第2話 行かねえよ

文字数 2,562文字

翌日、龍一はマンション解体の仕事があり、作業後翔太と待ち合わせて夕食をとることにした。夕食は、大抵ファーストフードかラーメン、コンビニ弁当だ。この日も現場近くのハンバーガーショップで軽く済ませることにしていた。

龍一が作業着姿のまま入店すると、黒いスタジアムジャンパーを着た翔太が二人席に座り待っていた。腹が減っていたのか、もう既にハンバーガーを半分食べている。
「お口にソースが付いてるぜ。坊や」
微笑みながら、立ったまま龍一が声をかけた。
「どこ?」
舌の先で場所を探り当てようとする翔太の口元に、「ここ」と言って龍一はそっとキスをする。
「ちょっと! 龍くんだめだよ人前で! 小さい子供もいるんだよ」
確かに近くに小さい子供がいる家族連れがいたが、お喋りに夢中で気にも留めていない。
「ソースが付いてるなんて、嘘だね」
上目遣いで、自分をからかった龍一を睨んだ。
「ちょっと待ってろよ。俺も注文してくっから」

受付で順番待ちをしている間、龍一は翔太と初めて会った日のことを思い出していた。馴染みの店で待ち合わせした時、カウンター席に座っていた翔太を見て、素直に可愛いと思った。色白の滑らかな肌、大きな瞳など容姿は勿論、まだ少年の純粋さ、清潔さを全身に(まと)っているように感じた。自分が失ってしまったように感じていた無邪気さやあどけなさ、清らかさを。いま振り返ると、あれは一目惚れだったのかも知れない。
「可愛いね。好みだよ。いまからホテルに行こう」
そう率直に誘った龍一に、
「あのね、そういうことはじっくりお話してからじゃないとだめなんだよ」
大真面目な顔で諭すように言ったのも、可愛かった。
「めんどくせえな、おまえ。出会い系なんて会って簡単にヤるためだけのものなんだぞ」
「違うよ。会って心も知らないとだめなんだよ」
龍一は、会話を思い返すたびほくそ笑んでしまう。

テーブル席に戻ると、ちょうどトレーの横に置いていた翔太の携帯電話がバイブ音を鳴らしていた。立っていたので、龍一には発信者の名前が見えた。柳田だった。
「もしもし」
龍一は、素知らぬ振りで電話に耳を当てる翔太の正面に座る。
「日時ですか? ええっと、いつがいいだろう。目の前にいるので、ちょっといま聞いてみま…」
翔太が話し終える前に、龍一は素早く携帯電話を取り上げた。
「行かねえよ。じゃあな」
それだけ言うと、電話を切った。
「龍くん! なんでそんなことするの? 柳田さんに失礼だよ」
龍一は、不機嫌な顔つきでハンバーガーにかぶりつく。
「昨日の話だけど、いくら大金を出すと言われても、警戒して行かないほうがいい。こういったうまい話には、どこか落とし穴があるものなんだ。冷静になってもう少し考えよう」
「もう少し考えようって、今はっきり行かないって断ってたじゃん。冷静になってほしいのは龍くんのほうだよ。龍くんはともかく、僕は断れない立場なんだよ?」
飲み込もうとしていた食べ物が、ぐっと喉にひっかかる感覚を龍一は覚える。同時に、言葉も喉に詰まって出てこない。しばらく二人は向き合って、黙々と食事をした。安っぽい木製の椅子とテーブルは、少し体の重心をずらしただけで動き、安定感がない。小さくがたがた鳴る音だけが響いていた。
「五十万あれば…」
先に食べ終えた翔太が、長い前髪を垂らしてゆっくり喋り始める。
「五十万あれば、古くなった家電製品も買い替えることが出来るし、もう少しまともな食事だって出来る。いま使っているスマホも、最新のアイフォンに変えられるかも知れない。プレステだって買えるかも知れない」
龍一は、ただ黙って俯いていた。確かに、自分にはろくに貯金もない。五十万あればどんなに助かることか、と思ってしまう一面もある。何より、言われた通り翔太自身は断れない立場にいる。
「わかった。金が必要なのは確かだし、俺も会社の社長に相談するなり、いろいろやってみるよ。だけど安易にあいつを信用して、言いなりにならないほうがいいのも確かだと思う。風邪で体調が悪いとかなんとか言って、うまく時間稼ぎしてくれないか」

その晩、二人は一緒に抱き合って寝た。一緒に寝ること自体は毎晩だった。押し入れから出した薄い敷布団に毛布だけで、身を寄せ合って寝る。キッチン以外に和室一部屋しかなく、他に寝る場所がないからだった。そうなると、自然にキスしたり触れ合ったりで、結局最後まで性行為をしてしまう。龍一は満足感や幸福感を感じていたが、これらを柳田に見られると思うと、なんとも気が重くなった。

「あのね、龍くん」
朝、カーテンの隙間から一条の光が射す中、布団の中で翔太が声をかけた。
「僕、やっぱり柳田さんの頼みをお断りしようと思う」
それまで寝ぼけていた龍一は、一気に目が覚めた。
「本当か」毛布をずり下ろし、上体を起こす。「急に、一体どうして」
寒いと感じたのか、翔太は毛布を引き寄せ、
「寝る前考えたんだ。僕、自分のことしか考えていなかった。五十万あればアイフォンが買える、プレステが買えるって。僕、頭が悪いから…龍くんの気持ちや立場まで、考えが回らなかった」
龍一は静かに感動して、翔太の言葉に聞き入っていた。
「龍くんを巻き込んでしまうことに、もっと罪悪感を持つべきだったんだ。龍くんは、柳田さんのことが嫌いなんだよね?」
言うまでもない、と龍一は思う。だが何も答えず黙っていた。
「言葉や態度を見ていればわかる。これ以上、大切な龍くんに嫌な思いをさせたり、迷惑をかけるわけにはいかないよ。だから龍くんの言う通り、なんだかんだ言ってうまくごまかして、やんわりお断りしようと思う」
龍一は、両手で翔太の肩を掴み起き上がらせると、思いきり強く抱きしめた。
「いい子だな。おまえは頭が悪くなんかない。賢くていい子だよ」
「えっへん」と、ふざけて翔太は言った。龍一の左肩に乗せた顔が、笑顔になっているのがわかる。体を引き離し、改めて面と向かうと、やはり可愛く微笑む翔太が見えた。
龍一は、真ん中から分けられた翔太の乱れた前髪を、やさしく触って整える。いつも他人からは「目つきが怖い」と言われる龍一だが、翔太を前にするとなぜだか目尻が下がり、にやけてしまうのが自分でもわかる。顔つきが変わってしまうのだ。
二人は改めて、輝きを増した朝陽が射しこむ中、朝一番のキスをした。

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