか漫画読んでんだよ」
いつもそうだが、1Kの部屋の中は洋服や雑誌、飲食物の容器などで雑多に散らかっている。龍一も掃除は苦手だが、翔太は片付けにしても何にしても、集中力が続かない。

翔太には、発達障害があった。小学生の頃落ち着きのなさを教師に指摘され、気にした両親が医師に相談したら、そう診断された。同性愛の傾向もありクラスメイトから敬遠されるようになり、やがて高校は不登校になった。実家に引きこもっていたところ、出会い系サイトの掲示板を通じ、龍一と知り合ったのだ。

一緒に暮らし始めた頃、建設業で働いている龍一に気を遣い、翔太も何か仕事に()こうとした。郵便局で研修を受けたり、交通量調査のアルバイトをやってみたりした。が、やはりミスや不注意が多く、何をやっても長続きしない。
そんな時、「仕事が見つかるまででいいから」と声をかけてくれたのが、柳田だった。以降、柳田から毎月『お手当』を貰っている他、別の男たちからも時折、性を売り小遣いを貰っている。
翔太は、つまり売り専、男娼だった。

そのことで、龍一まで巻き添えを食うことがある。柳田のような男がいるためだ。
「翔くんと一緒に暮らしている彼氏が見てみたいな。出来れば普段しているようなセックスを目の前で見せてほしい」
半年ほど前だったか翔太がそう言われて、龍一はやむなく指定されたホテルで言われた通りの行為をした。別の日には、屈辱的にもホテルのソファーに座る柳田の前で、自慰行為をさせられた。それを見て、柳田も興奮し自慰行為を始める。そういうことが趣味の男だった。

確かもう老齢年金を貰える年齢であるはずだ。しかし、外見は十歳以上は若く見える。身長も高く、がっしりと大きな体躯(たいく)。俳優やラジオDJもしているので、声も同様に若々しく張りがあった。作家や映画評論家など多彩な分野で才能を発揮し、活躍しているせいもあるのだろう。人心掌握術を把握しているのか、若い年齢層との付き合いもうまい。妻子もちゃんといて、共に横浜市内の豪邸に住んでいる。
そんな充実した日々を送っているはずの柳田が、裏では二十一歳の男娼と、四つ年上の恋人までをも買って遊んでいる。いや、『遊んでいる』ではない。龍一は、思った。正確に言えば、『いじめている』だ。

柳田は、サディストだった。少なくとも、龍一にはそう思えた。金で支配した男の子たちを、困らせ、辱め、貶めて喜ぶ。柳田には、そんな一面が垣間見れた。そうすることによって、憂さや鬱憤を晴らそうとする。陰湿で意地悪で威圧的で、それだけでも嫌なのに、大切な翔太を束縛し性のおもちゃにしている。
今回、五十万円の『特別手当』を用意してまで呼び出してきたということは、やはり何か特別な思惑があるからではないかと龍一には思えた。もっと勘ぐって考えれば、龍一への嫌がらせだ。龍一は、会うたび柳田に反抗的で苛ついた態度をとってしまう。言葉や態度も、目上の相手に対して礼儀正しくないのはわかっている。柳田に対する嫌悪感が、つい体のあちこちから漏れてしまうのだ。そんな龍一を、柳田が面白く思っているはずがない。何より二人は翔太をあいだに挟んだ敵対関係、一種のライバル関係にあった。

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