第6話 手錠が似合う男

文字数 2,311文字

その日以降、龍一はただひたすら翔太の心のケアに努めた。与えられた金で、まず欲しがっていた最新の携帯電話とゲーム機を買った。行きたがっていた焼肉屋にも連れて行った。

「僕のことなら、大丈夫。実はああいうことには、慣れっこだったんだ。それより、龍くんの体のほうが心配だよ」
焼肉屋で強がって笑みを見せたが、その笑顔にも力がない。食べる量も、以前より少なくなっていた。
「僕のためにやっぱり迷惑かけちゃって…本当にごめん」
龍一に気を遣って、謝ってもくれた。
「いいんだ。俺は」
「おまえのためなら」と続けようと思ったが、照れくさくて言えなかった。
夜一緒に寝ていても、性行為をしたがらなくなった。思い出してしまうのか、怯えるような仕草をするようになってしまった。

龍一は体の痛みに耐えながら、翔太の代わりに出来るかぎり家事をこなすようにした。左の目尻と唇の端がまだ赤黒く腫れ、体のあちこちにも青痣が出来ていたが、治療費節約のため病院には行かず我慢した。骨折しているかも知れなかったので、上半身に大きなコルセットだけ巻いて過ごした。仕事も休むわけにはいかず、その状態で肉体労働に励んだ。
殴られた体は時間と共に次第に回復していくだろうが、翔太の心の傷はどこまで深いのか龍一には推測しか出来ず、戸惑っていた。翔太は明らかに無口になり、家に引きこもってぼんやりゲームをしていることが増えた気がしていた。龍一の好きだった可愛い笑顔も、あまり見られなくなってしまった。

柳田の動向を探るため、龍一は不快な気持ちを抑えつつ、ここ最近ずっと柳田がDJを務めるラジオ番組を聴いていた。相変わらず過去の栄光を自慢げに語るナルシスティックな内容で反吐(へど)が出そうだったが、横浜のとある会場で映画評論の公開イベントが開かれることを知った。イベントに出演することを、自身が誇らしげに宣伝していたのだ。龍一にはどうしても気になり、決着をつけねばならないことがあった。顔を見るのも話をするのも嫌だったが、イベント会場に乗り込んで行くことを決めていた。会場に集まった大勢の人たちの前で、柳田の残虐な悪行を、わめいてやりたい気分だった。もちろん、翔太にはそんなこと言えはしない。柳田の話自体が、忌避(きひ)されていた。
龍一はイベント当日、何も告げず一人でこっそりと出かけた。

イベント会場は、龍一たちが出向いた会社の近く、JRの駅を挟んだ反対側にあった。会社側の風俗街とは打って変わり、周囲は瀟洒(しょうしゃ)で洗練された都会的な雰囲気になっている。イベント会場や公園、野球場などがあるため平日でも人で賑わう。週末のこの日は、天気も良く尚更の人出だった。

イベントが行われる小ホールは、二百名ほどが集まる劇場型の施設になっていた。午後二時にイベントが開催され、客が入場するのは三十分前からとなる。配布されたパンフレットを見ると、出演者は柳田を含め三名のようだった。
楽屋は小さく個室ではなかったため、龍一は待ち伏せをする場所を考えた。開演四十分前、一人廊下を歩きトイレに入ろうとしていた柳田を、個室から腕だけ出して強引に引き込んだ。
車椅子用の、個室トイレだった。

「いまからここで俺とSMプレイしねえか? おっさん」
ドアに鍵をかけ、シャツの襟を掴み壁に押し当てた姿勢で、龍一は言った。柳田は、心底驚いた顔をしていた。口をぽっかり開けた間抜けな表情に、龍一は吹き出しそうになっていた。顔の二箇所に絆創膏を貼り、目つきも鋭くなっていた龍一の顔は、おそらく迫力を増していたのだろう。
「は…離しなさい」体を引き上げられ、息苦しそうに柳田は言った。「いまから、本番なんだ」
「んなもん知るか! いいか。ここの個室トイレには、あちこち隠しカメラが設置されてある。いまから俺は、あんたがゲイで男を買って虐待していることも、暴力団と関係していることも、すべてを話す。この映像は、開演と共に会場で流れるようになっている」
すべてハッタリだった。
「二百人ものあんたのファンが、すべてを知るようになっているんだ。あんたは先日、男の子をヤクザに強姦させたな。それを無断でビデオ撮影した。そのビデオは、どこにある!」
「な…何を言ってるんだか…」
客に聞かれると思ったのか、柳田は取り繕った。
「しらばっくれるんじゃねえ! 『有限会社曙実業』だったな。なんならあの会社と経営する店を、神奈川県警の皆さんに立ち入り捜査していただこうじゃねえか。きっとあんたの名前を吐いてくれて、証拠品を出してくれるだろうよ」
「先生! 先生! どうかされましたか? もうすぐ開演ですよ?」
だれかが外側からそう叫び、激しく何度もドアを叩いている。おそらく、柳田の秘書の男だろう。客が入り始めているのか、人が増えドアの向こうが慌ただしくざわめいてるのがわかる。
龍一が襟を掴む手を緩め、引き上げていた体を下に降ろすと、柳田は大きく息をつき、それから苦しそうに咳込んだ。
「つまり、あんたは…もうおしまいだ」
そんな柳田に、龍一がやさしく耳元で囁く。
「そんなことしてみろ。きみと翔くんだって、もう…」
龍一は、ふっと微笑んだ。
「ついに本音が出たな。俺と翔太をヤクザに処分させるか? 警察に逮捕されたところで別に構わねえよ。俺は、手錠が似合う男だからな」
「先生! もうあと十分しかありません!」
秘書の男があんまりうるさいので、「行け」と龍一は鍵をあけ、柳田の体を外に出した。
「先生、どうかされたんですか? ものすごく顔色が悪いですよ」
男が尋ねると、
「大丈夫だ。急にお腹の調子が悪くなってしまって…」
柳田は言い、腹ではなく左胸に手を当て「うっ」と小さく唸ると、いきなり前に倒れ込んだ。

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