第7話 それぞれの嫉妬

文字数 3,327文字

柳田が入院した病院は、市内でも屈指の大病院だった。地下鉄の駅を降りると、五分ほど線路沿いに商業ビル前の賑やかな街並みを歩く。裏側に緑豊かな大きな公園があって、病院の窓から森林が広がる光景が見えた。

龍一は見舞い品も持たず、柳田がいる特別室に入った。特別室というだけあって、中央にあるベッドの他ソファーやテーブルの応接セットが置かれてあり、ホテルのような雰囲気になっている。ベッド脇のスタンドランプの下、驚くほど老け込み病衣を着た柳田が眠っていた。ランプのせいか、いままで気がつかなかった生え際の白髪や小皺(こじわ)が目立って見える。

人の気配で目が覚めたのか、柳田はちらりと横目で龍一を見上げ、「龍くんか」と小声で言った。
「イベントが中止になって、残念だったな」
ズボンのポケットに両手を突っ込み龍一が言う。
「本当は、いい気味だと思っているんだろう? きみがトイレにいた時は、本当にびっくりしたよ。ついに心臓が止まるかと思った」
柳田の「ついに」という言葉に、龍一は引っかかる。
「天罰ってあるんだな、とは思っているよ。俺は神を信じちゃいないけど」
「実は三年ほど前から、心筋炎を患っていてね。ここは私のかかりつけの病院で、担当の医師からは、いつ突然死してもおかしくないと脅されている。本当にあの時は死ぬかと思ったよ。そのくらいに驚いた」
柳田の話す声は、かつて聞いたことがないと思えるくらい、か細く弱々しかった。
「きみと翔くんには、申し訳ないことをしたね」
さらに弱気な声で続けた。
「私は、もう長くはない。長くはないと思うから、ここで素直に謝っておく。翔くんにも、済まなかった、悪かったと伝えてほしい。私も以前は、こんなではなかったんだよ。病気をしてから自暴自棄になったのか、弱い立場の子たちをいじめるようになってしまった。八つ当たりをして、憂さを晴らすようになってしまった。こんなだから家族からも見放されて、冷たくされているよ」
まさか柳田から、このような謝罪の言葉が聞けるとは思わなかった。
「そうだったのか。だが俺の聞きたいことはただ一つ。翔太を撮影したビデオがどこにあるかということだけだ。亡くなる前に場所を教えてほしい」
柳田は、苦笑した。
「大丈夫。あれはあそこの会社が運営しているDVD鑑賞店で、個人的に鑑賞するためだけのものだ。心配しなくても、ゲイビデオとして販売したりなんかしないよ。他の男の子たちを撮影したものもコレクションしていたけど、すべて破棄して処分する。約束するよ。あれが家族に見つかったら、私も大変なことになるからな」
そう言って思い出したように、
「もちろんファンの人たちにも、誰にも知られたくないよ。きみにはトイレの中で嘘をつかれ脅されたけど」
隠しカメラの映像を流す、という脅しのことだろう。柳田は、それから穏やかに笑った。
「きみは、いつ会っても威勢がいい。溌剌(はつらつ)として、若さと生命力に満ち溢れている。私は、健康なきみが羨ましかった。翔くんにも、本気で愛されていることがわかっていたし。翔くんは、もうすでにきみのものだったし」
龍一は、黙っていた。
「信じてもらえないかも知れないけど、私だって本気であの子が欲しいと思っていた。自分だけのものにして、抱きたいと思っていた。でもね、年を取ると、あっちも衰えてくるんだよ。抱きたくても抱けなくなる。それで、どんどん歪んだ間違った方向に行ってしまった。きみが羨ましくて、憎らしかった。つまり、私はきみに…」
柳田は、天井を見上げると言った。
「嫉妬しているんだよ」
「俺だって、あんたに嫉妬している。あんたは、金も地位も名誉も家も家族も、何もかもを手に入れているように見える。その上翔太まで束縛して、好き勝手にしているように見えた。俺だって、あんたが羨ましくて憎らしくて」
龍一は、そのまま言い返すかのように言った。
「嫉妬しているんだよ」
柳田と会話をしていて、結局人は立場は違えど、生老病死と言われる通り、生きることに苦しみ、老いや病に苦しみ、死んでいくことに変わりはないのではないか、と龍一には思えた。その点においては、皆平等なのではないか、と。そして誰もが、嫉妬という不本意な感情に振り回され、無意識に持て余している。
「とにかく、心臓に良くないことをしちまったみたいで、悪かったな。早く病気を治して、また喧嘩しようぜ。おっさん。翔太にはもう二度と会わせられないけどな。今度は道具なんて使わず素手で俺と勝負しろ。それが出来るくらい、早く元気になれ」
龍一はそれだけ言うと、(きびす)を返し特別室を出た。

アパートに帰ると、翔太は相変わらず寝転んで新しい携帯電話を眺めていた。
「悪かった、ってよ」
龍一が、軽くその体を蹴りながら言うと、
「なあに?」
翔太は、大きな瞳で龍一を見上げた。
龍一は、柳田が入院している病院に見舞いがてら行ってきたこと、その様子と会話の内容を念入りに思い出しながら話して聞かせた。翔太を本気で好きだったということ、神妙に反省して謝罪していたことも、ちゃんと伝えた。ビデオを処分すると約束してくれたことも。
「柳田さん、心臓の病気だったんだね。全然気がつかなかった」
「まあ、あいつのことだから簡単にくたばりゃしないよ。だけど、あいつと関わるのは今回でもう終わりだ。金をくれると言っても、今後一切受け取らないからな」
翔太は、素直に頷いた。
「柳田さん、僕のこと本当に好きだったのかな。龍くんは知らないと思うけど、僕に対して優しい時はすごく優しかったんだよ。だけど、僕が他の男の人と話しているだけですごく嫉妬して激怒したり、感情の起伏が激しかった。直接話してみたい気もするけど、もう会えないのかな」
「もう会えない。会わないでくれ」
龍一は、懇願(こんがん)した。それは心からの気持ちだった。柳田が翔太に対して抱いていた感情は一種の愛情なのかも知れないが、形があまりにもいびつだった。自分の都合良く性愛の玩具として弄んでいたに過ぎない、と龍一は思う。そうでなければ、あんな蛮行(ばんこう)は出来ない。

「龍くん、あのね」
翔太は、携帯電話の画面を龍一に見せながら言った。
「ここ。発達障害の人のための就労支援施設が駅前にあるらしいんだ。家の中で何もしないでいるよりは、勇気を出して今度見学や相談だけでも行ってみようと思う」
龍一が画面を覗き込むと、『就労継続支援A型事業所』と呼ばれる施設の公式サイトだった。最初はシール貼りなどの軽作業から始めて徐々に仕事や環境に慣れてゆき、最終的には一般企業への就職を目指す。事業所と連携し仕事を受注してくれるベンチャー企業のサポートなどもあるようだ。
「家の中に閉じこもっていると、どうしても余計なことを考えたり、嫌なことを思い出してしまうから。人と触れ合ったり簡単な作業でもしていたほうが気が紛れると思うんだ。おじさんたちにお小遣いをもらうほうが楽だけど、ゆっくりと離れていこうと思う。本当にゆっくり、マイペースで、だけど」
龍一は、一生懸命に話す翔太を思わず両手で抱きしめていた。何も考えていなかったようで、この子なりにちゃんと先のことを考えてくれていた。まださほど時間は経っておらず、心の傷は決して癒えていないはずなのに。この行先が、今回の件で『災い転じて』になってくれればいいのだが。
「いい子だな、おまえは。大好きだよ。本当に大好きだ」
翔太はそう言う龍一の体をいきなり両手で引き離すと、
「じゃあ、もし僕が就職して職場に僕を好きだって言う人が出てきたら、嫉妬してくれる? 柳田さんみたいに」
やや口を尖らせて、突拍子もないことを言った。
「はあ? なんだよそれ。わけわかんねえ」
「だって龍くん、僕がおじさんたちに会っている時も、一度も嫉妬してくれたことないんだもん。僕、いつも不思議に思っていた。龍くんはいつだって、クール過ぎるんだよ」
龍一は、笑いが込み上げてきた。翔太はいつも、そんな不満を言う。
「あのね、嫉妬しないのは愛がない証拠なんだよ」
少し頬を膨らませた表情が、可愛い。可愛すぎる。
「馬鹿か。おまえが勝手にそう思っているだけで、ちゃんと」
龍一は翔太を畳の上にやさしく押し倒し、キスをした。

愛している。嫉妬しているんだよ。




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