004 疑惑

文字数 3,572文字

翌日、僕は珍しく朝早くに学校へ到着していた。たまたま目覚まし時計が鳴る前に、目を覚まし、家でやることもないから早めに家を出たのだ。
 しかし、そうは言っても早く家を出すぎただろうか。
 時刻は午前七時四十五分だった。始業まであと四十五分もある。教室に着いたものの、もちろん、まだ誰も来ていなかった。僕は窓際の自分の席へ着席し、読書でもして時間を潰すことにする。
 僕は基本、ミステリ作品を読むのだが、別に推理を楽しんでいるわけではない。キャラクターを楽しんでいる。いわゆるキャラ萌え。別に萌えてないけれど、それ以外に適切な表現が思いつかなかった。それに、推理小説の推理なんて、読者が推理したところで分かりっこない。
 八時を過ぎたあたりで、女子が一人やってきて、そこから次第に人が増え始める。
 事件は、二十分を超えたあたりに起きた。
 花都が周囲に輪を形成して、教室に入ってきたのだが、驚くことに彼女は泣いていたのだ。周りの人間は、彼女を慰める言葉をかけている。こんな年にもなって、大勢の前でしくしく泣くというのは、なんとも情けないことだが、花都は弱い子なので仕方ない(自分でそう言っていたから、別に悪口ではない)、
 しかし、何があったのかと、軽く花都を観察してみると、一つだけ変わった点があった。スリッパを履いておらず、体育館用のシューズを着用している。それが涙と関係あるのかは分からないが。
「誰が盗んだんだろうね」
 輪の中の誰かが呟いた。
 盗んだ?
 何か盗まれたのだろうか。
「みんな、一旦どっか行って。美也子も人が多いと迷惑だろうから」
 そう言うのは、やはり輪の中にいる一人で、彼女は西条舞佳という。西条は小学校から花都と仲の良い女子で、花都の姉的存在だ。凛々しい顔立ちに似合って、面倒見のいい性格をしている。花都とは相性の良い人物と言える。
 西条の指示で輪が散り散りになる。
「大丈夫だからね、美也子。私がついてるから」
 西条は花都の背をさすりながら言った。
花都は何も言わずに頷く。
「誰がこんなものを」
 西条は怒ったようにそう言って、右手で何かをくしゃりと潰した。見たところ紙のようだ。西条はその紙をごみ箱に叩きつけてから、また花都の傍に近寄る。
 僕は、輪から解散してきた前の席の男子、山田に何があったのか耳打ちで聞いてみた。すると、山田は困った表情をして、こっそりと教えてくれた。
「俺も詳しいことは知らんけど、花都のスリッパが盗まれたらしいんだわ」
「盗まれた? なんで確信してそう言えるの?」
「いやな、下駄箱に手紙が一緒に入れられてたんだって」
「さっき西条が捨てていたやつかな」
「あぁ。こう書かれていたらしい。『お前は最低だ。これから、お前は地獄を見る。こんなのは序の口だ』ってさ。差出人は不明。まったく、奇妙っていうか、気持ち悪いことをするやつがいるもんだよな」
「あぁ、またか」
「また?」
「そ。花都って、たまにそういう嫌がらせを受けるんだよ」
 小学生の時に二回、中学生の時に三回。高校では初めてかな。
「どういうこと?」
「花都って人気だろう。いつも周りに人がいて、みんなが一緒に笑ってくれて、悲しんでくれて、喜んでくれて、苦しんでくれる。そういうのを見て、嫉妬しちゃうやつがいても不思議ではない。それで、嫉妬した人間が花都に悪戯を仕掛けてるんだろう」
「ふーん。なるほどね。たちが悪いな」
 山田は顔を顰めた。
 たしかに、たちが悪い。
 そういうので、花都が色んなことに対して自信を喪失しているというのなら、ちょっと可哀想な話だ。昨日は言い過ぎたかな。
 そう思って、花都をちらりと見やると、隣の西条が僕を凶暴な目つきで睨んでいた。僕は咄嗟に顔を逸らす。
「なんか、あいつお前のこと睨んでねえか?」
「き、気のせいだろう?」
「いや、あれは気のせいじゃねえな」
 山田は苦笑いをする。
「まだ睨んでるぜ」
「蛇に睨まれた蛙の気分だ……」
 睨まれている理由は分からないが、とりあえず教室を出ることにする。僕の得意スタンスは、逃げである。
 廊下へ出て、そーっと扉を閉めようと思ったところで、誰かが閉じるのを阻止してきた。ゆっくりと振り返ると、やはりそこには西条がいた。
 今年一番恐ろしい出来事だった。
「あれ、あんたがやったの?」
 西条は教室を出、後ろ手で扉を閉めてから僕に詰め寄ってくる。女子に攻め寄られたのは初めてのことだが、ドキドキしない。バクバクする。身の危険を感じた。
「なんのことかな」
「とぼけないでよ。スリッパを盗んだのと、あの手紙を出したのあんたでしょ」
「花都の件なら、僕は全然関わっちゃいないよ。ていうか、なんで僕が関わっていると思ったわけ?」
「だって、美也子のこと嫌いなやつを考えたら、赤見くらいしかいないじゃない」
 西条は断定するようにそう言った。
しかし、僕が花都のことが嫌いである、とはどこからくる自信なのだろうか。僕は陰口を絶対に言わないポリシィがあるし、そもそも人を嫌いになることが稀である。
ましてや関りもろくにない、花都のことを好きとか嫌いとかいう、尺度で考えたことがなかった。
僕は落ち着いて反論する。
「僕は別に花都のことは嫌いじゃない。そもそも興味ない」
「嘘。昨日、あんたは美也子に酷いこと言ったんだってね。それでも嫌いじゃないって言える?」
「酷いこと……?」
 僕は数秒、昨日の記憶を探って、酷いことを言ってないことを再確認した。厳しいことは言ったが。
「そんなこと言ってないと思うけれど」
「美也子にお前は甘えているとか、そんなこと言ったらしいじゃない」
「あぁ、言ったね。でもそれは、酷い言葉なのかな? ただの事実だよ」
「そう。赤見はそういうやつなんだよね。無自覚に人を傷つけるのよね。そういうのが一番救われないのよ。とにかく、あんたは美也子を傷つけたの!」
 西条は眉間に皴を寄せ、怒りを向けてきた。どうしてこうも感情的になっているのだろうか。確信なく、人を責めるのは良くないことだ。
「分かった。じゃあ仮に、僕が花都を嫌っているとして、僕が犯人であると決めつけている理由は何? まさか、嫌っているという理由だけじゃないだろう?」
「……それは」
「おいおい。それだけで、僕を責めるのなら、君も一番救われないやつの一人じゃないか。僕は君の心ない追及に、傷ついちゃったよ」
 まるで犯人みたいな台詞だったが、さすがに僕だって、理由なしに責められるのは心外だ。
「それに、僕と花都は昨日、途中まで一緒に帰っていたんだよ? アリバイは君の大好きな花都さんが証明してくれるだろう」
 僕の言葉に西条はむっとした表情をして、苦し紛れの反論をしてくる。
「酷い台詞を言った後に、校舎に戻ったかもしれないじゃん」
「根拠が薄いよ、それじゃあ。そんなことを言ってしまえば、全校生徒怪しくなっちゃうだろ。ねえ、西条。君は花都が誰からにも、愛されている人間だと思っているのか? 僕以外にも、嫌っている人間っていうのは、表立たないだけで何人もいると思うよ」
「…………」
「あとさ、スリッパを盗むなんて、しょうもない悪戯なんてせずに、僕だったら嫌いなやつには直接、近づいてくるなって言うよ。一緒に帰ろうとはしない。それに、手紙を仕込んでおくなんて、こりゃ計画的じゃないかな? 前もって、犯行を計画していたと考えるのが妥当だろう」
「朝! 朝ならどうよ。あんた、今日は珍しく早くに学校へ来ていたみたいじゃない。いっつもは、一番遅いくせに」
「どうやら、どうしても僕を犯人にしたいみたいだが、それはたまたまと言うしかないね。あ、そうだ。今日の朝は下駄箱で、桜庭と会ったよ。教室まで一緒に、雑談しながら上がったんだ。これでも疑う? なんなら、桜庭にアリバイを証言してもらってもいいよ? どうする?」
「な、なんなのよもう!」
 西条は苛立った様子でそう言って、どこかへ去ってしまった。その後ろ姿はあまりにも惨めだ。
 そりゃあ、自分の親友が傷つけられたという許せない気持ちは理解できるけれど、だからと言って、無関係な人間を犯人として、仕立て上げようというのは駄目だ。やってはいけないことだ。
犯人を見つけたいのなら、決定的証拠と推理を立てないと。
 さて、そろそろあいつが動き出す時間だろうか。
「栄彦君。本当にたまたまだが、話は聞かせてもらったよ」
「嘘をつけ。どうせ、そこの角で盗み聞きでもしていたんだろう」
「ははっ、ばれちゃったか。さすが私の親友だ」
 僕の親友である桜庭鏡花は、口角を斜め上にして言った。
「さて、犯人捜しといこうか」
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