第7話 初めてのセッション
文字数 4,076文字
演奏が終わると、信長は慎哉とスィッチした。
もう入れ替わって、四時間近く経つ。
この後の練習時間を確保したかったのだろう。
「すみません。そんな大事なギターを初心者なのに欲しいなんて」
慎哉は反射的に謝ったが、その言葉は吉永の耳には届いてないようだった。
(その男は、お主がそのギターの持ち主に相応しいと認めたんだ)
(僕じゃなくて、信長だろう)
慎哉は慌てて否定したが、信長は答えなかった。
「正治はお前みたいに才能に溢れていた。力強くて正確で、それでいて音にドラマがあった。今の曲は正治が書いた曲だよ。ソロパートは俺と正治でギターバトルみたいに激しく弾くんだが、不思議とハモって客は満足していた」
吉永は懐かしそうに、慎哉が手に取っているギターを見た。
「そのギター、お前が弾いてくれ。どうせ夏フェス迄しか弾かないんだろう。店長、それまでこいつにこのギターを貸し出してくれないか。レンタル料なら俺が払うから。傷ついたりしたら弁償する。ダメか?」
吉永の頼みを聞いて、島田はちらっと女店員の亜美に目を向ける。
気づかない間に亜美もスタジオに入って、扉の近くで二人の演奏を聴いていたのだ。
島田と目が合うと亜美は黙って頷く。
「いいですよ。元々このギターは亜美ちゃんが、お兄さんを思い出して辛くなるから、私が見て相応しいと思った人に売ってくれと、頼まれていたものです。吉永さんが認めて、亜美ちゃんがいいのなら、別にタダで譲ってもいい」
島田がしみじみとした口調で承諾した。
亜美が熱い目で慎哉を見る。
その視線に気づき、梨都が遮るように慎哉の前に立った。
「すごいよ、慎哉。ロックをよく知らない私でもジーンときた」
亜美に対して、自分が慎哉の彼女だとばかりに、アピールする。
慎哉はどんどんギタリストに成ることで、周りに固められていくのに戸惑っていた。
「一つ頼みがある。そのギターで、俺のバンドに参加してもらえないか。何回か他のメンバーと音を合わせて、一度でいいからライブハウスのステージに立って欲しい」
「えっ」
金をとる舞台に上がると聞き、さすがに慎哉は引いた。
その様子を見て、吉永がさらに続ける。
「メンバー探しに焦っているのは分かる。でもなおさら、俺たちと同じステージに立った方がいい。俺たちが
吉永がじっと、何と答えていいか戸惑っている慎哉を見る。
(受けろ)
信長が短く命じた。
慎哉は反射的にその声に反応してしまった。
「演ります」
吉永がほっとした顔をする。
「じゃあ、早速今夜うちのメンバーと音合わせしてくれないか。今週の土曜の夜にライブの予定がある。間に合えばそこで演りたい」
土曜まで後三日しかない。
「それは難しいよ」
バンドの難しさを知っている研人が、心配してつぶやく。
(演れ。時間がない)
また信長の声がした。
「何時、どこに行けばいいですか」
「おお、ありがとう。夜七時から始める予定だ。場所は送るから連絡先を教えてくれ」
何が何だかよく分からないうちに、どんどん話が決まっていく。
慎哉は戸惑いながらも、信長の行動力と引きの強さに驚いていた。
何はともあれ、高額な楽器代の支払いを免れたことにホッとする。
「忘れていた。名前を教えてくれ。俺は吉永
「佐伯慎哉です。東京明峰大の一年生です」
「後で、今回のライブで演る曲の動画を送るから聴いといてくれ」
「あの、今日はいつものスタジオですよね」
突然、亜美が吉永に訊いた。
「そうだよ」
「見学に行ってもいいですか?」
「ダメだ。スタジオは狭い。歌ってくれるのならいいけど」
吉永のリクエストに亜美は黙って俯く。
「正治が死んだからと言って、亜美ちゃんが歌をやめることはないだろう。もういい加減ふっきれよ」
亜美の肩は震えていた。
しばらく黙っていたが、顔を上げて慎哉を見ながら、しっかりと声を出した。
「前のように歌えるか分からないけど、やってみる」
部屋に戻ると慎哉はぐったりとしていた。
すんでのところで、思わぬ出費をするところだった。
本代にと渡されたクレジットカードを使って、今頃父親になんと説明するか、あれこれ頭を悩ますところだった。
吉永からメールが届いた。
今日の場所の地図と、動画を格納したクラウドのURLが貼り付けてあった。
信長の指示で早速PCを開いて動画をダウンロードする。
動画を開くと、ライブハウスで録音した映像が流れた。
シャークスはインストバンドのようだ。
リズム隊は力強くて正確なリズムを刻む。
メインは吉永ともう一人のツインギターだ。
吉永がバッキングを担当し、もう一人がリードをとっているが、ソロでは二人が音程をずらしてハモることがある。
このリードを弾いてる人が亡くなったという正治だろう。
基本的にはブルースの影響を受けたロックだが、ヘビメタ調の早弾きがしっかり取り入れられている。超絶技巧を披露するために、ジャンルは選ばないという感じだ。
ときおり女性のコーラスが入る。切れ味の鋭い声で演奏にマッチしていた。これが亜美の声だとすぐに気づいた。
最後の曲は亜美がボーカルを取っていた。
マイナースケールで構成された曲は、もの悲しい雰囲気を漂わすが、亜美のソウルフルなボーカルが、人生に立ち向かう気概を感じさせる。
(これはいいな)
信長が珍しく賞賛した。
曲はラストに近づくとメジャーキーに転調し、壮大な世界を展開し始める。
ボーカルとギターが溶けあい、天に向かうイメージを連想させて、曲が終わる。
(すごい!)
慎哉は自分が泣いていることに気づいた。
涙を拭きながら、心に生まれたばかりの感性を抱きしめる。
(お主の感性もなかなかのものではないか。我がものとはまったく違う)
慎哉は心に芽生えた強い衝動を抑えようと必死だった。
抑えなければ、噴き出した感情が声になって叫び出しそうになる。
(お主も弾いてみるか?)
慎哉は激しくかぶりを振る。
(そうか)
信長はそれっきり、語り掛けるのをやめた。
慎哉はようやく落ち着いてきた。
徐々にこみ上げたものが身体の中に納まっていく。
床に突っ伏せて、慎哉は疲れから眠りに落ちた。
スマホのアラーム音が部屋の中に鳴り響く。
予定表に入れた吉永との約束の時間が近づいている。
慎哉は、急いでギターを持って家を出た。
深く眠ったので、身体は軽い。
亜美が来ることが決まったとき、梨都が自分も行くと騒いだが、なんとか宥めた。
代わりにみんなの前で梨都が彼女だと紹介させられた。
吉永はそれを聞いて、楽しそうに笑っていた。
研人も同行できないのは残念そうだった。
一緒にバンドを組むかと聞いたが、レベルが違うと断られた。
再び吉祥寺に着くと、今度は南口から井の頭公園に向かう通りを進んだ。
公園までの途中に、目的地である貸スタジオがあった。
部屋は四つあって、どれも塞がっていた。
防音は完ぺきではないようで、廊下には様々な音が流れている。
吉永が予約している部屋には、既にメンバーが揃っていた。
慎哉の姿を見て森山が、笑顔で迎えてくれた。
メンバー紹介が始まる。
ドラムのゲンは動画で聴いた限りでは、かなりパワフルなプレイスタイルだ。音がはじけて跳んでいく印象がある。
ベースのカズはグルーブ感たっぷりでファンキーな音だ。肩から腕にかけての筋肉が獰猛に息づいている。
ギターは吉永で、通称タク。リズム感が抜群で、カッティングが得意なプレイスタイルだ。
みんな高校時代からの同級生で、そのときからバンドを組んでいるという。今や年齢は三十才を超え、それぞれ仕事をしながら音楽を続けているという話だ。
ちなみにゲンだけ既婚者で後は独身。
通常は三人でインストバンドとして活動していて、コアなファンもついている。ライブをすれば満杯にするぐらいの人気はあるらしい。
自主制作のDVDも出していて、昼間に送ってくれた動画のソースはDVDから取ったようだ。
今日は三人に加えて、ゲストとして亜美がいた。
亜美は亡くなった元メンバー正治の妹で、現在はギターショップBECKでアルバイトをしている。年は二二才と慎哉より四つ年上で、吉祥寺にある女子大の四年生だ。
店では気づかなかったが、亜美は長身でヒールを履くと一七五センチの慎哉と同じ目線に成る。全体的に折れそうなほど細身で、慎哉を泣かせたソウルフルな声が出るようには見えないが、タンクトップから覗く深い胸元が、高いポテンシャルを予感させた。
「じゃあ時間が惜しいし、早速いってみようか」
タクの言葉で練習が始まる。
慎哉はすかさず信長にスィッチした。
曲はアルカトラズのカバーでジェット・トゥ・ジェット。
タクが当然のようにバッキングを務め、信長がリードを取った。
グラハムボネットのボーカルの代わりに、信長のギターが妖しいまでに魅惑に満ちた旋律を奏でる。
フレーズが進むうちに、慎哉は異変に気付いた。
信長のプレイにリズム隊が幻惑されて、アップテンポに引きずられて行く。
ゲンとカズはそれに気づいて、懸命に立て直そうとするが、意志とは裏腹に身体が支配されている。
壊れると思った瞬間、亜美の腹に響くようなコーラスが入った。
テンポが戻った――ゲンとカズは亜美のおかげで自分のプレイを取り戻すことができた。
一曲終わって、ゲンとカズが同時に叫ぶ。
「正治の再来だ!」
「危うく曲を壊すところだった」
二人とも幽霊を見るような顔で信長を見る。
タクが嬉しそうに亜美を見る。
「正治のときと同じように、また亜美に救われたな」
亜美は兄のことを思い出したのか、泣き笑いで端正な顔がファニーフェースに変わっている。
信じられないような顔で、信長を見る。
「ありがとう」
コーラスのときと打って変わった細い声だった。