007 愛情の正体

文字数 1,900文字

下駄箱の角に隠れて、僕らは花都が行為に及ぶのを待った。花都は下駄箱からスリッパを抜き出すと、それをなんの躊躇いもなく通学用鞄へ押し込む。
 僕は桜庭と目配せをして、花都がその場を去ろうとしたところで声をかけた。花都はびくりと体を震わせると、ぎこちない様子でこちらを向く。
「な、なにしてるの? 赤見君と、それに……」
 花都は桜庭を見やる。クラスが違うから、名前が分からないのだろう。
「こいつは桜庭だよ。三年B組の生徒で、僕の親友だ。しかし、なにしているんだ、というのはこちらの台詞だな」
 僕は花都のバッグを指さしてから、
「スリッパ、入れてたよな」
「こ、これは……」
 花都は鞄を隠すような姿勢を取り、顔を俯かせた。
「家に帰って洗うんだよ」
「洗う? それは、今日新しく売店で買ったやつだろう。洗う必要はある? もしかして、君は重度の潔癖症なのかな」
「そ、そうだよ! 私、潔癖症なの。毎日洗わないと気が済まないの」
 彼女は目を泳がせ、必死な様子で言った。
「じゃあ、昨日も自分で持って帰ったはずだ。だから、盗まれるわけないよね?」
「え、あ……。えっとね」
「言い訳はいいよ。本当のこと言いなよ」
「栄彦君。そんな責めるような口調は良くないね。彼女は別に悪いことをしているわけじゃない。正直に生きているだけだ」
「いや、僕は別に責めているわけじゃない。ただ、事実を聞きたいんだ」
 僕は花都へ一歩近づいた。
「自分のことが好きなのは悪いことじゃない。僕だって自分が好きだ。でも花都。君のやり方はまずいんじゃないかと思うね。いや、これは否定しているわけじゃないんだ。適当なアドバイスとして聞いてくれればいい。愛されたいのなら、もっと別のやり方がある」
「意味わかんないよ! 何言ってるの?!」
 花都は明らかに動揺して、走って逃げようとした。しかし、それを予測していた僕は、花都の右腕を掴んだ。
「離してよ!」
「離す。だけど、話は最後まで聞いてくれよ」
「……意味わかんない」
 これ以上、花都は逃げる様子がなかったので、僕は落ち着いて話を続けることにした。
「花都。君はすでに愛されているから、愛されるために、そんなかまってちゃんみたいなことをしなくていいんだよ。普通に、無邪気に、純粋に、素直に、正直に、相手と接すれば、明るくて元気で優しい君は愛されるはずだよ。今までの悪戯もそうだったんだろう? 自分を構ってほしいばかりに、そうやって今みたいに、わざとトラブルを起こしていたんだろう?」
「違う!」
 花都は叫んだ。
「違う! 私はそんなおかしい子じゃない!」
「おかしいよ。僕は君がおかしいと思う。でも、それは行動がだ。君の感情は理解できる。自分のことが大好きであるのは普通だ」
「なにが……なにが分かるのよ!? 赤見君に私の気持ちの何が分かるって言うのよ! この気持ちが悪だっていうの!?」
「別に僕は悪いだなんて一言も言ってない」
「今の私が、無邪気じゃなくて、純粋じゃなくて、素直じゃなくて、正直じゃないみたいに言っているじゃない……。私は間違ってなんかいないよ。こうしている今だって、嫌われたくないって、心臓がどきどきしているんだもん。この気持ちは嘘じゃないの。素直だから、こんなことしてるのっ」
 花都は半分泣き叫ぶように言葉を吐いた。
 理解できない言葉だった。
 僕には理解できない。
 スリッパを盗んで注目されようだなんて、どこか純粋だと言うのだろうか。
 そんなの曲がりくねった、あまりにも捻くれたやり方じゃないか。
 しかし、桜庭鏡花は違った。
「いいじゃないか」
 桜庭はにこりと笑って、花都に近づく。
「君の気持ちはとても素晴らしい。これが純粋でなければ、何が純粋だと言うのだろうね? 私も、その“恋心”には関心せざるを得ない。自分にそこまで正直であれるなんて、素敵な感情だよ」
「桜庭さん……」
「ごめんね。しかし、僕の親友も悪気があったわけじゃないだろうし、むしろ一般的には正しいことを言っている。でも、一般的というのは個人的ではないからね。個人に当てはめようと考えたら、どうしても当てはまらないことの方が多いんだ」
 桜庭は花都を抱きしめた。一切の躊躇なく、優しく抱きしめる。
「誰が否定したって、誰が受け入れなくたって、私だけは君を肯定し、受け入れるよ。応援している。けれど、一つだけ注意はさせてくれ」
 桜庭は花都の紅潮した顔をじっと見つめて、
「誰よりも君のことを心配して、愛してくれている、親友を心配させちゃ駄目だよ。悲しませても駄目だ」
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