005 考察

文字数 4,499文字

桜庭鏡花は正義の味方である。
想像で人を判断しない。判断すべきと判断した人間とは対峙したうえで、評価を決定する。
 だから、スリッパを盗んだ犯人だろうが、凶悪な手紙を送った犯人だろうが、誰もが悪と決めつけるものでさえ、自分の目で、耳で、犯人の話を聞くまでは、悪だと決めつけはしないのである。逆に言えば、対峙した結果、悪だと判断すれば、その後にその評価を変えることは絶対にない。
 悪は悪であり、正しいものは正しい。
 そこの基準は分からないが、彼女にはなんらかの指標となるものがあるのだろう。ここまでは許されて、これ以上は許せないというラインが、明確に存在するのである。
 ゆえに、今回のような事件があったときも、自らの手で犯人を見つけ出し、話を聞き出そうとする。自分とは無関係の事件だったとしてもだ。
彼女曰く、困っている人がいるのなら助けたいから、だそうだ。
加害者もその例外ではない。彼女の持論によると、加害者は困っているから野蛮な行動を起こすらしい。そして、困っている原因をも追究する。
被害者にも、加害者にも寄り添おうとするのだ。
 そこまでの正義感を桜庭鏡花が、抱えるのには遺伝子的な理由がある。というのも、あくまでも桜庭自身の見解であるのだが、生まれながらにして正義の血が流れているらしい。
母方の祖父と祖母が元警察官で、父方の祖父と祖母は慈善団体の会長と副会長という風に、家系的に人を救う職業の者が多い。ちなみに、彼女の母親は看護師で、父親は消防士らしい。
 だから、必然的に桜庭にはそういう正義の血が流れているし、幼いころからそういう風に育てられてきたために、彼女には頑なまでの正義感があるようだ。
「西条舞佳さんは、とても健気な人みたいだね。健気だからこそ、危うい。栄彦君を責め立ててしまったのも、焦りからだったんだろう。許してあげなよ」
 僕の知っている限りの情報を、桜庭に話し終えると、彼女はそう言った。
 現在放課後、僕と桜庭は中庭のベンチに隣り合わせに座っている。今日もダンス部が踊っている姿が見えた。
 赤みがかった陽光に照らされ、桜庭の白い肌が反射している。アルビノとまではいかないけれど、彼女の肌はかなり白いので、日に当たるのはあまり良くないことなんじゃないかと思ってしまう。体調を崩したりしないだろうか。
 そんな肌とは対照的に髪色は真っ黒でいて、腰に達するほどまで長いので、まるで闇を纏っているような雰囲気を醸し出している。
 顔は端正に整った童顔で、いつも余裕ぶった笑みを浮かべている。
 クラスは三年B組。僕はA組なので、違うクラスだ。それでも学校ではお互いに一番仲が良い。仲が良くなったきっかけは、図書室で読んでいた本が、たまたま同じだったとかそんな当たり障りない理由だったと記憶している。
 毎度のことだが、桜庭が事件の調査をするにあたって、僕はいつも巻き込まれるのだ。迷惑なことこの上ないけれど、親友の頼みとあらば断わるわけにもいかず、今日も今日とて僕は桜庭に従うのだった。
「許すも何も、僕は別に気にしちゃいないよ」
「それならいいんだ。確認するまでもないけれど、花都美也子さんと幼馴染ということは、西条舞佳さんとも、栄彦君は幼馴染なんだよね」
「ああ、そうだよ。全然馴染んじゃいないけれどね。西条とはそこそこ話したことはあるけれど、まあ仲良くはない。むしろ悪いのかな。一方的に嫌われてるって感じだよ。西条みたいなやつは、僕みたいなタイプが嫌いなんだ」
「聞いた感じ、西条さんは支配欲が強いタイプみたいだからね。一筋縄ではいかない栄彦君とは反発しあいそうだ。しかし、そこまで疑われるとは栄彦君としても心外だろう? いっちょ、犯人を特定してやろうぜ」
 僕はかぶりを振って、
「いや、僕は別にどうでもいいよ。犯人が誰だろうとさ。どうせ、いつもみたいなもんだろうし」
「いつもみたいって、どういうことだい?」
「花都はさ、嫉妬を買いやすいんだよ。だから、小中高と定期的に、誰かから悪戯を受けることが結構あってさ。今回も誰かの嫉妬が原因なんだと思う。この前、C組のイケメンを振ったらしいから、その腹いせでも喰らったんだろう」
「それなら、私としてはより放っておけない状況じゃないか。それに、手紙の文章から考えるに、今回の悪戯とやらは二発目がありそうだ」
「『お前は最低だ。これから、お前は地獄を見る。こんなのは序の口だ』か。ただの脅しかもしれないよ。にしても、稚拙な文章だよね。脅したいなら、もっと恐ろしい言葉を綴ればいいのに」
「まあ、こんなことをするということは、知能は高くないんだろう。さてと、早速調査へと参ろうか」
 桜庭はベンチから立ち上がって、僕の方を振り向いた。
「調査ってどこへ?」
「まあ、ついてきなよ」



 桜庭についてやってきたのは、駐輪場の傍にあるごみ捨て場だった。今日は週末なので、各クラスからまとまったごみ袋が持ち寄られ、ごみ捨て場はごみ袋で溢れそうになっている。
 桜庭はごみ袋の山を見て、宝探しでもするみたいに、にこにことした表情を作った。ついに頭がおかしくなったのかと、親友の頭を疑ったけれど、少し考えて、桜庭の行動の意味に気づいた。
 僕は桜庭に、西条がごみ箱に手紙を捨てたことも話している。そして、うちのクラスももちろん、今日はごみ袋をここへ捨てに来たはずだ。
つまり、桜庭はこの中から、うちのクラスのごみ袋を探し出し、例の手紙をゲットしようと考えているのだろう。
「なあ、桜庭。やりたいことは分かるけれど、どれがどれだか分かんないぜ」
 さすがにクラスのごみ袋がどれであるかなんて、分かるはずがない。クラスメイトの捨てるものをもし、いちいち把握しているのだとしたら、それは変態だ。
「あぁ、分からないね。けれど、ここにあることは分かっている」
 桜庭はそう言うと、まず手始めに一番近くにあったごみ袋の確認を始めた。結びを解いて、中身のものを掻き分ける。その姿は可愛らしい女子高生には、似ても似つかないものだった。
「おい桜庭。正気かよ。こんな場面を用務員、あるいは教員に見られたら、怒られちゃうぞ。それに、なんていうか、君のその姿は見てられない……」
「私の心配をしてくれてありがとう。でも、大丈夫。変な子扱いされるのは慣れているからね」
「さらりと悲しいこと言うなよ」
「あと、怒られそうになった時の言い訳も考え済みだ」
「へえ。どんな言い訳なのかな」
 すると桜庭は作業する手を止めて、上目遣いに僕を見つめた。瞳をうるませていて、か弱い乙女感を出している。桜庭はこういう演技がとても巧いのだ。
「ごめんなさい。でも、大事なお守りを間違えて捨てちゃって……。亡くなったおばあちゃんから貰った、大事なものなんです……。――というのは、どうかな、栄彦君」
 桜庭は悪戯めいた笑みを浮かべて、演技をやめた。
「とても通じそうな手ではあるけれど、冷静に考えて、なんでそんな大事なお守りを捨ててんだよって話だよ」
 大事なものなら、肌身離さず持っておけよ。まあ、適当な言い訳だから仕方がないのだけれど。
「ははっ、ディテールが甘かったかな。ま、見つかったときは見つかったときだね」
 桜庭は作業を再開する。ごみ袋なんて不衛生なものに、直で触るなんて、病原菌を貰ってしまいそうだ。あと、今をときめく女子高生に、いつまでもこんなことをさせてらんないよな。
「僕も手伝うよ。だから、さっさと見つけようぜ」
「ありがとう。愛してるぜ、栄彦君」
「なぜだか、全然嬉しくないよ……」
手分けをしてごみ袋を開封し、探っていく。それから二十分ほど経過し、三袋目。そろそろ諦めないかと、言おうとしたところで、桜庭が汚れた紙を手に取った。
「もしかしてこれかな」
「なんか書いてある?」
「『お前は最低だ。これから、お前は地獄を見る。こんなのは序の口だ』、だってさ」
 ほら、と桜庭は僕にその紙を見せてくれる。ごく普通の白色の紙(ごみに紛れていたため汚れてはいるが)で、そこには例の台詞が黒色で印字されていた。
 桜庭は紙を折りたたんで、ブレザーのポケットに仕舞う。
 ごみ袋の口を結びなおしてから、桜庭は手を払った。
「筆跡から誰が描いた手紙か、特定してやろうと思ったけれど、これじゃ駄目だね」
「本気か?」
「まさか。ただ、この目で確認したかっただけだよ。本当に手紙なんて、存在するのかをね」
 桜庭は満足そうに頷いた。
「ところで栄彦君。ミュンヒハウゼン症候群って知ってる? 私はこれを見て、その精神病を頭に思い浮かべたのだけれど、どうだろうか」
「どうだろうか、って言われても、まずそのミュンなんたら症候群ってのを僕は知らないな」
「じゃあ後で説明しよう。ところで、花都さんは今まで色々な悪戯を受けてきたって言っていたよね?」
「うん」
僕は頷いた。
「犯人は見つかったことあるの?」
「ないね」
「たくさんの嫉妬を向けられる人間でもさ、不特定多数の相手に悪戯をされ続けるっていうのは、いくらなんでも不自然だと思わないかい? それはもういじめだよ。もし仮に、嫉妬が原因で、しかも色々な人間に悪戯をされているのだとしたら、花都さんが嫌いなグループでも形成されて、反対勢力と言うのが出来上がるはずだ。でも、できていない。花都美也子の周囲にはいつも人がいて、嫌っているような人は栄彦君くらしか見当たらず、っていうのは、うん、やっぱりどう考えても、不自然で、不可解で、不明瞭だ。明瞭であるべきところが、明瞭でない。不明瞭。しかし、犯人が見つからないため、不特定多数の嫉妬による悪戯という、あまりにも不明瞭な回答に帰結するしかない。しかし、これは否定すべきだ。そんな漠然としたものじゃ、示しがつかない」
「つまり、何が言いたい?」
 桜庭はにやりと笑った。
「つまるところ、犯人は今までも、これからも一人だってことだ」
「えっと、過去の犯人まで分かったってこと?」
 僕は首を傾げた。
「そう。今回の事件で、過去の事件もまる分かりさ。でも、全てとは私も言い切れない。中には本当に、栄彦君の言う通り、嫉妬による悪戯もあったのかもしれない」
「はぁ。それで、犯人は誰なの?」
「まだ断定できない。ただし――」
 桜庭は人差し指と中指を立てて、
「――二人に絞ることはできた。どちらだったところで、異常な愛情であるってことに変わりはないけれど。しかし私は、異常であっても、間違えていないと思う。愛っていうのは、形がなんであれ素晴らしいものだと思うからね」
 桜庭鏡花は、少し間を置いてから言った。
「犯人は――」
 桜庭は想像通りの、二人の名前を出したが、僕はもう一人に絞り込むことができた。僕だからできたことである。
僕が持っている情報を余すことなく知っていれば、こんなにも単純な事件はないだろう。
きっと誰にでも分かる、単純で、異常な犯人。
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