001 プロローグ

文字数 3,441文字

 僕、赤見栄彦は生きてきた中で、精神のいかれた人間に幾度か出遭ったことがある。精神がいかれた、という表現は些か漠然としすぎているので、少しだけ詳しく言えば、ようは思考が異常であったり、常軌を逸した行動をしたりする人間のことだ。
俗に、サイコパスと呼ばれる人間たちのことだが、サイコパスとまではいかなくとも、いかれた人間というのは多く存在する。
 この世の中には、闇が溢れている。リストカット、自殺生配信、青い鯨、SNS、エトセトラ――。
現代を生きる人間は、目を塞ぎたくなるような闇を抱えすぎている。否、現代というのは正確ではないかもしれない。きっと、昔からこういう人種は多くいたのだろう。ただ、インターネットの台頭で可視化できるようになっただけに過ぎない。いわゆる、見える化ってやつだ。最近はやりのIOTである(違う)。
 道を歩けば闇に当たる。
 本当にそう言っていいくらいに、僕らは日々、闇に充てられ過ごしている。
そして、いつしかその闇に堪えられなかった者も、また闇に染まっていく。なんだか、こんなことを言ってみると、まるで中二病患者のようだ。
閑話休題。
 さて、今回、語ろうと思っている事件は、そんな闇を抱えた人物の話だ(僕のことではない)。僕が過去に体験した異常な事件の話。
 その犯人は、歪んだ愛情を心に秘めていたのである。
 しかし、そうは言っても僕は犯人のことを否定しない。
 誰でも闇は抱えているものだ。否定したら可哀想だ。
僕はポリシーとして、拒絶しても否定はしないのである。
 拒絶と否定について、意味合いをほとんど同じくして解釈する人も多いだろうが、僕はこの二つを明確に区別している。
拒絶は、個人的に価値観や考え方を受け入れないというだけであって、対立姿勢を見せると言った行為、そもそも争うという観念を有しない。
否定は他人の価値観を文字通り否定することに当たる。拒否するだけでなく、そこには、対立姿勢や、争いを辞さないという思考が含まれているのだ。他人の価値観を否定する、という行為は人間として恥ずべきことだというのが、僕の持論なので、僕は否定というものをしない。
もしこの持論を否定する人がいても、僕は否定しない。
無論、だからと言って、それは肯定を意味しているわけではない。否定しないからと言って肯定的であるとは限らないのだ。
ちなみに、あくまでも僕の区別であって、本気に捉えてもらわなくても結構である。こういう僕だって、実際知らぬ間に、誰か否定をしていることが、あるかもしれないのだから。
でも僕は、自分が意識しうる範囲で、否定はしていない。もちろん拒絶はする。
僕はそれを受け入れはしない。
認められないのなら、否定するのではなく受け入れないのが一番だ。
そうすれば、争いは起きない。
否定するから皆は、喧嘩をしてしまうのだ。
しかし、僕の親友である桜庭鏡花は、認められないものを否定する。
自分を絶対的な正義だと信じて、反対の意見を跳ね除ける。頑なに、間違いだと思ったことを肯定することはない。対立し、争いをする。逆に言えば、自分が信じたものは絶対に貫き通す。
僕とは真逆のポリシーを持った人間だ。
桜庭と僕は相容れない存在なのだが、先ほども言ったように親友ではある。仲が良いのだ。自分と考えの違う人間とは、仲良くなれないという人は多くいるが、そうではない。実際、考え方の違う人でも、嫌なやつでなければ余裕で付き合える。きっと、そう思えない人は、視野が狭く、周囲を甘いもので固める、弱い人間に違いない。
いつも自分の考えを受容してくれる人だけを傍に置いておくと、どんどん考える力を失っていくに決まっている。僕はそうはなりたくない。
自分とは違う考え方を持つ人間でも、喋ってみる。この考え方は違うな、と思えば、否定せずに、頷かなければいいだけだ。簡単な話だろう?
だが、今回語る事件の犯人に関しては、やはり拒絶するしかありえない。僕はあんな愛情は受け入れることはできない。
僕だけじゃなくて、多くの人が拒絶、あるいは否定する事件なのだ。
でも、桜庭鏡花は違った。
桜庭という人間は、今回の事件に関して、肯定的であった。
そんな桜庭には、“正義の味方”という称号が相応しいように思える。いつだって、自分に正しく、折れず、真っすぐに彼女は生きている。
 しかし、そんなことを言ってしまえば、反対意見の僕が“悪役”ということになりはしないだろうか。
 だがまあ、正義でないことは確かだ。
 僕はただの一般論で、犯人を諭そうとした。
 一方桜庭は自分の心で犯人に寄り添った。
どちらが正しいのかは人によって違うだろうけれど、今回は僕の言葉のせいで、結末は悪い方向へ傾いてしまったのだから、やはり正しいのは桜庭で、悪役というのは言いすぎだとしても、間違えたのは僕なのだろう。
「この世に悪役なんていないんだぜ」
 そう言うのは、僕の親友の桜庭鏡花だ。
 可愛らしい顔立ち。漆黒と呼んでいいほどに黒く染まった長髪とは対照的に、肌の色は驚くほどに白い。触れるとひんやりしそうだ、とそんなことを思う。
 こんな風に、可憐な乙女の風貌をしているけれど、彼女の口調はいつも、どこか少年っぽかった。
 桜庭は机に肘をついて、にこりと笑みを浮かべる。
 僕はかぶりを振って、彼女の言葉に反論した。
「犯罪者は悪だろう」
「そう。私たちからしたらそうだね」
「ふん?」
 僕は桜庭の言わんとすることが、理解できず首を傾けた。
 犯罪者は間違いなく悪だ。
 悪いことをしたのだから、犯罪者なのである。
 それはあくまでも、人間が法律という概念で決めた結果だぜ、なんて屁理屈を言われるのだろうか、と考えたが桜庭の答えは違った。
「戦争ってあるだろう。あれは、どちらも正義を主張した結果起きるんだ。身近な例でいえば、喧嘩もそうだね。喧嘩は両者ともに、正しいと思った結果起きるもので、互いの正しさを主張するために争いあう。ようは――」
 桜庭は人差し指を立てて、
「誰しもが自分の中に正しさを持っていて、誰が悪役だと決めつけようと、自分だけは自分を正しいと信じている。喧嘩が起きて、大多数の第三者が多数決で、片方が正しいと決めたとしても、争っている本人たちは、自分たちは正しいと信じている。自分たちは正義だと信じている。だから、完璧な悪役なんて存在しない」
 なるほど。
 自分は自分を信じているからこそ、満場一致の悪役などいないと言いたいのか。
 しかし、
「人殺しは完璧なる悪じゃないか。人殺しをした本人だって、反省することがあるだろう? ごめんなさいって。そうなると、自分だって自分を正しいと肯定しちゃいない」
 他者からも、本人からも、悪だと思われれば、それはもう完璧な悪だ。
「殺人者Aは、ついかっとなって誰かを殺した。その、ついかっとなった瞬間は、正しいと思ってしまったんだ。だから、殺してしまった。殺人者Bは、誰かに命じられて誰かを殺した。殺したくはなかった。しかし、殺した。それは、自分が一瞬でも殺しを正しいと判断したから、殺したんだ。もし、如何なる状況でも殺人が正しくないというのなら、殺人者Bは自殺するはずだろう。つまり、殺人は自分が一瞬でさえ、正しいと思ったから起きた現象だということになる。そもそも、人間の行動というのはすべてが、正しいと信じたうえでの結果なんだよ。朝起きるのは正しいと思ったから。学校へ毎日通うのは正しいと思ったから。授業中に眠るのは正しいと思ったから。そのあとに、後悔しても、その後悔は正しさを求めった結果でしかない。後悔することで、後悔できるだけ自分は正しいって感じにね」
 だから、正しくない者なんていない。人は皆、己の中に正義があるからして、完璧な悪というのはこの世に生まれないんだ。――と、桜庭は息つく間もなく反論を返してくる。
 無理やりな論理だとしても、僕にはそれを破綻させられる能力はなかった。だから、今回の口論については逃げることにする。そもそも、僕は彼女に勝とうとしていないのだ。勝つとは、つまりは否定なのだから。
「そうかい。君が言うなら、それが正しいんだろう」
 僕のお得意の逃げ台詞。
 僕は受け入れないけれど、君の中ではそれが正しいのだろう、と。
 悪役は必ず存在する。この世は確信犯ばかりではないのだ。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み