003 帰り道

文字数 4,540文字

九月からは完全下校の時間が、十七時三十分になっていて、それ以降学校に残っていた者は退学処分を受ける。退学処分というのは冗談だが、噂によると反省文を四百文字原稿用紙、二枚分も書かされるらしい。
そんなことで、反省文を書かされては一体、どんな言葉を並べればいいのか困るので、遊戯部は十七時という余裕を持った時間での解散となった。白部坂は図書室へ寄って帰ると言っていたので、一人での下校。
廊下の窓から、中庭の方を覗いてみると、ダンス部がよく分からない動きをしていた。練習熱心なことだ。僕はまったくと言っていいほど、ダンスの素養がないので、見ても何が素晴らしいのかまるで分からない。くねくねしたり、かくかくしたり、奇妙な動きだと感じるくらいだ。
階段を下りて、すぐ傍にある下駄箱へ向かう。この時間の一号館は、ほとんど人がいない。二号館は門を出て、道路を跨いだ先にあり、そちら側にグラウンドもあるので、部活動のある生徒は、大抵二号館側へ行くのだ。
遠くから微かに、スポーツ系部活動の掛け声が聞こえてきた。吹奏楽部の音色が空気に振動され、耳に伝わってくる。空は茜色に染まっていて、ノスタルジィな雰囲気が校内には漂っていた。この校舎とも、あと半年もしないうちにお別れかと思うと、少しだけ寂しい気持ちになってくるものだ。
三年生の下駄箱の方へ顔を出すと、見知った顔が一人。
同じクラスの花都美也子だ。背が小さくて、人懐っこい性格をしているので小動物を連想させられる。クラスの男子達からは可愛いと人気で、女子からも守ってあげたくなると言われていて、クラスでは割合人気なやつだ。
花都と僕は、幼稚園から現在に至るまでの幼馴染の関係である。しかし、幼馴染とは言葉だけで、全然馴染みの関係じゃない。幼いころから、馴れていないし、染まっていない。ようは、仲良くなかった。話したこともあまりない。
 僕は自分の段から、ローファを取り出して、スリッパから履き替える。
校内用スリッパは、男子は青色で、女子は赤色に統一されており、中心に名前が書かれている。生徒の間で、デザインがださいと言われていて、多数の女子はスリッパに星マークを書いたり、ハートマークを書いたり、自由に落書きをしている。僕からすれば、変に落書きした方がだらしなく見えるのだが、そこは感覚の違いだろう。
「あ、赤見君だ。今から帰り?」
 花都はどこかたどたどしく声をかけてきた。あまり話さないクラスメイトに対しても、声をかけてくるあたり、花都の人気の理由がうかがえる。
「そうだよ。花都も?」
「うん。今から帰るの」
「そっか。んじゃ」
 僕は軽く会釈をして、下駄箱を去ろうとした。すると、花都が「ま、待って」となぜか呼び止めてきた。
 僕は足を止めて振り向く。
「何?」
「歩き?」
「歩きだけど」
「一緒に帰ろうよ」
「は?」
 僕は露骨に訝しむ顔をした。
 花都も僕も住む町は同じで、この高校は地元だから、帰り道が同じ可能性は高いだろう。けれど、先ほども言ったように僕らは全然そういう関係でない。まず、友達と呼べる関係ですらないように思う。
 花都は目を泳がせて、顔を赤くした。
「だ、駄目なの?」
「駄目じゃないけれど、どういう意図が?」
「意図もなにもないよっ! 一緒に帰りたいのっ!」
 花都はつかつかと近づいてきて、頬を膨らませた。リスが食べ物を口に含んでいる時みたいだ。
「はぁ、分かった。それじゃあ帰ろうか」
 僕は肩を落として、了承した。どういう意図があるか、まるで見当もつかないけれど、一緒に帰りたいのなら帰ろう。しかし、いくら人懐っこい性格と言えど、あまり話したことのない人間と帰りたいと思うのは、やはり不可解な思考だ。裏があると考えた方がいいだろうか。
 いや、何も考えなくていいか。
僕は別に、疑り深い性格ではないし、そもそも裏があったところで、間違っても僕が一本取られるようなことはないだろう。ちなみに、疑り深い性格でないというのは嘘だ。
「ありがとう」
 花都と並んで歩き始める。
「しかし、花都。あまり男子に無邪気に絡みにいかない方がいいと思うよ。そういう行動は、何人もの男子を勘違いさせるからさ」
 噂では、花都は何人かの男子に告白されたということを聞いたことがある。すべて断ったらしい。
「え、うん。赤見君も勘違いするのかな……」
「あぁ、大丈夫。僕は全然興味ないから」
「それどういう意味?」
「ん? 花都に興味がないってことだけれど。――いや、これだと言い方が悪いな。恋愛に興味がないって言った方がいいか。勘違いしようにも、恋愛感情を持たない以上、勘違いするって現象が起きないからね。だから大丈夫だよ。勘違いしないから」
「そっか……」
 花都は視線を若干下げた。
 裏門から出て、僕らは川沿いの道を歩いていく。中学生も帰る時間帯らしく、ちらほらとその姿があった。
そうえいば、花都は何か部活動に入っていたかと記憶を探る。しかし、花都に関する情報は、僕の中にはほとんどなかった。名前と、性別と、出身学校くらいしかない。
「でも、そうは言っても好きな子くらい、いたことあるでしょ?」
「現在進行形でいるよ。でも、それも恋愛感情じゃないよ」
「好きってことは、恋してるってことじゃないの?」
「さあ。でも、デートしたいとか、一緒にいたいとか、そういうのは全然思わないから違うんだろう」
 僕は恋というものが分からない。恋愛漫画も熟読したことがあるけれど、ピンとこなかった。キュンともこなかった。こういう恋愛がしたいとか、そんなのはない。恋人はいらないし、結婚もしたいと思わない。
 ま、恋というのは突然起きるものらしいし、その時を待つのみだ。だが、恋は待っているだけでは起きない、という文言もどこかで見かけたが、なんていうか恋愛って矛盾だらけで難しいんだな。
「じゃあ、どういう風に好きなの?」
「好きなのに理由なんていらないんじゃないかな。好きだと思ったから好きなんだ。それだけだよ」
「よく分かんない」
 他人は他人のことなんて分からないさ。と言おうと思ったが言うのはやめておいた。あまり、こういうことを言いすぎると捻くれ者認定を受けてしまうからだ。
 というわけで、話題を変えることにする。
「そっか。そういえば、花都って何か部活に入っていたっけ?」
「どうして?」
「遅くまで学校に残っていたから。五時まで残るって言ったら、部活動じゃない?」
「ううん。入ってないよ。遅くまで残ってたのは、図書室にいたから」
「読書好きなの?」
「まあ、嫌いじゃないかな」
 花都は曖昧な言い方をした。
「どんな本を読むの?」
 予想では恋愛系の甘ったるいカバーをした小説だ。帯には、『感動間違いなし!』みたいなことが書かれているのである。最近は、感動と恋愛を混ぜたジャンルの人気が高いようだ。
「うーん。さっき読んでたのは、女の子向けの雑誌だけど」
「あ、小説じゃないの」
 僕の脳では、読書イコール小説となっている。この価値観というか、偏見はは修正しておくべきか。
「うん。小説は現代文の授業くらいでしか読まないかな。赤見君は部活?」
 花都は話題を逸らすように聞いてきた。
「部活だよ」
「何部だっけ? あ、当てるよ。えっとね、サッカー部かな」
「残念。ていうか、荷物の量を見たら、違うってすぐ分かるでしょ」
 僕は通学用鞄しか持っていないから、スポーツ系でないことは、瞬時に推察できると思うのだが。
「じゃあ卓球だ」
「じゃあって何?」
 サッカーと卓球では、イメージが全然違うではないか。
「うーん。だって、赤見君はどっちのイメージもあるんだよねえ。爽やかって感じもするし、クールって感じもするし」
「爽やかとクールって一緒じゃないの?」
「えっと、クールは物静かって意味で」
「あぁ」
 ようは暗そうなやつだということかな。しかし、卓球部のイメージ酷くない? 卓球も爽やかだろうに。
「うーん。分からない! 教えて」
「遊戯部だよ」
「ユウギ部? そんな部活あったっけ?」
「先月できたばっかだからね。知らなくても当然かな」
「へー。知らなかった。赤見君が作ったの?」
「そう。正確には、後輩と一緒に設立したんだけどね」
「何する部活なの? それ?」
 花都は首を傾けた。
「将棋やチェス、トランプとか色々な遊びを極めようという部活動だよ」
「遊ぶ部活? それ許されたの?」
「まあ色々な苦労があったのさ」
 生徒会を説得するのに、二週間くらいかかったし、さらに学校側から理解を得るのに二週間ほどかかった。そこまでして、遊戯部を作りたかったのは、学校にプライベートスペースが欲しかったからだ。実を言うと、ボードゲームとかカードゲームとかが、そこまで好きというわけではない。自由に使える空間が、学校にあるというのは、何かと好都合だと考えただけなのである。
だから、別に遊戯部でなくても、隣人部や奉仕部でもよかった。ただ、説得しやすそうな遊戯を選んだまでだ。遊戯というと、どこか文化めいていないだろうか? そうでもない? そうですか。
「赤見君って、なんだかすごいね。そうやって、人を集めてなんかしようってさ。私にはできっこないだろうなあ。私ってドジだからさ。今までもいろんなこと諦めてきた」
 花都はそう切なそうに呟く。
 私にはできっこない?
 そんなわけあるはずがない。花都は僕より優れているじゃないか。
支えてくれる友がいる。
ともに歩いてくれる友がいる。
引っ張ってくれる友がいる。
自分がどれだけ恵まれた環境にあるのか、分かっていないのだろう。悲しきかな。そういう人は多い。自分の能力を自分で定めて、動こうとしない。僕はそういうのは嫌いだ。
だから、
「甘えだよ」
 僕は幾分か厳しい口調で言った。憤ったわけではない。ただ、事実を口にしただけである。それでも厳しめになったのは、否定してほしそうな花都の感情を読み取ったからだ。
 そんなことはない、と否定してほしいのだ。
 でも僕は絶対に否定しない。
 最初から諦めているような奴は、何もできない。
 否定されなくても、肯定されなくても、何も言われなくても、動きたいのなら動くべきだ。他人の言葉を頼りにするべきじゃない。自分を頼るべきだ。
「え」
 花都は驚いた表情をして僕を見る。
「それは甘えだ。ドジなことなんて理由にならない」
「えっと、赤見君、怒ってるの?」
「僕は怒ってないよ。ただそう思っただけ」
「ほらね……。赤見君、強いじゃん。私は弱いの。だから、諦めるしかないの」
「強いとか弱いとかも、やらない理由にはならない」
「……帰る」
「帰ってるけど」
「もう一人で帰る!」
 花都は涙目でそう言って、つかつかと前を歩き始めた。
 僕はその背中を呆然と見つめる。
 何かまずいことを言ったかと、自分の言葉を振り返ってみたが、僕には花都の怒った理由が分からなかった。
 女心と秋の空とはこのことだろうか。
 違う?
 そうですか。
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