第10話 ボーカリスト 中編

文字数 4,200文字


 メーク用の鏡を見ながら、自分が自分であることを確認する。
 信長の怨霊と会ってから、慎哉の日常は様変わりした。
 元から人前に出るのが好きではなく、高校時代も品行方正で成績が良いだけの目立たぬ人間だった自分が、新歓の事件以来人嫌いになって引き籠ってしまった。
 そんな生活も悪くはないと思っていたのに、いくら怨霊に憑依されたからと言って、平然とこの場所にいることが信じられなかった。

「緊張しているのか?」
 声をかけてくれたのは吉永だった。
 鏡に映った自分の顔を見ながら、そんな風に見えるのかと疑問を感じながら、振り向いて笑う。
「大丈夫ですよ。ステージに立てば落ち着きますから」
 ステージに立つのは信長だ。
 慎哉自身は緊張で何も考えられなくなって、プレイする自分を見守るだけに違いないが。

「たいしたもんだな。昨日みたいなことがあったのに、さっきのリハは躊躇なしに挑むようなギターをぶつけてくる。俺について来いと主張しているようにさえ感じたぞ」
 信長が生来持っているリーダーシップがそうさせるのか、そう言えばマスクデータの影響力もチート的に二百にしてた。城攻めを行えば囲んだだけで、相手が降伏するレベルだ。
 そんな信長のプレイを見ていたら、今の慎哉は緊張してるのかと不安になって当然だ。

「だが、プレイをしてるときの慎哉とずっといたら、一緒にいることが息苦しくなるかもしれないな。今みたいな顔を見せてくれると、正直ほっとするよ」
「あっ、いえ、すいません」
 年上の吉永にそこまで言わせて、騙しているようで申し訳ない気持ちに成った。
「いや、こちらこそ申し訳ない。ライブ前に情けないことを言っちゃったな」
 吉永は申し訳なさそうに頭を掻く。

「慎哉、こっちに来て」
 亜美に呼ばれたので、立ち上がって隣に座る。
「ねぇ手を握って」
 みんなの前で恥ずかしかったが、誰も慎哉たちを気にしていない。
 思い切って、膝の上に置かれた亜美の手を、両手でそっと包むように握った。
 細い手が震えていた。
 亜美は目を瞑って、手を握られたままじっとしている。
 
 しばらくそのままでいると、手の震えが止まった。
「ありがとう。もう大丈夫」
 慎哉はそっと亜美の手から両手を離した。

「開演一分前です。スタンバイでき次第、ステージに出てください」
 進行のお姉さんが開始を告げる。
「用意はいいか?」
 吉永が皆に声をかける。
「OK~」
「任せろ」
 てんでに意思表示する。みんな問題ないようだ。
「よし、じゃあ行こう」
 その言葉を合図に信長にスィッチした。

 吉永を先頭に、ステージに出ていく。
 客席から拍手が飛んだ。
 拍手はだんだん一定のリズムを刻み始め、ポジションに向かう足取りが軽くなる。
 
 客席は暗く、ステージに当たる照明が眩しくて客の顔が良く分からない。
 慎哉は信長から離れ、角度を変えて客席を見た。
 前方のスタンディングエリアに梨都の顔を見つけた。
 来てくれたんだ――慎哉はすっかり安心した。研人と朱音の姿も確認した。
 客席は満杯だ。最後方のカウンター席も全て埋まっている。

 客層は男女半々といったところか。
 年齢層はやはり若者が多いが、三十代と思われる客も一定量存在した。
 ごく少数だがスーツ姿の客もいた。

 初めてライブに来て、慎哉はライブのお客さんは映画館や演劇の舞台と違うと感じた。
 同じ期待感でも、映画や演劇は楽しませてもらう期待感だが、ライブは自分も参加できる期待感に満ちている。

「今日は俺たちのライブに来てくれてありがとう!」
 吉永のMCが始まった。
「見て分かる通り、インストバンドに戻っていたシャークスに、歌姫が帰ってきました。そしてゲストギタリストも参加しています。明峰大の夏フェス出たいのに、メンバー足りないそうです。今日のライブを聴いて、心にグッと来たら、彼に声をかけてみて」
 今から夏フェスに向けてメンバー募集と聞いて、客席から軽く失笑が漏れる。
 事情を知ってるとすれば、明峰大生だろう。

「OK、じゃあ始めようか。ジェットトゥジェット」
 客席から爆音のような歓声がステージに届く。
 ゲンのドラムが音を刻み始めてもそれは止まらなかったが、信長のギターがイントロを奏でたとき、一瞬静寂が訪れた。
 アルペジオが終わって、リフに入った途端、静寂はオープニング以上の爆音に変わった。
 まだボーカルも始まってないのにヘッドバンキングしている者もいる。

 亜美のボーカルと吉永のギターが入ったとき、音の厚みが一挙に増して、前の客は右手を振りかざして、リズムに合わせて前後に振り始めた。
 嵐のようなボーカルパートが終わり、ギターソロが始まったとき、客の声が止んだ。
 信長の超絶テクに魂を抜かれたように見入っている。

 二曲目はソルジャートゥフォーチュナー。
 信長のギターを際立たせようと、吉永がわざわざ入れ込んだ曲だ。
 この曲で客は、信長が本物であることを確信した。
 観客の期待が信長に集中する。

 三曲目と四客目は、吉永の書いたオリジナル曲だ。
 吉永らしい明快な主張が際立つグッドソングだ。
 古くからのシャークスファンは、タクを連呼し吉永を称える。

 五曲目と六曲目はポピュラーなロックナンバーから、リビングオンアプレヤーとファイナルカウントダウン。
 友達に誘われて、初めてシャークスのライブに来た客も、耳に馴染んだ曲でようやくコアなファンのテンションに追いつく。

 曲が終わると吉永のMCが入る。
「サンキュー、サンキュー。暖まって来たところで、メンバーのソロパートをアピールしたオリジナルをやります。ダッドランアラウンドザシティ」
 ゲンの叩きつけるようなドラミングが始まった。続いてカズのベースが入り、ドラムとベースの掛け合いが続く。
 ソロパートの前に亜美のコーラスと二本のギターが入り、厚い音を聞かせた後に、ゲンのドラムのソロパートが続く。
 ゲンがエネルギッシュにビートを刻み、歓声がステージを包む。
 バンドのムードメーカーだったゲンの十六年間の思いが詰まったようなパフォーマンスだった。

 続いて、カズのオリジナル曲が始まる。
 時にはゲンのドラムに合わせ、また時には吉永のギターに寄り添い、常にバンドのつなぎ役として役割を全うしてきた男は、実は陽気なファンキーベーシストだ。
 ソロパートのグルーブ感は、観客のうねりに変わる。

 慎哉はプレイヤーとオーディエンスの不思議な一体感に驚いていた。
 プレイヤー側がソウルフルに演奏すれば、オーディエンスも心を震わせ、ダンサンブルなビートに対しては、身体が自然に踊りだす。
 気持ちがつながる高揚感は、生霊の慎哉の魂も引き寄せられるような勢いがあった。
 今、曲が進んで亜美のソウルフルなボーカルを際立たせるバラードに変わった。
 オーディエンスは、踊るのを止めて、しっとりと粘りつくような歌声に、しっかりと心を震わせていた。

 生身の身体でないのがもどかしい。
 慎哉の魂に一つの感性が生まれようとしている。
 それは曲が変わって、再び激しいロックナンバ―になっても消えなかった。
 ダンスナンバーでも、R&Bでも消えない確固たる慎哉の主張を成している。
 生身の身体が欲しい、この場のみんなに自分の魂を届けたい――それは慎哉の祈りとなった。

 突然、信長が慎哉とスィッチした。
(えっ、どうなってるの?)
(お主も、ライブに参加するんだ)
(無理だよ、弾いたことないし)
(大丈夫だ。身体が既にテクニックは覚えている。今お主の中に生まれている感性をぶつけるだけでいい)

 吉永が次はラストナンバーであることを告げる。
 例のバラードだ。
 亜美が慎哉に信頼の眼差しを向ける。
 正治が作ったこの曲の完璧な再現こそ、亜美がこのライブで一番求めているものだ。
 これまで信長はそのリクエストをパーフェクトに満たしてきた。
 自分は……

 ゲンのドラムが始まった。
 カズのベースが参加する。
 次がギターとボーカルだ。
 慎哉は腹を決めた――信長の言葉に従うと。

 亜美と慎哉が参加した。
 歌いながら、亜美が慎哉の顔を見る。
 慎哉の裏切りを感じて、戸惑いと悲しみに満ちた目だ。

 構わない!
 慎哉は己の感性を注ぎ込むのを止めなかった。
 ギターとボーカルが違った感性をぶつけ合う。
 オーディエンスにも、ギターとボーカルのバトルが伝わった。
 バトルが生み出すエネルギーがエキサイティングな感動を絞り出す。
 行方が気になって、一音たりとも聴き逃がせない緊張状態が続いた。

 いよいよラストに向けた転調フレーズに差し掛かる。
 スケールが切り替わった瞬間、亜美のボーカルが変わった。
 正治を偲び、あの人はこう弾いて私はこう歌った。これまでの亜美のボーカルは正治が残したソウルに囚われ、その素晴らしさを主張し、聴く者を無理やりその世界に引き込むものだった。

 新しい亜美のボーカルは生者のための歌だった。正治の思いを届けながらも、今生きてそれを感じられる喜びで染め上げ、生への賛歌に変容させていた。
 慎哉のギターが亜美の新しいボーカルをアシストし、その世界観を大きく広げる。
 もう、正治の亜美ではなく、亜美は亜美として大きく輝き、慎哉は亜美の慎哉としてギターをかき鳴らす。

 慎哉の目に観客席で泣いてる梨都が目に入った。
 感動と不安が入り混じって、他の観客のように無心で生を感じていない。
 慎哉はギターを弾きながら、亜美から少し離れ梨都の心に寄り添った。
 二人の目が合う。思いが伝わったのか、梨都の顔に笑みが浮かんだ。
 梨都が幸せに浸ったことを確認して、再び亜美の慎哉に戻る。
 曲はラストに近づいている。

 亜美はもう何が起きても動じない。
 生を歌い上げる強い信念が亜美の歌声の柱になって、その場にいる全員の思いが乗ってもびくともしない。
 最後の一音まで一人もこぼすことなく曲は終わった。

 今日一番の拍手に包まれながら、吉永は観客に別れを告げ、ステージを下がる。
 アンコールの声が止まない。
 亜美が慎哉の首に両手を回して耳元で囁く。
「もう、放さないわよ。あなたが私をお兄ちゃんの世界から引き戻したんだからね」
 慎哉は背中がぞくっとした。
(助けて、信長)

「さあ、アンコールだ。もう一曲行くぞ」
 その言葉と共に信長とスィッチして、慎哉は生霊になった。
 フゥー
 慎哉は大きなため息をついた。
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