第3話 誘惑と誘導

文字数 1,860文字

週末の朝、龍一は「遊びに行ってくる」と言って、一人出かけた。話をしていて、翔太が新しい携帯電話を欲しがっていることがわかった。「一発当てられないか」と思って、競馬に出かけたのだ。
留守番がてら部屋に散らかったゴミをポリ袋に入れ片付けている時、翔太の携帯電話が鳴った。
「柳田さん? ちょうどよかった。いま連絡しようと思っていたんです」
「連絡? 例の日時がいつか決まったっていうこと?」
翔太は言葉に詰まり、下唇を噛んだ。柳田の低い声には、いつにも増して威圧感があるように感じる。
「それが…言いにくいんですけど、龍くんがやっぱり乗り気にならないみたいなんです。僕もなんとなく体調が良くないし。なんていうか…ちょっと行きづらい感じになっているんです」
柳田は、無言だった。無言になるのは、いつも不機嫌の証拠だった。
「僕思ったんですけど、他の男の子が相手じゃだめでしょうか? 龍くんだと、どうも難しそうで」
「だめだね」
柳田は、即答した。声の威圧感に、怒りと緊迫感が上乗せされている。
「きみはわかってないな、翔くん。私はあくまで、恋人同士のきみたちが夜に営んでいるものを見たいと言っているんだよ。深夜、きみたちの部屋を覗いている気分になってね。そうでないと興奮しないんだ。私の言っていることは、わかるね?」
柳田に「わかるね?」と聞かれるたび、翔太は自分が馬鹿だと言われている気分になる。
「わかります。でも…」
「翔くん、私だって誰にでもお金をあげているわけじゃないんだよ。私の言うことに素直に従う子にだけ、あげているんだ。これじゃ私はなんのために毎月お金を振り込んでいるんだかわからないよ」
翔太は再び、返答に困った。柳田の言うことも(もっと)もだった。声も口調も段々強くなってきていて、柳田の感情が高ぶってきているのがわかる。翔太は、怖くなってきた。何も答えられず黙っていると、
「逆らう、と言うんだね?」
柳田が静かに、しかし冷徹な口調で言った。
「きみは私の命令に逆らう、背くと言っているんだね。これまできみに同情して、経済的に援助してきた私の好意を、平気で踏みにじり台無しにするつもりなんだ」
「そんなつもりじゃありません! これまでのことは感謝しています。でも…」
柳田は、溜息をついた。
「きみのことを本気で心配して散々面倒見てやったのに、こんな態度をとられるんだったら、ここまでだな。言葉だけの感謝なんていらないよ。本気で感謝しているんだったら、態度で示すべきなんじゃないか。まさかこんな仕打ちを受けるとは思わなかったな。きみには、本当に失望したよ。がっかりだ」
最後は、縁が切れる寸前の悲壮感を漂わせて、柳田は電話を切った。

夕方、龍一は不貞腐れた面持ちで帰ってきた。競馬で一発当てるつもりが、つい大きく賭けてしまい、五万も負けてしまった。憂さを晴らそうと立ち飲み屋にも寄ったので、そこでも金を散財した。もう翔太に合わせる顔がない。
「ただいま」
平静を装ってアパートの部屋に帰ると、翔太が電話で誰かと話をしていた。
「はい…はい…わかりました」
その受け答えと緊張した面持ちから、相手が柳田であることがすぐにわかった。電話を切ると、
「龍くん! 僕やっぱり、いまから柳田さんの所に行ってくる!」
立ちすくむ龍一に向かって、そう叫んだ。「やっぱり今日は最悪の日だ」と、龍一は目の前が真っ暗になった。
「いままで散々お世話になったのに、やっぱり断るわけにはいかないよ。お金だって、生活するのにやっぱり必要なんだ。お願い、龍くん。ホテルでいつもやっていることを、二時間やればいいだけなんだって。二時間だけ、僕のために我慢してくれないかな」
「お金だって」の部分が、今の龍一には一番胸に刺さった。翔太が気分で、突発的かつ衝動的な行動を取りやすいのもわかっていた。そうなると、もうなかなか止められない。

「本当に、ホテルで二時間だけでいいのか?」
柳田の言うことは信用出来ないが、そう言われると確かに龍一も心が揺らぐ。
「うん。いま柳田さんは知り合いの会社にいるらしくって、その会社が経営するラブホテルに一緒に車で移動するって。とりあえず会社まで来てくれないかって言われた」
ちょうど龍一はまだジャケット姿のままだし、出かけやすい。競馬や飲み屋での損失を埋められるかも、という思いが頭をよぎる。
「わかった。とりあえず行ってみるけど、おかしいと思った時点ですぐに帰るぞ。あいつと直接交渉が出来るかも知んねえし」
半信半疑のまま、誘惑と誘導に負けた形で、二人は一緒に外出することにした。

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